ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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感情労働
2021/06/22

「アイドル、感情労働」という言葉がTVから流れてきて、私は初めて「感情労働」という言葉を知りました。

「感情労働という言葉が日本で使われるようになったのは、アメリカの社会学者であるA・R・ホックシールドの著書がきっかけだと言われています。肉体労働や頭脳労働といった労働の分類に対して、それらとは別形態として提唱されました。仕事をするうえで常に自分の感情をコントロールすることが求められ、我慢や忍耐をしたり、明るく振舞ったりしなければならない働き方が感情労働です。一般に感情労働が多い職種は三次産業、つまりサービス業に分類されます。中でも特に多いと考えられている職業は、客室乗務員、看護師や介護士、テレフォンオペレーター、教師や講師、カウンセラー、接客業です。」(BIZHINTより)とありました。

しかし、ここであえてアイドル(10代、20代位の)を番組として取り上げたのは、彼女(彼らもいるか)たちの感情労働には歯止めがきかなくなってきているからです。

それはファンサービスとしてあたりまえなこととなります。より明るく、元気に、いつも笑顔で、でもわざとらしくなく、できればファンの方の名前を覚えたり、握手会では心を込めて握手をする、と、より他のアイドルと競争させられ、より多くを求められていっているからでした。

特にまだ若い分、そこで強要される感情労働により自分が疲弊していることに気づかず、それがアイドルとしてはあたりまえになっていってしまう事、パフォーマンス以外でも、SNSでのファンへの発信も個人的なものよりも、この感情労働が使われているということでした。

どの仕事にも多かれ少なかれ、この感情労働というものは入っています。特に日本人にはどこかあたりまえのようになりうるものでもあります。

相手が望んでいるように自分が振舞うことで、相手を良い気分にさせてあげることは、人としても余裕がある人、配慮できる人、仕事ができる人、優しい人のように思われがちですが、はたしてどうなのでしょう。

まだ人生経験も少ない、若い人たちにはなかなかそこへの気づきは難しいだろうとも思いました。そうなると彼女たち(彼らたち)をリードしていく人達が変わっていくことが求められます。

より…売れるために…と感情労働を知らず知らずのうちに使っていくことの弊害は思っている以上に大きいように思います。

表現すること
2021/06/21

昨日は、茅ヶ崎クラスのメンバーと共に、同じクラスのM子さんのバレエ発表会に行きました。

M子さん、バレエをはじめて4年位?ですが、みごとにやりきりました。きっとご本人は緊張のど真ん中にいたのだろうと思いますが、一生懸命にレッスンを重ねてきた成果がそこにはありました。

仕事をしながら、あれだけの振りを覚え、それをひとつの作品にしていったことの努力は、大変だったろうと思います。

踊っているM子さんの姿を見ていて、初めてM子さんと会った日のことを思い出しました。もう、10年以上前です。それからいろんなことがありながらも、どんどん成長していく姿をそばで見せてもらい、今までのM子さんの時間の重みを感じました。どの時間も、M子さんはそのときそのときの選択をしながら、紡ぐようにして人生を創っていっている。その時間の重みは貴重なものです。

私は、どうも、お会いしている方に対して、このような見方をしているようです(よく考えてみると、関わっていない方にもその視線がいつもあるように感じます)そして、その方と関わってきた「時間」というものが私にとっても大事なもので、何かのときには、何かをきっかけにして、思い出されることとしてその方と初めて会った日のことがあります(これがちゃんと覚えている)そして、今日までの時間。これが自分の感動を呼び起こすものでもあり、今回も、舞台の美しさと同時にその気持ちを味わうことをさせていただきました。

人が表現する姿はきれいです。それが純粋であればあるほど、それは輝くのだと、あらためて思いました。自分は芸術にはかかわっていないので、表現するものがない、のではありません。日々の生活の中で自分の中に起こる感情や感覚を素直に表現することも立派な表現です。そんな自由な表現を、自分のスタイルとペースでやっていかれると、そこには感動(神が動くこと…と以前教えてもらいました)が自然と生まれるのだと思います。

この違い
2021/06/20

「とにかく白パターンをいつも選んで生きることだねえ、ここをちゃんとやっていくってことだねえ」とお会いした方と話しをしました。

これは、変わりなくずっと(23年間)言い続けていることです。

白パターンを選んで生きるというのは、この宇宙の在り方にそった生き方です。そして、大元のコピー(子供)である私たち自身にとってもそれは「快」の気持ち、感覚を持つことができるものです(それが喜び)そうであれば「生きやすいんだよ」と言ってくれている天のおなかの中で生きている私たちの思いは天に自然に響き「私」にとっての善きめぐりを与えられます。

…天が養ってくださる…は私にとっては核たるものです。だから、自分をひたすら守り、怖い目に合わない物事で自分のまわりをかためようとすること(これは際限がないため非現実的)にエネルギーを使うよりは、自分の心を整えたい。

これは確かなものです。これは私だけではなくお会いしている方々を見ていても感じます。たぶん、今与えていただいているものは、この大変なときでも、皆さん、今までと変わりなく自分の心を保って生活しているということだろうと思います。

で、この白パターンを選ぶときには、白黒ワークというものが(もれなく)ついてきます。「このワークをスキップして思考で白パターンを選ばないでね」と何度も何度もくどくどくどくどしつこく言う私。ワークに少し慣れてくると「白パターンは、ええーーーと、これでいい」と思考で導きだし、それを白パターンとして使うことをしてしまいがちですが、それはしないでくださいと言っています。

どうして?思考で導きだしたものは、あくまでも思考の領域のものです。その領域のものは天に響きにくい。もう少し天に近いところの領域にあるもの(もっとストレートに響くものでごまかしのきかないもの)を使いたい。

白黒ワークを丁寧にやってみると実際に黒パターンの部屋に入ったときの感覚、白パターンの部屋に入った時の感覚を思考ではない「私」が感知することで、その心を選ぶことになります。その感知し、選んだもの、それは天に響きやすい。

・・・・・思考で生み出した言葉と「私」が感知し選んだ感覚・・・・・この違いです。

だから、思考で白パターンを選ばないでちゃんとワークをして「私」が選んでください、ということになります。「私」が感知し、選ぶのに、あの両方の部屋に直接入るというワークが使えます。だからスキップしないで、ちゃんとワークをしてね、と。

白黒ワークってこんなに深いものなんです。これは語りかけや中立ワークも同じです。どんどん各ワークの深さを体験していっていただけたら…と思います。

やっぱり服が好き
2021/06/19

毎週欠かさず見ているTV番組「ソーイング・ビー」今はこの番組が一番好きです。

ソーイング・ビー はイギリスの番組で、イギリス全土から集まったアマチュアの裁縫好きの人達10人が、その腕を競い、優勝者を決めていくというものです。審査員は2人。その2人のプロの厳しいコメントにめげずに皆頑張る。そんな参加者の味方が個性的な司会者の彼。この人のいでたちも毎回おもしろいです。

今は第3回目ですが、どの回にも、素敵な人達が参加していて、見ていてわくわくします。男性参加者も多く、こんなにも裁縫が上手な男性がいるのかと驚きです。それぞれが作る作品もですが、参加者の皆さんが自分の好きなものを着ている(日本人のように流行のものを着るということではなく、なんかみんなが同じではなく)のがすごくすごくすごくいいです。その人らしい。

第1回目に参加し、優勝したアンおばあちゃんは80歳の方でしたが、ものすごくおしゃれでした。多分、ご自分で編んだと思われる微妙な色使いのセーターがとても印象的でした。

今の私は、機能性重視で服や小物を買っているので、このソーイング・ビーで見る皆さんのおしゃれがまぶしく、楽し気げに見えます。

私はもともと服が大好きでした。多分、10代、20代、30代は今よりもずっとおしゃれだったと思います。この番組を見ていると、そのころの私を思い出していくことができて、そうそう、こんな感じだった、そうそう、こういうものが好きだった…と思いを馳せることができます。こうしてみると、やっぱり私は服が好きなんだと思う。

自分の生活スタイルからして、やはり機能性重視でいくことになるわけですが、そこにちょっと、色付けすることで毎日はまた楽しくなるだろうと思います。

まず「私」が決める
2021/06/18

自分が読んで、見て「快」を感じるものを読もう、見よう。自分が聞いて「快」を感じるものを聞こう。自分が着て「快」を感じるものを着よう。自分が食べて「快」を感じるものを「快」を感じる食べ方をしよう。自分が考えて「快」を感じることを行動に移そう・・・・というように、自分(「私」)が「快」ととらえるものごとで毎日を創っていくということ。

「私」が「快」と思うものを自分のまわりにおいていく。たったこれだけ。すごくシンプルです。

「快」の中には色々あって、ほっとする、安心感がある、勇気がわく、広がる感じ、透き通るような感じ、強さを感じる、わくわくする、楽しい、嬉しい、感動がある、すっきり、などなど、ポジティブな感情や感覚があります。

今、接しているものごとからそういうものを受け取れていたら、進めばいいし、継続すればいいし、決めればいい。選べばいい。それは今の自分に合っているというサイン。

しかし、逆に、そこに不快感、怖さ、焦り、不安、急き立てられるような感じ、圧迫感、変にどきどきする、硬さ、重さ、違和感、もやもや感など、ネガティブな感情や感覚があるのであれば、それはやめておく、離れる、決めない。選ばない。今の自分にはそれは合ってはいないというサイン。

このあまりに単純なセンサーを、単純さゆえに信じられないと思うと思いますが、これこそが自分の心の声を聞くということです。

「私」は理屈を超えた存在で、とにかく、成長していい人生を送ろう、という視点で、時には自らセッティングをし、時にはこういう具合に、これは自分に合っている/合っていないというサインを送ります。

何かを決めるときには、まず、この「私」を最優先させるといいです。自分の好きなことをやって生きている人たちって、そもそもの出発にきっとこれを使っていたのだと思います。おもしろそうだからやってみよう、なんか、そのことを考えたら楽しい、そこのあたりではじめていたのではないだろうかと思います。

一般的に考えがちな、これは儲かる、これはリスクが少なそう、これなら安定できる、これなら他人に喜ばれる、というところからの出発では決してないだろうと推測します。まず「私」が決める。

今日も「私」が「快」を選んですごしてみてください。意識的にそうやってみた今日1日は、きっと夜寝るときに何かが違うというのを感じられると思います。

己を知る
2021/06/17

沖縄は今回、緊急事態宣言中のため、いつもの公民館が閉館していました。そこで、クラスのTさんがご自宅を開放してくださり、無事に2日間のセミナーを終えることができました。Tさん、色々とありがとうございました。

今回の沖縄クラスは…なんというのか、どっしりとした感じがありました。ひとりひとりがなんかどっしりとしていた(決していつもが浮足立っているということではありませんよ)ひとつのことを皆でよくよく考えましたね。質問がたくさん出て、より、話が深くなっていったと思います。グループのよさはこういうところです。本当にダイナミックです。

さて、己を知る、とは、よく言われる言葉です。しかし、私たちは自分のことを知っていると言いつつも、実は知っていないということがほとんどだと思います。よく言いますね、他人のことはわかるけれど自分のことはわからないと。

これってなんでだろうと思うのですが、たぶん、自分に対してはどこか甘いのかもしれません。といっても、それは自分を常に監視して、厳しく自分を見るということではなくて、パターンがそのままの己を知るということを嫌がって、都合よく自分のことを認識したがっているからだろうと思います。いいとか悪いとかではなくて。そんなパターンで皆が生きてきていて、なかなか己を知るというところへ入っていくことができないのだと思います。

今回のクラスではここへのアプローチを試みました。もしかしたら抵抗感があったり、不快感を感じた方もいたかもしれませんが、話を進めるうちに皆さんがどこか、すっきりとした顔をしていったことが見えて、それぞれに己を知るということを受け入れ始めていかれたのかもしれないと感じました。

それは現実の自分から目をそらさない、現実の自分をゆがんで見ない、ということです。私はこれがとっても大事なことだと思っています。こういうある意味、ハードなところをやっていくことのほうが「愛を語る」ということより、大事だと思います。

己を知ることで他人を知ります。そして、そこでも現実の他人から目をそらさず、その人をゆがんで見ない、という自分への視線と同じものを使うことに自然となります。そこに生まれる理解や共感はきっと「愛」が土台になっているものであると思います。

「愛」は語るものではない、使うもの。

意味づけ
2021/06/11

意味づけ(全ての事象には本来意味はないと言うところに立ち、それぞれが自分の体験を通してそれへの意味づけをすること)を更新していくこととは、大きな目を持つ、新な考えを出す、今までのところではないところで見つける、ということです。

そして、意味づけの更新により、人は心の豊さを増していくのだと思います。自分にも、他人にも、あらゆる事象にも、今までとは違う新な意味づけを与えることで、自分の可能性や、方向性なども変わってくると思います。

意味づけを更新していかない場合は、ずっと同じところに停滞していくことになります。それは、本当はもっと広い世界があるのに、それに気づくことなくいることになる。そして、停滞するということで、今のところが正しく(それしか見えてないから)今のところしかないと考えてしまうので、自分にとって(他人にとっても)もったいない気がします。

例えば、強さとは?強さに対する意味づけとして、誰もが思いつくのは、打たれ強い、負けない、頑張れる、弱音を吐かない、傷つかない、ブレない、などなどがあります。しかし、それが全てで正しい強さであると、強い自分になるためにはその意味づけした自分になろうとします。それも成長の途中でありではありますが、ずっとそこに居続けなくてもいいということです。

新たな意味づけの強さは、自分の弱さを認められること、ちゃんと現実を見ることができること、ゆがめないこと、他人に助けを求めること、途中であきらめること、なども意味づけられると思います。そしてさらに新な意味づけを出してみると、あるがまま、抵抗しない、流れのままに、自分への執着が消えていく、などもあるかもしれません。というように。自分の意味づけをどんどん増やしていくとそれは螺旋状に上がっていっているような気がします。

そして、どの段階の意味づけもOKで今のこのときの自分にとってよい意味づけを選べばいいということになります。ゲーム感覚で、やってみてください。

今日はこれから沖縄へ行ってきます。今回も、ゆっくりと、じっくりと、時間をかけながら、皆で学んでいきたいと思います。では、皆さまもどうぞお元気でお過ごしください。

最も大事なことは・・・・・
2021/06/10

先日、読んだ記事です。

【うつ告白の大坂なおみだけじゃない 為末大が明かすトップ選手の「消えてしまいたい願望」】


「テニス女子シングルスで世界ランキング2位の大坂なおみ選手(日清食品)が、全仏オープン選手権を棄権し、6月1日に自身のSNSで、2018年の全米オープン後からうつ症状に悩まされていたことを公表した。アスリートは屈強なメンタルの持ち主だと思われがちだが、大坂選手は自身を「内向的」と表す。アスリートも人間。常にプレッシャーがかかる環境では、健全な精神状態を保ちにくい。陸上男子400メートル障害の世界選手権銅メダリストでオリンピックに3度出場した為末大さん(43)に、トップアスリートだからこそ抱える心の悩みを自身の経験を交えて語ってもらった・・・・・・」AERA dot.(この後、為末大さんのコメントが続きますが)

大阪なおみさんのこの公表は多くの人に影響を与えただろうと思いました。この文章にあるように、アスリートは屈強なメンタルの持ち主だと思われがちです。

アスリートだけではなく、昨日書いた、舞台に立つ人たちも。多くの人達の前で演じる人なんだから、屈強なメンタルを持っている人たちなのだろうと思われると思います。

大阪なおみさんは特にテニスプレーヤーなので、気持ちはいつも前向き、積極的、行動的というイメージがあります。しかし、大阪なおみさんはご自身のことを「内向的」と言っています。本来、内向的である自分と周りが自分に望むこと、やらねばならないこと、自分へのイメージに苦しまれたのだろうと思います(ただただ、テニスをすることが好きでは通用しないようになってしまう)

人が人を見るとき、その人が何をしている人なのかということで、その人へのイメージを持ちます。しかし、そのイメージはその人の本質とは違うものであることが多いです。何の仕事をしていようが、その人が持つ本来の個性というものが芯にあって、その芯を持った人が今、この仕事をしているというだけのことだと思います。その芯の部分が一人一人違うから、同じ職種であっても違いがそこに生まれます。

今回の大阪なおみさんの決断はまさに自分に戻り、自分を大事にする決断だったと思います。この選択はこれからアスリート界を変えていくものになるのでは?

最も大事なことは自分を生きるということ。周りのイメージのために生きなくていいということ。自分の個性を知るということ。そしてそのままでいいということ。

後半からの濃さについていくために・・・
2021/06/09

何か本が読みたい…それも、とにかく笑えるものが…と思って本屋さんを見ていたら『こう見えて元タカラジェンヌです』という本がありました。

表紙には「ぷっ」と笑ってしまう、おじさん風男役の方のお顔が。著者は「天真(てんま)みちる」さん(元宝塚歌劇団花組所属)という方です。2004年に宝塚音楽学校に入学し、2006年に初舞台を踏み、2018年に退団されるまでの12年間の舞台人として、また個人としての軌跡が書かれています。

本屋さんでちらっと読んで、これならずっと笑って読めるだろうと思い買いました。そして、きのう読み終わりました。

感想は、笑えました・・・・確かに。でも、それよりも、後半からどんどん出てくる濃さについていくために、真剣に読んでいたという感じでした。

後半からのこの変化はきっと天真さんが下級生から中堅どころとなり、自分に求められるその役というものと真摯に向き合うようになり、そこでみつけたものが、下級生の頃にはなかったものだからだと思います。

そこには苦悩があり、戸惑いがあり、自信喪失や、大きなミスをしてしまったことで舞台に立つことが怖くなってしまった、という出来事もありました。そういうことを経ながら、舞台人として気づくこと、理解することが確実に深まっていて、それは自分自身への気づきと理解もおこしていきます。これが後半の濃さだったのだろうと思います。これは、舞台を通して、演技を通して、役を通して、自分を見ることを同時にしていたのだろう、と思いました。

舞台稽古、公演、お客様の反応、そのときの気持ちが素直に書かれていて、もう、笑っている場合じゃなかった。一緒にどきどきし、これはどういうこと?と一緒に考え、ときには泣きたいような気持にもなりました。

天真さんも宝塚入団のときには他の人たちと同じように理想の男役を目指していましたが、自分の個性や容姿(丸顔で可愛らしい)などから「おじさん」役に徹していきます。いかにしておじさんになるか、いかにしてそれを作るか。ストイックにそれを追い求め続け、舞台で表現し、その結果を受け取り、また追い求めていく。そして、自分のやりたかったことをやりきって、退団を決意します。

12年間、無我夢中で走りながらも、自分を見続けていた方だったんだろうなあとひとつの公演を見終わったときの感動にも似た気持ちで本を閉じました。やはり人に歴史ありです。

めいっぱい笑って読み終わる予定だったのに。思いもかけない展開となりましたが、読んでよかったです。この本は私の数少ない本棚にキープです。

ひとりひとりに人生がある
2021/06/07

「ボヘミアン・ラプソディ ライブ・エイド完全版」を昨日、TVで見ました。

2018年の映画だったんですねえ…すごく前のような気もするし、ついこの間のような気もします。ライブ・エイド映像が充実。しかし、俳優さんが本当にご本人に似ている(フレディはちょっと違う感じがしますが)だからでしょう、実際のライブを見ているような気持ちになります。久しぶりに楽しみました。

で、やっぱり今回も思ったこと。あのライブ会場に実際集まった人達ひとりひとりに人生があるということ。Queenのように多くの人に影響を与えた人達もいるし、特にそういうこともなく、日々仕事をし、子供を育て、介護をしてという人生を歩んでいる人達のほうが圧倒的に多いわけです。そんなひとりひとりの人生そのものが尊いと思える。

それは誰かと比べてというものではなく、その人にしかできないことの積み重ねで作られた人生だからです。その人はそうやって生きている。山あり谷ありの人生を。ときには崩れそうになったり、ときにはもう全てを捨てたくなったり、嫌でも我慢しなくてはいけないときもあり、理不尽なこともたくさんある、そこを生きているということで十分だろうと思えるのです。そういう人たちが自分の前にも横にも、後にもいます。

そして、皆、同じ大元からやってきた仲間です。個でありながら「ひとつ」・・・・・そんなことを思った昨日の映画でした。

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