ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

自分を守るために
2021/10/15

今日から沖縄へ行ってきます。

実は、今週は久しぶりの腰痛でした。これでは、沖縄へ行くのは無理かもしれないと思っていましたが、まあまあ、いいかんじに復活しました。

冷房や換気で冷えないように、羽織るもの多め+ホットカイロを貼っていくことにしました。

で、今回の腰痛。原因はわかっています。といっても日記に書くことができないことなので、クラスや、お会いしたときにお話ししたいと思います。

ざっくり原因となったパターン(結局、黒パターンです)は、赦しです。赦す・・・他人を、というところのものでした。他人を赦す、ここをはき違えていたというか、他人の前に自分を赦すだろう…?ということを見落としていた、ということ。自分を赦す前に他人を赦していたので、自分の中にはストレスがたまり、それが腰痛になって出たということだと思いました。私の場合、ストレスの出方が腰痛か、蕁麻疹かなので。

自分に起こる感情、感覚の全ては自分の責任であることを他人にまでふくらませすぎたのだと思いました。そして、とても反省したことは、これを皆さんに強いていないかということでした。こちらが強すぎてしまうとアンバランスになるので、私の課題として要チェックです。

私はもっと自分を優先しようと思いました。まず、自分を守ろうと。仕事柄、どうしても相手にゆずってしまうことが普通におこなわれていて、そこについてもっと意識的に見なくてはいけないと反省しました。自分を守るために。

・・・・・・ということで、ホットカイロとともに沖縄へ行ってまいります。

どうぞ皆さまも良い週末をおむかえください。

継続できなくていい
2021/10/13

「白を選んだのに、それが継続できない」と言われる方は多いです。

「それでいいんです。一回選んでそれを継続し続けられたら、もう、すでに、あなたはマスター。だから全くいいんです」と話しました。

「白を選ぶ」「今にある」「宇宙的な目でみる」「ただあるものとして見る」「如実知見」などなど、ひとつ高い領域のものを選び(そちらのほうが気持ちよいから←これは「私」がすでに知っているから)そうあろうとしたり、その感覚がわかったり、気づいたらそういう感じを味わっていたり…でも、次の瞬間、また黒パターンにのまれる。

それでいいんです。でも、またそこに気づき、何を選ぶのかをやっていけばいいんです。その繰り返し。私もいまだにやってます。

それでも、ほんの少しずつ、選んだものと一緒にいられて、その感覚を味わい、その行動をしてみて、それが自分の身になっていくということがおきています。必ずそうなります。そうやって自分を待ってあげてください。

そして「私」は、いつ、どんな自分でもいいと言っていることを再認識してください。黒パターンにのみこまれて行動をしても、黒パターンの勢いで言動しても、それもありでいいというスタンスです。それが無駄だったとかだめなことだったとは受け取らないのが「私」です。

ただ、全てはそれがあるだけ、なので。

これができるようになった、これが分かった…と自己探求には面白味もあります。しかし、私が素晴らしいと思うのは、心が折れそうになりながらも、挫折感を感じながらも、嫌になりながらも、それを捨てることなく続けよう、という意思だと思います。これ、大変なことをやっているんです。

今まで、数々のカウンセリングやセラピーなどの講習を受けましたが、こんな時間と手間のかかることをやっているところはありませんでした。私が言うのも変ですが、皆さん、本当によくやっているなあと思います。

今の自分のままでいい、そして、選べそうであれば新な白を選んでやってみる、今日もそうしていってください。

「私」は選択し続ける存在
2021/10/11

「私」で聞こう、「私」で語ろう、と思うとき、たぶん、その時点で、イメージで「私」を作ってしまうと思います。

そして、その「私」だったら、きっとこんなふうに聞くだろうな、何も引っかからないで聞くだろうな、きっとこんなふうに語るだろうな、こんなふうにふるまうだろうな、となると思います。そうなるとそれは「私」ではないです。

ですから、「私」で…ということではなく、白を選んで、ということになります。白と黒の部屋に入って「私」が選ぶ。そして、白を選んだとしたら、それを行動にうつす。このやり方を崩さないようにしていってください。

「私」はこれからも選択する立場にあり続けます。「選択」と言う行為がとてもとても大事なことです。選択肢はそれこそ、黒パターンの中にもいっぱいあるし、白パターンの中にもいっぱいあります。その中からそのときに必要なものを「私」が選んでいきます。

それは、できるだけ具体的なもので、この現実をスムーズに生きていくものであったり、もう少し精神性を含んだものであったり、自分をまずは保護するものであったり、少々ハードルをあげたものであったり、ときには必要な闘いを含んでいるものであったり、とにかく逃げることであったり、と色々です。それを「私」が選ぶということになります。

それを選んでいる「私」は、「私」で聞こう、「私」で語ろうというときのイメージしている、優しく、おおらかで、包み込む感じで、知的で、微笑みとともに存在するというものとは全く違うものと思います。いかに自分という人間を心身ともに、進ませるか、深めさせるか、そうやって天との約束をはたそうとしているのが「私」のような気がします。そうやってこの地上で肉体をもって限られた時間の中で幸せに生きることをやりたい存在が「私」なんだと思います。

白黒ワークは「私」の選択力をどんどんつけていくものです。まさに「私」が育つワークです。語りかけはもちろん大事ですが、白黒ワークもとても大事なものなのでどんどん行ってください。それにより選択肢の多さにも気づいていかれると思います。

そして「私」が自分であることをしっかりと認識してください。「自分の中に「私」がいてくれて「私」が教えてくれる、守ってくれるから安心」と最初の頃は誤解しやすい「私」ですが、「私」がいてくれて安心しているのが自分ではありません。いわゆるハイアーセルフが「私」と私は思っています。自分の中には「私」と白黒パターンだけということです。

ハートと手のひら
2021/10/10

心臓がばくばくしたり、ぎゅーっとしたり、もやもやしたり、熱くなったりなど。心臓(ハート)は今の自分の状態をよく教えてくれます。

「私」に一番近いところにあるハート。もし、ばくばくや、ぎゅーっや、もやもや、熱などを感じたら、黒パターンで考えていないか?黒パターンを選んでいないか?黒パターンに飲み込まれていないか?と自分をみてみるといいと思います。

また、逆に、ハートがゆったりと、おだやかで、あたたかく、広さや深さを感じているときには、今選んでいるものはいいとわかります。こういうふうにハートを捉えることもできると、簡単ではありますが、今の自分の状態(一瞬一瞬のそれでさえ)がわかると思います。

ハートって、ただの心臓ではないんですね。これは他の臓器も全てそうなんだろうなあとも思います。

「私」を育てて、自分なりのそういうことにもまた気づいていくのもおもしろいと思います。

あと「手のひら」。

ここは「私」が育ってくるとだんだんと豊かになっていく気が私はしています。手相というのではなく。ふっくらと優し気なまあるい手のひらにだんだんとなっていきます。ちょっと見てみてください、以前と変わってきていませんか?

そんな両手のひらを毎日、あらゆるところに使っています。「私」のあらわれているそこをダイレクトに使っている。これもとても意味あることだと思っています。特に子供たちへそこを使うということは、優しさを届けていくことになると思います。またはお年寄りの方にも。ペットにも。植物にも。食事を作るのも、拭き掃除をするのも、大事なものに触って、なでて、さすって、ということは「私」がそこに接触していること。そんなふうにもとれます。

その大事な手のひらを自分のためにも使ってください。自分の体にも「私」の現れ、手のひらをたくさん使ってあげるといいと思います。そして、祈りのときに手を合わせることも。「私」の現れた右手のひらと左手のひらをあわせて、陽と陰をひとつにしています。だからそこには全部がある。

祈りのときにはそんな宇宙の根源的な形も自ら表しているのですね。

65歳の秋
2021/10/09

この日記でもよく書いている、領域を上げるとか、ミームを上げるとか、意識を上げるとか、これらは同じことを言っていると私は思っていて「結局、やるべきは、これだけ」と今や言い切れます。

「幸せに生きたいのなら」「スムーズに生きたいのなら」「楽に生きたいのなら」「豊かに生きたいのなら」そしてもちろん「私」として生きたいのなら・・・・・人が望む在り方(黒パターンのそれではなく)全般にわたり、結局はここだけと言える。

ということは、悩みとか問題とか、苦しみとか、悲しみとか、そういうものも解決する、超えていく、収まる、終わる、ということです。サポートがきたり、なぜだか終息したり、道が開けたりと。

なんと「これだけ」というあまりにシンプルなこれ、しかし、それは本当にそうです。

ただ、この領域を上げる、ミームを上げる、意識を上げるというのは頭でそうしようと思ってもできないものです。パターンが全力で邪魔するので。そのためには「私」を育てながら自分に向き合い続けることが必要になります。

そして、それにともない、いろんなものごとへの執着を薄くしていく(それは自分自身に対しても)ということが求められます。いや、これは、求められるというより、領域、ミーム、意識の上昇が起きてくれば、自然と執着が薄くなっていっているのかもしれません。ここはどっちが先…と言い切れないところですが、関係はしています。

いずれにしても、自分がやるべきことは「領域、ミーム、意識のアップ!」これだけという結論に今の私は至りました(だからずっとそう言ってきたじゃん、と観音様に言われているような…)はっきりとしぼれたことで、これからはよりここだけにエネルギーを使っていかれるので、効率もよいと思います。そして、何より自分はそうありたいです。より、高い領域への努力をしていきたいです。そうやって残りの人生を生きていきたい、そして「魂の道場」ではもちろんそれをやっていく・・・と誓う65歳の秋。

地震のこと。それぞれがそれぞれの所で体験した地震。これから1週間くらいは注意とのことです。が、もし、またぐらっときたら、こうして地震に慣れていっているという視点ももってみてください。これはその場でやらないとだめなので、怖いーーーあわあわとしているうちにチャンスを逃すので、揺れたら、チャンス、慣れていっている、を試してみてください。ワンチャンス。ワンチャンスへの挑戦もいい。

それがスムーズに行えるように、今回の地震で物が落ちた方はその場所を変えるとか、できるだけ低い置き方をするとかで工夫して、自分のためのスペースを作ってあげてください。

これはプラスの地震への意味づけ。いろんなことに慣れる自分を育てる、それは何に対してもぶれない強い自分ではなく、これもありなんで、あるものに慣れるというものです。そして、これから起こるであろう大変なことへもいかされていくのではないかと思います。よろしければ。

いつの間にか・・・・
2021/10/08

いつの間にか・・・・というやつ。これが私はすごくいいなあと思うんです。お会いしている方々から「いつのまにか(気がついたら)こんなふうになっていた」「いつのまにか(気がついたら)変わっていた」ということを聞くと『よし!』と思います。

一体、いつからそうなっていたのか、わからないようにそうなっていくことには、親和性があって、無理がなく、しみ込むように自分の内に流れているので、リバウンドがほぼないと言えます。

人なので、黒パターンの領域に落ちることはあっても、また這い上がってきます。何故かというと、そちらのほうが「快」であることを、いつのまにか変わっていた自分はすでに体験していて、脳もそれを覚えているからです。

人はやはり「快」へ動くのです。

意識的に自分を見て、意識的にワークをして、あとは待ちながら在るということをやっているので、意識的であることと、ゆだねて待つことの両方を訓練していることにもなります。そこにすら気づいていないというところがまたいいところ。

自分がやるべきこと(やりたいこと)には常に意識的であれ。そして結果はゆだねろ・・・・・という在り方ですね。

ワークってただワークだけじゃないんです。そこから派生して色々なことを自分に教えてくれたり、結果を届けてくれたり、自分を守ってくれたり、自分を後押ししてくれたり、他人への理解を深めたりしてくれます。それも押しつけがましくではなくて。

そんなワークの多面性を楽しみながら、結果を追い求めることなく「いつの間にか体験」を続けていってください。そして、いつか立ち止まって、ずいぶんと遠くへ来たもんだ、と思ってください。

バカな話で大笑いした
2021/10/07

昨日は、近所に住む母方の叔父夫婦の家に遊びにいってきました。庭にある大木のキンモクセイに花がいっぱいついていました。甘い香りが漂います。

84歳の叔母が栗ご飯を作ってくれて、お昼を3人で食べました。窓から見える庭の木々。木々により影になっている部分と陽が射している部分がまだらに庭に広がり、それにより、部屋の中にも明るさと暗さがあって、こういう生活もいいなあと思いました。

私はマンションに住み、そこから大きな空と広い海をみわたす生活をしています。広々と目の前は開けて、明るい部屋の中にいます。それはそれで、気持ちのよいものですが、小さな一軒家で小さな庭がある暮らしで緑に囲まれた生活にも憧れます。いずれはそういう生活もしてみたいと思います。

話はもっぱら、私の母や父の話や、祖母、祖父の話でした。いつも同じような話をしていますが、それでも、そのひとときは楽しいです。

母方の家は、下町一家でしたので、人と人との距離が身近で、基本、お祭り好きというか、人が寄ってワイワイすることが好きな人達です。その家は、よく、家族以外の人達が出入りしていて、にぎやかでした。で、私も色濃くそこがあります。その部分が普通に出せるので、叔父夫婦と会うことはいつも楽しいのだろうと思います。

ひとしきり、バカな話で大笑いしたあとに、叔父が、私の父ともっと会っておけばよかったと真面目な顔で言いました。「仕事が忙しいから、まあ、また会えるだろうと思っていて、せいぜい1年に1度くらいしか会ってなかったけれど、本当は、もっと会っていろんな話をしたかったし、話も聞いてあげたかった」と言いました。

そして、それは私の父に対してだけではなくて、自分の両親とも、兄弟とも、もっと話をすればよかった、と言っていました。そういうものなんだろうなあと思いました。この部分の後悔って、本当に「後悔」になってしまうのだろうと思います。もう、会いたい人はいないわけですから。

だから、誰か、会いたいと少しでも思ったら、会いにいったほうがいいです。今から。いつか行こうではなくて。どうしても、仕事がある、とか、時間ができたら、とか、いつでも会えるし、とか。会うことよりももっと大事なことがあると思いがちですが、叔父のように、会いたい人が皆いない状態になると、こういうことこそが大事なことだったと思うのだと思います。

一見、無駄そうなものごと、大したことではないこと、小さなこと、意味のないこと、そういうことを大事にしなくてはいけないんだろうなあと思います。そのひとつひとつが自分を豊かにもしてくれるのだと思います。

そんなで、これからはもっと叔父夫婦と会い、話をし、話を聞き、たくさん笑う時間をつくろうと思いました。

その先に何があるのか
2021/10/06

自分がもう外側のもののせいにしないでいられるように自分を鍛錬し、今までとは違う物事の見方(意味づけ)の幅と高さを伸ばし、新な視点を得て、体と心のセンサーを磨き、表現すること、受容することなどなど、色々とやっていく、その先に何があるのかということについてです。

ひとつは、そうやって自分の精神性や霊性が上がっていくことで、幸せになります。前にも書きましたが、幸せになりたいのであれば、今までの領域にいては無理です(ただ、自分にとっての幸せがその領域とマッチしているのであればそのままでいいと思います)

今までの領域は誰でもがしばらく存在するところです。そして、世界中のほとんどの人は、そこしかないと決めているので、そこの特徴に合わせて頑張り続け、そこで一生を終えます。ものすごい金持ちもそこにいますし、権力者もそこにいます。あのピラミッドシステムもそこにあります。

しかし、そこは平和ではありません。その証拠に社会的にも、個人としても、あらゆることが起きているのはその領域だからです。

だからまずは自分がそこから離れること、そこを脱することが大切です。脱した自分は次の領域へいきます。人の(「私」の)幸せはそこから上にあります。

そして、もうひとつ大事なことは、そうなった自分が、そのスキルを他の命のために使うということです。ここが最も大事なところだと思います。自分で鍛錬して自分を引き上げ、幸せに生きることは、魂的には「私、やりました」ということなんですが、他の命のためにそれを使うことは、それ以上の「私、やりました」になります。

そして、そこに人としての喜びがあります。人は、他のために在るときに、最も力を発揮します。しかし、他の命のために…と言ってもそれは以前の犠牲的な在り方や、抗議運動に参加することや、片方の考え方だけに味方するというものではありません。自分が今置かれているところで、鍛錬してきた自分として行動していくということです。

職場の人々に対して、家族ひとりひとりに対して、買い物先のスーパーの人に対して、そもそも買い物をするという行為に対して。あらゆるところで、もう、以前の領域にいた自分としてではない、自分として在るということです。

そういう小さな行動が、誰かのためになっています。あの人を助けてあげよう、とか、癒してあげよう、とか、救ってあげようではないんです。自分がどんな存在なのかというところです。

そして、自分が鍛錬してきて身につけてきたスキルが「理解」と「許し」でできていることもわかってくると思います。まずは自分に向けられた「理解」と「許し」。それが次には自然と他に向けられた「理解」と「許し」へと発展していきます。「理解」と「許し」は愛です。自分が得た愛は他のために使うものであるということです。

自分と自分の家族が幸せならいいね、ではないものが自他を機能させ、自他に喜びを与え、自他が幸せになっていくということです。

輝かしい1歩を踏み出せ!
2021/10/05

「自分の中に起きていることは全て自分の責任」ということについて。

これはその通りです(これが正しいからそうするのではなく、その在り方を欲するかどうかです)

この視点は今までの全てが自分の外にあるもののせい(責任)と言う視点から真反対にあるものですが、この在り方を得ていくことで、人が人として機能していくこととなります。

誰かが自分に嫌な態度をとったり、故意に自分をいじめた時、ショックを受け、とても嫌な気持ちになったり、傷ついたり、腹が立ったり、ということがあります。そのときに「あの人のせいで、自分はこんな気持ちにさせられた、それはあの人が悪いからだ。この責任をとらせよう、おまえが間違っているとわからせよう」という(以前の)視点はまさに自分の黒パターンにひっかかっていることはもうわかると思います。それを相手のせいにしないで引き受けることが自分の中に起きていることへの責任(新しい視点)になります。

そこで、ワークをしてそのパターンを落ち着かせていく、そして新な白をつくり、それを実践するということですが、それは自分の中だけで済ますということではないという話です。

自分に責任をとることの向うところは、それにまつわる事象に対してバランスのとれた状態(本来の状態)までもっていくというところです。

黒パターンにひっかかるということは黒パターンのほうが大きいということです。だからまず黒パターンのケアと、小さな白パターンを大きくすることになりますが、これは両方のバランスをとる(分量を同じにする)というところへ向かう行為となります。

で、そこへ向かうためには、ただただ自分の中だけでワークをやっていてもだめなのです。バランスをとるために、自分が何をすべきなのか(だいたい、もう、皆さん自分でわかっていますが)を考えて、それを実際に行うことが必要になります。そうやって自分自身へのアンバランスに対する責任をとるわけです。

そして、自分が何をすべきか、は、ほぼ外側へ働きかけるものとなるはずです。それも苦手でやってこなかったことだったり、怖くて手放せなかったことだったり、怒りにまかせて同じ行動をとってきたことだったり、わかっちゃいるけどやめられない、やらない、スルーする、やるべきを知りつつも黒を選び続けていたり、とあります。

それをやらなくてはいけないんです。外に向かって。それが自分で引き受ける(責任をとる)ということです。自分でワークだけして、物事にも他人にもひっかからなくなればいいというのも、黒パターンの保身なんです。そうしていれば傷つかないですから。

そして、それが、誰かに言うべきことを言ったとき、思いもよらないような返答があるかもしれないし、攻撃されるかもしれないし、気まずくなるかもしれません。でも、自分が自分の責任のために白パターンで言動することで、それは、自分にとっての輝かしい1歩になります。

そして、その結果は予想外によいものであるはずです。多分、今まで知らなった、体験したことのなかったことが現れてくるはずです。

一壁壊した
2021/10/04

茅ケ崎グループセミナー無事終了!

まだ台風の影響がなかった1日目「たぶん明日は台風本番になると思うけれど、どうする?明日はお休みして他の日にしましょうか?もしくは今回は1日だけにしましょうか?」と皆で相談しました。

他の日にするか…とスケジュール合わせをしたのですが、日にちが決まらない。「今回は1日にして、11月のセミナーを3日にするとか?」とご提案もいただきましたが、申し訳ない、3日はたぶん私の体力がもたない・・・・・ということで「よし、明日やろう、明日、決行〜!」ということになりました。その「決行」を裏付けるように「たぶん、大したことないんじゃないの?言われているほどでもないってこともあるし」と言う私(得意の根拠なしの無責任発言)

そして、迎えた2日目。朝から激しい雨風でした。あーーーーーーっとベランダのガラスにたたきつけるように降っている雨をみながら、これはまずい、と思いました。電車やバスに乗ってくる方達がいる、もしかしたら帰りの電車がとまるかもしれない。「決行〜!」なんて言っちゃって、皆に迷惑かけた、と後悔しました。

そこへ、電車、バス組の方達から「バス動いています。行きます!」「もう、実は茅ヶ崎についてます」とメールをいただきました。あとの方達は大丈夫だろうから、帰りの電車の不安はありつつも、開催できそうと思いました。天気予報ではこれから増々激しさを増すということだったので、私も完全装備で出かけました。

そうして、皆が無事に集まることができました。まずこれだけでも本当によかったでした(まあ…学べってことですね。そして、私はしっかり伝えろということですね)

で、今回も色々とやりましたが、何よりもよかった、喜ばしきことは、一壁壊したということでした。

長年一緒に学んでいても、自分を開示していくこと、相手をより理解するためにわかるまで聞いていくことは、誰にとってもハードルの高いことです。

そこには自分の恥部を見せたくない、知られたくない、自分がだめだと思われたくない、または、相手に関わることで嫌われたくない、踏み込んでいくことで相手にどのように思われるか?などなどがあります。

それは黒パターンで、でも、その黒パターンはその本当のところを隠し「心の中に土足で入るのは失礼」とか「傷つけてしまうのはよくない」とか「開示しなくても自分がわかっていればいいわけだから」と言って、開示すること、聞くことをしない、という行動を選んでしまいます。どんなに相手を思うような文言であっても「保身」でしかありません。

それぞれのそれに気づき、そこを打破していくことを言い続け、実践してみたり、練習してみたりしながら来ましたが、今回は、本当にそこが壊れた(100%ではないにしても)と感じることができました。皆さんにとっても新な他人とのコミュニケーションの実践だったかもしれません。

今までの「自他が傷つかないような在り方」という黒パターンの選択から(繰り返しますが、保身です)自分と相手を大事に思うからこその開示と聞くことという白パターンの選択、そして実践って、こんな感じなのか、と、なんとなく感じられた今回だったのではないかと思っています。

台風の中、皆さま、おつかれさまでした。

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

- Topics Board -