ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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今年も・・・
2023/01/29

今年初の茅ヶ崎セミナー。最初っからぶっ飛ばしすぎた感もありましたが、2023年度のスタートを切ることができました。

あまりにいろんなことを話したため、自分でも何がテーマだったのかわからなくなってしまっているのですが主なところは「物質界からの卒業」「そもそも、こうやってできている」「感受性、情緒を育てる」「細部ではなく全体を見る」とか。内容的に欲張りすぎました。

又、2日目の夜ご飯のときに、ひとつの質問からより真髄に近づく話へと発展しました。(私の補講メーターの料金はぼんぼん上がる。今までの分は全部つけてあるからいずれ請求書をお送りします〜(笑))

そのことも全部を書いていくと膨大になるので、ここでは書けませんが「そもそも、こうやってできている」というところについてざっと言うと、そもそも全てが動いている世界、変化し続けている世界。それも大きなものから小さなところまで陰と陽をぐるぐると周り続けているのが、この世界であり、私たち自身です。

陰が来たら次は陽、次は陰、次は陽と。それは良いことと良くないこと、再生と破壊、アップとダウン、天と地などなど。そもそもがそれが回り続けている。

それなのに、陰に対しては抗ったり、嫌がったり(そりゃあ、私も嫌なんですよ、感情的には。そのときにはワーク)どうにかしようとしたり、人をうらやましがったり、何か自分を癒し、楽しくさせてくれるものへ心身を持っていかれたり、うまくいかないのは自分がだめだからと責めたりするんです。

又、陽に対しては、ずっとそれが続くようににぎりしめていたり、もっともっとと欲しがったり、よりそれを大きくしようとしたりして、とにかくこれが継続するように願う、時にはその一瞬のことなのに、うまくいっている自分は成長したんだと喜ぶ。でも、次、陰が来るんですよ。もれなく。(そのときには自分は成長していないと落ち込む)とにかく、そういうものなんです。誰もが。この地球に生きている全てが。

このことが諦めとともに、しぶしぶながらも、不満を持ちつつも、わかれば、認められれば、もっと自分に起きていることも冷静に見られるし、そういうときこそ善きカードを自分で選ぶことをやっていけばいいんです。

いいんです、というのは、そうすればずっと陽が続く、じゃないです。そうすればふり幅が小さく、動けるということです。ふり幅が小さければ、ダメージは少ない、そして、幸せ感も小さい。それが陰陽の自分サイズじゃないですか?そのことをいいあんばいと言うのだと私は思います。自分サイズの陰陽。自分で管理できる陰陽。そのためにも陰にあるとき、今は陰だから仕方ないではなくどのカードを選ぶかです。陽にあるときもっともっとではないカードを選ぶことです。

今迄学んだ使えるものは全部使う。自分の選択で、匙加減で、そうやりながら自分の陰陽を作る。バランスの取れた陰陽・・・・という話です。

「魂の道場」は今年もあらゆる方面から、小出しにしながら、あの手この手でいきます。

今の自分でいい
2023/01/26

今の自分でいい、ということ。それが自分の基盤になるように…と学んでいます。その基盤を作ることが成長・進化だと私は思うんです。

だったら、自己探求なんてする必要ないのでは?と思うかもしれませんが、今の自分でいい基盤を作るためには自己探求が必要になります。

なぜなら、今の自分でいいとは、黒パターンで生きてもいいということではないからです。好きなことだけやって、できるだけ楽に、嫌なことはさけて、面倒なことは見ないふりをして、好きなように生きればいい、ということではないからです。そうやって生きて、一瞬楽しくても、そのあとにむなしさや、違和感、焦りや不安など、何かを感じると思います。それが幸せでしょうか?それが自分の望む在り方でしょうか?

だから、自分の中で起きていることを見るスキル、習慣、練習、やり続けることが必要になります。

今の自分でいい、とは、今の自分で在れ、ということです。誰かのようになろうとするなということです。

大元から与えられた、普遍的資質と、過去世からのいろんな歴史と、先祖から受け継いだ体や気質と、今世での課題や、人によってはどうしても今世やるべきことを持って、そのほかにもきっといろんな要素を持ち合わせて、複雑に生まれてきたのが自分なんです。その自分でいい、その自分で在れということです。

そういうためにも自分を知るということが、ほんとに大事です。

その自分を大事にして、最大限それが生きられるようにしていってあげる。それが幸せ、喜びを人にもたらすと私は思っています。それは「私」の願いであり、天の願いだからです。そして、その必要な道具は全員が生まれたときに持たされているんです。ただ、(まだ)気づいていない、ただ、(まだ)知らない、ということです。

さて、今日から2日間は茅ヶ崎クラスです。今年初。また1年、楽しく、集中して、悩み、迷いながらも歩いていきたいと思います。歩きながら皆でいろんな景色がみられますように。

幻のおせんべい
2023/01/25

「やみつきしみかりせん」というおせんべいがある。去年いただいて、初めて食べました。

こーーんな美味しいおせんべいがあるなんてえーーとやみつきに。私は、こういうとき、とにかく食べてしまいます。今日はこれだけにしようと決めてもそんなルール、ないも同然。まあいいか、と一袋があっという間になくなりました。

で、近くで売っているところを探すと、なんと、書店の「有隣堂」にあることがわかりました。何故?何故に書店?そこで、隣町の「有隣堂」へ。そうしたらあった。欲しかったそれと、七味唐辛子の2種類がありました。

「両方買うのはだめです」と自分を制して、どっちを買おうか迷ったあげく「七味唐辛子」を購入しました。そして、食べてみると、こ、これは、まずい。まずい…って不味いのではなくて。前の醤油味のものよりも私好みでした。あ〜あ、これはまずいです。

独特な香りと辛さがあるのですが、神楽南蛮なるものが3%含まれているそうで、多分それが美味しいのだと思いました。

やはり、あっという間に1袋がなくなり、その後、有隣堂にも入荷されなくなり、製造元(さがえ屋)も在庫なし、今後も製造は未定、ということで「やみつきしみかりせん 七味唐辛子」は幻のおせんべいとなりました。

こうして、数か月が過ぎました。醤油味は買えるのですが、七味唐辛子が食べたい。他の七味あじのおせんべいも食べてみましたが「やみつきしみかりせん」には負ける。

そして、ある日、どうしても食べたくて、色々と調べたら、あった。メルカリに。メルカリですかあ?利用したことない。どうなの?どうなの?と思いながらも、購入し、先日、無事に届きました。やっぱりすごく美味しい。やみつきというよりはとりこです。そして、また食べたくなる。

しかし、この、もっともっとは魂にとっては本当によくないことなので、またしばらくは、食べられないときを過ごそうと思っています。大好きなものを食べられないとき…があるから、次回はもっと大事に食べるだろうと思います。

そうやって、生活をきれいにする、という昨日の課題。ここにもつなげていきたい。「やみつきしみかりせん七味唐辛子」から学ぶ。

ゴミを出さない
2023/01/24

家庭ゴミをほとんど出さない、というご家族をTVで見て、驚きとともに、自分を省みる。

そのご家族は3人家族で、ゴミを出さないことを基盤にして生活を組み立てていらっしゃいました。買い物のエコバッグ持参はもちろんのこと、プラスチックのトレーに乗っている肉や魚は持参した自宅のお皿に移してトレーはそこで出す。パンを買うときにも持参した籠に入れてもらう、野菜やくだものもできるかぎり全て食べるようにする、まだ使えるものは最期まで大事に使う、余分なものは買わない、などなど。

で、そのためには、調理法を良く知っていることや、生活に手間をかけることに喜びを感じられること、必要のないものは買わない、ということが徹底していないと無理だなと思いました。今のままの私では無理だとも思いました。

最も必要な調理法を良く知っている、の時点でまずアウトです。生活をできるだけ手間をかけないでするには…と日々考えている時点でもアウト。必要ではないけれど、かわいいなあーーー欲しいなあーーーで買うこともあるのでますますアウト。おまけに、時々アレルギーのためか、くしゃみが連続で出るため、どんどん使うティッシュでゴミ箱があっと言いう間にいっぱいになる…ではもう、お話になりません。

で、このご家族は、それをやりたいこととして生活をしているので、キューキュー感がなく、押しつけ感がなく、すっきりと、落ち着いて、美しく暮らしていらっしゃる様子でした。物を持たない美しさはありますが、物を捨てない美しさもあることを初めて知りました。

このご家族はこの生活が好きなんだろうなあと、感じられました。そういう姿は見ていてもいいです。

うちはゴミが多いと思います。それはもう少し減らしたい。もったいないような捨て方をしているので、それを変えていくことで、生活をもっと自分に引き寄せて自分のものとして扱えそうな気がします。そうであれば生活はもっときれいになりそうです。捨てるものを減らす…は今年のひとつの課題です。

さて、さて、今年も「魂の道場 合同セミナー」が開催されることとなりました。今回の開催地は岩手県盛岡市です。岩手クラスの皆さんがそれへ向けて準備をしてくださっています。ありがとうございます。

詳しくは、
「心理カウンセリング Rowing Counseling Iwate」新田真紀さんのHPでご覧ください。https://rowing7.blogspot.com/2023/01/blog-post_23.html 

皆さんの学びたいという気持ちが、ひとつになり、再び、セミナーの質を上げていくことになると思います。お互いにひっぱりあげられるのがセミナーのよさです。どうぞ、よろしくお願いいたします。

大人カラス
2023/01/23

大人のカラスがごみをあさっていました。

大人のカラスは、体も大きいし、あのするどいくちばしを見ると自分一人のときには、ちょっと身構えてしまいます。

なぜならば、以前、妹から、木々のある場所を自転車で通っていたら、ばさばさと後ろで音がしたと思ったら、頭をコンコンコンとつつかれたという話を聞いたことがあるからです(多分近くに巣があったのでしょう)

私よりも背の高い妹(それも自転車に乗っている)にもそういうことが起きるのかと、それ以来カラスは用心しています。そんなちょっと腰の引けている私を見て、あちらも、ちょっと身構えました。

これがもうちょっと大柄な人であれば、ぱっと飛び立つところなのでしょうが、こいつはちっこくて弱そうだから大丈夫だな、と今までの体験から判断したのだろう、逃げることなくそこにいます。

側を通りながら見てみると、先日の子カラスのような初々しさはもちろんなく、百戦錬磨で生きてきた跡がその体にはあらわれています。艶のないぼそぼそ、ばさばさとした羽。羽が抜けているせいか、あちこちに飛び出していておさまりの悪い羽根です。

カラス仲間で喧嘩をしたり、とんびにやられたり、ということもあったかもしれません。えさを毎日探し周り、見つけたと思ったら、他のカラスに取られたりしたかもしれません。人間に追いやられることはいつもだろうし、時には、事故にあうこともあるかもしれません。

カラスの寿命がどれくらいなのかわかりませんが、カラスはカラスなりに大変なんだろうなあと、その疲れたような体を見て思いました。

生きていくことは大変です。しかし、大変と思えるうちはまだ安定しているのかもしれません。本当に大変になってしまったときは、大変である、とは思えず、ひたすら生きることだけを考えている状態なのかもしれません。大変であるということを見るだけの余裕があるわけだから。そうであれば、大変と思える余裕があることはまだ幸せなことだと思います。大変だあーー、つらいなーーと感じたときには、そんなふうに考えてみてもいいかもしれません。

そして、生きることは楽しいことだけではないです。それは人間もカラスも。それが本来の姿です。そのことを、これから少しずつ自分の中に落とし込んでいくことは誰にも必要なことだと思います。それがわかると、こだわりや執着から離れていくからです。人が悩むことはこの、こだわりや執着からきているので、ここから、離れることが必要になるのですが、そのためには、そもそもの姿を認めなくてはならない…ということです。

子カラス
2023/01/21

目の前をカラスが歩いていました。私はカラスの後を、彼を驚かせないようにそっと歩いていきました。

カラスはまだ子供のようです。小さくて、身体の色もまだ黒というよりも深い紫色をしていました。大人のカラスよりも羽の艶もよくて、キラキラと輝いていてきれいです。

子カラスは、ゆっくり歩きながら目に入るものをひとつひとつ確認しながら歩いています。食べ物を探しているようです。落ちているタバコの吸い殻をつついてみたり、道の雑草をつついてみたり、紙くずやビニール袋をつついたり。あっちへふらふら、こっちへふらふら歩いています。子カラスがそんな状態なので、私も、ゆっくり歩いたり、時々立ち止まったりしながら後をついていきました。

そしてその子カラスの後ろ姿をよく見て見ると、歩き方が内また歩き。内に内にと足を運んで体を左右にゆらしながら歩いています。多分、内またなので体が左右にゆれるのではないだろうか。歩くことはあまり得意じゃないかもしれません。だから時々みかけるジャンプするようにして前に進むのかも。

そのうち、自分の後ろに、怪しい人間がいる、と気づいて子カラスは飛び立っていきました。

この間、わずかな時間でしたが、よく観察してみると、見慣れているものでも、何か新しいことに気づいたり、発見したりします。これは、こういうものと思って見ているのと、深く観察してみようと思って見ているのとでは、見える部分が違うのでしょう、何かしらそこから見えてくるものがあります。

自分を見るということも同じだと思います。自分に慣れてしまっていると自分が見えてこないです。あたかも、初めてのものを見るように自分を観察すると、きっと何か今まで見えなかったものが見えてくると思います。だからいつも、初めてのものを見るようにフレッシュな精神であることが大事なんだと思います。

こうして自分をフレッシュな精神で見ることに慣れていけばそれは自然と他人のこともそのように見ることになります。

ほっておく派
2023/01/20

「これってどういうことなんだろう?」「あれがわからない」「これを知りたい」などなど、よくあると思います。

で、私は昔は、すぐにその答えが欲しくて、すぐに調べたり、人に聞いたり、していたのですが、あるときにほっておいたものの答えが1週間後にきた、3か月後にきた、という体験をしてから、ほっておく派になりました。

もちろん、急ぐものごとの場合もあるので、そいういうときにはすぐに対処をしてはいますが、それほど急ぐものごとではないとき(特に心や精神性や霊性など時間をかけて成長するもの)には、後から来るという楽しみをまた味わいたくてあえてほっておいています。(何が楽しみなのかというと、こうしてやってくる答えは有無を言わせない、言う必要がない、ものがやってくるというところがです。ここが思考で導き出したり、調べたりしてわかったこととの大きな違いです)

そうやって来ます。忘れたころに、も、あるし、忘れてはいないけれど、もう、わかっても、わからなくてもいいというときに(こう見ると、いつかわかる、と変に思い過ぎているときは来ないです)それを見ると、必要なときに必要なものごとはやってくるんだなあと思います。だから必要じゃないとき(今じゃないとき)にはやってこないとも言えます。

これは、自分の意思でどうにかできることではないので、何かと共に生きている感じもあり自分としてはすごくいいです。こうして、小さなことはちょこちょこあり助けられています。

で、1年ほど前だと思うのですが「人間は何が正しいことなのかがわからない(その能力がない)」ということをある方から聞きました。そのときには「私」の感覚で決めれば、その人の正しさは感じられるのに、と思っていました。これは今でもそうです。それは自分の哲学なので。そして、もうこのことは忘れかけていました。

しかし、2,3日前に、ふとこの言葉の意味がわかったんです。魂の転生という目でこの言葉を見ると、この言葉は成立する…と。来世、全く違う個体にとっての正しさは今世のそれがそのまま引き継がれていくものでもないだろう…と。もしかしたら、全く正しくない(と今世では判断している)生き方を来世していて、でも、それが学びでもあり、体験でもあり、その個体にとってはそれが正しさでもあるわけだとしたら、今世のこれ(「私」の感覚で決める)は、今世という条件付きなものなのかもしれません。

永遠に途絶えることのない魂というところで人間を見れば、確かに何が正しいことかは人にはわからないです。その視点でみればこの言葉はその通りだと思いました。

これは1年たって答えがやってきました。1年前ではこのように解説されても、頭では理解しても、まだ取り入れられない自分だったのだと思うのです。

で、そこから自分で考えてみた。肉体を持って生きる今世は有限です。そのフレームを渡されて皆がやって来ているので、今世においては、今世をどう生きるのか、というところを任されているのだから、それをやっていくことだと。とてもすっきりとしました。

引っ越し
2023/01/19

引っ越してきて、ちょうど1年がたちました。まだ1年?という気もするし、もう1年?という気もします。

なかなか馴染まなかった部屋にも、今はもうすっかり慣れて、住み心地の良さに感謝です。

思い起こせば、引っ越しの原因となったこと(上の階の人が夜運動をする音)に悩まされ、トミーと2人で幻聴を聞くようになり、音を聞くと心臓がばくばくするようになり、こうやって病気になっていくんだろうなあという体験をしました。

何がそんなに自分を追い詰めていたのかを今考えてみると、音ももちろん嫌だったんですが、音に悩まされている人がいることを無視できるその精神にまいっていたんだと思いました(私は態度はでかいですが実はガラスのような心なんです(笑))

管理会社を通して何度お願いしても、やめようとしなかった、これからも続けますので、という、そういう精神…それが本当に嫌で、その在り様がダイレクトに体と心にきていたのだと思います。

しかし、このことがあって、私たちは引っ越すことができました。何もなければ、もしくは、全く音が気にならなければ、今もきっと以前のマンションに住んでいたと思います。

で、引っ越ししてきて、部屋も、同じ階に住んでいる方たちも、部屋から見える景色も、全部があたりまえですが、変わります。それが私には新鮮でした。そして、そこから始まった、新しいでき事、そして、自分の中の変化など…と今となっては以前の部屋の上の方のおかげだと思います。

もしかしたら、あのままであれば、新しいできごとにであうこともなかったと思います。もう、ダメだ、という思いから選んだカード「引っ越そう」がよかったのだと思います。

で、なんとなく感じていることですが、自分の意思で選んだカードではありますが、やはり、何かが一緒に選ばせたという感じもします。それが何だかわかりませんが、これからの私の魂の計画を知っていて、そこに向かうために必要なものを与えられるような環境や状態を得るための引っ越しであったような気がします。

根拠はないです。しかし、何かが動くときとは、必ずと言っていいほど、困ったこと、嫌なことが起こり(いい状態であればそこに居続けるので)私たちが動かざるを得ないような状況になるんじゃないかと思います。

そんなときに、それに抵抗し、闘い、動くことを選ばなければ、そこでのチャンスを逃してしまうのかもしれません。そして、動くということは今もっている何かを手放すこと、でもあります。動くためには身軽になっていないといけないのだと思います。手放すためには、勇気や覚悟が必要。そう思うと勇気、覚悟は常に持っているといいのだと思います・・・・・ということを考えた1年目。

結局、バランス
2023/01/17

何度も同じことを書いてすみません。

結局、バランスです。最後はバランス。次の扉をあちらに開けていただくのも要バランス。いかに自分の力で自分の心身のバランスを取るか…ということにかかっています。

バランスがあれば、アンバランスもあります。特にこの二極の世界に肉体を持って生きている意識なので、バランスがとれているのか/バランスがとれていないのか、のどちらかに動きます。

で、問題や悩みがあるときはほぼほぼアンバランスにいるときです。これは身体的ににも、心もそうですね。何か心身をアンバランスにもっていってしまう原因を自分で選んでしまい、それに沿って行動してしまっていたりしています。そしてその結果を受け取っている。

それは罰ではなくて、アンバランスなことをしていますよ、ということなのでそれに気づいて、また自分でバランスを取るために何をどうしたらいいのかを考えて、何かを手放す、減らす、抑える、あきらめる、欲張ることをやめる、我慢をする、又は逆に勇気をもって挑む、向き合う、働きかける、求める、などなどを選択、実践していきます。

そして、バランスが取れている状態=真ん中にいる状態になったときに、きっと今までとは違う世界が見えてくると思います。それは、天国のように美しく…とかって話ではなくて、現実を知る、見る、という世界だと思います。自他に起きていることをゆがみなく見ている世界。ちょっとオーバーに動くとすぐにアンバランスになっていくことが見える(だからすぐに修正もできる)世界です。そこが楽、ということでもなく、しかし、そこにいることの必要性を感じるところだと思っています。

今、何かがうまくいっていない、問題や悩みがずっと続いている、などのときにはどこか自分の中の何かがアンバランスなんじゃないかと洞察してみるといいです。偏り過ぎていないか、オーバーになりすぎていないか。足りていないのではないだろうか、もしくは選んでいるものが違うのではないだろうか、と。

バランスがいいということは過不足なく、ということです。ここが本当に大事なところだと思います。

自分よりも強い力士を作るために
2023/01/16

先日、TVで力士の総稽古の模様をみました。大関からまだまだ若い力士までが次から次へと相手を変えて稽古をしていました。

ある若い力士(勝ち進んでいたのに急に負けるようになってしまったその力士)に他の部屋の大関自ら声をかけ、稽古をつけました。若い力士は何度も何度も大関に投げ飛ばされ、汗と土でどろどろになりながらも、起き上がりまた大関に向かっていきます。

そのうちにもう起き上がることもできないくらいになると、やはり他の部屋の先輩力士がぽんと彼の背中をたたき(がんばれ、あきらめるな)と励ます。そしてまたよろよろと起き上がり大関に向かう、というものでした。

そうして大関との稽古が終わり、その力士は倒れ込むようにして土俵から上がりました。すると、また別の他の部屋の先輩力士が彼に「大関の所へ言ってお礼を言ってこい」と声をかけます。若い力士はその言葉に頭を下げ、大関の所へ行き稽古をつけてくれたことへのお礼を言いました。・・・・というものでした。部屋という垣根を超えて、それぞれが大事なことをこの若い力士に教えていく。

で、その大関にインタビューアーが「なぜ、あそこまで厳しい稽古をつけるのですか?」と聞きました。すると大関は「自分よりも強い力士を作るためです」とこたえました。「自分よりも強い力士を作るためですか?」とインタビューアーが聞き返します。「そうです、そうやって受け継がれてきたものですから。自分もそうやって育ててもらいました」とこたえていました。

「自分よりも強い力士を作るため」と「ただ、強くなってほしいから」では全く違います。大関は横綱になりたいと思い日々つらい稽古をしている。横綱はそれをキープし続けるために日々、大関よりつらい稽古をしている。それは個人としてもちろんありながらも、その後ろにある脈々と続いている精神を持ち続け、そこへ貢献していくことも忘れない、ということを見せてもらいました。

自分の事だけではない、という在り方はどこかで自分を超えないと見えてこないものです。相撲の厳しい稽古としきたり、親方や先輩からの教えを通して、自分が上がっていくことを叶え、そしていつか、自分を保ちながらも自分を捨てて、その大切なものを継続させることも担っていくのではないだろうかと思いました。

とても感慨深く思いました。これは、自分のことを省みるヒントにもなりました。

自分という個を育てて輝かしていくことと、自分という個を捨て、もっと大切なものを輝かせていくこと、この2つがあるということです。

常に反するような2つがあるということ。そして、両方を同時に持つ=真ん中にいるということ。そこにいることで、冷静に物事を判断していかれるのだと思いました。いい勉強になりました。

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