ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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今年の課題
2018/01/20

毎日をちゃんと生きたいと思います。

私の今年の課題はこれです(ここ何年も言っている気もしますが)

ちゃんとというのは「それは、本当に「私」が望んでいることなのか?」を常に自分に問うということです。今、思っていること、考えていること、言動しようとしていること、全てを自分に問いて、選んで、ちゃんと生きたいです。

少しずつそういう在り方ができるようになってきたので、今年はそれを拡大していく。それはきっとお会いしている方々、日記を読んでくださっている方々のためにもなると思います。

自分の心身に向けて、他の人に向けて、自分に起こる出来事に向けて、まんべんなく毎日それをやっていきたいです。いかなくちゃ、ではなくて、いきたい。それは私の人生の夢であり希望です。

竹内まりやさんの「人生の扉」という曲を聴いていたら「ひとりひとり 愛する人たちのために 生きていきたいよ」という歌詞がありました。この歌詞の感じが、その意味が、わかってきたような気がしました。それはいつか、愛する人たちのためにではなく、全ての人のために…と広がっていくのだろうなあとも思いました。

生きているうちに、その片鱗を感じられたらいいのですが。今日もちゃんと仕事をしていきます。

見習わなくちゃな
2018/01/19

羽田空港で見た「"HELLO BLUE,HELLO FUTURE ANA"」のCM動画。画面には羽生結弦選手の練習シーンの映像が流れ、そこにナレーションの男性の声が響きます。

「何度も何度も、何度も何度も繰り返すこの動き」
「それはまるで、不純物を少しづつ捨てて、世界で最も純粋な物を作り上げていく作業に見えた」
「そうか、奇跡はこうやって作られていたのか」
「見習わなくちゃな」

その通りだと思いました。きっとどの仕事も。そして自分自身の探求も。

自分が何度も何度も自分に向き合うことを繰り返し、自分の中の不純物を手放し、世界で最も純粋なものを自分の中に創り上げていく。そういう作業。

そして、奇跡がやってくる。まるで何かから「よく頑張った」と与えられるように。

何度も何度も繰り返す動きには派手さはなく、人の目にもとまらない。愉快なものでも、楽しいものでもない。でも、そういう在り方が不純物を手放すのだろうと思います。そして、世界で最も純粋な物を作り上げていく。

・・・・・・・「見習わなくちゃな」・・・・・・・

ふとまき?
2018/01/18

今年初の沖縄クラス。今までとはちょっと違うぴしっとした緊張感がただようクラスでした。いいですね。それぞれの抱負を伺って、自分を追い込んで学ぶという年になっていきそうな気がします。楽しみです。

さて、個人カウンセリングのときに使用している会館があります。そこのスタッフの女性との話です。

いつものように、事務所に行くとそのスタッフの方がいました。その方がマスクをしていたので「風邪ですか?」と聞いてみたら「風邪ではなくて、ふとまきなんです」と言われました。

≪ふとまき?≫・・・?・・・お寿司の太巻きのことだろうか?しかし、何故、マスクをしているのだろう?太巻きを食べ過ぎて、調子が悪いのだろうか?とくるくると頭の中で疑問が回りました。

「あのーーー、ふとまきってなんですか?」と聞くと「え?言いませんか?ふとまきって。唇とか唇の上がぴりぴり痛いような痒いような切れそうな状態になるんですけど」と言ってマスクを外してみせてくれました。確かに唇の上が赤く腫れて、ちょっとぐじゅぐじゅしていて痛そう。この状態をふとまきと言うのか。

で、セッションを終えて再び事務所に顔を出すとさきほどの方が「伊藤さん、私間違えていました。ふとまきではなくて、ふとんまきでした。私、この年になるまでずっとふとまきだと思ってました」と言われました「ふとんまきですか。布団負けのことなんですね」と言うと「そうなんです。布団を顔までかけてしまうとこうなってしまうんです。伊藤さんはこういう状態のとき、どう言うんですか?」と聞かれたので「ただれている、と言うかなあ」と言うと「わーーーただれている、ですかあ、なんか大人になった感じがする言葉ですねえ、これからはこれを使ってみよう」と喜んでいただきましたが、ふとんまき=ただれるは違うのかもしれません。微妙な言葉の感がある沖縄の言葉。

同時に持つ
2018/01/12

魂の道場ではありますが。魂を鍛えることだけではなく、この現実社会の中で「私」の宮殿である心身が豊かに生きていくためにどうしたらいいのか、ということも並行して学ぶことも大切だと私は思います。

霊的存在である私達は、常に、魂の動機をもっておくことが第一ですが、物資の世界で生きていくためには、必要な物質も手に入れていかなくてはなりません。すべてがバランスなので、この相反するような2つのもの(霊性と物質)が同時に必要だと思います。それにより相乗効果が上がっていきます。そして、そこにはあらゆる豊かさがあることになります。

一般的にはたいがいどちらかです。精神性と霊性のみか、物質のみか。本当はこの2つを同時に持てるようになるといいのだと思います。

で、わかりかけてきていることがあります。この2つがいい感じでバランスがとれていく(一致性がとれていくと)と、想いが現実化しやすくなるということです。これは良きものも悪いものもです。(それを引き寄せというのでしょう)現実化しやすい、というのは、想うところへスムーズに流れていくという感じです。そこに流れることで、創られる現実が自分の思い描くものであるので、それは自分で創造しているとも言えます。

だからこそ、どんな動機で(黒パターンの動機なのか「私」の動機なのか)それを想うのか、その想い方はどうなのか、と自分を観察していかないといけないとも思います。

これはずっと続く道です。

さて、今日はこれから沖縄です。今年初めてのクラスです。皆さんの抱負を聞くのが楽しみです。では、行ってまいります。

やってしまった
2018/01/11

黒パターンで言動してしまった。

〜やってしまった〜というお話を伺うと、誰でもがその結果に受け取るものとして、同じものを受け取っています。それは「もんもんとし続ける」というものです。これは、わかります。私もそうです。

もんもんは気持ちが悪いので、そんなときには、それを感じないように何か他のことに意識を向けてごまかすか、もんもんをいいように解釈して対処するか、もう考えないようにしようとするか。

でも、もんもんは続きます。もう、いい、と思っていても続きます。パターンは置き去りになっているだけだからです。

本当は、パターンで言動してしまう前に、これはパターンだとわかればそれを選ばないことを選択することができます。しかし、やっちゃって、その結果のもんもんを受け取って、あれはパターンだったんだとわかることが多いと思います。でも、大丈夫。わかったときにちゃんと語りかけをして、もう、それは選ばないという白を選んでいけばいいんです。

次回は同じような状況になっても、今までのように無意識(パターンが)に言動する前に気付くことが増えていきます。近頃思います。もんもんとし続けるということがどれだけエネルギーを垂れ流しにしていて時間とともにもったいないことをしているのか、と。そのエネルギーと時間をより、健全に、建設的なところに使ってどんどん自分を構築していきたい。

うれしい言葉
2018/01/10

きのういらした方々から、うれしい言葉をいただきました。

お一人の方の言葉「うらみや憎しみや挫折を知らないと愛を知ることはできないんですね」…一瞬、目が点になるほどの言葉でした。それもその言葉は本からの抜粋やマスターが言っているのではなく、ご本人が体験した生きた言葉でした。

その方には長い間恨んでいた人がいて、その人を恨む自分の深く傷ついているパターンに時間をかけて向き合ってきました。その後、それに対する白パターンを選んでいくうちに、その相手もつらかったんだと理解できるようになり、その恨みは自然ととけていったということでした。今は、その人にも幸せでいてもらいたいと思うと話してくれました。

愛を知るには(それを生身で体験するには)その反対にあるものが必要なんです。そしてそれを無視したりせずにそれと向き合うことが。これがまさに超えていく体験です。

もうお一人の方の言葉「本当にパターンに共感している「そうだよね」を言えていないことに気付いた」…これも、その深い洞察に驚きました。

「そうだよね」という簡単な言葉。でも、それをパターンへ影響を与える言葉にしてパターンへ届けることの難しさ。できているように思えてできていなかったことに気付くということ。これは深化です。

できていなかったことに自分で気付くということは素晴らしいことです。それはだからだめとか、今までできていなかったとか、能力がないということではなくて、このような気付きが質をあげていくことになります。

自分はできている…というパターンの声を信じてしまうと人はそこで止まります。できるようになったら、それをより善くするためにどうしたらいいのかを追い求め続けます。そこにはパターンは入り込めません。

お二人の言葉がとてもうれしかったです。私も頑張ろうと思います。

すごいでしょう?
2018/01/09

「できないことに挑戦したくなる」ときのうお会いした方がおっしゃいました。

この思いが自分の中に生まれているということにぜひ気付いてもらいたいです。

どちらかというと「自分のできることをやればいい」ということが一般的です。そこには苦手でできないことはやらなくてもいいじゃない、できることをやっているんだから、というのがあります。

しかし、それでは自分の世界と可能性を制限しているとも言えます。意外や意外、苦手なことに自分の才能を開花するものがあることも。

人というものは、自分の中が育ってくると、あえて、できないことに挑戦したくなります。できないことに挑戦するには勇気や意志力や継続力や努力などが必要になりますが、それでも、やりたい、挑戦したい、と「私」は言います。

それは、そうすることで自分の限界を超え、より本来の無限の自分に近づきたいがためだと思います。

できないことに、わざわざ挑戦なんかしないで、安泰に嫌な思いもせずにいきたい、とずっと思っていた自分、でも・・・・・・今は、できないことに挑戦したいって、すごいでしょう?

人の力を感じます。こうして「私」という魂として生きていくようになるんです。

新しい年に・・・
2018/01/08

新な年を迎え、皆様、いかがお過ごしでしょうか?

今年の三が日は、それはそれは、気持ちのよい晴天に恵まれた三が日でした。

元旦、海も空も澄み渡り、静かで、深く、あまりにきれいで、ちょっと怖いような日が3日間続きました。そんな3日間から今年を生きる覚悟を求められているんだと思いました。

正直、この3日はその風景とは違い、私の心は晴れやかなものではなく、どこか重さがありました。しかし、重ければ重いほど、そこには、強い光があり、それを選ぶことで状況が変わるということもわかっています。

カウンセリングの仕事をし、自分の体験してきたことを皆さんに教えるという立場ではありますが、私自身、まだまだ修行中です。自分のできていないところ、弱いところはわかっています。そこに向き合い、そこを超えていかなくてはいけない今年なんだと思いました。そして、この1年が次の年に反映していくのだろうということもわかります。

ということで、これからも日々、粛々と、やるべきことをやっていきます。

今年はこの仕事をはじめて、20年目に入ります。私の中では記念すべき20年です。20年前、たった一人のクライアントさんからはじまったこの仕事でした。やめてしまいたいと思ったときもありましたが、皆様に助けていただきながら、ここまでやってこられました。

皆さまへの感謝と、自分自身との約束で、今年1年を生きていきたいと思います。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

私を育ててくれた人たち V
2017/12/26

私を育ててくれた人…20歳で受けた衝撃的出来事はその後も、同じ局内の女性ディレクター、バレエの先生、仕事で知り合った方、カウンセリングの先生、その他の人達から与えられます。それをひとつずつ書くと長くなるので省略しますがそれぞれが衝撃であり、痛い言葉であり、ショックな出来事でした。

しかし、それが今に活きていることを実感しています。何が活きているのかというと「私」という魂が今世で育てなくてはいけない資質(育てたい資質)がそれらを体験したことで育んでいくことができたということがです。

具体的に言うと、それは「表面に見えるものではなく、その後ろにあるものを知る」というものです。

昨日書いたEさんをはじめ、私に衝撃を与えてくれた人達全てに言えることは、衝撃的なその方たちの言葉はそのとき一瞬、落ち込みや、不快を生みながらも、それは表面上のことであり、何かその後ろにあるもののほうへ目を向けることの機会を私に与えてくれていたということです。その資質を私は育てたかったのだと思います。

この資質はまさにカウンセリングに必要なものであり、おかげさまで、皆さんにお会いしているときに「私」が見ているものは今の悩みや問題や話のうしろに在るものです。大切なことは表面上に起きていることではなくてその後ろにあるものを育てることです。

きっと私は前世で、表面的なことにとらわれて、大事なものを見失ってきた、大切なことに触れられなかった、という体験を何度もしてきたのではないかと思います。

私は比較的、昔から、くやしい、とか、傷ついた、とか、自分はだめだというパターンにひっかかるよりも、衝撃を受けたときに「これはまずい」とまず思います。相手の言い方が、とか、相手の態度が、ということではなく「これはまずい」です。これは、とはそのときによります。「この自分の在り方はまずい」「このやり方はまずい」「この考え方はまずい」など。これは、もしかしたら今回の課題を推し進めやすいように与えてもらった自分の特性なのかもしれません。

そして、これは皆にあるものだと思います。自分の今生で育てていきたい資質とは何なのか、そして、それを推し進められるように与えられている特性は何なのか、と見てみてください。必ずそれはあります。

さて、今日で仕事納めです。今年は大変忙しい1年で、色々とご迷惑をおかけすることもありました。今年1年、本当にありがとうございました。来年は8日から仕事をします。日記もそれまでお休みさせていただきます。

新年が皆さまにとって良き年となりますよう、湘南の地よりお祈りしています。

私を育ててくれた人たち U
2017/12/25

私を育ててくれた人…20歳のころ、ラジオ局でバイトをしていました。そこで出会った放送作家のEさん(男性)から、衝撃を受けます。

バイトをはじめて1週間目くらいのときに、生番組中、Eさんが、突如、〇〇プロデューサーに向かって「〇〇さん、この子(私のこと)なんなの?こんなに仕事できない子がいるんじゃ、俺、一緒にはできないんで降ろしてください」と言いました。プロデューサーの〇〇さんは「まだ入りたてだから、おおめに見てやってよ」と言ってくれましたが彼は「それは違う」と言いました。

そのときの恥ずかしさと気まずさとドキドキ感を今でも覚えています。それも、皆の前で言われ、とてもショックでした。でも、それにひたっている場合ではないことを痛烈に感じて(また言われるのが嫌だったからだと思います)とにかく仕事を覚えようと手のあいている先輩を見つけては、教えてもらい練習しました。

このときの原動力は、あんなことを言われてくやしかった、とか、自分のプライドが、とか、傷つけられた、とかというものではなくて、ただただ「これはまずいんだ」でした。このままでは、彼は〇〇さんにまた文句を言うだろうとも思いました。

正直、なめていたんです、仕事を。全くわかっていなかったんです。一番下っ端だし、バイトだし、言われたことをやっていればいいと思っていました。仕事ができるとかできないとかではなくて、そんな私の姿勢にEさんは腹を立てたのです。そのことを、彼は私を最も動かすやり方で教えてくれたんです。それはEさんが計算してやったことではなくて、本当に腹が立ったのだと思う。でも、私にはそれがよかったんです。優しく諭すように、ではここまで動かなかったと思います。

そして、その後、それなりに動けるようになった私をEさんは自分の番組に使ってくれるようになりました。コントがもうひとつ書けないというときに私のつまらないコントをジュース1本で買って(笑)くれたり、その後も仕事でのマナーを教えてもらいました。生まれて初めて、本気で仕事というものを教えてくれた人でした。

あのときのあのEさんの言葉はキョウレツなものでしたが、このスタイルで私はその後も育ててもらうことになります。続く。

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