ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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自分以外の自分になろうとしない
2026/01/13

自分以外の自分になろうとしない。

それは、今の自分じゃだめだ、この自分じゃ嫌だ、もっと成長した自分になりたい、自分を変えたい、楽になりたい、というところから、自分以外のより良い自分(とパターンは思っている)になろうとしない、ということです。

これらはパターンで、今の自分にOKを出していない、自分を肯定していない、今の自分の状況を変えようとしているパターンです。それに対して「私」は今の自分で、今の状況でいいと言っています。そこに成長はないのでは?と思うかもしれませんが、今の自分でいるからこそ「私」の望む成長ができるのです。

そして、そこでの成長は自分ではない自分になることではなく、自分のパターンの望む状況を作ることではなく、自分の個性や、性格や、今持っているもの全部を肯定していくところへ、自分の今の状況に理解を示せるところへ向かう成長なんです。この土台を作っているのが語りかけ、白黒ワークなんです。だからこれはやり続けていく必要があります(土台というところも奥があるんですが)

パターンが思い描いている成長と「私」の望む成長とは全く違うものだということがわかると思います。これがわかれば今自分が欲している成長がどちらのものなのかもわかると思います。

そして、人は自分以外の人にはなれません。パターンの望む成長を繰り返し、ひたすらそこをやり続けても、自分は自分なんです。でも、だからこそいい。そうやって、自分を構成しているもの全ては守られているのだと思う。パターンが望む自分は自分からかけ離れてしまうのです。

だから、パターンが望むように、自分以外の自分になろうとしないでください。とにかく今の自分をそのまま認めてください。そこからしか本当の変容は起きません。

いよいよ、そもそもに。
2026/01/12

1月の茅ヶ崎クラス、無事に終わりました。

で、毎年、年頭に今年の抱負をひとりひとり上げていただいて、この1年でどれぐらいそれが達成したかを年末に発表していただいていますが、今年はそれにプラス、この1年でどれぐらい自分が楽になったか、軽くなったか(楽に生きられているか、軽く生きられているか)も発表してもらうことにしました。

楽に軽く、生きるということが、肉体を持ってこの世に生まれた人間がまっさきにやっていくことだと私は思っています。その生き方を持ちたい。人生、色々なことが起こります。人間だから、もちろんその時には落ち込むし、これからの不安も出てくるし、もんもんとしてしまうのは当然です。

しかし、それらがパターンであることはすでに知っているし「私」はそう思っていないし、そうではない捉え方も知っているし、反対のものを選ぶという事も知っている、という自分になれていれば、そのネガティブなものごとを持ちながら、歩んでいくことができます。

それはポジティブンシンキング、とか、全てに意味を見出してそれを信じていく、というような、思考的対処ではなく、根拠はないけれど、確実に、自分の内にある満ちているものを感じているからのものです。それが楽、軽いという感覚を伴っています。その満ちているものと共にいる。それがどれだけ自分の心身と生活を、これからの人生をおだやかなものにしてくれるか、それを皆さんに体験してもらいたい、と思います。

この境地が道場でのゴールだと言っても過言ではありません。

楽に軽く生きるということ。それは特別なことではなく、本来、そのように創られている人間なので、元に戻るということです。そこを思い出すためにも、ワークはあり、クラスはあります(もちろん、個人でのカウンセリングも)精神性の高い人になる、霊性の高い人になる、愛の人になる、というような漠然としてものではなく、自分の今世を、楽に軽く、楽しく生きる。それが実感できたら、人は満ち足りていることを知り、自然と感謝の気持ちがわいてきます。そして、その時には自分一人で生きているのではなく、守られていることのありがたさも、安心も感じます。そもそも、その体験をするために肉体を持ってやってきています。

いよいよ、そもそもに触れていきたいと思っています。

太陽
2026/01/08

先日、日の出前に起きて、神々しい日の出を見て、夕方、あまりに夕焼けが綺麗だったので、ベランダに出て眺め、日没までを見た。

そのとき、あーーーそうか、と思ったことがありました。

この、毎日、自然に繰り返されている太陽の動きなんですが、このサイクルはずっと続いているんだということ。もともと、この太陽のサイクルがあるところに、人間は生まれてきました。それは規則正しく続いていて、人間がどういう時代を生きていようが、何の影響もうけることなく、そのサイクルを続けています。

そして、後から来た人間が、太陽について、そのサイクルについて研究をし、太陽とはこういうもので、このように動いている、ということを解明し、皆が知ることになり、今はそれが常識となっています。

太陽そのものも、そのサイクルも人間が作ったものではないのに、それが解明される(…と思っているけれどまだまだ知らないことはあると思う)と、人間の管理下におさまってしまうような、全てわかっているという気分になっていく気がします。

これは太陽だけではなく、空気、水、動植物。…など、私たちが生まれる前からすでにあるものも同じように扱われていると思いました。わかったつもりで人間はいるけれど、実は、人間が生きていかれるように、全部用意されているところに人間は生まれてきていたんだということに畏敬の念を持ちざるを得なかったです。あの時、ちょっと怖さを感じたのはこれだったのかもしれません。

元々あるもの、人間よりも前からあるもの、それがあまりに自然で(当然で)あるのでそういう視点を持つことがありませんでした。畏敬の念を持つって、こういうことだったのかもしれないと思いました。

今日は2026年初の茅ヶ崎クラスです。ゆっくりとスタートしていきたいと思います。今年も、私の後ろにいる方々に助けていただけるような自分をつくっていきます。

仕事、働くって。
2026/01/06

「あけおめ退社」という記事を読んだ。(Yahooニュース)年末年始の休暇中に退職を考える人が多いのだそうです。

年末年始、実家に戻り、親族や友人と会っているうちに、話は仕事のことになります。そこで、会社、仕事内容、への不平不満がより大きくなってしまうようです。友人よりも自分のほうが稼ぎが悪い、ボーナスも少ない、という比較から、自分が思うように働けていないことに気づいたり、親が「もう、辞めちゃえば」と言った一言が決定打になる、など。親族や古くからの友人って、特別感があるだけにその影響力は大きいのだと思う。

しかし、企業としては、困る。そんなことが起きないようにと企業側も策を練っていて「おせち補助制度」(社員が好きなおせちを 1人3万円以内(税抜き)で経費精算できる仕組み)を用意した企業が紹介されていました。

その豪華なおせちを持って帰郷し、皆でそれを食べることで、親も喜び(親も企業を認め)自分もいい企業に勤めていることを認識できる、というもので、社員からも家族からも評判がよく、結果的に退職防止につながっているのだそう。

読んでいて「おいおい」と思う。これではまるでおせちに操られているという状態ではないですか。企業側も高級おせちを与えれば辞めない、というなんともなあという策。

そもそも仕事とは?働くとは?ということを、仕事を離れるその日まで、悩みながら、挑み続け、試し続け、時には離れる覚悟ももちながら、嫌な体験や嬉しい体験を通して自分にとってのそれはどういうものなのかを作っていくことが仕事、働く、の意味だと私は思うんです。

これは仕事、働くだけではなく、全てにおいて。なぜならば何ごともただ一つの事象であるから。

だから、それを、他人から与えられた意味づけだけを自分に強いていけば、それは、心身はぎゅうぎゅうになっていきます。これはあたりまえのことです。自分はそこにどんな意味を見出していくのかというところがその人の哲学になります。それはオーダーメイドなので、自分らしく、無理なくいることができます。

仕事、働くって自分にとってはどういう意味づけを持つものなのか。それも、「私」はどうありたいか、が関わってきます。

「私」はどうありたいかの説明
2026/01/05

「私」はどうありたいか…。これは、確固たる、崇高なことを考えるのではなく、今の自分のパターンに対してというとても身近なことを言っています。

例えば「自分はダメだ」という黒パターンがあったとします。それに対して「私」はどうありたいかということです。

これは白パターンとは違います。今までは白パターンはなんですか?ということから反対にあるものへ向かっていかれるような白パターンを作ろう、とやってきました。ここでは「私はダメではない」という反対にある白パターンになります。それに沿ったものを(今の自分が使いやすいものを)作って、白黒ワークをしてきました。こうして、今まで黒パターンで生きてきたものを反対のところで生きる体験をします。

又「もしかしたら…」を白の部屋の名前にして(尚且つ、日々のマントラとしても使う)その白の部屋で響かせる言葉は実際自分が今までに得てきた力を言葉にするということもやりました。これにより、自分の成長が感じ取れると思います。

これらは全て「ワーク」です。

しかし、冒頭の「私」はどう在りたいか…はワークではありません。また一歩進んだところのものです。しかし、それは飛躍しているものではありません。「私はダメだと言っているパターンに対して」「私」はどうありたいか?というものです。例えば「私は、自分がダメだとはもう思いたくない」と思わないですか?それが「私」が在りたい姿です。

このように自分の中の代表的なパターン一つ一つに対してどうありたいかを考えてみてください。そして、それが言葉を正しく出さなくては、とか、こうやればいいだというやり方として扱うのではなく(これはワークも全てそうです)自分の心の底から湧き出るように、本当に願っていることとして存在しているんだということを感じ取っていかれるといいです。それがこれからの自分の指針になっていきます。頭で考えるというより「私」の叫びのような感じがします。

又、ワークは基本なので、これからも丁寧に継続していってください。このあたり、いつか整理されていくと思いますので、とにかくやってみるということです。

駅伝
2026/01/04

「箱根駅伝」も終わり、これで、私の中ではお正月も終わり。

今年も、青山学院大学の優勝。おめでとうございます…なんだけど、TVを見ながら「なんかさ、つまらないよね、ずっとぶっちぎりで。強いことはわかるけれど。でもさあ、なんだか、むにゃむにゃ」と言う私。それを聞いてトミーは「はあ?だって、強いからぶっちぎりでいけるんでしょ」と言う。

わかっていますとも。おかしなことを言っていることは。確かに青学の選手たちの力は突き抜けているものが在るとも思います。努力の賜物なのだろう。しかし、なんだか、もやもやしている。なんなんだろう、このパターンって。今だにわからない。これはゆっくりとみつけていこう。

で、毎年、俯瞰で見ることのできる海岸に沿って走るコースは、いつ見ても綺麗で新鮮に見えます。富士山に向かって(復路では富士山を背にして)走っていく選手たちの姿を見ると、どの選手もたくましく、走ることが大好きな人たちなんだろうなあと思います。

そんな選手たちの姿が海や富士山と調和していて、それが綺麗なんだと思います。私、この1シーンが見たくて毎年駅伝を見ているのかも。

人間が大きく進化したときに、まず、最初になくなるものがスポーツ競技だと聞いたことがありました。もしかしたら本当にそうかもしれません。人が喜びとともに身体を使って表現していることに順位とか、レベルとか、誰かの判断とか、必要なくなってくるのかもしれません。そんなことを初めて思った今年の駅伝でした。

どうやって落ちているメンタルを上げたのですか?
2026/01/03

GACKTさん(ミュージシャンの方ということぐらいしか知らないのですが)のインタビューを見ました。

GACKTさんは、数年前に 著しく免疫が低下して髪の毛が大量に抜け、身体と顔に重度の乾癬症状があらわれたのだそうです。シャワーをあびているだけで髪がどんどん抜け落ち、肌はボロボロになり、かなりひどい状態だったらしく、人前に出ることはもう無理だと思ったのだそうです。

色々と試みたがよくならず、広がっていく疥癬に自分はこれで終わりか…とも思ったと言う話でした。そんなときに知人の方から「幹細胞治療」をすすめられ、それによって回復できたのだそうです。自分は本当にラッキーだったと話していらっしゃいました。

で、そのようなご自分に起きた心身の大きなダメージももちろんそうですが、今までこの世界で体験した、嫌だと思うこと、落ち込むことはたくさんあったという話に移りました。

「そんな時、どうやって落ちているメンタルを上げたのですか?」と質問をされ、それに対して「メンタルを上げるということではなくて、とにかく自分が決めたことをやろう、と思い、やることだ」と答えていらっしゃいました。「自分が決めたこと」とは今までもやってきていた身体を鍛えることやボイストレーニングや、仕事に関することなのでしょう。

それに対して再度質問がありました「でも、メンタルが落ちているときに決めたことをやるって難しくないですか?」と。それについても「それは関係ないんだよ。ダメージを受けている心身はあるけれど、落ちているメンタルではあるけれど、そこを考えていても解決はしない。だったら自分が決めたことをとにかくやる」と言っていらした。

誰でもダメージを受けることはあります。そんなときそのことだけを考え、そのことだけしか見えなくなり、そのネガティブな気持ちに飲み込まれ、ずっとそのことについて悩むということが一般的です。しかし、それがわかっているからこそ、あえて自分の決めたことをやる。きっとご本人が長い芸能生活を通して見つけたものだったんだと思います。この迷いのなさ(いや、人間だから迷いながらも、何を選ぶか)が心身の回復に繋がったのだろうとも思いました。

アインシュタインの「いかなる問題も、それが発生したのと同じ次元で 解決することはできない。」という言葉を具体的に見せてもらったと思いました。結局、ここ。誰でもが問題や苦悩を持ちますが、違う次元でしか解決はできない。だから意味づけが大事になってくるのだと思います。

続行中
2026/01/02

新年に、今年の抱負を決めますが、私は、何故だか、お誕生月(5月)に、見直ししなくてはいけないようになるためそのときに決めています(これは、抱負じゃないか)

従って今は去年5月の見直しの際に選んだ1年計画を続行中です(これもまた何故だか1年かけて行うことが好きなんです)と言っても特別なことではなく、よく言われているようなことです。

15項目あるのですが(1日30分歩く、とか、アウトプットする、とか、迷ったら捨てる、とか、短期的な快楽をやめて長期的な幸福を手に入れる、とか、スマホ依存から抜ける、とか)ほぼほぼできている。しかし、出来ていない項目が2つあります。

1つは「睡眠を一定にする」。それから「週に1回新しいことを学ぶ」。睡眠のほうはなんとなくなんですが、どこかで落ち着くだろうと思えているので、まあ、いいか。

で、問題はこの週に1回新しいことを学ぶ…です。最初それを見たとき、それは無理だろうと思いました。そんなに新しいことを学ぶって、物理的に無理、と思った。しかし、よく考えてみたら、目にした花の名前を調べてみる(その後も覚えているかどうかはわかりませんが)とか、散歩しながら新しい道をみつけた、とか、寒い時の下着はこれがいいということがわかった、とか、ここの漬物は美味しい、とか。これらも新しいことを学んでいることになります。

新しいことを学ぶって、刺激を与える、リフレッシュする、発見する、今まで知らないことを知る、ちょっとしたサプライズなどの意味づけもできる(…と得意の自分に有利な、調子のよい意味づけ)と思いました。だとするとほぼほぼクリア。あとは、5月まで続けて、具体的に何が変わったのか、というところが楽しみです。

で、ここにある「アウトプットする」という項目。そこの説明として書かれていたのが「本当の成長はアウトプットからはじまる。人に教えることが最も効果的な学習法」ということでした。その通りです。だからブログは続けるといいですし、誰かの話を聴くことや(カウンセリングという形に囚われなく)機会があれば、心のカラクリを教えることをやるといいということです。他のために、と思いがちですが、実は自分のためになんです。それが結果、誰かのためにもなっていました、ということ。そのほうがかっこいいじゃないですか。だから、まずは自分からなんです。

元旦
2026/01/01

新年、明けましておめでとうございます。

今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

宇宙に「よし!そのままいきなさい」と言っていただけるように、善きナビとしてまた1年、やってまいります。そして、自分のこの個性が喜ぶように、今年も好きなものごとを少しずつやっていきます(まずは、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートだ)

皆様のご健康を願い、また1年、歩く道が楽しく、明るく、希望を感じられるものになっていきますように。今年も引き続き、下を向いて考えるのではなく上を見上げて心を開いていこう!そのいい感じを持ち続けていこう!

最後のデート
2025/12/31

今年はどんな年でしたか?

今日は、この1年を振り返り、色々と起きたことから、何が自分の課題であったのか、何が変わったのか、何を自分は得たのか、と、深刻に考えずに軽く考えて、2025年を感謝とともに送ってあげたいです。

きっと、それぞれに貴重な1年だったと思います。ありがとう2025年!です。

大晦日で慌ただしい1日であるかもしれませんが、今年最後の日なので、ちょっと心を落ち着かせて、自分を振り返る時間を取るといいと思います。2025年との最後のデート。

楽しかったこともたくさんあったのでは?うれしかったこと、頑張ったこと、やり切ったこと、できなかったことができるようになったこと、新たに知ったこと。又、悲しかったこと、くやしかったこと、苦しかったこと、怖かったこと、などもあったと思います。それらが色々とあったということはそれだけ豊かに生きたということだと思います。よいことだけでは、豊かさは半分ですから。

今日は、ぜひ、自分を褒めてあげてください。1年とにかく生きたのだから。そして、ブログも書き続けたのだから(←これは、本当にすごいことです)善い大晦日でありますように。

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