ネガティブな感情 | - 2025/09/02
- ネガティブな感情というのは、重く、やっかいで、もやもやし、悩み、苦しむ…と思うと思いますが、これもパターンがそう決めていることなんです。「私」はそうは思っていない。
パターンがネガティブな感情ってそういうものだよ、と決めていてそれがリーダーとなり心を支配している状態です。これは強ければ強いほど結果苦しくなります。
しかし、そもそも(←これが好き)あらゆる事象は意味がない状態で存在しています。だからネガティブな感情に対しても同じはずです。それなのに、どうしてこうも良くないものとしてネガティブが存在してしまっているのか。それは、そう決めているパターンを信じているから。「私」が機能していないから。ポジティブはいいもの、ネガティブは悪いもの、というパターンの判断を自然に当然に信じているからです。
でも、ここに新な意味づけを持ってくることはできるんです。ネガティブな感情への意味づけ。マイナスの意味づけから出て来るものですが、ここにもプラスの意味づけは出せます。それを自分でみつけてみます。けっこうあるのではないでしょうか。意味づけは思考的作業です。
では、感覚的(心身として。思考的より実は大事)にはどう捉えるのか、というと、ネガティブな感情をライトに、カラっと、捉えることをやってみます。嫌い、苦しい、つらい、大変、くやしい、さびしい…などなどのネガティブ感情はあってあたりまえです。それを大袈裟に重く、深く、固定化しているのがパターンなので、本来の在り方に近い捉え方をします。
具体的には、健全に人を嫌いと思う、軽く堂々とつらいと思う、オーソレ・ミオでくやしいを感じる、気楽に苦しいと思う、カラっとさびしいと思う。などなどです。これも練習です(頭で理解してもできないから)この心意気を自分の内に持つということです。そしてそれを繰り返すことです。だんだん、これに慣れていかれるように。この感覚があれば、もっと自然にネガティブな感情について自分自身でも受け入れられるし、開示することもできます。そうであれば、ネガティブな感情はその個性が違うだけで、ポジティブな感情と同じとも言えます。ここへの差別もなくなる。これってよくないですか?
健全にネガティブな感情を感じよう。それは自分を必要以上に傷つけたり、自分をそこで停滞させたりするパターンが入り込めないところのものです。「私」の領域のものだからです。この感覚が少しずつわかっていくといいです。
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