| それを選びたいのか? | - 2026/02/03
- 自分の内に起きたネガティブな感情やそれを生み出しているパターンを「どうにかしよう」とすると苦しくなる。どうにかしたがっているのはパターンだから。
ネガティブな感情が湧き、パターンをみつけ、語りかけをして、白パターンも考え、白黒ワークもし、「私」の気持ちのよいほうを選択して、実践する。これだけをたんたんとクールに毎日行っていけばいいだけなんですが、その途中で思考するんです(パターンが)。これが「どうにかしよう」ということ。
パターンはこのネガティブな感情に耐えられない、早く解決してすっきりしたい、楽になりたい、そうなって自分の成長を感じたい、などなどを望んでいます。そして「私」が機能していなければ、それを手にいれようとするパターンに従ってしまいます(「私」がそのパターンを選んでいると私は思う)
そして、自分の内に何か、パターンが望むような結果を見出して、少し安心する。しかし、そこには解決はないんです(アインシュタインの言葉を思い出してください。上の領域にしか解決はありません)
やりたいことはそういうことではなくて。これはもう今までずっとやってきているじゃないですか。それが「私」にとっての善きこと(宇宙にとっての善きこと)であれば、もうすでに心は穏やかに、すっきりと、日々、生きることが楽になっているはずです。でも、そうじゃない。ということは何か違っていることをしているということです。今の自分は自分が選択してきたことの結果です。この場合はパターンを選択してきた結果ということです。
その時に考えがちなのは「語りかけが足りないんだ」ということですが、そうではなくて(時にはそれもあるかもしれませんが)何か間違っているんじゃないか、と自分を見ることなんです。そもそも語りかけをたくさんやったところで、解決はしませんし、すっきりともしません。パターンは何も変わらなくていいからで、これからもずっと引っかかります。やりたいことは、それを変えることではないのです。
パターンと同じ領域で「対処」ということをもうやらないということです。上の領域での解決をしていきたいのです。そのためにやることは、もうわかっているのですから、パターンに考えさせないで、やることだけをやるということです。ただ、無意識であると、そこでパターンの思考という余計なことをして、対処に向かいます。
それを選びたいのか?「私」は。それが欲しいのか?「私」は。これは自分で決めていくしかなく、誰も与えてはくれません。厳しいですが、そう。
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