ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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Anyway the wind blows
2019/01/22

「やりたいようにやればいい」モードの日々。「心の衝動に従って過ごす」日々。もちろん「魂の道場」ではそこは使いませんが、個人的にはそんな日々を送っています。今、個人的には構築してきたものを破壊していくところへ来ているように感じているのもあり。

Queenの曲「ボヘミアン・ラプソディ」の最初と最後に出てくる歌詞・・・「Anyway the wind blows」・・・どっちにしても風は吹く(から・・・)、いずれにしても風は吹く(から・・・)というような意味でしょうか。この歌詞が、妙に、心に響きます。

何もかもが風によって運ばれていってしまう、できたと思ったものもつかの間、風がそれを吹き飛ばしてしまう、こんなに大変な状態であってもそれも風が吹くことで変っていく。何がどうなるかなんて全くわからない。確固たるものはひとつもなくて、全てが幻のようなもの。「何にしても風は吹くのさ・・・」ということ。

ボブ・ディランは「風に吹かれて」のなかで「その答えは風に吹かれている」と言っているし、人々を変えたメアリー・ポピンズは東風に乗ってやってきて、去っていったし、大好きな映画「ショコラ」の親子は北風とともにやってきて人々を目覚めさせ、自分を縛っていたものも風に乗せて吹き飛ばす。

まるで、風が自分の姿を現しているような、こんな空を見上げて「何にしても風は吹くのさ、風が吹きたいときに・・・何かしらは起こる、だから私はやりたいようにやればいい」と言っています。

この言葉は今の私の聖なるマントラそのもの。

頑張る&まあいいか
2019/01/21

バランスをとることはとても大事です。

これは自分を育てていく道でも大事で、少し自分に負荷をかけて頑張るときと、まあいいかというときと、交互に上手に使い分けて(バランスをとりながら)いくことが大事です。

頑張るときは、どんな感情も感覚もスルーしないで自分の責任としてそれと向き合う、ワークする、選択して実行することを頑張るというものです。それを継続させることに頑張る。選択したものを実行することを頑張るというものです。そうやって自分を積極的に進めていく時も必要。

又、逆に、今の自分で今はいいか、というところにいることも大事です。今の自分の持ち物だけでいく。今のままでいる。いつもいつも、新なものを自分が手にする、学ぶ、というように進み続けるのは不自然なことであって、進むときと止まるときで1セットなのでそこをどのように上手に使うかということになります。

頑張る&まあいいかでバランスのいい自分を創っていってください。

このように使い分けていくことで、この世が2極でできていて、自分の中にも2極のものがあって、それが交互にやってきてその中で生きていっているんだな、ということを感じられると思います。頑張るだけではだめで、まあいいかだけでもだめです。両極のものをどういうときに使うのか、そこの匙加減、というところに腕の見せ所があります。

又、頑張るもまあいいかも「私」が選ぶそれであることは大前提です。それを黒パターンが選んでいるときにはぐだぐだになっていく可能性大です。ここは注意点です。

ひとりっきりじゃない
2019/01/20

自分は誰にもわかってもらえなくて、ひとりなんだ・・と感じている方は多いですが。

いやいやいやいや・・・全くそうではありません。

まず、自分の心の中にはパターンもインナーチィルドも過去世の自分(今世の自分の課題と同じものをもっていてでもそれをクリアできなかった過去世の自分)もいるし、「私」が育ってくればそこを通ってサポートしてくれるものを感じれるし、肉体的なところの先祖の方達も私達がその方たちに近寄っていき、感謝と、相手への幸せを願えば力を貸してくれるし。・・・・・と、ひとりっきりになりたくてもなれないのが現実。そしてみんなが私達のことを応援し、見守っています。幸せに生きてほしい・・・と。

ちゃんとわかっている自分のサポーターの方々。私たちはそういう皆を代表してこの世に肉体をもって生きていると言えます。

近頃、感じたことなんですが、父につないでもらった曾祖父母への祈りにより(たぶん)自分の中に今までにないような感情や感覚が湧いてきているのを感じています。それは「やりたいようにやればいい」というものです。これは今までの私にはほとんどなかったことで、選択と創造への挑戦が多かったと思います。これは、誰かのエッセンスが私の血肉の中で動き出したんじゃないかと思っています。ありがたいです。だからひとりっきりじゃないです。

自分を生かしてくれている多くのものたち。それらを自分の後ろに従えて、そのものたちに後押ししてもらって生きているんだと思います。

バランスのよい心を。
2019/01/19

「神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。」マザー・テレサの言葉です。

この言葉は今世を生きる「魂」の指標になります。一般的に(領域的に)は社会的に成功することが「成功」と私達は捉えています。(どれだけ名前が知られているか、どれだけ他人から認められているか、どれだけお金を得たか、どれだけ他人から必要とされているか、目立っているか、他を圧倒する力があるか、など)ですから、そういう人を見るとそうではない自分と比べて、自分への価値を見失います。少しでもそういう人になろうと、そのために生きることをしていきます。

しかし、マザーはその成功を神様は望んでいなのよ、と言っています。ただ、挑戦することなんだ、と。ここでの挑戦はもちろん、社会的成功への挑戦ではなく、自分自身を自分で育むことへの挑戦のことを言っています。それは人によって違うでしょう。

弱い自分が自分を強くするように育む。ずるい自分が正々堂々とした自分にするように育む。人のせいにしていた自分がもう人のせいにしない自分を育む・・などなど。それ自体が挑戦になり、神様はそれを望んでいると言っています。そして、実はこうして生きた人が本来の成功者と言えます(本人はそうも思っていないと思うけど)

ここでの挑戦は、自分の心のバランスをとっていくとも言えます。心がアンバランスであるとき、色々と問題、悩み、が出てきます。これはアンバランスであることを教えてくれています。そのアンバランスを正していくためには挑戦が必要になるということです。アンバランスな心をバランスのよい心にしていく。全員にとって今世でやるべきことはこのことです。そこへの挑戦を続けていくことになります。

わかってはいても、ついつい、ここからはずれるのが人間です。それでも気付いたらまたここへ戻って、挑戦です。そうやって毎日を過ごしていかれることが本当に幸せなことだと私は思います。

こいつぁ〜春から
2019/01/18

今年初めての沖縄出張、無事に終わりました。

今回の沖縄クラスへは茅ヶ崎クラスからゲストの方が参加されました。いつも言っているようにどこのクラスでもやっていることは一緒なので、話が早いです。こうしてお互いに行き来できるのも「道場」の良さだと思います。行った先の美味しいものを食べるというのもひとつの楽しみですね。観光を兼ねて、ぜひどうぞ。

さて、今回もいつも通り、ANAでのフライトでしたが、いつもの「機内安全ビデオ」が新しくなっていました。

機内安全ビデオは「皆さま御覧ください」とアナウンスがあってもなかなか見ないものです(本当は見ておかないといざというとき困るんだけど)で、私も手元の雑誌を見ていたのですが、なんかいつもと音が違うので顔をあげてみると、機内安全の説明が歌舞伎バージョンで作られていました。これが、おもしろくておもしろくて、じっと見入ってしまいました。こんなに機内安全ビデオをしっかりと見たことはなかったかもしれません。

1月だからかな、と思っていたらすでに去年に新しくなっていたということでした。日本らしさを前面に打ち出した、とても画期的なものだと思いました。

降機のときにはこのビデオのメイキングビデオが流れ、それもおもしろそう。次回はこちらも全部見たいので後部席からゆっくり降りようと決めました。沖縄への楽しみが増えた。

こいつぁ〜春から縁起がいいわぃ〜〜〜!

https://www.youtube.com/watch?v=5MhGLRo7Wmg 

混沌とした自分の中を旅する
2019/01/11

自分に向き合うというのは、形のない世界を、形のないものを求めての旅になります。

実際の旅もそうですが、何かを行うということはそれの到着地(得られるもの)がわかっているのが普通です。しかし、自分に向き合う旅は(ワークという行っていることは同じでも)ひとりひとり魂の課題が違うし、個性も違うので、脳の中では到着地点をイメージしているものの、実際は形なきものへ向かって歩いていることになります。だんだんとここの一致性もできあがっていくといいと思います。

形あるものを見据えて、そうなっていくことのほうが簡単です。しかし、そうではない、混沌としたところから、自然に生まれてくる、その人独自のもののほうが、私は普遍性を感じるし、そこのもつ神聖さを感じます。その人だけのものをみつけるために自分に向き合うという旅をしています。

この長い旅路は今までもずっとあり、これからもずっと続き、今世のこの旅でも、その人、その人にあったものごとを受け取っていきます。受け取っていくものは結果ではなくて、途中で与えられるプレゼントのようなものです。ですから受け取ったらそこで終えるのではなくそのプレゼントをもってまた次へ進みます。プレゼントは自分がイメージしていたものとは違うものがもたらされることもあります。それもよくよく見てみれば、自分を大きく成長させ、豊な人生を歩むことへつながるものであることをあるとき知ります。

形あるものにとらわれないようにしてください。形に収まる「私」ではありません。形は人がつくったものです。混沌とした自分の中を旅することで見つけられるものがその人のものです。

今日はこれから沖縄です。今年もクラスが行われることに感謝しています。こんなに長期にわたって共に学べることを幸せに思います。今年も受け入れてくださった沖縄の神さまたちに感謝して行ってまいります。皆さまもどうぞお元気でお過ごしください。

パターンに語ることができるのは「私」だけ
2019/01/10

例えば「自分はだめだ」というパターンがあったとします。

そのパターンは「なぜならば、自分には才能がないし、〇〇さんのように成功していないし、何をやっても形にならないし」と言っているとします。そのパターンへ語りかけをしようとすると(又はしているときに)そのパターンを嫌うパターンが出てくることがよくあります。

「自分はだめだというパターンが嫌い」というパターンです。そのパターンは「なぜならば、おまえが自分はだめだ、だめだと言っているからずっとだめなんだよ。おまえがいなくなればだめじゃなくなるのに。おまえがいるから何もかもうまくいかないんだ」というようなことを言ってくるかもしれません。

又はこんなことを言う場合もあります「だめじゃないよ。だって、〇〇さんのできないことをやれているし、人と比べること自体がレベルが低いことで、自分は高いレベルの人間なんだから、もう、そんな低いところに自分をおかなくていいよ。だからだめだ、だめだと言うことなんかないんだよ」と。一見優しそうですが、これも「自分はだめだ」を嫌うパターンです。手を変え品を変えて、嫌いなパターンを自分の思い通りにしたがるパターンです。

それぞれのパターンに対して、もちろん語りかけが必要です。そして「自分はだめだ」も「自分はだめだというパターンが嫌い」というパターンもしょっちゅう出てくる場合は「だまりなさい・・・」を使ってみてください。しっかりと毅然と「だまりなさい・・・「私」が決めるからあなたはだまっていなさい」と言います。

又、特に、パターンを嫌うパターンには「だまりなさい・・・「私」があのパターン(自分はだめだ)の存在を認めて許しているのだから、あなたはだまりなさい」と言うといいです。

全てのパターンは「私」とそのパターンとのやりとりを見ているので、彼らは少しずつ「私」がリーダーであることを認識していきます。簡単に言ってしまうといろんなパターンに語ることができるのは「私」だけということを示し、それを言葉にし、その関係を創ります。

それはパターンたちのためのものになります。安心して自分たちが身をまかせられるリーダーをパターンたちは欲しているからです。安心して身をまかせられる存在がいないので(「私」が未熟であるため)パターンが頑張るしかないようにしてしまってきたんです。

もう、パターンたちも解放してあげよう。

やりたいようにやる
2019/01/09

ある日の朝。まばゆいばかりの黄金色に包まれた一瞬でした。

人がどんなに魂を込めて創った作品も自然の美しさにはかなわない、と誰かが言っていましたが、本当にそうだと思います。人は超えられないそれに引き付けられ、圧倒され、背中を押されて作品を創りたい、表現したいという衝動にかられるのでしょう。

何故、山に登るのか?・・・そこに山があるから。という言葉もあります。目の前に山があるから登りたいという衝動がわく、そしてその衝動に従う。

人の心の底からわきでる衝動というものがとても大事だとこの頃思っていて、それに乗ってすごしています。もちろん、ここでの衝動は黒パターンからのものではなく、もっと純粋で(純粋であるなんて感じることもなく)何かにどこかへ導かれていくために必要なこととして、生まれてきているもののようです。

それに乗るのか、スルーするのか、は自分で判断してよくて、スルーしたから罰があたるということでももちろんありません。「やりたいようにやればいい」「自分の魂の声を聴く」ということはこういうことだったのかと思う今日この頃。

今日の衝動でやりたいようにやる。

意外な結末
2019/01/08

先日、近所の顔見知りの方とばったりと会ったときに「どーーーしたのぉ‥髪。染めるのやめたのぉ?髪が全体にグレーっぽくない?」と言われました。

「染めるのがだんだん面倒になってきて」と言ったら「勇気があるわねえ」と驚かれました。

その方は68歳、黒々とした髪です。「いいですね、黒くて」と言うと「月に2回美容院で染めている」ということでした。「伊藤さんは私よりまだ若いでしょう?だったら染めないと。みっともなく見えてしまうわよ。やっぱりおしゃれでいたいじゃない?染めて若々しいからおしゃれも映えるというものよ。伊藤さんも染めたほうがいいわよ」ということでした。「そーーですね」と言って別れました。

白髪をどうするか。お会いした方のようにきっちりと染めていたいという人もいるし、白髪を染めるよりも今流行っているグレーヘアーがいいと言う人もいます。白髪が嫌なのでいっそのこと金髪にしているという人もいるし、全く何もしないという人もいます。

私も以前は染めていましたが、アレルギーをおこして顔がひどい状態になったことがあったので、それ以来、びっちり染めることはやめました。しかし気になるときには、アレルギーをおこしやすいものが入っていないものでちょっと染めておくということにしています。

そうやっていくうちに面倒くささのほうが勝っていき、染める回数も減り、気付けば、黒や白やグレーや茶やいろんな色が混じった髪になっていました。これはこれで、自分らしくていいかも、と思っています。

近所の美容院の看板に黒を基調とした髪にあえて白やグレーを入れて作りあげた若い女性のヘアーカタログが出ていて、あらら、一緒だと思いました(笑・・・・もちろん髪のつやや、輝きが全く違うけれど)

白髪を染めることへの面倒くささが勝ることで手にした自由というのか、意外な結末というのか。面倒くささから解放されたことはとてもよかったです。老いていっている私。顔も体も脳も髪も。それへの戸惑いや抵抗を感じながらも、それを受け入れていくごとに自由になっていく気がします。諦めることでの解放。

老いることで学ぶこともあるんだなあと思いました。

没個性へ・・・
2019/01/07

昨日の日記の中に「自分を消して、皆の気づきや成長の素材として存在したい」と書きました。

これは、カウンセラーとしての在り方として、と、共に、個人の自分としてもそうでありたいと思っています。誰に対してもこのスタンスで在りたいと数年前から思うようになりました。

そのころ「禅」の鈴木大拙氏の本を読み、そこで言われていた「絶対的に無分別」という言葉。きっとそうなんだろう、いまの私にはうっすらとぼんやりとしたあこがれでしかないけれど、私はそこへ向かっているのだろうと思いました。

そして、そこへ向かうプロセスの途中でであってきた「没個性」「個性の消滅」「無心」「無我」「自分を忘れる」「自分自身で全体的である」「より価値のあるものへの自己の服従」「相手に化合をおこす素材」という言葉たち。それのひとつひとつが向かっている道を進ませてくれていると思います。そんな道の途中の今の私の在り方というのが冒頭の言葉でした。

ここまで歩いてきたのも、まずは、黒パターンで無意識に生きてきてそのうまくいかない結果を長い間受け取っていた今までの自分への気づきと受容からはじまりました。そして、反対にある白パターンを選択し、それで生きてその結果を受け取ることを日々の中で体験します。それと同時に今までは他人のルールや哲学や常識で創られていた自分に対して自分のルール(取説)哲学、を創り、ずっと他人に向けられていた意識により埋没してしまっているありのままの自分の個性を掘り起こし、その個性をまとった「私」として生きることをやっていくことで、他人の出てこない在り方を体験します。自分を生きるってこういうことだったのかときっと感じると思います。

そんな在り方の先に、今度は、今までの道とは少し違う道が目の前にあらわれてきたように思います。それが没個性へ・・・の道なのだと感じています。あるあり方をある程度創ったところで、また、それを壊し、次なるところへ向かうというイメージがあります。黒パターンで生きてきたこともそれを選び変えるということで破壊と構築をしています。破壊することと構築することがこの宇宙の姿なのでしょう。そして、それはそこに住む私たちにもプログラミングされているのだと思う。

人はこうして次へ次へと動かされていく(望めば)その動きが正しく、自然に、安全にいくように、日々の生活の中で白パターンを選ぶ(良くないカルマをつくらない)ということの継続になります。この一瞬からそれをスタートさせます。

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