ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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濃厚接触者
2020/04/03

本当は、今日から沖縄へ行く予定でした‥が‥今回は見合わせることとなりました。残念ではありますが、今は仕方がありません。

もしかしたら症状が出ていないだけで、私がウィルスをもっている可能性もなきにしもあらず。もしそうであるならば、誰かに感染させてしまうかもしれない。その場合は、その方のご家族や周りにいる人たちにも広がる可能性もありです。特に家族にご高齢の方がいたり、お子さんがいたりとなるとそれは怖いです。

実は3月に入って、濃厚接触者として過ごした2日間がありました。結局、一緒にいた感染者と思われた肺炎を発症したその人は2度の検査で陰性であったので、従って私も濃厚接触者ではなくなったのですが。

病院から連絡が入り「伊藤洋子さんですか?あなたはきのう〇〇さんと一緒にいましたよね。その方が肺炎にかかっています。まだ検査結果が出ていませんが、たぶん、新型コロナウィルスによる肺炎だと思われます。そうなると、一緒にいたあなたは濃厚接触者となるので今から絶対に外へ出ないでください。ご主人にも感染しないように、部屋を別にして、とにかく接触しないようにしていてください」と言われ、たった2日間なのに、大変でした(岩手へは、このために行かれなくなりました)

スーパーに行くこともやめて、とりあえずあるもので過ごす。そして、狭い家で、トミーと離れて過ごすにはどうしたらいいのか、洗面用具を別々にして、食器も?洗濯ものも?お風呂は?トイレは?食事も別に食べたほうがいいか、リモコン類も、ドアノブも全部拭かないといけないか・・・とわからないことだらけでした。

そして、これは私のことだけにとどまらず、トミーは濃厚接触者と同居している人となるので、会社へ届けることも出てきて、それはそれで、なんとなく職場にいづらいような体験をしたそうです。

・・・・というように、実際、濃厚接触者になってしまうと大変だろうと思います。そして、これが、感染者であれば、それは、とてつもなく大変だろうと思います。感染ってそういうことなんだと小さな疑似体験でしたが、思いました。

今は、おさまっていくのを待つしかありません。ただ、ずっとおさまらないということはないので、その日まで、やるべきことを続け、生活していくということになります。

そして、新型コロナウィルスへの新な意味づけから自分の在り方、生き方、自分にとって何が大切なものごとなのかを導き出すこともできます。こうなり、意味づけの大切さを今とても感じています。それはポジティブに今回のことを捉えようということではなく、今までよりも広い目、深い目を持つことになると思います。こうして人はまた進んでいくんだな・・・と思っています。

立ち止まる
2020/04/02

きのうの続きになりますが「自分の内なる国で戦争を起こしてはいけない」というのを読んで、そうか、戦争か、やっぱり、怒ってはいけないんだな、カッとしたり、いらいらしてはいけないんだな。それは闘いの感情だから。大事なのはいつも笑っていることなんだな、それが平和とやすらぎだもの・・・と読んだ方もいるかもしれませんが、そーじゃーないですよーーー。

怒ることがいけない、カッとしたりいらいらすることがいけない、と、それらを闘いの感情と決めつけ、排斥することが闘うということなので、そうやって闘わないようにしてください、ということです。そうやって彼らと戦争をおこさないようにしてください、ということです。

彼らを嫌ったことで彼らはより暴れます。誰だって嫌われて、排斥しようとされたら抵抗するでしょう?もしくはやられる前にやるか。自分の内側にある全てのものの存在を許してください。それもありのままの姿でいることを・・・ということです。

自分の中の何かを許せないと、他人の中の同じものも嫌になります。そして、その人を許せなくなります。そこにまた闘いが生まれます。その人に直接何かを言わなくても、心の中では闘っています。するとその人も何かを感じて自分に闘いをいどんできます。とりあえず2人とも表面はおだやかそうに接していても、そこには闘いの波動がうずまいています。

このような体験はよくあるのではないでしょうか。何とも言えない、ぎくしゃく感、何とも言えない、うそっぽさ、何とも言えないもやもや感。それはお互いに闘っているかも。

自分の中に平和な国を作ろう。そして、その国に住んで、他人と接してみよう。まずは自分。自分の全てを許せるようになろう。

新型ウィルスにより、生活が今まで通りではなくなり、足止めを強いられている状態ですが、そのせいで立ち止まることができます。ひたすら進んでいたものがここで止まり、これからに向かい考えていくことができます。キーとしては元に戻るではなく、新な在り方です。

今こそ、自分の中に平和な国を作ることに専念できるときとも言えます。平和な国で新にどう生きるかです。やるべきことをやりながら、今日も平和な国をつくっていかれますように。

「私」の使命であり責任
2020/04/01

パターンに、語りかけをして、最後のところで「あなたは、あなたのままそこにいていいから」と言いますね。

この「あなたのまま」というのは、あなたが何かに対してひっかかって怖がっても、怒っても、落ち込んでも、恨んでも、悔しがっても、悲しくなっても、不安になっても、ぶれぶれになっても、復讐心に燃えても、全部、全て、あなたはそのままでいいと言っています(あなたは・・・ですよ。「私」はそう思っていない)こう言いながらも、それをどうにかしようと、知らず知らずのうちにしていませんか?というのが今朝のお題。

「あなたのまま」と言う言葉には、あなたのままでいられるように「私」が努力します、「私」が責任をとっていきます(パターンの苦しみは「私」の責任という確認)ということです。

そう言っているのに、そばから「そんなパターンがイヤだ」「いまだにそのパターンが騒ぐことがイヤだ」というパターンにリーダーシップをとらせてそのパターンを嫌い、攻撃したり、排除しようとしたりしていないか?ということです。無意識のうちにこうなってしまっているのは「私」を意識的に使っていないからです。

「私」が育ち、リーダーシップをとっていくから心は平和に統合していくことができます。

「私」が働いている心には平和とやすらぎがあります。パターンを嫌うパターンで動いている心には闘いがあります。じゃあ、なんでもパターンを好き放題にさせればいいのかというのは違うということはわかると思います。みんな好きにしていいよ・・・というパターンで動いている心は無秩序になり、混乱した心になります。無法地帯。心を秩序ある、平和でやすらぎのあるものにするためには深い理解と許しが必要で、それができるのは「私」だけです。「私」は自分の中の全てのパターンに、パターンが生み出す感情や感覚に、OKを出します。だから彼らは安心してそのままでいられるんです。

自分の心身を闘わせてはいけません。自分の内なる国で戦争をおこしてはいけないんです。それは自分を痛めつけるだけではなく他人にも向かうものになるからです。だから世界中で戦争がなくならないんでしょう。

自分の中に平和な国をつくることが「王」としての「私」の使命であり責任です。

いつか、遠い、遠い、いつか
2020/03/31

先日、TVを見ていたら、人工呼吸器を作っている会社が今までは1日10台つくっていたのが今は15台から20台を目指してつくっているという話がありました。

新型コロナウィルス感染で重症化された方のために、多くの人工呼吸器が必要になってきているからです。きっと皆さん、ハードに仕事をされているのではないかと思います。

それを一緒に見ていたトミーが「手伝いに行こうかな・・・行きたいな・・・」と言いました。トミーは同業者ではありませんが、それでも自分の仕事柄、何か手伝えることがあるんじゃないか、少しでも手伝えれば、今、ハードに働いている人たちが少し休めるのではないか、と思うと言います。「会社で、そういうところへ手伝いに行く人をつのればいいのに」と。

それを聞いていて、本当にあらゆることがそうなっていくといいのにと思いました。大変なときには、今の自分のいるところから離れて、適材適所に人が動いていかれるようになるといい。それは国も超えて。

実際、いろんな制約があるから無理だろうと今は言われてしまうだろうけれど、いつか、遠い、遠い、いつか、人間は、そんなふうにして日々を暮らすときがくるかもしれません。「さあ、今日はどこで働こうか・・・・。どこが人手が欲しいだろうか」と。自分がそこへでかけていって自分の知識や、力や、技術をそこで使う。なぜならばそこが大変なところで、大変なところを手伝いたいから。そんな日も来るかもしれません。

以前、もし、生きていくうえでの必要な収入が、与えられるとしたら、あなたはどんな仕事をしたいか、というのを聞いたことがあります。

そのときにはきっと、自分の得意とすることを、自由に行うのかもしれない。人は、大変な人、困っている人を理屈抜きで助けたいと思います。人って自分だけ幸せならいいとは思えないようにできていると思う。だから、その場合は自分の得意とすることで誰かのために働くことをするだろうと思います。

今、自分ができることはなんだろうと考えました。積極的にできることは祈ることなのだろう。特に医療関係の方々のために。

自分は変われない
2020/03/30

自分は変われない、自分はずっとこのままだろう・・という方がとても多いです。

何故?と聞いてみると、今までだって変われなかった、自分には自分を変える力(能力、知能)があるとは到底思えない、人生は決まっている、自分を変えることができるのはほんの一握りの人だからと言われます。

「それを選んでいるの?」と聞いてみると「選んでなんかいません、でも、実際そうなんだもの」ということです。

とても多いです。ここの領域に住んでいる方々が。でも、苦しいんです。本来、発揮できる力があるのに、それを使わずに自分を閉じ込めてしまっているから。ここから抜け出せず(抜け出したくないもあるのかも)そこにもんもんとしながら居続けてしまう。そして、なんとなく周りは皆うまくいっているように見えてしまう。ますます、自分はやっぱり変われないんだと思う、を繰り返す。

今までも多くの方からこういう話を伺っていて、自分を変えるということが、もっとビッグな自分になること、ずば抜けて能力をつけること、一切ぶれない自信にあふれた自分になること、誰からも何も言わせないくらい完全な人になること、など、を思い描いているのだろうか?と思いました。

もし、そうだとすると、この自分を変えるは黒パターンが望んでいる自分の姿なので、一生苦しいです。パターンは一生それを追い続けることになります。黒パターンはエンドレスだから。

自分を変えるのは、自分を楽にしてあげることなんです。楽にというのももちろん上記のようなものを手にしたから楽ではなく(これも楽のエンドレスになる)今まで知らなった楽を手にするということです。何故今まで知らなかったのかというと、領域が違うからです。今まで住んでいたところでは見えない=イメージできない領域にある楽だからです。

そこへいくために、自分を観察し続け、ワークをし、選択し、実践し、という道具を使っていきます。そうやって自ら歩んでいかなくてはならないんです。

新な楽ってどんなもの?それはぜび自分で確かめてください。そして、そこにある楽がどれだけ自分を助け、喜びを与えてくれるものかを味わってください。

雪が降っている
2020/03/29

・・・雪が降っている・・・

桜が咲いているところに。

もう、異常気象はすでに超えていて、これからは、よりあり得ない、初めてのものごとが起こるのだろうと思います。

初めてのものごとは人にとっては怖いものです。知らないものごとは怖い。しかし、それでも、それさえも、人がどのように捉え、どのように自分を変えていくのかということを知らせるためのものごとだと思います。

それは天が与えたものごとではなく、ひとりひとりの「私」のセッティングの集合と天の意思によるものだとも思います(「私」は天の意思のもとに生きているので)しかし、罰ではないです。自分をはじめとして皆が進むためのものだと思うんです。進むというのは、忘れていたことを思い出すことです。それは自分が何者なのかということです。その者として自分は生きているのだろうか?ということ。それが地球規模でおきているので、いよいよ世界的に動くときに入ったのだと思います。

確かに、現実に起きていることは脅威です。今やウィルスによる社会的機能がダメージをうけていくことへの脅威があります。でも、自分の心には何ものにも侵略されない核の部分があります。こういうときこそ、そこを思い出すことだと思います(こういうときのために今まで道場で鍛えてきたことを思いかえしてください)

そんなの理想論でしかない、この大変なときにそんな精神論は役に立たない、と言う方もいらっしゃるだろうと思います。しかし、理想論、精神論で終わらせてしまう、を、選ぶのか、それとも、それを自分の生活に本気で使おうとするのか、で結果は変わってくる。ひとりひとりがその機会を与えられている・・・と、この今を冷静に考え、選択し、行動してみることで、人々が得ていく今までにない結果が、ウィルスの終息(あらゆるものとの共存)と言えるのかもしれません。

今のありのままの自分であること
2020/03/28

茅ヶ崎グループ春の合宿(春場所・2日間)は無事に終わりました。

いつもの合宿会館が今回は閉館してしまい、我が家で行いました。

今回、皆さんに共通していたことは、今のありのままの自分であること、そのありのままの自分を愛することだったのではないかと思います。今のありのままの自分では、だめだと思っていたり、その自分ではいやだと思っているパターンで言動していくと、自分ではない自分になろうとし、いまの自分に抵抗したり、自分を力づくで思うとおりにしようとします。それにより苦しみが生まれます。

何より今の自分以外のものになることはできません。それが現実であることも今一度、しっかりと認識されたと思います。

ユリの花はバラにはなれず、菊の花は桜にはなれず、ぺんぺん草はアイビーにはなれないんです。だからそもそも(出た!そもそも論)他と比較すること自体がおかしいわけです(他との比較により、自分以外のものになろうとするので)例えば、ユリ同士での比較なら成り立っても、全く違うものどうしでの比較は成り立ちません。そして、自分と全く同じ人はいない。

自分の持って生まれた個性を開花させることこそが、自分を生きるということです。

又、今回は仏さまの世界についての話をしたり、神の資質について話をしたり、そもそも(またまた出た!)こんなふうにできている自分を思い返すワークをしたりと、自分のパターンというところを離れて、大きなものへ目を向けることもやりました。自然と、壮大なイメージを皆で感じ、見たと思います。

自分へ向かう、ごくごく微細なものを見ていくことと、自分をはなれ大きく永久的なものへ目を向けることを通して、自分は何を求められているのか(私からではなく、宇宙から、そして小宇宙であるそれぞれの「私」から)を感じ、考え続けるきっかけになるといいなあと思います。

間違えても同情じゃない
2020/03/27

例えば、「自分に自信がもてない」「権威のある人に弱い」「自分には能力がない」/「自分は誰よりも能力がある」「全てを思い通りにしたい」「他人が怖い」「他人は信用できない」「自分はダメな人間だ」「自分が幸せになれるわけがない」「自分と家族だけが幸せであればいい」「自分は体力がない」「自分は意志力がない」「自分は弱い」・・・などなどいわゆるパターンというものも過去生から引きずってきているものがほとんどだと思います。

しかし「道場」としてやってきてよかったと思うのは、あえてそこに結び付けて(結びつけるのが好きな人の方が多いけど)・・だからしょうがないよねえ・・にいかないところです。

過去世からのパターンは確かにある、でも、今世を生きている自分はどうしたいのか?という、今の自分の意思というところへフォーカスしているところが、人を本来の姿へ動かしていくことになると思っています。

自分でもわかっている大きなパターン(自分の特徴)そこを今世では課題としてそこをクリアするんだ!ということで生まれてきている。そして、自分を見るということで、クリアするために、何を選べばいいのか、そして具体的にどんな行動をとるべきなのか・・も自分で気づいているはずです。それをそれぞれの課題としてそれぞれがやっていく。

だから・・道場です・・間違えても同情じゃない・・きっと今度こそやるんだ!という方たちが道場へいらしているのだろうと思います。同情が欲しければ、道場へは来ないでしょう。

シントラの言葉です「今、見ようとする者だけが見よ。今、立ち向かえる者だけが己と向き合うのだ。それでいい。我は今、それを見る点に立ち、おまえたちの意識が満ちるのを待っている。来るものは拒まない。いつでも、誰でも、この胸に抱きかかえ、歓迎する。我はここで、おまえたちが来るのを待っている。」(シントラ声明より)

「私」はそうは思っていない
2020/03/26

先日書いた、シントラの言葉の中に「おまえを作ってきた歴史を甘く見ては困る。」という言葉がありました。

これが、私、おもしろい、と思うんです。それはシントラの言葉でこんなふうに書かれています。

「この世に生まれる時、人間は過去生で得た経験をその魂に宿し、それを記憶の底に沈めて新なスタートを切る。魂の学びのため、表立った記憶は眠らされているが、名残りは自己の気質、傾向として残っている〜今感じる自分自身は、ゼロからスタートし自分で作り上げた存在のように見えて、実は前もってある程度プリントされた下地の上にあるものなのである。」(シントラ声明より)

何度も転生をくりかえしている私たち。そのたびそのたびの体験を通しての記憶(パターン)が元々あり、その集積の魂から今の自分がスタートしています。そしてシントラの言葉は続きます。

「でも、大事なのは、今の自分が作られた理由ではない。それはおまえができた歴史にすぎない。そうした様々な影響により自分が出来上がったとして、その特徴を持つ自分をいかに把握し、前に進むかが重要なのである。」(シントラ声明より)

だから、人によりひっかかるパターンが違っているし、頭ではわかっているのに、同じことを繰り返してしまったり、どうしてもここから抜けられなかったり、過剰に反応したり、心が折れたり、自分を責めたりするわけです。しかし、それを過去生の(元々の)せいにしていてはだめだよ、ということです。今いる自分は過去生を代表している。そして生まれてくる前に、今度こそずっと達成できなかったことをやるんだ!という意思をもって自分からきているのが私たちです(忘れているけど)

何が自分の課題なのか、何を達成すべきなのかも、自分を見ることで、自分でそれはわかるはずです。そこがたぶん自分の一番の弱点でもあり、恥部でもあり、自分をわずらわせるものでもあり、自分を苦しめるものとしてパターンはとらえています。しかしそれはあくまでもパターンのとらえ方です。「私」はそうは思っていない。「ただ見よう、そのままを。そこから自分の変容が始まるのだから」ととらえています。続く・・・・・

春場所
2020/03/25

22日(日)に無事に大相撲春場所が終わりました。

観衆のいない今回の場所。途中で力士が高熱を出し・・・あわや・・・という場面もありましたが、他の病気であったということで、中断することなく千秋楽を迎えられました。

横綱白鵬の44回目の優勝で、白鵬ファンの私としてはうれしかったです。大相撲を毎回見ていますが、気持ちが晴れやかになります。特に洗濯ものをたたみながら見ることがとても好きで、楽しみなひとときです。

そして、今回は異例の千秋楽で、そこで行われた協会御挨拶、表彰式、出世力士手打ち式、神送りの儀式、を初めて見ました。

ずらりとならんだ力士からは今まで感じることのなかった神々しさを感じました。協会御挨拶は相撲の意味、力士の意味が語られていて、相撲の気高さを感じました。出世力士手打ち式(これから関取を目指す若い力士さんが手を打つ)も、神送りの儀式(若い力士さんたちが、おいでいただいていた相撲の神様を天にお返しするために、神さまののった御幣を持った行司さんを胴上げする)も、古くからのしきたりにのっとって今まで続いているんだと初めて知りました。何より神さまとともに行われていたとは・・大相撲って神事なんだ・・と改めて思いました。

今回のこの神事が今の日本の大地に響きわたり、善き方へ動いていくことを願いたいです。今回は寂しい場所ではありましたが、こういうことを知れたのはよかったでした。5月場所はぜひ、また、大勢の観衆の中でひらかれることを願っています。

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