ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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合同セミナー終わりました
2024/10/14

岩手と茅ヶ崎クラスの合同セミナー、無事に終わりました。皆さま、ありがとうございました。

2日間のセミナーはあっという間に終わってしまい、時間そのものが早くなっている?と思うくらいでした。セミナーって不思議で(私の場合)今回はこれをやろうと用意していくのですが、そのときになると、それよりも話したいことや、それよりも優先されることが現れて、結局そっちに時間をかけるということがほとんどです。今回やれなかった分は、また、タイミングのよいときに、自然とやってくる、やるべき時にやりたいと思います。

3日目はプチ観光で「岩山」へ。空気が澄んでいて、とても気持ちがいい。盛岡の街や周りの山々が良く見えます。これは茅ヶ崎では見ることのできない風景で、新鮮です。山の樹々のいい香りもして。

今回は、展望台にも上りました。やはり上に上がって見える景色は今まで見えていた景色とは違います。高くなった分、より全体が見えて、より、はっきりと、細かく見えて、それによりリアルな感じがします。

これは、意識の領域を上げていくということと同じだと思いました。上がれば、よりそのままが見える。だからより気づける。そしてより知ることができる。

今回、毎朝、ホテル近くの川に沿って散歩もしました。どんどん歩くこと自体も気持ちよいのですが、2日間、犬の散歩をされている、お二人の飼い主さんとちょっと言葉をかわしたり、犬に触らせてもらったりしてそれも楽しかった。

犬って、目があまり良くないと聞いたのですが、今回あった2匹の犬とはまず目がばっちり合いました。そのときに「あれ?」という顔をして、一瞬立ち止まり、次に尻尾がちぎれそうになるくらいふって走って側にやってきました。この、わかりやすい感じが犬のいいところというか好きなところです。そのままでいる、ありのままでいる、というところを体現している存在。彼らから学ぶことも多いのです。

合同セミナーへ
2024/10/09

「死ぬまでに1度でいいから茅ヶ崎と岩手の合同セミナーやりたいなあ〜」とかつて言っていた私。

その後、自ら動こうとせず、皆さんからの後押しで、開催できた合同セミナーでしたが、今回、第3回目を開催することになりました。これもひとえに皆様のおかげです。で…今日は、これから盛岡へ行ってきます。

茅ヶ崎クラスも岩手クラスもやっていることは同じなので、今回もスムーズに進んでいかれることと思います。人数が増える分、ひとりひとりの個性が溶けだし、自分により深く気づいたり、理解できたり、という事も起きていきます。

こういう体験のひとつひとつが、自分の学びの質をあげていきます。そして、その質を高めていっているときには、疑問が色々と出てきます。その時にはそのままにせず聞いてください。このように、学ぶ、疑問を持つ、理解するということが学びの醍醐味だと思います。その醍醐味のところに皆さん、入ってきていると感じています。ですから、ぜひ、楽しんでいただきたいと思います。

道場としても、新な領域へシフトしていくことがこれからの課題なのでこの時期に合同で学べることはよかったと思います。

皆さんが、善い時間を過ごせますように。

では、行ってまいります。

自分を生きるって。
2024/10/08

自分を生きるって…自分のそれを見つける。新な意味づけをそれに持つ。そして、その更新を続ける。という事なんだと思う。

それは人それぞれに違います。そこを限定すると、共通のそれになりますが、限定しなくてもいいという意味づけを自分が持てれば、皆と共通なるものを持たなくてもいいということです。

でも、それは、自分本位、奇をてらうとかあえて孤立するということではなくて、自分にとっての健康、お金、仕事、人間関係、家族との関係、生き方、在り方。物質面においても。すべて。自分のそれって、なんですか?を見つけていくことで、自分を生きるということができるんじゃないかと思うんです。

ですから、これが絶対はないということです。

で、この新たな意味づけを持つには、高みから見る事が必要になります。高いから見渡せるとか、高いから細かいところも見えるとか、高い分、今まで見えなかったことは見渡せます(高いから偉いのではないですよ)そのある程度の高さには、自分で登っていかなくてはいけないのです。

高みに登るには、努力は必要になります。日々、自分はどうありたいのか、を忘れずに、やるべきことをやり続け、新たなものを選んだのであればそれを行動に移し、継続し、結果は期待せずにおまかせする。そうして気付けば、今まで見えなかった自他を見ることになるし、自分の周りで起きていることも良く見えるようになっていました、ということになります。

それにともない感受性も取り戻していることに気づくでしょうし、感性も磨かれていきます。より素直に、正直に生きている自分にも出会っていきます。いいことづくめだ。こうして自分を生きる。

何かを成す
2024/10/07

何かを成すってどういうことだろう。

一般的には何かを成した人は認められ、賞賛され、特別な人に見られる、というのはあります。そこでの何かというのは、誰もが一目おく仕事や地位についていること、それで稼いでいること、を言います。政治経済の世界から芸能界まで、あの人だ、と誰もが知っているような人はここまでくると成功者とも言われます。

ここまでではないとしても、それなりに皆が承認している仕事をしている、特別な能力を使うことをやっている、フォロワー数が多いなども、何かを成したことになるのだと思います。その領域においては。

そして、それを天職といったり、自分を生きている、と言ったり、自分のやりたいことをやっている、と言ったり、自己実現と言ったりします。

‥‥という世界に多くの人は住んでいるので、そこでの何かを成しているかどうか、という判断に自他をあてはめていきます。そして自他をその中においてどのくらいのところにいるのかを判断し、そこに確定していくことになります。

この領域において、専業主婦で子供を育て、親の介護をし、自分で稼ぐことはしていない人は何かを成したとは認められないんです。

しかし、その自分を支えている何かがなくなってしまう日は必ずやってきます。ただの人になる。昔こうでした…と話しても今はそれがない。そうなるとその人は過去は天職に生きた、自己実現したが、今はそうではないとなるのでしょうか。天職って、自己実現って、そんな薄っぺらいものなのでしょうか。そんな一時のものなのでしょうか。

大切なことは、どう生きるかです。自分は成していないという領域を出て、いわゆる成していたものがなくなっても、自分を成す生き方が自分はできているのだろうか、と自分に新な視線を向けることです。そして、その生き方を身につけるから(自分の成すを見つけること)心は安定し、それこそ天職につき、自己実現したと自分に言えるのだと思います。

自分が何を信じて生きているのかをもう一度見直してみるといいかもしれません。そして、そこにいたいのかどうかも感じてみます。

茅ケ崎駅ピアノ
2024/10/06

この金曜日と土曜日、茅ヶ崎駅前に「駅ピアノ」が設置されました。常設ではなく、この2日間だけの。

ピアノは小出小学校にあった76年前の古いピアノを修復したものだそうです。深い茶色の見たからに、アンティークなピアノでした。

そのピアノは誰でも弾くことができるもので、次から次へと弾きたい人があらわれ、列を作って順番待ちの状態でした。

私も買い物袋をぶらさげてその音色に耳をかたむけてきました。古いピアノからは、今のピアノの音とは違う、ふんわりとした、ちょっとくすんだような音が聞こえてきました。音自体もアンティークだ。

小学生からご年配の方まで、皆さんとても上手でした。中には、プロですか?と思われる方もいたりして、それはそれは高度な演奏がきけました。

若い男性の方が童謡の「もみじ」を弾いているのを目の前で見たのですが手が震えていました(わかるよーーー)つっかえたりしながらも最後まで弾き切って、皆さんから大きな拍手をもらっていました。このようなシーンも駅ピアノならではでいいです。

トミーが「ようこも弾いてくればいいのに」と言ったのですが、私は、びびりなのでだめです。これ、もろ、パターンです。上手く弾かなくては、とか、上手いと言われたい、とか、ではなくて、負けてしまう、なんです。

負けるって誰かに負けるのではなくて、そのときに自分を失うみたいなかんじになってしまうんです。これは学校の頃からそうで、試験で曲を歌ったり、弾いたりするときに「負けそう」と思ってしまうその気持ちに押しつぶされそうになってしまう…ってやつです。

これを超えたいのなら駅ピアノに挑戦するしかありません。なあんて言いながら次回の駅ピアノに参加していたりして。昔のことを思い出したり、色々と妄想しながら帰りました。

技術、マインドの進化
2024/10/04

昨日のピアノの記事から思ったのですが。

私が子供の頃はピアノは子供のときからやるのがあたりまえのようであったと思います。当時は、50代、60代、70代でピアノを初めて習うという大人はいなかったんじゃないかと。これは他の楽器もそうだったかもしれません。

しかし、今や、いくつであろうと、自分がやりたいと思って始めることはごく普通なことになっています。ここには、時代や社会や人間の変化に合わせてピアノを教える人たちの技術、マインドの進化があったんじゃないかと思うんです。

「ピアノを習うって、こういうことです」というひとつの形のところでしか私は育ってこなかったですが、私がピアノから離れていた約45年の間にそれへの捉え方や教え方の幅が広がり、もっと身近で、誰にとっても親しみやすいものにピアノの教授法は進化していたのではないだろうか…と。その年代に合った教え方、その人に合った教え方、音楽を楽しむために、というものが広がっていたのだと思いました。

これはバレエもそうだ、と以前、聞いたことがあります。大きなバレエ団でダンサーの身体のケアをしていた人が話していたことで、バレエ界も変化していて私が習っていたころのバレエと今のバレエは違っている。ということでした。

このように、クラシックなものも、その基盤を持ちながらその時代に、もしくはより人間的に(その人の心身を重視して)進化しているんじゃないかと思いました。それは、人間の精神性が上がってきたからだと思います。

イギリスの思想家バークは「保守のための改革」という言葉を残しているのだそうです。脈々と継承されてきたものごとの根本にある精神の部分は変えずに時代に合わせて細部を微調整していくことの重要性を説いたのだそうです。

このことは、自分自身にもあてはめて考えてみようと思いました。

大人って素晴らしい
2024/10/03

昨日から始まったTV番組「3ヶ月でマスターするピアノ」を見ました。

講師は、ピアニストの本田聖嗣さん。生徒さんはお二人いて、お一人は元アナウンサーの寺田理恵子さん。そしてもうお一人は会社員の石丸裕之さん(確か60歳だったと)。寺田さんは小学生の頃にバイエルを少しやっただけ。石丸さんはピアノは初めて。でも「駅ピアノ」を見て自分も弾いてみたいと思い、申し出たとか。

先生が出した3ヶ月かけて弾けるようになる課題曲は、寺田さんはショパンの「革命」。石丸さんはサティの「ジムノペディ第1番」です。寺田さんは「無理。むり〜。だって〜先生、バイエルですよ」と言っていましたが、先生は「大人になってのピアノだから大丈夫」ということをおっしゃっていました。

「ピアノって厳しいものだと思われているかもしれませんが、大人のピアノはそうではない」という先生の言葉を聞いていて確かにそうだと思いました。というのも、私も「おうちでピアノ」を続けていますが、子供のときにはここまで頭を使えなかったと思うことが多々あるからです。子供の時には気づかなったことに気づけるようになっている。それは大人だからだろう。そうやって頭を使いながら行うピアノの練習は厳しくはないと思えます(先生についていないので、というのもありますが)

子供のときはひたすら練習して体に覚えさせていくというものでした。ほぼ、頭は使っていなかったような気がします。しかし、今は、頭で、こうなっているのか、だったらこうすればいいと判断できるようになっています。それは、知らないことだったので、新鮮でしたし、それがあるからこの年でも楽しめるのかもと思いました。大人って素晴らしいと思ってしまいます。

これはピアノだけではないです。ワークができるのも大人だからです。自分に向き合えるのも大人だからです。自分の人生を創れるのも大人だから。他人を理解し、他人に優しくなれるのも大人だからです。

悲しみも苦しみも挫折も知っている。そういう大人であるからこそいろんなことに知恵を使い、向かえるのだと思いました。

これから3ヶ月、楽しみにこの番組を見ていこうと思います。

シンプルなところに立ち返る
2024/10/01

<「私」がどうしたいかは、わかっている。だからそれに従えばいいだけだということもわかっている。だからやります。>とお会いした方が言いました。

そうなんです。ここだけなんです。「私」がどうしたいのか=自分はどうありたいか。そこが感じられていれば、わかっていれば、そこに従って、行動を起こせばいいだけなんです。これを体現するために生まれてきた。

ここはとてもシンプルでわかりやすいところなのですが、複雑な事が好きで、あれこれ考える事が好きな人間にとっては、あまりにシンプルであるがゆえに、考えないことなので、それは間違っているんじゃないかと思ってしまい、そこは選ばずにパターンの選んだものを選んでしまいます。そして、結果ますます複雑にこんがらがって訳が分からなくなってしまう。

「私」が望むこと、欲すること、それを感じたら、それに従い、動いてみてください。後先考えず。他人の事も考えず…というと怖くてできないと言う人が大方だと思いますが、大丈夫、命を取られることはないですから。

この勇気ある(小さな)行動が積み重なって、行動するってこういうことだったのかと初めてわかると思います。積極的に行動しましょう、安全なところで。というのが一般的な考え方です。無理しなくていいですよ、とか、自分のペースで、とか、自分の出来る範囲でできればいいよね、とか、簡単に言いますが、そういうことを言うって、その人を今までの狭いカゴの中に閉じ込めてしまうってことでは?と思います。

その人が壊れてしまうところまで追いつめるのは違いますが、それぞれの「私」はこうしたいという強い意志を持っています。それを自ら動かしていくことこそが喜びであり、生きる力です。だから私はそこを後押ししたい。自分でできるよ。あらゆるツールは誰もが、与えられて生まれてきているから、と。

シンプルなところに立ち返る。

逆もあり
2024/09/29

昨日は他人からどう見られたいのか…でしたが、この逆もありです。

他人からどう見られたくないのか…。不幸せな人と見られたくない。終わっている人と見られたくない。頭が悪い人と見られたくない。負け組の人だと見られたくない。惨めな人に見られたくない。下に見られたくない。年より老けて見られたくない。仕事ができない人に見られたくない。ぱっとしない人に見られたくない。能力のない人に見られたくない。などなど、こちらから出してもたくさんあります。

どちらかというと、見られたい、より、見られたくない、のほうが強いかもしれません。そう見られたくないから、それを隠して、見られたい自分を演じてしまうのだろう。だけど、それは自分が苦しむことになります。結局、人って自分にウソをつけないんです。そして、人って誰もが似たり寄ったりなんです。とびぬけてすごい人ってほんのひと握りです。そしてそういう人たちは偉業をなし、他の人々を助けています。その課題の人たち。

で、自分もそういう人達と同じであると思ってしまうところに謙虚さがないんだと思う。というと、じゃあ、自分には何もないのか、自分には価値がないのか、自分にだってできることがある、という話しになりやすいのですが。

価値ってなんですか?多分、ここでいう価値って他人が自分を認めることを言っているのではないでしょうか。「あなたはこんなことが出来る人だから価値があるよね」と他人が自分を認めること、それが自分の価値と思っているのではないだろうか。それも他人のパターンです。たまたまそうだったということです。

他人や社会が認める価値、それはそこでは役立ちますが、そこから先に進んだときには色あせていくものです。その色あせたものの先に現れるものを知っていきたいんです。何かを捨てるから次があらわれる。パターンはいつまでもそれを持っていたがるけれど、白を選ぶことでそこも薄れていくはずです。

私は…こう見られたい、こう見られたくない…って‥‥この言葉を言うだけでも、何か変な気がしませんか?その変な感じを感じられるといいと思います。

他人の目
2024/09/28

他人からどう見られたいのか…というところは多かれ少なかれ誰もが持っているものだと思います。

どう見られたいのか。幸せそうに見られたい。うまくいっているように見られたい。仕事ができる人に見られたい。頭がいい人だと見られたい。人格者だと見られたい。才能がある人だと見られたい。優しく、心の広い人に見られたい。抜きん出ている人に見られたい。成功している人に見られたい。などなどある。

しかし「見られたい」って、どういうことなんだろう?見られたいのだから「自分はそうです」という事でもないような気がします。そうじゃないからそのように見られたい。そして、そのように見られたら、どんないいことがあるんだろう?それで自分に自信が持てたり、自分の価値を感じられたり、安心したり、するのかも。

だけど、実際そうじゃないから、そこはとても危うくて、そこを確保するためには自分をそう見てくれる人を探し続け、その人を自分のそばにおいておくことに必死になることになります。そうやって人生を過ごしてしまう。

という、不自然で、複雑で、やっかいで、大変なことを人はやろうとします。そのエネルギーがあったら、今の自分を認めることに力をそそいだほうが全然いいのにと私は思うけれど。

実際、他人の目ってその人その人のパターンで見ていることがほとんどです(この人はすごいとか、この人は大したことないとか)そして、他人が自分に対して持つ印象とか、イメージとか、自分に向かって発する言動とか、も自分がパターンで受け取っていることがほぼほぼです。そこで腹がたったり、傷ついたり、焦ったり、不安になったりします。だから、こう見られたい。

そこがわかると、それはそれとして、というところに自分が立つことになります。そこで初めてお互いのパターンであることが理解できて、じゃあ、自分はどうするのか(他人にはその選択はないので)と自分が自分に向かっていかれればいいんだと思います。その練習を重ねていくことで、こう見られたい、からは離れていきます。

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