ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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いつか自分はそうなる
2026/01/24

昨日の日記の続き。考えなくていい、頑張らなくていい・・・ここが難しいところなんですが、確かにここは難しいです。

ずっとこのやり方で課題をクリアしたり、目指すものごとを手に入れてきたから。そして、私たちはよく考えなさい、もっと頑張れと言われてきてもいます。それは良いことだとも教えられてきているし、それができる人は優秀な人だと思われます。ずっとそれできています。

だから「わかっていてもそこからは抜けられないよね、だってずっとそうだったんだから」と自分で決めたらそうなります。「もう、ここはいい、次へ行こう。そして今までみたことのない世界を知りたい、感じてみたい、自分はいつかそれを見るだろう」と自分で決めればいいんです。

そこには、楽しみやわくわくする気持ちがあるかも(そこに行かれれば傷つかない、とか、守られる、とか、全てが順調ではないんですよ。ここが大事)そうやって、自分で決めて、自分で今やるべきことをやっていけばいいんです。それはやりたいことだからです。

こうしてやりたいことをやっていくことは、まるで自分で開拓していくような感じです。そこには唯一無二の道が開けるはずです。その道は誰かの道とは違っているし、誰からも評価されるものでもないかもしれません。でも、自分は魂の望むままに生きているということが自分に本当の意味での自信を与えてくれるかもしれません。いつか…自分はそうなる、と決めてください。

ゆったりとゆっくりと
2026/01/23

ここのところ色々と書いておりますが…いつかわかるだろう、いつか体験するだろう、と思っていることが一番です。

いつかわかるだろう、いつか体験するだろう、自分…と、この自分の決めたことが大事なんです。まず、意識ありきです。どうしたらそうなれるのだろう、どうすればいいんだろう、は、方法を考えているだけで、決めていない状態です。

まず、自分が決めるということが物事の変化全ての基本なので、いつかわかるだろう、自分、いつか体験するだろう、自分、でいってください。

いつかって、いつなんだ、いつかなんて嫌だ、今すぐがいい、とパターンは言うかもしれませんが。

いつかわかるだろう、いつか体験するだろう、自分、には、それを知りたい、それを体験したい、それを感じたい、という思いがあるからだと思います。そう、知りたい、があるのでは?だから決めたらいいんです。いつかわかるだろう、いつか体験するだろう、自分、と。

そして、やるべきことをやるのにも、肩の力を抜いて、ゆったりと行ってください。どうしたら、どうすれば、をここでは使わないでいいんです。それはもう使いすぎたほど使ってきた。だから、これからは、ゆったりと、ゆっくりと、自分が望んでいることをやっていきます。

考えなくていい、頑張らなくていい・・・ここが難しいところなんですが。

心を耕す
2026/01/22

自分はわかっている…と多くの人は思っていると思います。自分はわかっている、と思っているから、ざっくりと言ってしまえば、他人が出てくるパターン(比較のパターン)に引っかかるのです。わかっている自分だから、怖いとパターンが思っている他人に対して、対抗できる。その手段のひとつです。

自分はわかっていないということがわかっている人(ほとんどいない。私も昔は引っかかりまくりだった)はそもそも他人が出てくるパターンにひっかからないんです。何故かというと、比較自体があくまでも自分のものであり、他との共通のそれはないという事を知っているから。そして、他人はもう、怖い存在ではないことを知ったから。それは自他を優しく、解放へ導くものだから。宇宙のシステムを少しずつ体験し、より、自分の力で生きているのではないこともわかったから。などなど。まだまだあるけど。

そこまでの魂の持ち主であれば、すでに、多くの人に善き影響を与え、たくさんの人々を救っているとも思います。

物事の道理、その後ろにあるもの、本来のものが見えない、知らない、わかっていないからこそ、私はわかっているとパターンはいうのです。それは謙虚であれということではなく、素直に正直に自分を見つめていくとそこが見えてくるものです。だからやはり心を整えるということになると思います。頭でやろうとしない。心を耕す。どんな動機で行っているのか。

心はシンプル
2026/01/21

少ないモノで生活をする。

私はミニマリストではないけれど、少ないモノで生活をしています(トミーのほうがモノの数は圧倒的に多い)何でだろう…と考えてみたら、自分の持っているものを全部把握していることと、全てを使っていることが好きなんだと思いました。

何を何枚持っている、あれはあそこに入っている、など。仕切りたいんだな。管理しておきたい。だから仕切れる数でなければならない。そして、少ないそれをどう使おうかと考えることがけっこう楽しい。多くのモノがあるところでは、選択肢がたくさんあるので、わからなくなってしまうのです。

よくお宅拝見で、クローゼットルームにたくさんの洋服やバッグや靴、今は使っていないモノがずらっと並んでいる部屋を見ると、モノの多さに苦しくなりそうになります。

これは自宅の冷蔵庫の中も同じで、冷蔵庫の中に食材がたくさん入っていると、料理の苦手な私は、圧迫感しかなく、どうしたらいいんだろうと、ストレスになります。早く使わなくちゃという気持ちに飲み込まれてしまうと、食材をこなすような使い方をしてしまうので、食材への申し訳なさもあります。で、冷蔵庫はすかすかです。

心についても、一般的に言われているように、人の心は複雑で、自分という人間が最も理解できない、とは思っていなくて(思いたくないんだろう)まず、心はシンプルであると思っているんです。根拠はないけれど、心は複雑という根拠もないです。そういうことも絶対これという正解はなく、その人がどのようにそれを意味づけしているか、創っているか、だと思う。シンプルなのか複雑なのか自分で決めていいと思っています。自分の心身、自分の人生だから。

その人にとってよき感覚がある方を選べばいいわけです。シンプルか複雑かと二択だけでもなくシンプル80%の複雑20パーセントでいたいとか、シンプル98.5%複雑1.5%とか…もある。絶対なものはなくて、ひとりひとりが実は全て決めていいもの。創っていいものなんです。だから自分と同じ人はひとりもいないのです。

心の在り方をシンプルに決めて、今までやってきたことで、より、少ないモノで生活をすることに慣れた気もしています。

60代からは…
2026/01/19

本屋さんで、ここのところ多く目につくのは、シニア向けの雑誌や本です。以前は、全くと言っていいほどそのようなものはありませんでした。

ここ数年だろうか。まだまだ輝いて生きられる、ということが世のシニアの求めていることなのだろう。この手の本が多いのは需要が多いのでしょう。

そんな雑誌の1冊をぱらぱらめくってみました。60代からは、もう、自由に生きていい、自分らしく生きていい、というようなことが書いてあります。誰にも遠慮することなく、自分がやりたいことをやる、行きたいところへ行く、人間関係も整理していく、一人でいることの清々しさを味わう、などなど。

見ていて「なんか、変」と思った。60代からは…と、言っていますが、50代まで、一般的な価値観や、常識に縛られ、他人に頼りながら生きてきて、それがあたりまえと思い、そのように生きてきた人が60歳になったとたんに、今までとは反対にある、そのような生き方に変えられることはないよなあと思った。

今までの生き方は心身に染みついていて、それを変えるって、あまりに強引だし、どう考えても無理。60代からは…を信じてしまうと、そうできない自分を責めてしまったり、そうして生きている人たちが妙にキラキラ見えてしまったり、自由に生きていいはずの60代を、そうなろうと、自分を強いていくことで不自由にもなっていくかもしれません。

では、そう生きるためには?。60歳になる前から本来の、自分に合う自由を自分に与えてあげられるようになっていく必要があります。そのためには己を知る。そして、自分の個性を知った上で、どうしていくのがその個性をいかすことになるのかを、たくさんの失敗や挫折や後悔から学ぶことだと思います。

それは、早い方がいいと思いますが、20代、30代でそれができる人は稀で、ほぼ、まずは一般的価値観と一般常識や他人に縛られて、黒パターンで生きる体験をしなくてはなりません。ここはすごく必要なことです。

そう考えると、自由に自分を生かすことに目を向けられるのは40代、50代くらいからかも。これはお会いした方々を見ていてもそう感じました。40代から20年かけて、50代から10年かけて60歳になれば、それはきっと可能になると思います。で、60代がそうであればそれは70代、80代とのばしていかれます。いい人生を生きよう!

他のために…
2026/01/18

正しい選択をしたことで受け取っていること。きっとそれは今までも数々あるはずです。ただ、それが小さなことであることが多いので、気付いていないだけだと思います。そして、与えられているものごとは自分が望んでいることではない場合も多いので、より、気づきにくいかもしれません。

正しい選択をするときは、もしかしたら損をしているかもしれない。勇気がいることかもしれない。正しい選択というほど大きなことでもなく、自分としては当然なことなのかもしれません。しかしそういう小さな正しい選択こそが自分にとって、そして、誰かのためにもなっている(と私は信じている)。

そして、この、誰かのためになっていることが、善い選択をしたことで与えられた最大なことなのではないかと思います。

これは祈りと同じで、心を込めた祈りという自分の選択は自分から小さな天使を生み出していることになり、誰かのところへその天使は届く、と以前、お世話になった先生から聞きました。これをイメージするととてもいい。

そして、祈りと同じように、日々自分の善き選択が小さな天使を生み出しているんじゃないかと私は思います。生み出された天使はきっと誰かのために使われるだろうと思うのです。

人の最大の喜びは他のために生きること、と多くの偉人が語っています。きっとそうだろうと思います。自分の祈り、善き選択も他のために分配していく。それが自然に行われている。そこには意図がないので、より、純粋なんじゃないかとも思います。

こうしてみると、私たちは誰かのためになることを毎日行っているといえるんじゃないかと思います。それは、他のために…という生き方だと思えます。

フレイルチェック
2026/01/16

昨日、買い物でショッピングセンターに行ったときのこと。入口を入るとすぐに声をかけられました。

「フレイルチェックが無料で受けられます。やってみませんか?」。フレイルって…あれだよな、あれ。高齢者の…と思い、私はいいと思ったのですが、買い物後、やってみたくなり、お願いしました。

そこで行われていたのは3つのフレイルチェックでした。まずは握力測定。ペットボトルの蓋を開けられなくなっているので大分落ちているだろうと思って測ったら、平均値より上でまずはOK。

続いては滑舌チェック。5秒間「タ」を言い続ける。次に「カ」を言い続ける。こちらも平均値の上なのでOK。

最後は指輪っかテストでした。自分の両手の親指と人差し指で輪をつくり、利き足ではない方のふくらはぎの1番太い部分を囲みます。そのときに、囲めないのか、ちょうど囲めるのか、隙間ができるのか、でふくらはぎの筋肉量を調べるというものでした。

これはーーーテストをする前に囲めないことはわかっていた。ずっと、たくましいふくらはぎの持ち主なんです。で、両足ともに囲めない、という結果に。これは筋肉量が十分にある可能性が高いからよいことなんですが。

すると担当してくれた女性スタッフの方が「素晴らしいですね、私も今までたくさんの方を見てきましたが1番だと思います。筋肉を落とさないで持続させてくださいね」と言われました。ありがたいことなんですが、ずーーーと細い足に憧れてきた私としてはなんとも微妙。

「これ、筋肉なんでしょうか。脂肪のような気もするのですが」と聞いてみたら「筋肉です!」ということでした。ここはいまだにわからないよなあと思っています。脂肪かも、むくみかも、もある。

最後に総合評価をしてくれるおじさんのところへいくと「何も言うことありません。このままいきましょう」と言われ、まあ、ふくらはぎのことはあるけれど、よかったでした。

今回は3つのテストだけでしたが、他のテストも無料で受けられる測定会も市では行っているそうで、そこでは心のフレイルテストもあるそう(心のフレイル?なんだろう、これは興味ある)いつか受けてみようと思いました。

そのままでいい
2026/01/15

「日記を書くことが難しいという今の自分で書けばいい」と昨日書きました。今、私は、伝えたいことが溢れてしまっていて、ロジカルに書くことができませんが、ご了承いただけるとありがたいです。

「日記を書くことが難しいという今の自分で書けばいい」…これが今の自分でいるということになります。

これに抗って、ナビなんだから日記を書くことが難しいなんて言っていてはいけない、わかりやすく書くべきだ、となると苦しい。苦しさは何かが違っているというサインです。このままでいいとなると楽、これでいけということです。

で、全てがこういうことなんです。パターンに対しても、語りかけや白黒ワークを通して培っていきたい力とは、全てそのままでいい、という心身になるというものです。もちろん黒のパターンで生きてきてしまってそれによって感情的にも現状も苦しいということから反対を選んで、そうではないものを体験するということをやってきました。

それはそれでひとつの通過点です。で、その先にはこの全てそのままでいい、という広い世界が広がっているのです。しかし、それはパターンを野放しにするのではなく「私」がより管理して、統括していくことになります。

「私」はどう在りたいか…は、パターンたちをより自由に本来のままいさせてあげられるためのものでもあります。決してパターンを抑えつけたり、違う自分になるためのものではありません(「私」はどう在りたいか…というような意図とか意志のある選択というと、そちらへいきやすいのです)ただただ「私」もパターンもそのままなんです(「私」は変容していくのでそのままではないですが、全てをすでに知っている「私」なのでそう言う意味ではそのままです)

そのままでいることを嫌がるパターンを多くの人は持っていると思います。ぜひそこへの語りかけをするといいと思います。これについてのパターンの言い分はたくさんあると思います。

そのままでいい、これが人を推進させます。

日記が書けず
2026/01/14

近頃、日記が自分としては今までのように書けず。

だからといって悩んでいるのではないし、つらいのでもありません。しかし、自分の内に起きている変容により、そうなっているのだということはわかる。

それがどういうことなのか、を書こうと思っても、どう書いたらいいのかがわからず…。

ただ、わかったことは、ビッグマスターになればなるほど、自分の体験による精神性、霊性の変容の教えをただ「愛しなさい」におさめていく理由です。

もちろん、言葉で伝えるので、どのマスターもそれについて話はしますが、最後に言う言葉はこれだと思うのです。それは、なぜかというと、愛する、ということが、単純なことで成されているのではなく、複雑で、あらゆる要素をそこに含み、あらゆる要素があるからこそ、それを使うときには匙加減が必要になり、と、あまりに膨大なことを言葉にしていくことの限界を知っているからだろうと思いました。その内容には、相反するものが同時にあり、混乱や下手をすれば表面的にそうさせてしまう可能性もある気がします。それらを加味して、言葉は減っていくのだろうと思います。そして、言葉では説明できないという現実もある。それは言葉を超えたところにあるものだからです。

もちろん、私が日記が思うように書けない、というのがこの状態なのではありません。でも、少しずつ、なんか、そういう状態というものがわかるようになってきています。私はこの過程がすごく好きで、まだはっきりわからないところが一番おもしろく感じます。どーーなっていくのぉーーという楽しさがある。

そこに入りはじめているから、日記を書くことが難しいと感じるようになったのだと思う。だとしたら、日記を書くことが難しいという今の自分で書けばいいんだと思いました。ここは妙に単純。

自分以外の自分になろうとしない
2026/01/13

自分以外の自分になろうとしない。

それは、今の自分じゃだめだ、この自分じゃ嫌だ、もっと成長した自分になりたい、自分を変えたい、楽になりたい、というところから、自分以外のより良い自分(とパターンは思っている)になろうとしない、ということです。

これらはパターンで、今の自分にOKを出していない、自分を肯定していない、今の自分の状況を変えようとしているパターンです。それに対して「私」は今の自分で、今の状況でいいと言っています。そこに成長はないのでは?と思うかもしれませんが、今の自分でいるからこそ「私」の望む成長ができるのです。

そして、そこでの成長は自分ではない自分になることではなく、自分のパターンの望む状況を作ることではなく、自分の個性や、性格や、今持っているもの全部を肯定していくところへ、自分の今の状況に理解を示せるところへ向かう成長なんです。この土台を作っているのが語りかけ、白黒ワークなんです。だからこれはやり続けていく必要があります(土台というところも奥があるんですが)

パターンが思い描いている成長と「私」の望む成長とは全く違うものだということがわかると思います。これがわかれば今自分が欲している成長がどちらのものなのかもわかると思います。

そして、人は自分以外の人にはなれません。パターンの望む成長を繰り返し、ひたすらそこをやり続けても、自分は自分なんです。でも、だからこそいい。そうやって、自分を構成しているもの全ては守られているのだと思う。パターンが望む自分は自分からかけ離れてしまうのです。

だから、パターンが望むように、自分以外の自分になろうとしないでください。とにかく今の自分をそのまま認めてください。そこからしか本当の変容は起きません。

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