| 「はい」と応える | - 2025/12/03
- この時期になると、来年のカレンダーがたくさん並びます。可愛らしい動物ものがとても多いです。
そんな中に、目つきのわるい猫のカレンダーがありました。これは、もしや、去年初めてみた「ワル猫カレンダー」の2026年版?と手にとってみたらそうでした。
ぺらぺらめくってみると、今回もワルまっさかりの猫たちが各月のモデルになっています。見かたによっては可愛いと言えそうな気もしますが、一般的には可愛いとは言えない。でも、どこかかっこいい彼ら。
そしてその猫の横に書かれている言葉がなんかいいんです。その言葉も他人から言われたら「はあ?わかってますけど‥」と思うと思いますが、この、目つきの悪い、太々しい、心に傷持つ(ような)、開き直っているような、諦め、達観しているような猫からのメッセージだと思うとどういうわけか「はい」と素直に受け入れたくなる。ウソのない迫力というものなのでしょうか。
言葉のひとつに「弱い奴を守るから強くなれる」というのがありました。そうだね、そうだね、とうなずく私。で、真っ先に浮かんだのがパターンを守る「私」。パターンたちは子供なので弱い存在です。その弱い子供たちを「私」が守ることで「私」自身が成長し、強くなっていきます。「私」を強くするためにはパターンを「守る」ことをやらなければいけない。それはどんなに狂暴なパターンであっても。弱いから狂暴なんです。狂暴の下には恐怖と不安があります。
守ることって怖いことだったり、手間のかかることだったり、継続しなくてはいけないことだったり、時には嫌になったり、と、色々とあります。それも先が見えない中で守り続けていく。そうやって、育っていない「私」は勇気をもってそこへ飛び込まなくては強くなれないんです。「私」だからすでに強いんじゃないです。これは強さだけではなく、どの資質もそうです。
「私」って神の分霊だから、もっと気高いこと、美しいことをやるというイメージがあるかもしれませんが、どちらかというと逆です。とても現実的で、まっとうなことを「私」はやる。でも、まっとうなことがどんどんできるようになっていくうちに気高い強さや美しさが知らないうちに身についていくという感じです。強いから気高いし美しい。強さってとても奥が深くて、強いから、悲しみや寂しさも自由も楽しさも深く知ることができるのです。
そう考えると強さは最も基本になる資質だと思います。強さがどれだけ自分の世界を広げてくれるものなのか。
そうやって強くなるのは、ワル猫が弱い猫を守るのも一緒。「やっていることは同じだね、お互い頑張ろう」とその猫に言いました。「お前もな」と言われた気がします。「はい」と応える。
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