ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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鳥のさえずり
2024/09/12

このマンションに越してきて、最もよかったと思うのは、朝、鳥のさえずりが聞こえること。

さえずり、という言葉がぴったりなその声はスズメがチュンチュンと鳴くのとも違い、鳩がほおーほおーと鳴くのとも、うぐいすがホーホケキョと鳴くのとも、カラスがカーカーと鳴くのとも違います。何という鳥なんだろう?それもわからず。

その声は…まるで美しい森の中を自分が歩いているような気分にさせてくれる鳴声なんです。のびやかに響きわたる。澄みわたる。それが聞こえてくる。ここのところ毎朝。何て、気持ちがいい声なんだろう、一瞬にして私の心を浄化してしまう鳥のさえずり。

で、思い出しました。意識のレベルにおいて、尻尾を振る犬、猫のゴロゴロ、鳥のさえずりは500とありました。500は「愛」のレベルです。犬が尻尾を振るのも、猫がゴロゴロいっているのも、同じように自分の心を安定させてくれます。それと同じ鳥のさえずり。

それは彼らは、ただ、そうしたいからそうしているだけなのですが、そのそうしたいからそうしているだけ(見返りを求めていない状態)というところに、本質があり、そのエネルギーが人の心を動かすのだと思います。これが「愛」のレベルにある所以です。本質に沿うものであるということ。

さて、今日から2日間、茅ヶ崎クラスです。じっくりと、ゆっくりとやっていきたいと思います。楽しく学んでいただけたらと思います。

茅響
2024/09/11

先日、茅ヶ崎交響楽団82回定期演奏会を聞きにいってきました。

今回は、ブラームスの曲が2曲とモーツアルトの曲が1曲。しかし‥いつも思うのですが、ホルンという楽器、これってもしかしたら楽器の中でも特に難しい楽器なのだろうか、と。今回もそれを思う。

団員の皆さんは仕事をしながら、または定年になられてから、毎週集まって練習して年2回の演奏会を行っています。これは、けっこう大変だと思われます。

そのひとりひとりの想いの集大成のせいか、毎回、なかなか感動的なんです。聞きに来ている方もご家族、友人などが多いと思われます。だからその分、どこかフレンドリーであたたかい。

プロの交響楽団から受ける印象は、ひとりひとりが選ばれたプロの集まりであることが前提としてあり、そういう人達の集まりである「音」「作品」を聞きにいっている気がします。しかし、ここにそれはない。でも、プロの交響楽団にはないものがここにはある。その部分に感動があるような気がします。

変な言い方ですが、ひとりひとりの生活が感じられるようなものです。もしかしたら、帰りにお惣菜買って帰るのかなあと連想するような。この後、ご家族と美味しいものを食べて帰るのかなあ。明日の仕事のことを考えながら帰るのかなあ、とか。そういうものが私のここでの感動の中にはあるんだなあと思いました。

そして、毎回、いいなあと思うんです。こうして、プロではなくても好きな音楽に関わり、皆でひとつのものを作り上げていくっていいなあと。来世は私もやりたい。

今回は1階の前から3番目という席で聞いたのですが(いつもは音の集まる2階席中央でした)楽器の振動が伝わってきたり、指揮者の息づかいが感じられたり、演奏者へ視線を向ける所が細かく見られたり、演奏者の真剣な顔を見ることができたり、ということがありました。

席も色々と座ってみるものだと思いました。間近で見るか、音の集まるところで全体を見るか、曲に合わせて、休憩時に席移動もいいなあと今回思いました。席はいつもたくさん空いているのでそんなわがままもできます。これからも応援していきます。

正しく素直に
2024/09/09

天に「生きること」を教えてもらっている私たち。

それは「生き方」を教えてもらっているとも言えます。生きるって、呼吸して、ご飯食べて、寝て、仕事することじゃない。そこはやっていても、それは生き方ではないです。生き方=現実の人生の歩き方。

何か天の思いから外れることを選択し、実行すればその最中や結果(罰ではないです)を通してそれじゃなかったとわかります。こうして教えてもらっているのだと思います。

で、素直であるということ。それは、その結果に対して、素直になろうということです。ああ、そうだったのか、じゃあ、これからはこうしよう、ということです(そこで色々と思考してしまうとまたこんがらがってしまいます。そう、パターンはやりたがるのですが)だったらそれをやってみようと。

そして、いい感じじゃない?と自分でも感じるかもしれません。いい感じだったら天がGoと言っているのでその確認もできます(天はこうして誰の事も見守っていてくれるんだよ。誰も取り残していない。誰のことも見捨てていない)

ここにおいても素直にです。自分の感じ方はあってないかもしれない、とか、ただの気のせいなのでは?とか、疑わずにそうか、と思ってください。そうしていくからそこの力がつきます。

素直さは才能だと思う。ただ、一般的には、素直であれ、というのは、他人の言ったことを何も考えずに受け入れる、その人の言ったことに盲信的に従うことが素直だと思われることがありますが、それは素直というのとは違います。

ここでの素直は自分と天との関係に対してというものです。そこへの素直さです。「だったら、人である洋子さんの言うことも素直に聞かなくてもいいってことですね」…と言われてしまうとーーーー。自分と天との世界で生きることへのナビなので、今は、ひとつ、素直にお願いいたします。「今はこのルートを勧めます。安全で確実に進めるのでこれで行きましょう」というものです。

そうしていきながら「守・破・離」を体験していくのだと思います。「守」で土台を作り、いつか「破」が自然とやってきます。ここで自分のやり方、自分の哲学というものが、私が勧めてきたやり方とは違うものへと変化していきます。そして「離」へと…。

そこがこの学びにおいて、ゴールと言えばゴールなんだろう。それも天が決めたことだとわかります。こうして、その人独自のものが新な道としてできあがるんです。だから正しく素直に。

謙虚
2024/09/08

人は誰でも、自分の思い通りに全てのことをしたいという思いが強く、それができないことで、ストレスを感じ、挫折感を感じ、不安や恐怖を感じ、苛立ち、もやもやし、落ち込む…ということをやっています。

思い通りにしたいんです。す・べ・て。まず自分を。黒パターンの思い描く理想的な自分にしたい。健康で、明るくて、頭がよくて、知的で、強くて、ぶれがなく、経済力があり、温厚で、寛容で、心はフラット、外見も美しい。そうではない自分に腹が立つ。

そして他人のことも、自分に対して、理解があり、優しくて、大事にしてくれて、褒めてくれて、自分が信頼できる人であってほしい。自分の望む言動をする人であってほしい。そうではない他人に腹が立つ。

周りで起きるあらゆることも。物も。とにかく自分の心身に傷をつけたり、波風立てたり、負担になるものごと(思い通りではないものごと)は一掃したいのです。

しかし、そうはいかないのが現実です。そのことを腑におとしてわかるまで人は闘い、苦しみ、問題を抱えて生きていかなくてはいけないのだろうと思います。

で、私は、これって謙虚じゃないからだと思います。自分は変えられる、自分にはできる、いや、もう、できている、今までを生きてきた自負がある、と思っているからなんじゃないかと。それは思い通りにいかないことを諦めようということではなく、そもそもが謙虚じゃないんじゃないの、と思います。

生きることに謙虚であること。自分にも他人にも謙虚であること。あらゆる物事に謙虚であること。ここでの謙虚は、そもそもがそういうものであることを心で知ることです。その感覚を体感しているときはその領域にいます。そうであればひっかかることも自然に減っていきます。

天に生きることを教えてもらっている私たちは生徒です。その生徒としての在り方を学ぶということです。学ぶには謙虚が必要です。しかし、それは「いえ、私なんかまだまだ」ということではなくて。素直であれということだと思います。

8月のワークの結果
2024/09/06

8月は「大人のインナーチャイルド」に会いにいく月にしよう…と決めて(毎日ではなかったけれど)会いにいくことをしました。

その結果です。まず、これは本当にやってよかったということ。子供のときの自分には目がいきやすいですが、大人だから…ということで忘れがちになります。しかし、自分でケアすることをまだ知らなった自分は、一般的な考え方で解決しようとしていたり、常識、とか、正しいと言われていることを信じていてそれでより複雑にからまってしまっていたことが判明しました。子供より知恵がある分、大変だったと思う。

そして、現在と過去は今も続いているということが明らかになったのは、現在の私(「私」)の影響を少しながらも受けているのでは?と思ったからです。

傷つき、悲しみ、いろんなことを恐れて、未来への希望もなくそこにいたそれぞれの大人ではありましたが、どこか、変更可能であることをほんの少し感じていました。だから、そこをプッシュした。

本当に大変であった33歳の自分は、もちろん生まれて初めてのアクシデントにかなりダメージを受けながらも、どこかでこれで全てが決まったわけではないことを知っているようで、どうしていきたいのかもわかっていました。その思いを一緒に叶えていこう、とこれもまたプッシュ。

当時の自分を思い出したときには、自分の人生はこれで終わったと思っていたので、今はその時の自分とは違う気がしました。これは現在の「私」の影響だろうと思います。

こうしてみると、インナーチィルドワークは、実はとても威力のあるものなんじゃないかとあらためて思います。大人にも子供にももしかしたら、卵の部屋の最下部にいる縁のある過去世の人たちにも次元を超えて影響を与えるのではないか…と思いました。

だいぶ整った私の過去。小さかった自分から大人の自分まで、一つにつながったような感覚があります。皆でこれからを歩んでいこうという気持ちになりました。心強いです。結局、大事なのは「私」の力なんだと思います。「私」とは愛そのものなので、その力は自然と善き影響を与えていくのだと思います。

ということで、意識的に時間をかけて行うこのワーク、大切にしていかれるといいと思います。

自動反応
2024/09/05

黒パターンって、自動的に反応する。と先日書きました。

これ、よくわかると思います。誰かが言った言葉にすぐ反応(ひっかかる)する。その速さたるや。その敏感さたるや。とにかくすぐに。そして引っかかると同時に感情や感覚を生み出し、そのパターンが思考し…という一連の動きがあります。

それがあるから語りかけの文章も作り、語る、という作業ができるわけですが。そういう意味では黒パターンの反応により私たちは成長できていると言えます。ありがとう、黒パターン。

で、黒パターンへの語りかけは黒パターンを落ち着かせていくものなんですが、これは、自動的に起こる反応を、緩和させていく、その分量や回数を減らすということです。自動反応はコントロールできないという説もありますが、自分の体験や周りの方達を見ていて、できないことはないと思っています。

かといって消滅させる、のではありません。ずっと一緒にいようね、というとても平和的な解決法なんです。

で、緩和させる、その分量と回数を減らすには、思考ではできません。例えば、誰かの言った言葉にひっかかったときに「あの人はそういうつもりで言っているんじゃない。何か事情があるんだ」とか「言われたその言葉は本当に本当に本当に自分を傷つけているのか?」とか「気にしすぎるのはやめよう」とか「大丈夫、大丈夫」とか。

その時はいったんそれで収まるけれど、またそれは起こります。

ここで言っている解決法とは、自分の精神性の領域を変えるということなんです。すごーーーく単純に言ってしまうと、今までは自分に向けられたその言葉はパターンが引っかかる言葉ではあったけれど、新な領域においては、その言葉はもうそれではないものになっているということです。

それは言葉が変わったのではなく、自分が変わったからです。結局、自分の変容しかありません。やはり、自分を上げていくということになります。

何か
2024/09/04

何かをしていない(持っていない)自分ではだめだ、と多くの人は思っていると思います。

ここでの何かとは、誰が見ても、納得する仕事(職業)。誰もが羨む、誰もが一目置く地位とか肩書とか立場とか外見とか。又は、高級な暮らしとよくできた家族。又は、特別なことを知っている、持っている、価値あることをやっている、向上しつづけている、いくつになっても輝き続けている…などなど。何か。それが自分の支えになるのだと思います。

それがない、普通の自分ではだめだという黒パターンです。だから、その中のどれか、自分が手にできそうなもので勝負しようとするのだと思います。これは気づかない間はずっと続きます。

そういうことが好きで、そこに生き甲斐を感じ、その生き方に自分が満足する人はそれでいいんです。そういう人は主体的に生きているので、きっと幸せを感じられると思います。そう、主体的であればいいんです。

しかし、多くの人の場合は、主体的ではなく、周りに自分を認めされるため、とか、自分の存在意義を感じたいため、とか、皆がそうやっているから、とか、皆そこに向かっているのだから、という主体的なエネルギーを感じないままそこに突入しています。

主体的ではないのに、そこまで力を注げるのは、それによって他人が自分を知り、自分を認め、そうであれば、自分は何かをしている人、何かを持っている人になったと思えるからでしょう。そういう領域もある。でも、領域はそこだけではない。私たちが知らない、見えない領域がいくつもあるのです。

何かをしていなくても、何かをもっていなくても自分の内から湧き出てくる「幸せ」を感じて生きている人もたくさんいます。他人から見ても目立たず、他人に取り上げられることもなく、でも、ひとりで、何もないのに自然と湧き上がる幸せを感じながら生きている。ただ、普通に生活をしている。

何か、は、いつかなくなります。何かが永遠に続くことはないんです。でも、このふと幸せを感じることはなくなりません。目に見えない、なくならないものが真実。

見たいように見、聞きたいように聞く
2024/09/03

自分が見たいように全てを見ているし、自分が聞きたいように全てを聞いているんです。

そして、それを決めつける。それにより、相手が悪い、相手によって傷ついた、腹がたった、悲しい気持ちになった、と思っていて、思うことでより決めつけは強くなる、ということを反応的に繰り返しています。

これをやっているのは黒パターンです…が…このことが腑に落ちてわかるまでには時間がかかります。頭では皆わかっている。でも、自動的に反応する黒パターンは見たいようにしか見ないし、聞きたいようにしか聞かない。自動的に反応し続けます。そしてそうだ、と決めつける。そして、それが正しいとも思う。

ここから抜けていくことが楽になるということだと思います。

で、どうしたら、そこから抜けられますか?と思うと思いますが、まず、この質問が黒パターンなんです。それは、何かを得るためには何をしたらいいのか、という今までのやり方を出してきています。それをやれば得られる、それをやれば変われるとパターンは思っているので、どうしたら?という事を言ってきます。

確かに今までいた領域ではそれが通用します。しかし、何度か言っているように、これから進んでいく新な領域では、自分が努力したことに対して何かを与えてくれる(時には与えてくれない。その人のこれからを思って)のはあちらであり、自分がどうにかしたら手にできるところではないんです。

しかし、そこに楽がある。なーーんて言うことをパターンが聞くと動揺すると思います。わけがわからないことへの不安やいらだちもあるかもしれません。こうすればいい、こうしたら大丈夫、というものがとにかく欲しいんです。パターンは。

そういうパターンを抱えて、新な道へ入っていく(これからは白パターンの領域を開拓です)そのためには「私」を先頭に立てるしかありません。パターンを使ってしまっていたら、全員で迷子になります。

具体的に何を自分が今、選ぶべきなのか、やるべきなのか、という自分でいることです。皆、わかっていると思います。白パターンの勧めることは。それが自分にとって善きことであれば、納得できることであれば、自分の哲学に反することのないことであれば、これからのイメージ、感覚があるものであれば、勇気を出してやってみる、ということになります。

清濁併せ持つ
2024/09/02

清濁併せ持つ…黒パターンと白パターンを併せ持つ、とも言える。これが本来の姿です。だからここに到達したい。というか、もう、すでに、もともとそうなんだけれども、それに抵抗したり、自分の思い通りにしようとしたりして、そもそもに到達できず、苦しいんです。

本来の在り方にさからってはいけないということだと思います。

で、併せ持つってどういうことかというと、自分の内にある清(白パターン)も、濁(黒パターン)も全てあるがままに知って、受け入れるということです。受け入れているのは「私」です。「私」の受け入れにはジャッジがありません。そして「私」が理性的な、健全な、良心的な、行動を決めてその行動を起こす指示を出すということです。

こうして清濁のバランスを「私」がとっているということです。バランスがとれてしまえば濁があってもいいわけです。

人生後半からは、ここへの興味を持ち始める人や、ここへ向かう人が増えてくるのだと思います。自然と。自分の内の「私」が教えるのかもしれません。

後半っていつから?人生100年と考えて50歳くらいから?人によっては40代かもしれないし、60代なのかもしれません。今までの生き方、在り方を卒業して、清濁併せ持つ自分をまるごと慈しみ「私」の本領を発揮していく練習のときにしていかれるのではないかと思います。

人は今までの領域のおもちゃに飽きて、心惹かれるところへ移りたくなる、と先生から教えられました。その心惹かれるところは「真・善・美」です。

そしてそこに清濁併せ持つがあると、私は思っています。

皆の思いが…
2024/08/31

昨日は朝から不安定な天候の茅ヶ崎でした。

雷とともに急に大雨が降ってきたと思うと、少し晴れ間が見える時もあり、再び雨になり、…と目まぐるしく変わる1日。

そんな中、サザンビーチでaikoさんのライブが催されました。夕方、外に出たら、駅のほうから多くの人が歩いてきていた。サザンのときとはまたちょっと違った人、人、人。ロックフェスティバルっぽい。何かあるの?

で、調べてみたら、aiko さんでした。ライブは入場無料で茅ヶ崎でのライブは不定期に行っていて、6年ぶりなんだそうです。

しかし、気になるのは台風の影響による雨風。開演後、ベランダから時々、様子(空に向かってライトが交差する、時々曲が少し聞こえる)を見ていて、順調にいっているのだろうと思いました。雨はやんでいたり、小雨程度で、無事に終えられたようでした。15曲を歌い切り、特にこのような天候の中だったのでファンの皆さんの感動は大きかったと思います。

きっとaikoさん、スタッフの皆さん、ファンの人達の「大雨になりませんように」という気持ちが届いていたんじゃないかと思いました。

…で、このみんなの気持ち。これが想像以上に大切だと思います。皆が共通に思うものは大きくなり、強くなる。道場では朝晩にお祈りをお勧めしていますが、その中にぜひ、災難が無事に過ぎていきますように、大難は小難になって過ぎていきますように、という思いを入れていきましょう。これから、何がどうなっていくのかわからない時をむかえ、どうしても不安や恐怖が勝ってしまいます。そうなると、自分のことだけにもなりやすい。

でも、そういうときだからこそ、他人へ、日本への思いを1つにしていきたいです。それぞれの置かれたところで気持ちを発し、同じ気持ちが繋がりあっていきますように。

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