ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

あじさい
2024/05/30

マンションの裏側の入り口の近くに、今、薄紫色のあじさいが咲いています。

去年ももちろんこのあじさいは見ていて「きれいだな」と思っていました。今年はより大きくなっていてみごたえがあるのですが、今年のそれは去年のそれとは全く違うものに見えている自分に気が付きました。

遠くから歩いてきてそのアジサイが見えるのですが、その瞬間から、そこだけ違う空間にあるもののように見えているんです。そこだけどこか違うところから来ているような、周りとの異質感がある。

で、私があわあわ状態で、あれやってこれやってと頭ぐるぐるしながらそのあじさいのそばを通り、それを見ると、一瞬にしてその思いが消えて、本来の自分にリセットされることにも気づきました。

これがパワースポットなのかもしれないし、何か、この次元のところのものではない、それよりも少し高いところのものだから一瞬にして私の本来とは外れたものを修正できる力があるのかもしれないと思いました(修正してもらったあとは、もちろん自分の努力が必要。これがその状態が継続される秘訣です)

だから、今は、このあじさいの姿を実際見なくても時々思い出したりしてその時に感じる自分の内側を観察、確認したりしています。ここでしょ?というふうに。それがまた自分の学びになっています。

今年はこのようなことが起きていて感覚を磨く時なのかもしれません。これもまた自分を深く見ていくということのひとつなので、地道に、地に足をつけて、いきたいと思います。もうすぐすると、さるすべりの花も咲き出し、なんかなあ…という茅ヶ崎の街もきれいな時季を迎えます。

たまらなく面白い
2024/05/29

お会いしている皆さんが成長されているのと同じように私も成長しています。

時には、少し先が見えてくるというものであったり、時にはそれについて深まっていくものであったり、今までわからなくて保留にしていたものの答えがやってきたり、これからのことを教えてもらったり、ほんの些細な小さな気付きが、あることをきっかけにして感じられたり、自分と他人の意識の違いが感じられたり、それらにより自分の意識の広がりを感じます。

で、それらの体験のひとつひとつが私には、感動的で、驚きで、たまらなく面白いんです。だから私は続けているのか…と思います。好きだからやっている、結局、私にはそれだけなんだろうなあと思う。

最初は、自分が苦しくて、つらくて、問題が多くて、どうにかしてそこから逃れたくて入ったスピの世界とカウンセリングの世界でしたが、私はそこだけでは解決せず、2つを合わせたような今のやり方を続けていくうちに、知った世界は、今までの苦しみや問題や悩みのある世界と違うところに元々あったものだった、と知りました。

それは普遍的に永久に、すぐ、そこにあるものなのに、自分がそれを知らなかった、ということだけだった。そこでの探求がまさか自分のライフワークになるとは当時は全く思っていませんでしたが、この世界を知ること、感じられるようになること、この感覚、を、望んでいる人には伝えていきたいです。

で、そういうものを望んでいない人のほうが圧倒的に多いというのもわかっているので、そういう方達も自分の好き、を探求していかれるといいなあと思います。皆がそれぞれの好きで生きていかれれば、きっと、比較や競争は減ってくるだろうと思います。そうやって、軽く生きている人が増えれば、きっと地球も嬉しいだろうと。

それぞれの好きを探求してください。好きこそものの上手なれ。

目を覚ます
2024/05/27

結局、ごくごく普通になりすぎている「思い込み」から目を覚ますということなんだと思います。

目を覚ます、そのためには、疑問がないと目が覚めないと思うんです。ごくごく普通であって、それを信じているうちは、疑問なんて持たないのが当然なので、従って、目を覚ますということもないです。

社会とはこういうもの、仕事とはこういうもの、良い人とはこういう人、自信とはこういうもの、責任とはこういうもの、幸せとはこういうもの、一般的には、普通は、誰でもそうだから、多くの人のいる中で生きるためにはそれがあたりまえ。それを強固に信じていて、そこから外れてしまう自分はだめだとなります。もしくは、そうならなくてはいけないと思い、そこに合わせられる自分になろうとする。そのように小さい頃から私たちは教え込まれてきています。

それでいいと言う人はもちろんそれでいいんですが。そして、その中での必要なものもあるのですが。

何か変だ、何か違う気がする、何か自分には合わない、何が一体違っているのだろうか?などなど、感じることもあるかもしれませんが、そこは無視してしまいます。どうして?自分が感じていることや、考えていることに自信がないからと多くの人が言います。自分の思いや考えは確かではない、正しくない、合っているのかどうかわからない、間違っていると大変なことになる、バカにされると聞くことがあります。

で、それ自体が「思い込み」なんです。誰も確かで、正しくて、合っている人なんていないんです。ただ、誰かが作ったルール、概念、があって、それが皆の共通の普通になっているのでそれが正しいことと思ってしまう。それは人の思いや思考をストップさせ、自由に生きることを止めます。それも恐怖と不安を持つことで自ら止めるようにつくられている。

目を覚ますことが大事です。そして、目を覚ますということは領域を広げていくということだと思います。同じところに居続けない、そこを持ちながらも新たな体験をし、それを自分のものにしていく。そうやって領域が広がっていけば、今まで信じてしがみついてきたものも自分の内に持ちながらも、それだけに縛られることはなくなっていきます。

優越感
2024/05/25

優越感は誰にでもある感情です。優越感を生み出すパターンとして、自分は特別、自分は誰よりも上、自分だけが持っているものが在る、自分には才能がある、学歴がある、権威がある、誰もがうらやむような生活をしている、自分は多くの人から認められ、求められている、自分は誰よりも美しい、などなどあります。

で、道場での学びをしていくうちに、自分は誰も知らないこの学び(ただ、単に知名度が低いからだけだと思う)をしているというパターンが生まれて、そこから優越感が湧き出てくるということがよくあります。特に同業の人に対して、とか、今まで自分を下に見ていた人に対してとか。

それらがあってもいいんです。実際あるので。でも、パターンなので、それを感じた場合は必ずケアし、白に選び変えていってください。

スピリチュアルの世界ではこの優越感を感じている人が多いです。物質界においては成功できなかった、ぱっとしなかった人たちが、そのことを認めたくなくて、自分が輝けるところをさがして入ってきやすいのがスピの世界だからです。

あなたはすでに完全なのです、天使があなたを守護します、誰もが平等なのです、自分の思い通りの人生を生きていいのです、特別な力を伝授します、などなど、甘く優しい言葉が並んでいます。そこに属しているというだけでも物質界で闘っている人たちよりも自分はレベルが上だという変な優越感さえ持つことがあります。

こうなると、物質界だろうが、スピ界だろうが同じです。優越感を持ってはいけない、ではないですよ。そんな黒パターンを使って喜ぶレベルの自分でいいのか?というところです。

自分はどうありたいのか・・・・そこへの志を持ち、こつこつと歩み続ける、そうできる人であれば、物質界でもスピ界でも自分の道を歩んでいかれると思います。

本来へ戻る
2024/05/24

人は、本来のところへ戻る、本来の姿でいる、本来のおさまるべきところにおさまったときにほっとするんじゃないだろうか、と、近頃、とても思うようになりました。

それは、以前より、より自分の感覚を指針にしているからじゃないかと思います。

直感、直観に従うことをお勧めしていますが、なかなかそこを使うことは怖いと思うかもしれません。そんなことで大きなミスをしたら、もし、うまくいかなかったら今まで以上に大変になると考えるからだと思います…が…考えて考えてのときのほうが、よくないということは体験ずみなので(そして大先輩方はそう言われているように)私はやはりこちらをお勧めです。

ただ、練習は必要なので、以前お教えした、リスクの低いところでこれを使って、自分のそのスキルを育てることをするといいと思います。今日のお昼は「パスタ」か「そば」かというような。明日の休日は「映画」か「美術館」というような。軽く部屋に入り、一瞬の感覚で決め、決めたことは必ず実行する、がスキルアップの練習になります。

でーーー、これを2,3回やりました、では練習ではありません。練習ってそこでのこつ、とか、うまくいく感覚をつかむところまでやるのが練習ですのでそこは間違えないでください。

で、本来のところへ戻る、本来の姿でいる、本来のおさまるべきところにおさまるということですが。本来=そもそもです。自分とはそもそもなんなのか、とか、事象とはそもそも何なのか、とか、生きるとはそもそも何なのか、とか。それを頭を使って導き出すのは言葉ゲームのようでおもしろいですが、それを、直感で、直観で捉えられるようになっていくと、それは自然と腑に落ちていくので自分の血肉になると思います。

例えば、中立ワークで「ただひとつの体験」というプラス意味づけでもマイナス意味づけでもない部分があります。これは、全ての事象には本来、意味がないという根源的な在り方を表す言葉です。この言葉を言ったり、この言葉を感じたときに、自分の中に安堵感があるんです。そもそも、全ての事象はそうなので、その言葉は本来のところへ戻る言葉であるからだと思います。本来あるべきところへ戻ると人ってほっとするんじゃないのだろうかと思うんです。

本来あるべき姿、自分は「私」、おさまるべきところにおさまっている、宇宙のルールの中で生きている、とか、それを信じて生きている、とか。「本来」というものによって私たちは、心の安堵感というものが体験できて、そのよき感覚は、それは真理ですよ、と教えくれていると思います。

宇宙に立つ
2024/05/23

昨日書いたことは、ミームのらせんを思い出すと理解しやすいかもしれません。

ミームが上がっていくときには今迄歩んできた段階のミーム全てを含んで(それを自分の内にもちながら)次へ進むというものです。今、自分は一番下のミームではないし、こんなに成長したからそれは自分の内からは消えているということではなく、全てを含んでいるということです。

私はこの在り方にとても満足感があります。何も無駄にしていない、何もジャッジが働いていない、ただ、人の精神性の成長ってそういうことだ、というところに優しさも感じます。

誰もが今まで生きてきたときに体験したたくさんのことがあります。それにより自分でパターンを刷り込むこともたくさんやってきています。でも、それでよかったんです。それは今の自分に必要なことであったし、当時はそれはごく自然に行われていたことだからです。

こうして自分を見てみると、多くのものと一緒に生きてきています。一人の人の内は、まるであらゆるものを含んでいる宇宙のようです。それも同じものはなくたったひとつの自分の宇宙です。そして「私」はそんな宇宙の管理者です。

・・・・と時々私は思い、想像します。自分の宇宙に立ち、周りを見ても、管理者は「私」ひとりで誰もいません。そこで感じる、静謐感、聡明感、そして何より躍動感、永遠なるものへの信頼感など。これらが自分を日々動かす原動力なんだろうと思います。

…で、ここで思った。皆生きているということは(生かされている)ここの影響を受けていて、生きているのでは?と。体が丈夫だから、若いから、生きているのではないです。

もしよろしければ、皆さんも、宇宙に立つというイメージをしてみてください。もし、そのときに、怖さや不安や心細さ、寂しさ、孤独感などを感じるとしたら、それらのパターンにもっと向き合ってあげてください。こうして今、どのパターンを満たしていないかがわかるとも思います。

たくさんの選択肢
2024/05/22

ちょっとわかりにくい話かもしれませんが、書いてみようと思います。

黒パターンが自分だと信じて生きているところから私ももちろんスタートしたわけです。黒パターンは子供なので、あらゆる事象に対して子供的な一方的なたったひとつの見方、捉えかた、意味づけをしていてそれを信じていてそれで行動しているので色々と問題や悩みが、結果として起きているわけです。

しかし、それが本来の自分ではないことを最初は知識で知って、それを認め、それから新なものを選び、その自分として行動していくうちに、あらゆる事象のいろんな意味づけというものに気付きます。これはあればあるだけその事象の世界は広がり、本来の自分はその中央に、あるいはその上に立って、その中から何を選ぶのかをその時その時で決めればいいこともわかってきます。

となると、全てが同時にあるんです。黒パターンも白パターンも、今までいた慣れ親しんだ領域も、まだ体験していない領域も、全てが同時にある。で、そのたくさんある選択肢の中から今回は何を選ぶのか、しかない。自分を自分で育てていくには、このスキルをうまく使うことです。

例えば、自分を優先して生きることは今までの黒パターンの領域の常に他人を優先したり、他人を使って生きることから離れることであり、自分のことよりも他人の喜びが自分の喜びになることはまだ体験していなくてもどこかで「私」が望んでいることがおぼろげに感じられるかもしれません。

自分を自分で育てるときに匙加減が必要というのは、この2つを自分に対してどのくらい、いつ、使うかを自分で判断していくということです。時には自分を最優先することを、時には半強制的に自分はもういい、というところに立つことを、色々と試しながら進むということなんです。それにより自分のやり方も身につきます。この2つの間にもたくさんの選択肢があるのでその中にあるものを使うことももちろんあります。この間にあるものを言語化すると「もしかしたら…〜かもしれない」的なものであり、とても曖昧かつ薄いものですが、人の心にすっと入ってくるものです。

私が言うことが色々と変わるというのも、ここの話によるからです。以前言っていたことから今言っていることまでは全てが同時にあって、以前のことが間違いではなく(間違って伝えていたこともあったのでそのときはそのように訂正します)自分の選択肢に全て入っているということです。あまりに広く、たくさんのものが在る世界から自分にとって、今、ちょうどいいものは?ということです。

というように、自分の目の前にあるたくさんのカード(選択肢)から、今、何を選ぶのかです。そのスキルは自分で迷いながら、試しながら身に着けていくしかありません。今までのやり方のように、これのためにこれをやりましょう、という世界ではないからです。

そんな中にありながら、絶対な存在としては「私」がいるということです。

楽しく
2024/05/21

先日お会いした方が「この頃、他人にわかってもらわなくてもいい、と、少しずつなってきています」という話をされました。これはとてもよかったです。

多くの人が悩みとする人間関係のほとんどがこのあたりの悩みだからです。「自分をわかってもらいたい、自分を理解してほしい、自分を大事にしてほしい、自分を認めてほしい」などなど。これらすべて「自分の思うように、自分の望むときに」というのが頭につきます。それを追い求めること自体がとても疲れることであり、いつまでもそれは成就しません。おまけにこのパターンは全員持っているのでお互いにお互いのそれを大きくし合っているので強固です。

で、その方が「これって、すごいことだと思います」と言いました。言われて…一瞬「?」だったのですが、考えてみたら、そうだなと思いました。他人にわかってもらわなくてもいい、って、確かにすごいことだと思いました。他人ありきで来ていたのが、少しずつそこを離れていっているわけですから。そしてほとんどの人がここで悩んでいるのですから。

この体験はもう元には戻らないのです。パターンが騒ぐことがあっても、自分としてもうわかっているという状態になります(ここがね、変容の証です)しかしそれは他人とは関わらない、とか、自分のことだけしかやらない、のではなく、その先にあるものはだからこそ他人を大事にしたい、だからこそこの人の力になりたいというものです。

そして、そこにこそ他人との関わりの喜びがあります。そうできる自分が嬉しい、そして自分のことより、楽にいる他人が嬉しい。

そのために、毎日1回の丁寧なワークを行ってください。ただ、そこの動機を決して間違えないようにしてください(パターンの動機ではなくということです)できないからやる、決めたからやる、我慢のあとに喜びが来る、苦しむことがないと成長できない、やり続ければ絶対手にできる、という時代はすでに終わっているので、今のやり方でやる。そのほうが抵抗なくいかれます。簡単に言ってしまうと、ワークは楽しくということです。

1日1回、自分の内にあるパターンと会い、丁寧に語りかけをしたり、白黒ワークをしたりするその時間と空間が貴重なものである感覚を持てますように。そこに流れるゆったりとした時間や、宇宙にまで届く広がりを心身で感じ、受け止め、良い気分でいられますように。

それを明日も明後日も継続していく。

同時に2つ
2024/05/20

16日の夜、20時頃、外がやけに騒がしかった。遠くから緊急車両のサイレンが鳴り響いていて、私の住むマンションの下でとまりました。

どなたかマンションの方が倒れたのか、はたまた、ぼやが出たのか?…と思い、ベランダから下を見ると7台の消防車が止まっているではありませんか。少し離れたところには救急車も。騒然とした光景でした。

周りを見ても煙や火の手は見えず、マンション横の道へ大勢の人が入っていくのが見えました。自然と、通行中の人たちも、足を止めて見ています。

すると、アナウンスがあり「有毒ガス発生の恐れがあります。危険なので、立ち止まらないでください」と言っていました。「有毒ガス?」・・・。この住宅地で何があったのだろうか。しばらくたって、事はおさまったようで、緊急車両は全て撤退しました。

あとから調べてみたら「硫化水素」発生の恐れであったようです。「硫化水素」初めて聞きましたが、毒性の強いものらしく、ますます、どんな経緯でそれが発生の恐れになったのか知りたいところです。とりあえず、死傷者が出なくてよかった。

このような今までなかったようなことが起きているのが不気味です。恐怖と不安から神経質になって毎日を暮らすのは不健康ですが、今まで持ってなかった危機感は必要だと感じました。平和であったことに慣れてしまっていて、それではいざというときに、まずいなあと思うのです。

リラックスしていることがとても大事なことのように言われているし、実際、それでいられた今まででしたが、これからはただぼーーーとしているだけのリラックスではなく、危機感のあるそれに変えていかなくてはと思っています。こうしてその時その時にあわせて自分を変えていかれるようでありたい。

この時代が大勢の人達の内に眠っているその力を導きだしてくれている気もします。危機感を持ちながらのリラックス。もう片方だけじゃないんだな。あらゆることが2つを同時に持っていくことが必要になるんだろうなあと思いました。で、本来はそれ。同時に相反するものを持っている状態。そしてそれの真ん中に自分がいる状態です。だから黒パターンがなくなってしまうと本来の状態もないということです。

褒める、喜ぶ
2024/05/19

この学びにおいて、自分ができていないところばかりを見る(見つける)のではなく、自分の努力でできるようになったところ、確実に変わったところなどにも目を向けてください。

目を向けてというより、そっちのほうこそ見つけて、大袈裟なくらいに褒めたり、喜んだリ、しみじみと味わったりしてください。それがどんなに小さなことであっても、まだ定着までしてはいないかすかなものであってもです。

それでもいいの、というか、自分を褒める、自分をすごいと思う、そして、その時の感覚を味わう、これって本当に大事なことなんです。自分が自分に与えてあげる言葉と感覚でこれからの自分はそのように変わっていきます。だとしたら、誰にか聞かせることではないので、どんどん自分に良い言葉をかけてあげましょう。

私が時々自分に対して言う(違った…他の人の前でも言うか…)「私って天才かも」ってやつもこれです。これ、本当にそう思っているときに言っているんですが。もちろん、周りの人はそれほどでもないと思うだろうし、それを言っちゃうことへの違和感もあるかもしれません。しかし、そのおかげでここまでやってこられたと思います。

なぜだか、自分ができていないところを見て、まだできない、とか、あの人はできているのに自分はできない、変わっていない、と、できるようになったところ、変化したところもあるはずなのにそちらばかりを見てしまう人が多いです。

これは何故なんでしょう。できるようになるって、もっとできることで、ものすごくすごいことと思っているのか、自分を褒めたり、喜んだリするのはみっともない、とか、謙虚でありたいとかと思っているからでしょうか。

ぜひ、子供のように、小さなことにも感動を持って自分を褒めたり、喜んだリしてください。自分が自分を認めないで誰が認めるのか、自分が自分を褒めないで誰が褒めるのか。他人が自分を認めたり、褒めたりするのって、自分の中の誰が?ということを体験していない人たちは、ほぼほぼ自分のパターンが満たされたときだけです。だから「ありがとう」とは言うけれど、それを支えにはしない。自分が自分に言ってあげることのほうが、自分にとっては本当のこと。

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

- Topics Board -