ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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続行中
2026/01/02

新年に、今年の抱負を決めますが、私は、何故だか、お誕生月(5月)に、見直ししなくてはいけないようになるためそのときに決めています(これは、抱負じゃないか)

従って今は去年5月の見直しの際に選んだ1年計画を続行中です(これもまた何故だか1年かけて行うことが好きなんです)と言っても特別なことではなく、よく言われているようなことです。

15項目あるのですが(1日30分歩く、とか、アウトプットする、とか、迷ったら捨てる、とか、短期的な快楽をやめて長期的な幸福を手に入れる、とか、スマホ依存から抜ける、とか)ほぼほぼできている。しかし、出来ていない項目が2つあります。

1つは「睡眠を一定にする」。それから「週に1回新しいことを学ぶ」。睡眠のほうはなんとなくなんですが、どこかで落ち着くだろうと思えているので、まあ、いいか。

で、問題はこの週に1回新しいことを学ぶ…です。最初それを見たとき、それは無理だろうと思いました。そんなに新しいことを学ぶって、物理的に無理、と思った。しかし、よく考えてみたら、目にした花の名前を調べてみる(その後も覚えているかどうかはわかりませんが)とか、散歩しながら新しい道をみつけた、とか、寒い時の下着はこれがいいということがわかった、とか、ここの漬物は美味しい、とか。これらも新しいことを学んでいることになります。

新しいことを学ぶって、刺激を与える、リフレッシュする、発見する、今まで知らないことを知る、ちょっとしたサプライズなどの意味づけもできる(…と得意の自分に有利な、調子のよい意味づけ)と思いました。だとするとほぼほぼクリア。あとは、5月まで続けて、具体的に何が変わったのか、というところが楽しみです。

で、ここにある「アウトプットする」という項目。そこの説明として書かれていたのが「本当の成長はアウトプットからはじまる。人に教えることが最も効果的な学習法」ということでした。その通りです。だからブログは続けるといいですし、誰かの話を聴くことや(カウンセリングという形に囚われなく)機会があれば、心のカラクリを教えることをやるといいということです。他のために、と思いがちですが、実は自分のためになんです。それが結果、誰かのためにもなっていました、ということ。そのほうがかっこいいじゃないですか。だから、まずは自分からなんです。

元旦
2026/01/01

新年、明けましておめでとうございます。

今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

宇宙に「よし!そのままいきなさい」と言っていただけるように、善きナビとしてまた1年、やってまいります。そして、自分のこの個性が喜ぶように、今年も好きなものごとを少しずつやっていきます(まずは、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートだ)

皆様のご健康を願い、また1年、歩く道が楽しく、明るく、希望を感じられるものになっていきますように。今年も引き続き、下を向いて考えるのではなく上を見上げて心を開いていこう!そのいい感じを持ち続けていこう!

最後のデート
2025/12/31

今年はどんな年でしたか?

今日は、この1年を振り返り、色々と起きたことから、何が自分の課題であったのか、何が変わったのか、何を自分は得たのか、と、深刻に考えずに軽く考えて、2025年を感謝とともに送ってあげたいです。

きっと、それぞれに貴重な1年だったと思います。ありがとう2025年!です。

大晦日で慌ただしい1日であるかもしれませんが、今年最後の日なので、ちょっと心を落ち着かせて、自分を振り返る時間を取るといいと思います。2025年との最後のデート。

楽しかったこともたくさんあったのでは?うれしかったこと、頑張ったこと、やり切ったこと、できなかったことができるようになったこと、新たに知ったこと。又、悲しかったこと、くやしかったこと、苦しかったこと、怖かったこと、などもあったと思います。それらが色々とあったということはそれだけ豊かに生きたということだと思います。よいことだけでは、豊かさは半分ですから。

今日は、ぜひ、自分を褒めてあげてください。1年とにかく生きたのだから。そして、ブログも書き続けたのだから(←これは、本当にすごいことです)善い大晦日でありますように。

調和と感謝
2025/12/29

今日はもう29日。年の瀬であります。あまりに早い1年でした。

体調のすぐれない1年ではありましたが、それでも仕事をして、日々の生活をして、やってこられたのですから、感謝しかありません(もう、やだーーと何度も言いつつも)そして、体調が良くなかった分、得たものは大きかったです。ここに、この宇宙のルールの一つがあるようです。

「何かを失うことで何かを手にする」というもの。こうしてその人のバランスをとるということだそうです。正負の法則とも言いますね。

そうだとすると、今、何かを手放してしまった方も、手放すはめになってしまった方も、手放さなくてはならない状況になってしまった方も、一般的には良くないことと言われている時も、きっと何かを得ていることと思います。ここは考えてみるといいと思います。

こうしていつもその人のちょうどいい(偏りのないバランスのよい)状態を人は与えられているのだと思います。

これは、得たものがあまりに多く、大きい場合はバランスをとるために大きく何か手放すことになるのかもしれません。だから、むやみやたらと、もっと、もっと、と欲張らないほうがいいです(←こだわりすぎる私の体験による)

よくよく自分の生活を見てみれば、必要なものは、それなりに与えられていて、日々、ご飯を食べられて、生活していかれています。それ以上に色々と欲しがれば、その日常のバランスを崩していくことになります。

この宇宙の大きな特徴は「調和と感謝」なのだそうです。調和はバランス。今の自分の心身、自分の日々の生活がちょうどいいところでいかれているのであれば、調和がとれているということなので、それに感謝をしよう。こうして、宇宙とひとつになっていく。魂はそれをやりたがっています。スケールが大きい。

かたつむりの歩みのごとく
2025/12/28

成長はかたつむりの歩みのごとく…といわれています。

かたつむりの歩みって、あれは歩みと言えるのかと言うほどの遅さ(そう言えば、近頃かたつむりを見ない。昔は梅雨の頃、あじさいの葉にいたけれど)

そのくらい精神性(特に霊性だと思う)の成長ってものすごくスローなんだと思います。おまけに、成長しているのかどうかも自分としてはよくわからない、という状態です。

今は、わからないことも、検索すればすぐにわかり、わかりにくことも誰にでもわかるように解説がついていたり、事細かに説明されるので、私たちのわからない事への忍耐力は落ちていると思います。

精神性、霊性は、検索してその言葉の意味はわかっても体験して実感しないと本当にわからないものです。そこへ向かい続けるって大変なことだとも思います。

それでも続けるって、なんなんでしょう。多分、魂が求めているからなんだろう、と思います。めげながら、落ち込みながら、嫌になりながら、でも、またそこへ向かうって、魂の大欲としか言いようがありません。だから続いている。

そう言う意味では、とっても正直に生きているとも言えます。自分という意識の思いを生きようとしているのですから。今日もかたつむりの歩みのごとく。そして、そんな歩みであるからこそ感じられる、落ち着きや、安定感を感じながら歩む。

1ファンとして
2025/12/27

今年も「SASUKE」を見た。この番組が大好きだ。

「SASUKE」→毎回100人が出場し、1st、2nd、3rd、FINALの4つのステージに分かれたさまざまな障害物をアクションゲームのようにクリアし、完全制覇を目指す巨大フィールドアスレチックで、番組内では「鋼鉄の魔城」と呼ばれている。(Wikipedia)

多くの選手の中で、私は「SASUKEくん」こと森本裕介さんが好きです。15歳の時の初参加から、今年は34歳。参加できなかった時もありながらも、完全制覇を2回はたしています。ゼッケン100番なので最後に登場。

他の選手に比べて、小柄で、やってやるぜ風のアピールがなく、地味です。しかし、体力と筋力まかせに、がむしゃらに、やる気だけで動くのではなく、緻密に計算して、どの角度で、どのタイミングで、動けばいいのかを長い時間かけて研究し、身につけています(ここが持ち味)そして、それを本番でその通りに出すことができるのでミスがない。その、ムダの無い姿に魅かれます。

これは、エンジニアとして働いていることで身に着けてきたやり方なのかもしれません。社員としてもしっかりと働き、両方に共通するものがあると言っていたので、両方に使えるものがあることを肌身で知っているのだと思います。ここが皆が一目おくところです。

私としては「SASUKE」の質を上げた人だと思っています。大谷翔平選手が野球界の質を上げたように。ただ、体育会系の人たちの集まりであった(失礼)ところに今までなかったものを投げ込んだ人だと思います。

そして、今回、初めて、他の選手とどこか身体が違うと感じました。筋力に任せて動いているのではなく身体の中心のところに力の元のようなところがあり、そこから八方向へ力をコントロールしながら出力していっているようでした。身体が一つにまとまっている感じ。大きく動いてもばらばらにならない。身体に粘りがある感じ。中心から出て中心に戻るよう。

このような身体の使い方をしているので、どこかだけが疲労してしまうことがないのかもしれません。「SASUKEくん」はさすがだと思ったのと同時に、身体の中でこんなことが起きているのでは?を感じた自分が嬉しい。今年の私の収穫と言えばここのところです。初めて感じることが全体的にあり、感性の広がりを知りました。それは自分のためだけではなく皆の役にもたつだろうと思います。

今まで1日たりとも「SASUKE」のことを考えない日はなかったということを言っていらっしゃった。それは「SASUKE」が大好きだからだそうです。この、迷いのない在り方が人の心にすっと入ってくるのだろうと思いました。これからも1ファンとして応援していきます。

心はすでに…
2025/12/26

24日の駅ビル、その他周辺のお店も、人がとても多かった。なんで、こんなに人が並んでいるのだろうかと見たら、そこはケーキやさん。そうか…(世の中)クリスマスだったんだとわかりました。

と、こんな感じで、今年はこの嫌いな時期を知らぬ間に行けそうな気配がします。長年かけて、この時期になると嫌だ、早く過ぎればいいのに、と思ってきたので、宇宙がそうしてくれたのかも。と勝手に意味づけてよしよし、と思う。

で、心はすでに来年へ。道場としてやっていきたいところを決めていっています。

こう書くと、自分の意思で計画立ててやっているような印象ですが、実はそうではなく。常に浮かんだものに「いいね」という感じで今までも決めてきていました。これはあちらから来ているものであり、それは皆のためのもの(もちろん私も共に学ぶのですが)だから、浮かぶのだとこれもそのように意味づけています(…と言うように創ったということです)

で、与えられたそのヒントに対して、もっと違うものをください、ではなくそれは意味あってのことだからそのまま受け取り、あとはそれを学ぶために、具体的にどの資料を使うか、とか、実際それを作ることをしていきます。ここまで全部宇宙がやってくれるといいのですが、さすがにそこは自分でやってよ、です。かといってAIでもない。会議の資料ではないからです。

そうやってワークはじめ、学びの質を上げていっています。質を上げるというのはそれについてのまだ気づいていないところに気づいていかれること。

ある方から(お会いしている方ではありません)「よく、そんなに長く、やっていますね」と以前、言われたことがありました。「普通、クラスって長くても数年だと思う。よくやることがあるよね」ということでした。「よくやることがあるよね」にはどんどん新しいことをやっていて、皆を飽きさせないと思ったのでしょう。でも、そういうことではないんだなあ。

私は逆に、何かを教えたり、伝えたりって、やればやるほどその後ろにあるもの、奥にあるもの、と、深みが増していくので、よく数年で終えられるなあという思いです。これは興味のない人には全くおもしろくないことですが、何かを自分のものにしていくことに興味のある人は、一通りできるようになることで満足できずに、知らず知らずのうちに自分がその後ろにあるもの、奥にあるものへ足を進めているのだと思います。知らず知らずのうちに…それが自然で、無理なく、ごく普通に行われていることが素敵だと思うのです。

それも、興味がある、というところに対して宇宙が先へ進むことを与えてくれているのかも。だから、自分の力で頑張ろう、どうにかしよう、絶対やってやる、を選ばないということです。これを諦める。ひとりで生きているのではなく、全員があちらとともに生きているのです。

諦める、仕方ない
2025/12/24

諦める、仕方ない…と昨日、自分の性格や気質について書きました。これは自分の内にいるパターンに対しても同じことが言えます。

どんなパターンであってもその存在とその特徴を理解し、赦すというところには、諦める、と、仕方ない、が自然と含まれていると思うからです。

自分はどんなパターンも受け入れると決める、選ぶ、それがパターンに対して「私」がどうありたいか、というものなんですが、それを助けてくれるのが、諦める、仕方ないというものだと思います。

これはパターンには理解できないことです。又は、パターンが思っているそれをパターンが使うということはよくあります。それではなく「私」にしか使えないそれ。

諦める、仕方ない…ペーソスさえ感じられるような、優しさに満ちた、最後の切り札的な感じさえもします。諦める、仕方ない、が使えるようになると、あらゆる執着は緩み、薄まっていくと感じます。

自分はこうなりたい、というパターンが欲しがるこうなりたい、これは自分自身に対する執着中の執着で、おまけにパターンの描く理想像がすごいです。これを欲するパターンは、とにかく頑張ってそれを手にいれようとします。しかし、手には入らない(幻想だから)そこでますます頑張り、無限ループに。

そのパターンにも、語りかけをして、白パターンを作り、白黒ワークをして、マントラも言い続けて、パターンのこうなりたいとは反対にあるものを作っていきますが、このときに、諦める、仕方ない…というエッセンスが役立ちます。

今起きている現実を見て、自分のことを歪みなく見たときに、自分にはそれは無理だ、ふさわしくない、と思うことが見えてくることがあります(これはあくまでも歪みなく自分を見てのことです。パターンが言う自分には無理、ふさわしくないではありません)それがちゃんと見えたとき、それだけで、心がほっとし、穏やかになり、もう、欲しなくていいんだという気持ちから、目の前が明けていくような気持ちになります(良き感情や感覚は、今のあなたにそれは真実だというサイン)そうなると、今の自分をより大事に思えるようになると思います。

そこから、今のままでいい、という体験ができると思います。

ゆうゆうと歩ける
2025/12/23

11月末にオープンした駅近ショッピングセンター。そろそろ1か月になろうとしています。

私も少しずつ店内にも慣れ、今は、ほぼ毎日、地下にある食料品売り場へ行っています。なぜかいつも人が少なく、店内を歩くのが楽です。

で、先日気づきました。人が少ないのではなくて店内の通路の幅が広いのだと。通路で人とぶつかりそうになったり、立ち止まって見ていて邪魔になったりということがない。ゆうゆうと歩けるというところが自分としてはとてもいいんだと思いました。それだからか、今まで全く興味のなかった食材や調味料や色々と見ちゃったりもしています。そんな自分に気づいて我ながら驚く。

歩きやすい店であれば私はこうして見たり手に取ったりして興味を示すこともあるのかと思いました。そうだな、私って。とあらためて思いました。

この店も通路が狭かったら、ゆうゆうと歩くことができないので、必要なものだけ買ってさっさと帰るとしていたと思います。私にとっては、食材を買いに来ているのだけれども、そこにいる自分がどれだけストレスなく、自分のペースでいられるかということのほうが優先されるのです。これはあらゆる場所とか、時とか、人との関わりで知らず知らずのうちにやっていることだと思いました。

まず、自分が自分らしくいられるかどうか、それが我儘であろうとも、それが私にとっては最優先されて、そこが満たされないと余裕がなくなってしまうのだと思います。で、それを我慢して、無理していると身体に出ます。このへんはとても神経質です。

年をとれば、もっとおおらかに、もっとドンと構えて、いくのだろうと思っていたのですが、生まれ持ってのものがそのまま出てくるのが年をとることのひとつの特徴のような気がしています。微妙なところですが、パターンとはまた別にある自分の性格、気質など、それも魂が成長するために、自分で決めてきているのかもしれません。そうであれば、それも善きこと。そういう自分を認め、受け入れ、諦め、仕方ないと思い、そこにある意味を問い、そして、何よりそれに対して自分はどうありたいのか、を発露させて、守りながら、甘やかすことなく一緒に生きていこうと思いました。こういうことも思わせてくれた食料品売り場、ありがとう。

火種
2025/12/22

近頃「活力」を思うようになりました。

「活力」→活動を生み出す力。元気よく動いたり、働いたりする力。(コトバンクより)

それは、心底、身体の奥深くから、湧き出るように、つきあげるように、出てくるエネルギーだと思います。それがあるから活動できるし、元気に動くこともできる。

そして、それは特別なものではなく、それぞれが日常の中で今までにも体験してきているはずだと思いました。

例えば、子供を産んだことのある方たちは、赤ちゃんを育てるときに、愛おしいと思ったり、守ってやりたいと思ったり、この子がいれば生きられると思えたり。強い気持ちを生み出すうねりのようなものを持ったことがあると思います。

又は、他人から自分が大事にされた体験や、自分が誰かを大事にした体験や、趣味でやっている物事の中に心をつかまれるような体験や、仕事においても没頭して行うことのできる瞬間とか(他人が関わってくる場面では、そこに関わった人の評価が入ってくるので、そちらのほうへ意識が向いてしまうのですが、それを置いといて、評価を得る前に自分が没頭していたその瞬間のことです)それらは自分への健全な刺激となり得たものです。思考ではなく心が体験していること。これらが全部その人の活力となっているんじゃないかと思いました。

私がピアノを弾いたり、おうちでバレエをしたりも、散歩をしたりも、まさにこの活力が心の底からわいてくる瞬間です。そしてその活力は心身で覚えていて、落ち込んだときには、その活力を意識的に浮上させるようにしています。そうすると、元気に、明るく活動する、ということに直結しなくても、活力が湧く感じを感じることができます。自分の中にまだその火種が残っているということ、それを浮上させることができることが、また活力になります。

生きているものにとって活力は大事です。でも、それは表に現れる「よ〜し、やるぞ。頑張るぞ〜」だけではないです。自分の中にある、火種の活力を思い出してみるといいかもしれません。心が体験した火種はずっとそこで燃え続けていると思います。

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