ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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1年間ありがとうございました
2019/12/28

今日で、今年のカウンセリングは最後になります。

今年もつつがなく仕事ができました(先週、今年初めて風邪をひきました・・(笑)・・)

多くの方々に助けていただきながら(トミーにも)無事に1年、過ごせましたことに感謝いたします。そして、今年も遠いところを、お忙しい中、通ってくださった皆様、いつもグループセミナーを楽しみ、積極的に参加し、探求と冒険の旅を共にしている皆様、本当にありがとうございました。皆様から教えられたことはたくさんあり、それがまた「私」を成長させてくれました。

2019年は、仕事の中で、大きな動きと変化があった年でした。それにより動揺したり、ショックを感じたりということもありましたが、そのときに、自分本位にならずに(黒パターンで行動せずに)「私」が起こることをそのまま受け入れゆだねられたことはよかったです。

そして、全てが「普通」でありました。普通に生活をし、普通に仕事をし、普通に生きました。そんな普通の毎日の中できらりと輝いてくれていたものは、おうちでバレエと久しぶりに触れたピアノでした。この年になって初めて知ったそれらの美しさを身体と心と魂で感じられたこと、それがあるということで私にとっては十分な日々でした。

明日から来月5日まではお休みになります。日記も6日から書いていきますのでまたよろしければおつきあいください。では、どうぞ皆様、お元気で、良い年末年始をお過ごしください。

新な意味づけ
2019/12/27

・・・これは(今)やるべきことだから・・・ということが何か自分が今、優先するときの目安になっていることは、普通に私たちがやっていることだと思います。

特に仕事や家事や介護や育児の場面において、やらねばならないこととして普通にあると思います。これ、もちろんやらなくてはいけないことなんですが、近頃、もうここだけで動くのはやめたいと思うようになりました。そして、少しずつそこも選ぶようにしています。

全てが自分の魂の成長と進化のために起きていることだとしたら(・・と私は信じている)やるべきことだからというよりは、自分の魂のバランスをとるために、という視点と選択もありなんじゃないかと思います。

今、やるべきことはこれだけど、魂のバランスをとるというところで考えるとそこはたくさんやっているので、違うことを(もしくは違う視点で)これを今選ぼうというように。

そして、本来はそうやってでも生きていかれるように人はできていたのかもしれません。ただ、皆の意識の歴史の中に「やらなくてはいけないこと」があとからあとからあってそれに突き動かされていくことが人生のように思い込んでしまっているという共通のパターンが大きくのしかかっているのかもしれません。

やらなくてはいけないことをたくさんやり続けている人がえらいという意味づけも長い年月につくられ、ますますそこは普通になっていく。

このように、ごくあたりまえのように思っているものごとにも、疑問をもったり、自分だったらどう考えるだろうとみてみると、意外とそこにはほころびがあり、そこから違う何かをたぐりよせられることもあります。

それは自分の新な意味づけ。確定されているものはひとつもなく、自分がどうしていきたいかしかない。それは魂の成長と進化のために・・・というものです。

帰省ブルー
2019/12/26

いよいよ、忙しい時期に入ってきましたね。

この時期、食材を買いにいくのも嫌なほどです。年末年始は年々苦手になる私。今回は何もせず新年に入る・・という選択もありかも・・と本気で考えています。

TVで「帰省ブルー」という言葉を聞きました。夫の実家へ帰省する妻の帰省ブルーが頻発しているのだそうです。

「<〇〇さん、何もしなくていいのよ><〇〇さん、いいから座ってて>と義母に言われても、もちろん座っているわけにはいかず、義母よりも先に気づいて動かなくてはならないことの大変さ。そして、何より自分のそんな大変さに気づかず、手伝おうともしない夫に腹がたち、家に帰ってきたときはぐったりです」という方もいれば、帰ってこられる側の義母も「できたら帰ってきてほしくない。その間の水道代、ガス代、電気代、食費、雑費全てが倍増。気を使い、おまけに毎日出る洗濯の山」という方も。

独身女性の方も「実家には帰りたくない。帰ると結婚しろ、とか、これから独りでどうするんだ」とうるさいという方も。人に集まってもらいたいと言っているのは子供たちだけでした。彼らはできるだけ人がいたほうがお年玉が増えると言っていました。

うーーーーん、どうなんでしょう、この事態。表には出なかったものの昔もあったことなのでしょうか。ただ、それは当たり前のことと皆が捉えていたのでしょうか。時代とともに捉え方は変わるとも思うし、自分にとってのそれを考えてもいいし、また、年に1回のこのことなら我慢してみるのもいいのかもしれません。いずれにしても自分で(家族で)考えて、選ばなくてはいけないのでしょう。

家族というところの難しさ。面倒さ。でも、それだけでもない複雑さ。

こんな夢をみた
2019/12/23

こんな夢をみた。

私はお風呂場の掃除をしている。何か背後に気配がするのでふりかえってみると、お風呂場の扉のむこうに人影が見える。黒い背の高いまるでマントをすっぽりとかぶったような人影だ。

ダースベーダーのようだと思いながら「誰?」と私は言う。しかしなんの返答もない。私はその扉をあけてみた。するとそこに父が立っていた。90歳のときの父がにこにこしながら立っていた。

「えーーー?どうしたの?」と言いながら私は父の手を握る。するとその手がとても温かかった。これは妹に知らせないと、と思ったら妹がそばにいる(こういうところが夢っぽい)「〇〇ちゃん、見て見て」と妹に声をかけると妹も「ああーー本当だあーー」と言って父の手をとっている。

これはトミーにも言わなくちゃと思い、トミ―の部屋へいき、父がいることを伝える。父はトミーの部屋に来てにこにこしている。「お、お、おとうさん・・・・」と驚いているトミー。

父に母のことを聞いてみた。すると「本当は言いたくないけど、調子が悪くて治療に通っている」と言って今の母の写真を見せてくれた。母は40代頃の若さに戻っていてきれいだ。父が「誰でも自分の好きな年代になれるけれども、自分は年取った自分が好きだからこのままでいい」と話した。

そんなやり取りを通して、これからの時代は、こういうことが普通に起こるようになるんだと思った。誰でも、その人の大切な人に、こんなふうに簡単に会えるようになる・・と。いよいよそんな時代になっていくのかあと思った・・・という夢。

何よりも父の手が温かかったことが私はうれしいでした。温かい気持ちであちらにいるのではないかと勝手に思いました。母が調子悪く、治療院に通っているというのはわかる気がしました。母は生前、●自分の身体は弱い、●自分は健康ではない、というパターンを強く持っていたので、死後もその体験をしているのだと思いました。生きているときにどんなパターンを持つかはとても大事です。

母にはパターンのことを話てあげようと思います・・・と、ここは半分ファンタジーですが、半分本気です。

鶏のために・・・
2019/12/22

私はあまり卵が好きではない。

食べられないわけではないけれど、どうもおいしいと思えないのでほとんど食べません。トミーは卵が好きなようで毎日食べている。なくなったら私が買ってくるんだけど・・・。

今は、平飼いしている鶏の卵か、放牧している鶏の卵かを買うようにしています。これはそのほうが安全だから、よりおいしいから、健康的な鶏の産む卵だからではなく、彼らの卵をいただいていると思うと、彼らができるだけ歩きまわり、できるだけストレスなく、産卵をしてもらいたいというのがあるからです。

鶏の本来の姿でいてほしい。

日本では動けない状態で産卵させるバタリーケージというものがほとんどです。動けないのでストレスから病気にもなりやすいので、消毒散布もせざるをえないだろうと思います。海外ではこのバタリーケージを廃止する方向へ向かっているのですが、日本ではまだまだのようです。

卵を産めなくなった鶏は、結局は食用になってしまうのだから、ケージでも放牧でも同じだろうと思う方もいると思いますが、私は、そうは思えず。産卵工場のようなところで、歩きまわることも、止まり木で寝ることも、できない、人の都合により、使えなくなるまで使われている鶏を思うとつらいです。自分も、もし、ずっと動けないところに一生入れられていたらと思うと・・・。

平飼い卵も、放牧卵もそれなりに高いです。それだけの施設を維持しなくてはいけないので。手間はとてもかかると思います。その分価格が高くなっても、私はこれは続けていきたいと思っています。

今はネットでよりおいしい卵が手に入ります。そして、スーパーではとても安価で買うことができますが、もう、自分本位でいただくものでもないと思うようになりました(これは、皆さんもぜひそうしてください、ということではありません。これが正しいということではないので)

以前、どなたかから聞いた言葉「安価なものには見えないところで誰かの犠牲がある」この言葉が胸に響く。誰かの犠牲も皆が少しずつ請け負って緩和されるものであれば・・・そうしていきたい。

見据えるところ
2019/12/20

人は弱い。誰でも。私もそうです。私はきっと人一倍弱かったと思います。

だから30代に、精神的にダメージを受け、お医者さんからカウンセリングを勧められ、カウンセリングに通い、学び、何か自分を持ち直すものを創りたいと思い、そして今にいたる・・・です。

今でも、自分の弱さは知っているし、それを感じるときもあります。しかし、その自分の体験からわかったことは、そういうとき(弱さを感じておちているとき)ともそれと一緒にいながら、さて、何を選ぶかということをしていかれればいいのだということです。

全く弱さがない、全く困ったことがない、全く健康、全くお金に困らない、全て思い通りって。一見いいなあと思うかもしれないし、実際いいでしょう・・が・・そういう人はいません。

で、そういうネガティブなものと一緒にいるとき、そこで白パターンを選ぶということと、もうひとつ、思い描くものが私にはあって、それが「永遠なるもの」です。

永遠なるもの・・・私たちが生まれて帰るところ・・・そこを見据えているうちに「よし」となります。「よし」は元気になるとか、前向きになるとか、弱さが強さに変った「よし」ではなくて「私」の普通に戻るという「よし」です。帰るところがあるということは安定感や安心感を与えてもらえます。自分のことをひきとってくれるところ(笑)があるのだから、ゆだねてしまえばいいと思うんです。

そんなふうに思っても現状が変わらないと言われれば確かにそうです。現状は変わりません。でも、現状の捉え方が変わっていることに気づけると思います。このあたりの自分の観察は、とても自分にとって励みになるものになると思います。白パターンの選択と実践と見据えるところもぜひ使ってみてください。

今まで持っていたものを失うとき
2019/12/19

今まで持っていたものを失うときは誰の人生においてもあります。

それは自分の身体に起こることもあるし、自分の大切な人を失う、順調にいっていた仕事を失う、お金を失う、災害などで家や財産を失う、理不尽なできごとで失うものごともあります。

そんなとき、人であれば誰でもがショックを受け、悲しみ、不安になり「もっと〇〇しておけばよかった」と後悔の念にかられます。この反応は人として普通にあることです。ですから、まず、そのように落ち込んで、あわててしまう自分を責める必要はないです(責めているのはパターンなので)

しかし、ここが人生の不思議なところなんですが、失ったからこそ、得られているものごとがあります(バランス)失ったものが大きければ大きいほど、そのことには気づきにくいですが、長い時間をかけてそこへの気付きはやってきます。これはネガティブな出来事をポジティブにすぐに変えるという思考的な能力ではなく、気付くということです。

その気付きは、実は、失うことで得られたものごとが、また、新な未来を創っていく基盤になりうるというものです。この気づきとそれに対しての理解と選択というのはけっこうパワーがあります。そこで腹を決めて(・・・というのは、過去にあれも持っていた、これもあったというところに留まらないで)今現状に与えられたもので動き出したとき、新な展開を体験します。そこには今までとは違う世界が広がり、その世界での人間関係や、仕事などあきらかに自分の魂と心身を豊にしていくことを感じられると思います。

失っただけではない、又、得られているだけでもない、うまいぐあいにその両方が交互にあることでその人の魂と心身をいかすいいあんばいさが与えられます。そういうルールの中で生かされている私たちです。

養われていく能力
2019/12/18

カウンセリングで知らず知らずのうちに養われていく能力は数知れず・・・です。自分で自己探求をするうちにそれは自然と成されていきます。

問題と悩みの解決=カウンセリングなのではなく(そういう担当のカウンセリングがほとんどだと思うので、私としては・・というところですが)人の成長と進化(領域をあげていく)がカウンセリングである、と、これは本当にそう思えます。領域が変わるから今の問題と悩みの解決ができるんです。

それは本当の自分「私」が持つ普遍的能力を満遍なく使うことになります。誰でも得意な能力、不得意な能力はあるので、できるだけそこを満遍なく使うように「私」はセッティングしていき、使う羽目になります。そして、使うからそこが育ち、結果、成長と進化が起きていきます。

成長と進化は一言で言ってしまうと新な目の獲得と言えると思います。今まで見えていなかったものが見える新たな目。その目が見たものごとを知り、体験する。その新な目が通用する領域で生きる。そこでであう新な出来事。そんなカウンセリングが「魂の道場」のカウンセリング。

新な目の領域では、シンクロが多くなり、自分の思いというものが目の前にやってくるようになり、より繊細に深く、自他や物事を感じ、知っていくことになります。感じ取る能力、それについて熟考する能力が増す気がします。そうやって世界が広がっていきます。

それらが自然とやってくる様子は、まるで目には見えない「先生」が誘ってくれているようです。人間は、誘ってもらえる自分になっておけばいいのかもしれません。そうなるためにはとにかく自分の中に入っていくことです。そして自分の中にあるあらゆるものたちに光をあてていくことです。

ピアノ
2019/12/17

きのうは、今年最後のピアノ自主練日でした。10月からはじめたピアノ。家にピアノがないため、自主練日が実際の練習となり、まだまだ弾いています、という状態には程遠いですが、それでもとても楽しいです。

で、ロイヤルバレエ団の動画での「おうちでバレエ」のときに、そのレッスンでピアノを弾いている方(ROBERT CLARKさん)のピアノに心動かされています(これも自分がピアノに触れるようになったためだと思う)

レッスン内容に合わせての選曲、そして、ダンサーの皆さんが動きやすいようにアレンジしたり、カットしたり、先生が何を今求めているかを感じ取り、あらゆるジャンルの曲を使って美しいピアノを披露しています。そして、あくまでも裏方に徹しているプロ感がいいです。

ここで使われているピアノ曲も弾けたらいいなあと思います。

そうしたらこのROBERT CLARKさん、数年前に日本でバレエレッスンのためのピアノ講座というものをやっていました。そうか・・・こういうピアノの仕事というのもあるのか・・・と初めて認識しました。日本のバレエ団にもきっと専属ピアニストの方がいらっしゃるのでしょう。

1回のバレエレッスンは2時間弱。その間ずっと弾き続けるのでなかなかハードですが、どんなことに注意をしながら、どんなことを意識して、そしてどんな喜びを感じているのか伺ってみたいところです。ピアノに触れることで「おうちでバレエ」もまた新な一面が見えてうれしいです。

バレエとピアノは私の心身を解放し、そこに触れているときの違う領域にいられることは私の理屈抜きの喜びです。この時間に身体と心と魂が受けいているものが深くなっていくのがとてもうれしいです。

芸術家にはなれなかった私が、大人になって得た感性の美しさと純粋さは、バレエとピアノにより知り得たものですが、それが実はカウンセリングで養われてきていたものであることにも気付きました。

そして、今またカウンセリングにおいてもそれらが使われていることにも感謝しています。言葉も、意思も、ワークもアート的(理屈抜きに美しいもの)でありたいです。

自分でやらせようとする
2019/12/16

「そういう気持ちになったら行動しよう」「そういう気持ちになるまで自分を待ってあげよう」・・・と言うことはきっと一般的に普通に言われていることだと思います。

・・「いいんだよ、その気持ちになるまで待っていれば」・・という優しさ。無理のなさ。どこか懐の深さ。いつもこう言ってもらえるとうれしいかも。

しかし、私はそれはどう?と思っています。そういう気持ちの「気持ち」ってパターンが生み出すもの。だからその気持ちになったら、は、パターン次第、パターン主導と言えます。パターンがそういう気持ちを生みださなければ行動することはない。だってそういう気持ちじゃないんだものとパターンは言う。こうしていては変化を起こすことはできません。

そういう気持ちじゃなくても、必要に応じて「私」が選択して決めて行動にうつすから人は変わっていくことができるのだと思います(ここは微妙なところもあるので、その都度の確認は必要だけど)気持ち的には(思考も入るが)不安、自信ない、おっくう、冒険はしたくない、自分には期待できそうもない、今じゃない、もっとしっかり考えてから、怖くなくなったら・・・。

でも「私」はわかっている。今ここで選ばなくてはいけないことを。気持ちに飲まれてしまっては先がないことを。このままだったらずっと中途半端だということを。そして、今世も、このまま終わるということも。

だから「私」は(時には)無理をおしてでも選択して決めます(それが白黒ワーク)

気持ちは置いといて(それは後からケアできる)選択して決めたことに邁進するんです。後ろを振り返らず、邁進していく。だって「私」が決めたのだから。こうして道を切り開いていきます。

このプロセス自体が価値のあることなんです。「私」をこうして使うこともぜひ、行っていってください。語りかけしていたら自然に前向きになりました、自然と楽になりました、自然と収入が増えました、自然とよい人間関係ができました、自然と問題解決できました・・・はないです。

宇宙は・・・とにかく自分でやらせようとする。それは宇宙の楽しみ。

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