学びを「仕事」にしない | - 2025/07/10
- 自分に向かう、自己探求、自分の内側へ…これは、今世の自分を幸せに導くため…と私は思う。
その道中での選択と実践の継続により、自然とミームが上がっていた、領域を上げていた、ということに気付きます(これは上がれば上がるほど楽です。楽になっていることで、自分のミームや領域の変化がわかります。)
ですので、ミームや領域を目指すために自分に向かう、自己探求、自分の内側へ…ということではありません。この視点になってしまうと学びは「仕事」になります。そこへ目標を定めてそこへ行くことが目的となる。そうなるとどうしても結果を期待するし、結果を探すし、結果を得てなんぼと思うようになる。でも、そういうことではないんです。
まず、仕事で感じ得るような結果というものがありません。あちらが必要であれば与えてくれるものなので、こうなっているはず、という物事をリクエストすることもできない。結果にこだわらず、必要なことを行い続ける、という、一般的には「何それ、ムダ」と思われることをやっているのです。
自分の幸せには自分の内にいる全ての黒パターン白パターンたちと協力しあっていくことが必要です。自分の内の小さな王国を整え、民がそれぞれの個性を持って生きることを王である「私」が赦し、皆で幸せになる。人にとって幸せに生きるとはそういうことではないだろうかと思います。
こうしてみると全ては自分の内にあるのです。それを多くの人は外に求めている。自分の内ではなく外に。その中でも特に他人に。他人に認めてもらう、他人にわかってもらう、他人を納得させる、他人に自分を大事にしてもらう、などなど、他人を自分の駒として使う。
それはパターン的にはうまくいっていると思っていますが、実は、幸せに生きることは遠のくばかりです。なぜならば、他人にそれを求めるのであれば自分も他人に同じように求められるからです。お互いに、この関係性を続けていくというのがほとんどの人の人間関係です。これではお互いに不幸です。だから目覚めなくてはいけない。
今日はこれから茅ヶ崎クラスです。今回はゲストがお二人参加されます。この暑い中、皆で集まれることに感謝して、楽しく行ってきます。
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