ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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周章狼狽
2022/11/24

久しぶりに「意思のはたらき」R・アサジョーリ著を読んでみた。(まだ最初の部分だけ)

冒頭の文章『昔の文明圏、たとえば古代ギリシャ、あるいは古代ローマ時代から一人の男が突然現代の人類の社会に出現したと仮定します。おそらく彼の第一印象では、今の人類社会は魔術師か半ば神々である人間の世界のように見えるでしょう。しかし、彼がプラトンやマルクス・アウレリウスのように、進歩したテクノロジーによる物質文明の奇蹟に眩惑されないで、人類の条件をより注意深く検討するとしたら、彼の第一印象はただちに大変な周章狼狽に変わると思われます。』と書いてあります。

プラトンやマルクス・アウレリウス(きた…ストア派)であれば、というのは何が人本来なものなのかを知っている人たちであり、それは言いかえれば、どの領域で生きている人たちなのかということです。そういう人たちから現代の人たちを見たときには、その外側のわかりやすい部分ではなく、人々の内側へ視線を向けるであろうということです。そして一見したところから『大変な周章狼狽に変わると思われます。』ということです。

で、文章は続きますが、何に対して周章狼狽なのかというと、現代人は自分自身の情動、衝動、要望を取り扱うことができないということに対してです(それが苦しいから外側を大きくし、固めようとするんですが)そして、それゆえに、人々はそこにまつわる諸症状(恐怖や不安や不満や他との比較、競争、勝敗、自己否定、自己不信、自己嫌悪、などなど)に悩まされます。そして増々外側を繕う。

その治療法として「外側の生活を簡素化すること」「内側の力を開発すること」とアサジョーリは言っています。ざっくりと言ってしまうと。

外側の生活の簡素化は、ミニマリストになれということではなく自分の心の反映である外側、そこを簡素化していくこと(あらゆることに対してのもっともっとをやめる)であり、そのためには内側の本来自分がもっている力を開発していくこととなります。自分を変えるのはこの内なる力のみです。外側のものが自分を変えてくれるのではありません。従って、幸せも内側から創るものです。結局、内あっての外です。

また、ゆっくりと読み進めていこう。

さて、今日から今年最後の茅ヶ崎クラス2日間です。楽しく、集中して学んでいきたいと思います。

まず、意識ありき
2022/11/23

人は意識。そしてその意識ありきで全てが出来上がっていきます。

意識ありきで、というのは、心で何を決めているかということです。何かを決めてそこに向かって動くから、自分でそれを感じ取れるし、自分の形になる、そして、周りから見てもそれがわかる、ということになります。

なので、スタートは自分が意識的に何を決めるのか、決めているのか、というところです。この時に大変役立つのが「いい感覚」です。それも心の深いところで感じられるそれです。それをセンサーとしてみるといいと思います。それとともに決めます。

しかし、このようにして決める人はまだまだ稀で、はじめに外側から作っていくという人のほうが多いです。なぜならば、そのほうがとりあえず早く結果が出るからです。そして、それが普通であると思っているからです。そうして作ったものが結果だとここでは思っています。

こうして、まず外側からでもそれは手に入ります。外側は自他ともにわかりやすく見えていて、自分でもそれが欲しかったはずなのに、でも、長続きしないことのほうが多いです。そして、何故だか毎日疲れる、もやもやしている、いつも不安、などの気持ちにおおわれます。それは、天の在り方に沿っていないからだと思います。そして、それは選んでいるものが、違うということを教えてくれます。まずは、意識からと教えてくれていると思うんです。

今の自分、自分の周りは今まで自分が決めて来たものでできている。きっとそれは無意識でだったと思います。だから意識的にあるということで、今度はまたそれを作っていけばいい、ということです。

壮大な旅に出発
2022/11/22

昨日で今までの資料とは別れ、生まれ変わった自分として(少々大げさですが)来年からどんなことをやっていくのか…というビジョン?意思?を思ったときに(学んでいる方達の今向き合っていることを主体に考えたときに)「黒パターン王」を壊していくことをやりたいと思いました。

以前、話した「黒パターン王」それは太い太い大きな木であり、深く、広く根をはった大木です。その木には幾度となく繰り返した過去世でクリアできずにより強く決めてしまったこと(ある意味自分の核)でできています。これを、壊していくことが必要だと思いました。

その大木の幹の部分はずばり「全てを自分の思い通りにしたい」です。よく考えてみると、全てを自分の思い通りにしたい、は、自分の正しさ、をしっかりと信じている状態で、正しい自分が言うのだから思いどりになっていないのがおかしい、思い通りになるはずだ、と思っています。そして、大木ゆえに、自分はすごいとも思っています。ここまで書いてアダムとイヴが神のようになれるからとへびに言われて食べたリンゴの話を思い出しました。今だに私たちはこれをやっているということです。

その大木からは枝がたくさん伸びていてそれのひとつひとつが黒パターンです。「認められたい」「大事にされたい」「誰よりも上にいたい」「賞賛されたい」「自分はだめだ(←すごいはずの自分なのに現実にそうなっていないから)」「自分は愛されない(←同)」「色々言われたくない(←自分は正しいのに)」などなどたくさんあります。これらすべて、思い通りになっていないことへの不満と不安、怒り、恐れです。理想と現実のギャップに人は悩み苦しむと言われていますが、黒パターンの理想と現実のギャップのことです。

その枝の部分はケアしてきていると思いますが、そんな枝をつくっている幹の部分があるということです。

それを壊す…と言ってもパターンなのでずっと存在していくのですが、過去世から続いている壮大なドラマです。その1つの結末(ある領域においての意味づけ)を今話すとわからなくなると思うので、まずは、それがあることを知ることからだと思います。

来年からはこのあたりです。そこもいい感じでグラデーションをもちながらやっていきたいです。急にぱっと変わるものでもないし。ということで、外見的にはどこが変わったの?と思うと思いますが、壮大な旅に出発していこうと思っています。

シフト
2022/11/21

昨日は、この24年分の資料を一気に整理し、今の自分に合った資料を残して、あとは全部処分しました。かなりの量でした。

年内にできるだけ軽くしておきたかった(人よりは持ち物は断然少ないですが)のと、次へシフトしていきたいという思いがあるからです。

今まで多くのワークペーパーを作り、それを使ってのクラスを行ってきました。そのときにはそこが担当分野でした。そこを助けてくれた多くの資料です。しかし、人とは移り変わっていくものです。これは私ももちろんそうです。ある時から、なんとなく、自分の心の中から湧き出てくるそれがありました。

それは成長とか進化とかを求めているゆえのものではなく、普通に生活をしている中で、何かに導かれるように、促されるように心の深いところからやってきます。

ざっくりと言ってしまうと、より「そもそも」で生きるというところが私のシフト先であり、それをまた皆さんへ伝えていくことがこれからやっていきたいことになります。ここから学ぶことは、外側が変わるということではないということです。目に見える何かを新にプラスしましたではなく、変化というのは、内からやってくるということです。それがあり外側もまた変わります。

シフトは、具体的に言うと「愛」=天そのもので、そこに住む私たちが、肉体を持ってこの地上でいかに愛の人に成るか、そして、それを自分が体現して生きるか、それも自分の個性と合体させて、喜びを持って、というものです。

そのシフト先に、もう、過去の資料はいらないと思えたのです。思い返せば「その時、どんな気持ちでしたか?」という感情を感じるところから全員がスタートしていたのに、今や量子力学です。まさかここに来るとは思っていませんでした…が…これもまた「愛」に向かう一つであることは確かです。

この、今までのことが終わった感は、心身をリセットさせると同時に、また、生まれ変わった自分として存在していくとも思いました。

「資料、全部とっておいたほうがいいんじゃないの?あとから、あの資料、とっておけばよかったと思っても、遅いよ」とパターンは言っていましたが、そのときには、新なものを自分が生み出せばいいと思っています。

しかしーーーー、一気にかたづけたのはやはり疲れました。休み休みやろうね、と自分に言っていたのに、一気にかたづけたいパターンの声にまたのってしまった。こここそ要更新。

意味づけの更新
2022/11/20

人があらゆるネガティブなことから解放されていくのには「意味づけの更新」しかない…と思っています。それにより自分を自分で引き上げているんです。

今、自分自身や自分の周りで起きている現実、それはどうやっても消せないし、見ないわけにもいかないし、ほっておけばいいというわけにもいかず、だと思うんです。それに対していろんなパターンが騒ぎ、いろんな感情に飲み込まれてしまいます。

そんなときに、柔軟に自分がそれに対しての意味づけを更新していかれれば(それによりすぐに現実が変わるということはなくても)精神的に、前を向いていかれる、進む道が見える、そのことにより少し楽になれると思います。

何かネガティブな感情や感覚にのみこまれているときに、いわゆるポジティブにそれらを捉えなおすということが一般的に多いと思います。

例えば、仕事場で上司からきつい態度をとられたときに、とてもショックを感じ、自分は嫌われているのではないだろうか、自分はもういらないと思われているのではないだろうかと思うかもしれません。しかしそこで「上司は私の成長を願ってそういってくれているんだ、こう言われるということは自分にのびしろがあり、私は期待されているんだ」と考えて自分を励ますというようなことです。いわゆるポジティブシンキングです。

意味づけを更新することはちょっとそれとは違っていて(上司の)「きついもの言い」のマイナス意味づけとプラス意味づけを出していくということになります。マイナス意味づけのほうはたくさん出ると思いますが、更新に役立つのは新な意味づけなのでこの場合はプラス意味づけです(もちろんマイナス意味づけの場合もあります)

「きついもの言い」を中心に立ててみたときに、それによりどんなラッキーなことが、これからの自分を感じられることが、そんなふうでありたいと感じられることがあるのか、を健全に、建設的に出していきます。これって光に向かっている感じがします。

例えばプラス意味づけとして「きついもの言い」により、自分の見過ごしていた部分を発見できる、仕事に対する自分の本気度を見直す、その言葉のいわんとしていることを考えるきっかけになる(それがあまりにひどい場合は)反面教師、上司への理解の機会になる、などなどが考えられます。

それらを言葉にし、感じてみたときに、今すぐそうなれなくても、何かそこに心地よきものがあれば、解放されていく感覚があれば、それを自分で選択していくということです。新な意味づけ選択には「勇気」が必要なので、この最も生涯にわたって必要とされる資質もそれにより育てることができます。

自分を進ませるために行う、ポジティブシンキングとは違うのが意味づけです。この違いの感覚を感じてみてください。

そもそも・・・・
2022/11/19

そもそも、なんで生まれてきたんだろう?という問いを忘れずに持つことは、色々なことに迷ったときに役立つと思います。

生きているうちに、いろんな〇〇すべきことがいっぱいになり、ごちゃごちゃしてしまったときに、もう、全てイヤになったときに、この、そもそもを出してきて考えてみます。

これも、ひとつの仮説であり、ひとつの哲学ではありますが、ずっと自分だと思い込んできていたものが実はそうではなくて、自分の奥深くに存在している本当の、本来の、自分「私」を自分の手で掘り起こし、育て、成長していくために、生まれてきたと私は信じています。それも勝手に送り出されたのではなくて自分の意思で(シントラ先生曰く「手を挙げたのはおまえだろう」)この環境にやってきた。

そうであれば、そこに向かうことを毎日毎日行っていくだけ、というとてもシンプルな生き方につながる、物事の捉え方、思考、言動というものがそこには生まれるはずです。こうして、からまってしまったものをほどくのに、これは使えると思うのです。

マンション内には赤ちゃんが数人います。時々エレベーターの中で一緒になるときがあります。「可愛いですね、おいくつですか?」などと、いかにも子育ても終わり、孫もいます風な感じで聞く私ですが、同時にこの子も自ら手を挙げてやってきたんだ…と思います。

お母さん(お父さん)が愛おしい気持ちでその赤ちゃんを抱っこしている姿は微笑ましいものですが、別々の魂の課題がそれぞれにあって、赤ちゃんであっても、ここに生まれてきたということは、同じように手を挙げた者どうしなんだと思うと、より、その子が幸せに向かって強く生きられますようにという気持ちになります。

そもそもは、そんな視点も含んでいます。他に対しての同志的視点。嫌いな人も、苦手な人も、合わない人も、人であれば自然にあります。自分の個性や、それこそ自分の哲学の部分で合わない人もいるし、どうしても生理的にだめ、などもあるのが普通だと思います。それはそれではありますが、根底ではそれぞれ同士であって、その人も私も学びの最中であるということです。そこも忘れずに思い出させてくれるそもそもです。

必要だから起きている
2022/11/18

ずいぶん前の話ですが「自分は全てうまくいく、自分はどんどん良くなる」と長い間言い続けているのに、良いことは起きずに、良くない状態が続いているという話を聞いたことがありました。

カウンセリング中の話ではなかったので「そうかあ…」と聞いていたのですが、うーーーん、そうだろうと思ったんです。

その人はそう言い続けることで、良くなる、良いことがどんどん起こるとある人から教えられて、その教えてくれた人が社会的に成功をしていて、収入も高く、自分が理想とする生活をしている人だったので、自分もそうなりたいと思い、その方法を教わったということでした。

ところが、変わらない自分自身と自分の人生。あの人のあれは偽物だったというところで話は終わりました。

まず、そういう言葉を言い続けるというのは、自分には何もなくて、自分は不幸で、自分の人生は大変、ということをその人が決めてしまっているということです。だからそれがイヤだから、そこから抜け出すために、わざわざそういう言葉を言うわけです。このような言葉を言い続けるということは、今の自分に不足や不満があるからですが、そこが土台なので、そこにみあった自分自身と人生は展開されます。

それから本当に真摯に「全てうまくいく、どんどん良くなる」と願い、言葉にし、その感覚にもひたっていれば「私」はそこに向かって動きだすと思うんです。現在のアンバランスな部分に気づかせ、自分でそこを変えていく努力をせざるを得ないような状況をセッティングします。「私」のセッティングはパターンにとってはイヤなものです。

そして、このように、自分の(パターンの)思い通りにいかないこの状態はギフトであるということです。そのやり方ではない(アファメーション的なものが違うということではなくて、まずは自分の意思があって、それをサポートするのがアファメーションなので、言葉におまかせではないということ)ということに気づくチャンスでもあるし、もしかしたらもっと大きな根源的な何かに気づくチャンス(それが課題だったかも)であるかもしれません。

うまくいっていないとき、その表層だけではなく、何がその後ろにあるのだろうかという、客観的で、現実的な目を持つと、クリアになると思います。必要だから起きている。何が必要なんだろう?今の自分に、という目。

しとめることはできなかった
2022/11/17

昨日の続き。バレエ、ピアノ、仕事(カウンセリングとクラス、資料作り)今は大相撲、時に主婦の友昼映画、と、今の私にはありますが、どれも同じ熱量であることに気づきました。

例えば、仕事は大変で、そのあとにピアノを弾くことで心のバランスがとれる、とか、カウンセリング後に、お家でバレエで自分の時間を感じています、ということではないです。

特にこれが大変、とか、特にこれによって癒される、リラックスするということではないです。どれも同じなんです。何故かというと、どれにも、おもしろさ、楽しさ、集中すること、苦労すること、悩むこと、うまくいかないことがあるからです。どれにでもです。だから同じ熱量に質感に感じているんだろうと思いました(さすがに大相撲や映画を見るにはそれはないですが)

よく、仕事とプライベートを分けると言います。仕事を終えて、やれやれ、やっと自分の時間だ、というような。これが間違いということではないです。しかし、そこに区別がない在り方もあるんだということです。そしてそれが正しいということでもないです。人によって、仕事とプライベートがかっちりと分れているほうがいいという人もいるだろうし、そこに区別がないほうがいいという人もいるだろうし。こういうことも自分はどっちがいいんだろうか、と考えて、自分で決めていけばそうなっていくものだと思います。

私はもともと欲張りなので、何にでもあらゆることが欲しいと思う。それを無意識のうちから望んできていたんじゃないかと思うんです。だから、結果、あらゆるところにちょっとずつ楽しさと苦しさがちりばめられます。私にはこれがいいです。

そして、この在り方に絶対入れないのがご飯作りです。これには楽しさはない!今世の課題でしょうか、ご飯作りを好きになるって。今年もここはクリアできそうにありません。しとめることはできませんでした…ともう、決めているのでやはりそうなります。

時間が足りませーーん
2022/11/16

今年も「World Ballet Day 2022 Live from The Royal Ballet」の動画がアップされ、おうちでバレエは今回の動画(と言ってもバーレッスンとセンターの1つ目、2つ目くらいまで)にとりかかっています。

今年はBRIAN先生(気品があり、優しい笑顔がとても素敵)そして、ピアニストは、Robではなかった。去年も。クラシック曲からミュージカルナンバーまでを編曲し、楽しく、美しい曲を紡ぎ出すRobファンの私としては大変寂しい…。

選曲ってどうやって決めているのだろう。前回のピアニストも今回の方も、短調の曲が多い気がする。バレエ的にはそのほうがそれっぽいというのは感じますが、個人的にはレッスンは長調の曲のほうがいいなあ。

そして、もうひとつ、毎日のピアノ。あの何年も持ち続けてきたメンデルスゾーンの「甘い思い出」がへろへろ、つっかえながらも終わりまで弾けるようになり、もう少し、曲にしたくて毎日練習しています。そして、そろそろ新しい曲へチャレンジしていきたい。候補曲は2曲。譜面を見ながらいけそうなほうからやろうと思います。

バレエとピアノ、そして、何より大切な仕事、それから・・・・先日から大相撲も始まり・・・・&見たい「主婦の友昼映画」がある日には、もう、時間が足りませーーん。

本当に家事をしている場合じゃないと思う。特にご飯作り。苦手なので人一倍時間をとられます(1粒ですむような食事が欲しい。1日3粒食べればいいみたいな)基本的に、私は食べることにそれほど興味がないのだと思います。美味しいものは美味しいと思いますが、わりとなんでもいいというところがあります。

今は、こうして自分がやりたいこと、自分が時間をかけたいことを優先していくことをしていて、そうしていたら子供の頃を思い出しました。子供の頃ってひたすら自分がやりたいことをやっていたなと。食事は母が作ってくれるし、洗濯も掃除も、必要なことは両親がやってくれていたわけです。

そんな中で、ただ、今やりたいことをやっていた。今のこれに飽きたら、今度はこれをやる、そして明日は明日またやりたいことをする、という具合に。小学校に上がる前はそんなだったと思います。

この昔々の、感覚が‥‥これらをやっているときに浮かび上がり、また、消えて、を繰り返します。懐かしさとともに。自分の気持ちのおもむくままに、他人の目を気にすることもなく、〇〇しなくちゃ、もなく、一番、自由だったときかもしれない。そして、このときには、時間が足りないなどとは思うこともなかったでしょう。

どこから見るか
2022/11/15

例えば、人である以上、好きな人もいれば嫌いな人もいます。どーーも苦手という人って誰にでもいると思います。相性が合う、合わないはあります。

私も人なので、もちろんそれはあります。というか、それは強いほうだと思います。そして、他人からもそう思われるのが強いほうだと思います。「あなたは、他人から好きか嫌いかはっきりと分かれるタイプ」とよく言われましたが、自分でもそう思っています。ちなみに妹は誰からも好かれる人で、ここはうらやましいところです。

で、それはそれとしてあっても、そこの領域を離れて、少し上の領域から見てみたときには、その人への理解や、その人への共感などを主にして見ることができます。そこが好きとか嫌いに勝ることでカウンセリングは成り立つのだろうと思っています。いわゆるカウンセリングモードに入っているというのはこの領域にいるのだと思う。

そして、それよりも、もうひとつ上の領域で見れば、我々全て、生きるもの全て、大いなるもののお腹の中に一緒にいて、その役割をしているだけという感覚があります。好きだの嫌いだのと言うことを言わせない圧倒的なそのルールが目の前に立ちはだかり、それにはただただ頭を垂れるしかないのです。

そして、最初のカウンセラーモードの領域よりも、こちらの領域のほうが断然リアルであり、本質なんだということを感じます。そこでは絶対的な安堵感、信頼感がもたらされるからです。

カウンセラーとしての質を上げるということはこの領域の心を創り、その前の、理解、共感の領域を道具として使うということだろうと近頃思います。

どこから今起きてきることや、問題や、悩みや、他人、自分を見るのか…ということになります。視野を拡大していくこととはこういうことです。

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