ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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他人は信用できない U
2019/10/15

きのうの続きです。

この「他人は信用できない」はその他人に目がいきますが、実は自分も他人に対して行っています。自分が他人を傷つけたり、他人をだましたり、嘘をついたり、下に見たり、嫌ったり、心の中でジャッジしたり、うわべだけはいい感じでつきあうことを行っているんです。だから他人も、自分に対して同じことをすると思っています。

お互いにこのパターンとパターンでつきあっています。だからお互いに疲れる、むなしい、孤独、寂しい、ということになります。

さて、ここを超えるためにはどうしたらいいですか?まずはいつも通りこのパターンへの語りかけ(語りかけを十分やったら)白パターンを考える、そして白黒ワーク、そして「私」が考え実践、そしてそれの継続(白を選び続ける)こうやって新な心の世界を創ります。

そして、それと同時に考えてみてください。自分も他人に同じことをしているのは何故?それは、自分自身に対してそうしているからです。自分が(自分のパターンが)自分を嫌い、バカにし、下に見て、ジャッジして、自分に嘘をつき、いじめて、だましているからです。自分自身にしていることを無意識で他人にするのが人間です。

ということは、これらの自分を裁くパターンへの語りかけも必要だということです。それがあっての「他人は信用できない」だから。自分を裁くパターン、これが問題です(いや、パターンが問題なのではなくて、それをほっといた「私」に問題があります)これらのパターンは、本質から大きく離れてしまいます。愛の反対にあるパターン。この意識がそれにみあった現実を創るので、そういう意味でもここは変えたほうがいいです。

そうして、決して自分を裁くことをしないを選び、実践の継続をしてそれが定着したあかつきには、他人をそのように見ることはしなくなります(自分をそう見ていないから)そこから初めて、他人とはどういう存在なのかに気づいていかれます。

この世に生きている限り人との関わりは続きます。だからこれはすごく大事なことなんです。

さて、今日はこれから盛岡へ行ってきます。今回も台風セーフで行かれます。よかった。皆さまもどうぞお元気でお過ごしください。

他人は信用できない T
2019/10/14

このところ、お会いする方達から共通のお話しが出てくるので、今朝はそのことについて書いてみます。

その共通のこと(パターン)は「他人は信用できない」とか「他人を簡単に信じてはいけない」とか「他人は怖い」とか・・・他人に対してのパターンです。

そのパターンのケアと選び変え(語りかけ→白を考え→白黒ワークで選択→実践)をしていかないと、他人に対して必要以上に緊張したり、変にフレンドリーだったり、居心地の悪さを感じたり、身構えたり、威圧的だったり、逆に下手に出たり、などの感情、感覚をともなう行動を無意識でします。

その中には一見よさそうな行動も含まれているので、お互いにぎくしゃくすることがない場合もありますが、根底は他人を信用していないので(お互いに)あくまでもうわべだけのものとなります。それにより、他人と関わることで、孤独感を感じたり、疎外感を感じたり、相手を責めたり、その場はうまくやれても後から腹がたったり、自他への嫌悪感が湧きだしたり、疲れたり、もやもや、憂鬱といろんな感情・感覚におそわれます。

このパターンをもっている人がほとんどです。人の悩みのほとんどが他人です。

で、パターンの言い分としては「他人は自分を傷つける、他人は自分をだます、他人は自分をバカにする、他人は自分を嫌う、他人は自分を低くみる、他人は自分をいじめる、他人は自分にうそをつく、自分に対してよさそうなことを言っていても心の中ではジャッジしている、だから他人は信用できない、簡単に信じちゃだめ、他人って優しそうにしていても何を考えているかわからないよーーー怖いよーーー。だから他人を信用しないことで自分を守ろうね、そうやって傷つかないでいこう」と言います。この声に従って生きてきています。ほぼ全員。

そして怖いことがおきると「やっぱりねーーー」とそのパターンを大きくしていきます。こうして、他人と自分はどんどん離れていきます。続く。

先を見込んで「私」がやるべきこと
2019/10/13

台風19号、大雨をもたらした今回の台風で被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。

今回の台風、いろんな思いがありました。

まず、台風前日の近所のスーパーは人がいっぱいで、カップメンやパンがほとんどない状態でした。そして、帰ってきて乗ったエレベーターの中で一緒になった男性の方が「どこにいっても水がなくて買えなくて」と話されました。

そのときに、やはり、健全に先のことを心配しておく意識というものは常に(これからは特に)必要だと思いました。

我が家では、大震災後から、備蓄している水や食料を5日分位ですが置いています。これは水をのぞいてお昼ご飯に食べたりすることもあり(だから普通に食べられるもの)なくなるとまた補充するようにしています。すると、今回も特に断水や停電に備えて買う必要はありません。

その分の時間とエネルギ―を今回は初めてガラス窓に養生テープをはるということに使いました。目の前の塗料店に「ガラスの養生テープあります」と紙がはってあったので購入しました。使い安く、良いものでした。気持ち的にも、もしガラスが割れても飛散は減少するだろうと思えるのでいいです(後々に備え、また購入予定)

それが仕上がった時に、やるべきことはやった、後は頭を低くして台風が通り過ぎるのを待つだけという気持ちになりました。やるべきことをやってしまえばあとはおまかせしかありません。

これはあらゆることがそうです。やるべきことをやらないことで焦りや不安は増すし、それが今度は後悔にもなります。前もっての、先を見込んで「私」がやるべきこと。これが大事です。

ありがたいことに何もなく無事に過ぎていった今回の台風でしたが、日々の在り方や、心づもりの大事さを教えてくれた台風19号でした。

ピアノ U
2019/10/12

ピアノの自主練の日に向けて、家にピアノがない私が、当日少しでも効率よく練習するためにはどうしたらいいだろうと考えました。

貸しスタジオの予約を入れてから自主練の日まで2週間ほどありました。そこで思い出したのが「紙鍵盤」です。初めてピアノのレッスンに通い出した頃、我が家にはピアノがなくて、先生が紙の鍵盤を用意してくれたんです。実際の鍵盤と同じサイズでできているのでそれを使って指を動かしていました。

これは、いいかもと思いました。

今は簡単にプリントアウトして作れます。そこで、それを作り、しばらく練習しました。これ、結構使えます。そのおかげもあり、先日の自主練1回目は、いい感じでいけました。

まずは10分ほどひたすら指のウォーミングアップ(ハノンという練習曲があります)をし、なんとなーーく鍵盤の感じを思い出していきました。そして、弾きたいと思っていた曲を、片手ずつゆっくりと練習し、最後両手で2度ほど合わせてみました。かなりのたどたどしさ。要練習。

そしてもう1曲は、多分、音大で最後に弾いたであろう曲を再び弾いてみました。みごとに弾けなくなっていましたが、なんとなく、練習をすれば弾けそうな気がしました。

この2曲ともメンデルスゾーンのものなんですが、当時、全く気付かなかったことに気づきました。それは和音の美しさです。この音とこの音の組み合わせがこんなに美しいものだったのか。そして、それが心を一瞬にして解放するものだったのか。

本当に当時は何もわかっていなかったことがよくわかりました。多分、プロになる人たちって若くしてこういうことがわかっている人たちなんだろうなあと思いました。私はそうではなかった。でも(おかけさまで)私はだめだ、というパターンには全くひっかかることなく、これからは定期的に自主練の日を持ち(普段は紙鍵盤で練習しながら)絶対弾けるようになろうと思いました。そしていつかピアノが欲しい。


朝、10時の茅ヶ崎、雨は降っているものの、まだ、嵐の前の静けさです。今回の台風、かなり本気で注意したほうがよさそうです。くれぐれも気をつけてお過ごしください。無事に通過していってくれることを祈っています。

ピアノを弾く
2019/10/11

ピアノ・・・いつか弾きたい、今度は自分のために。先生に叱られないために練習するのではなく、自分で弾きたいから練習したい。今なら自分のためだけに弾ける…と言いながら時だけがすぎ。

先日、夜眠るときにぽんとおいた髪ゴム、朝目が覚めて見たら「ト音記号」のようになっていました。「ト音記号か・・そうだ、楽譜をまず買おう」と思い、その日に弾きたい曲の楽譜を買いにいきました。

しかし、うちにはピアノがない。そのときにクライアントさんが教えてくれていた「ピアノの貸しスタジオ」を思い出し、調べてみたら、家から1分のところにありました。早速予約し、その日が来るのを心待ちにしていました。

そして、昨日、めでたくその日をむかえることができました。朝からそわそわ。久しぶりに恋人と会うような気分でした。そして、ひとり練習室に入り、ピアノに向かい椅子に座ったとき、小学校1年生のとき、初めてピアノの鍵盤に手をのせたときのことを思い出しました。こわごわと小さな手をのせたあの頃の私。「手は卵を包むようにまあるく」と先生に言われた。そして、今、年をとった手が同じようにこわごわとまあるく鍵盤にのせられています。

こうしてピアノに触れたのはどのくらいぶり?40年ぶりくらいでしょうか。音楽を専攻しながらも出来が悪く、叱られてばかりで、ピアノが(音楽が)大嫌いになってしまい、ピアノを弾くことは一生ないだろうと思っていました。全ての楽譜を捨て、ピアノも早々に売りました。

それが、この年になってTVの「駅ピアノ、空港ピアノ」であんなに自由に楽しくピアノを弾く人々を見て、私もあんなふうにピアノを弾きたいと思いました。続く。


台風・・・お互いに注意しよう!土・日は家で過ごしましょう。

テレビがきた
2019/10/10

9月の20日頃だったと思う、テレビが突如壊れました。

画面いっぱいに広がる不気味なオーロラ状の模様。ずっと見ていると魔界にひきずりこまれそう。しかし音声だけはしっかりと聞こえるのでトミーには「ラジオだと思えば?」などと言ってみた・・・が・・・新しいテレビを買うことにしました。

しかし、時は増税前。大型電化製品がばんばん売れていて製造が追いつかず、2週間以上先にならないと届けられないということでした。

こうして始まったテレビなし生活。はじめのうちは連ドラの最終回が見たい、朝のワイドショーがない朝なんて、あーーあ、テレビないとひまーーーと、ブーブー言っていたのに、気が付くと、全くテレビなしの生活がどれだけ静かで、おまけに時間もあり、早くに寝ることになっていたか。

あんなに見たかった連ドラも、見ても見なくてもどっちでもよかったし、唯一好きなヒロシの旅番組も、見なくても平気だったし、だいたい、私には好きな番組がないということにも気付いて、これはこのままテレビがなくてもいいなあというときに、テレビが来ました。

さすがに10数年前のテレビよりもより薄く、軽くなっています(どこかおもちゃっぽい)そして画像のなんと鮮やかで、クリアなこと。すごいな、と思って、見ていたら、とても疲れました。

画面と音ががちゃがちゃしてて、画面の中の人物や風景と自分とがあまりに近すぎるというか、直接すぎるというか。私には画面の中のものは、もっと遠い存在であることのほうがいいようです。クリアすぎるというのもなかなかきついです。

この感じだともう以前のようにテレビを見ることはないかもしれないなあ・・・・と思っている今日この頃。

帳尻合わせ
2019/10/09

この頃、とってもわかったこと。人は毎日の生活を通して、帳尻を合わせるようになっているということ。

これは私の両親の晩年〜死を迎える直前までを見ていて感じたことでもあるし、トミー、トミーの両親、妹、お会いしている方々、知り合い(ほとんどいないけど)友人を見ていて、やっぱりそうなんだと思ったことです。

帳尻を合わせたがっているのはもちろん「私」です。パターンたちにはそこまでの創造的な仕事はできません。どちらかというと(特に黒パターンは)帳尻合わせを阻止しようとします。帳尻合わせは彼らにとっては嫌なことだからです。

帳尻を合わせるということを他の言葉で言うと、バランスを取るということです。そうやって「私」は今の自分のアンバランスな部分をできるだけバランスをとり、自分という作品を、この世にたったひとつの貴重な作品を創り上げたいと思っています。そのためには「私」の資質をどこかで使うことになります。

これは老いも若きも起こります。父のように死の直前まで帳尻を合わせていた人もいます。できるだけバランスのよい魂としてあちらへ旅立ちたかったのでしょう。そう考えると死を迎える方へ私たちができるサポートはここなのかもしれません。

帳尻合わせは苦手なこと、今まで避けてきたこと、わかっていたのにやらなかったこと、ほっておいたことなどです。これをどこかでやることになります。やらずに死んでいくのもひとつですが、たぶん、死後〜来世が大変だろうと思います。

勇気をもって帳尻合わせ!そこに向かわせるために今いろんなことが起きています。それはどこに向かおうとしているのか、そこに気づけるように健全にこれからを心配すること、健全に神経質であることが大事です。

デザイナー
2019/10/08

島田順子さんというファッションデザイナーの方がいらっしゃいます(1941年生まれ、パリ在住)

若かった頃の島田さんは、とても健康美あふれる、海の似合う、ナチュラルビューティーな方でしたが、久しぶりに本屋さんで目にした現在の島田順子さんはその土台にさらにみがきのかかったおしゃれをのせていました。

おしゃれって人それぞれなので、絶対これがおしゃれというものはありませんが、流行にとらわれることなく、自分に似合うものを自分が好きなように着ている島田さんの姿には、私が感じる美しさやおしゃれ感を感じます。頑張り過ぎず、いかにもではなく、決めすぎていず、細部にこだわり過ぎず、服に着られてしまっていない。あくまでも服は服で、主体は自分というのがナチュラルに出ていて、この微妙な感じに目がいきます。

かっこいいんだけど、インタビューなどを見るととても可愛いらしい。女性として、人としての自信のある大人と少女が同居しているようでもあります。このいろんな要素をもっているところに魅力はつまっているのだろうと。こうなると島田さんのデザインする服が作品なのではなく「島田順子」そのものが作品なんだと思いました。

そして、これは島田さんだけのことではなく、皆がそうです。この宇宙にたった一人の自分。その自分を構成している全てのものを自分という作品を創るために使えばいい。そして、その作品をながめ、大事にしていけばいい。そういう意味では皆がデザイナー。

常にワークマインド
2019/10/07

「語りかけワーク毎日やってます、そして、ワークをやる意外はいつも通りにすごしています」というのは・・・・まずいです。

いつも通りに過ごすというのは一般的にはパターンですごしていることになります。ワークを毎日やることで、ワークをやっていない時間も「あ、今、こんな感情がわいたな」「・・ってことはこのパターンだな」「語りかけしよ、そして白も考えてみよ」「よし、この白の行動をしてみよう」・・・・と1日全部をこの在り方(非同一化)にしていかないと、語りかけだけを毎日しているから自然と変わるということはありません。

ワークを通して生き方のベース自体を変えていくことをやっているため、当分の間(当分の間ってどれぐらいですか?と聞かれますが、それが身につくまでです)は意識的に生活をしなくてはなりません。「仕事終わった、さあ、好きなことをやってリラックス」ということと同じではないです。

1日中それ、それを毎日。そうやって身につけていきます。常に「ワークマインド」そこは自分の意思力でやっていくしかありません。大変なことかもしれませんが、やるだけの価値は十分すぎるほどあります。そして、誰もが今世でこそ、それをやるぞ!と決めてきています。だから、それが身についたときには、今までの心の空白が満たされるのだと思います。

死ぬまでにやりたいこと
2019/10/06

人が少しずつ、無理なく成長していくと、それが普通になるため、以前、自分がどうであったのか、その感覚がわからなくなります(記憶として残っているそれを引っ張りだすことはできるけど)

以前のその感覚がはっきり残っていると、ああ、こんなに自分は変わったんだと実感できますが、以前のことが主ではなくなり、今が普通となると、以前の感じはわからなくなるという事が起きます。

先日も、道を歩きながら、以前の感じがわからないんだけれども、今私が見ている、人々、風景はきっと以前のそれとは違うように見えているんだろうなあと思いました。そして、道を歩いている自分自身へも、以前とは違うものを見ているんだろうなあと。以前は人々や風景の何をどんなふうに見ていたのだろう、自分の何をどんなふうに見ていたのだろう、今となってはわかりません。

ただ、感覚としてはっきり言えることは、徐々に自分というものが消えていきます。まずは、自分の構築というところをやっていきますが(生活全般という目に見えるところも含めて)それを経て、次には、自分が消えていくことになる。自分が消えたそのスペースは他が入ってくるためのものになるんです。無理なく。

他人から自然へ、きっとそして宇宙へと自分を消して人は変容していくのだと思います。

以前読んだ「植物と叡智の守り人」(ロビン・ウォール・キマラー著)に書いてあった言葉。「女性達は「教師としての生」を生き、年下の女性の手本となる。賢明な女性の教えは彼女自身や家族という枠を超え、人間という共同体を超え、この惑星を包み込んで地球の母となる」この言葉の意味が、今、理解できるようになったと思います。そして、その体験がはじまってきているのを感じます。いつか・・・いつか・・・地球の母として地球に返したい。死ぬまでにやりたいこと。

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