| 天災 | - 2025/12/09
- 岩手の皆様、地震は大丈夫でしたでしょうか。
全く知らずに今朝、知りました。天災はどの地域であっても、大難は小難に小難は無難になって過ぎていきますように。
人には自分自身への執着があります。私もある。もっとこうだったら、こうなれたら、こうしたい、などなど。そしてそれがあるから他人との比較も自然と生まれます。
他人から離れることは少しずつ練習をしていけばできますが、最後に残る人は自分。その自分からも離れていくって、最も難しいことなのだろうと思います。執着を手放すって、難しい。でも、そこに向かいたい。その先にあるものへたどり着きたいからです。
で、天災です。それに見舞われたとき、人は、自分への執着などと言っていられません。まずは生きること。自分には必要だと思っていた数々のものごともなくなってしまったとき、生きるためだけに在る、という自分を初めて体験することになります。
まだ私はそこまでの体験はしていないので推測ではありますが、そこで頑張って生きている自分は、余計なものがない、まっすぐな自分なのかもしれません。そういうことも人間の進化を考えると天が与えるのかもしれません。それにより、元々の生き方を思い出すのかもしれません。
天災って「天」という字が使われています。自然災害も天の計らいのひとつ。何かそこには意図があるのだと思います。でも、人々が守られますように…と祈る。それも天は受け取ってくださると思います。
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