| 神様との関わり | - 2025/11/06
- 毎月、近所の氏神様へ参拝しています。
そして、手を合わせて目をつむり…というときに、以前は、目の前におわす神様への視線が右によっていたり左によっていたりして、不安定な感じでした。どこか、それは気持ち悪いのですが、ずっとそれが続いていました。
今年に入り、いつからか、右目と左目の間からまっすぐな視線で神様に向くことができるようになりました。「私」→「第三の目」という感じです。これを初めて感じたときに「これだ!!」と思いました。そしてそれ以降は、元に戻ることはありません。
これはあくまでも私の勝手な解釈ですが、まっすぐな視線に乗せた思いは、まっすぐにそれを受け取ると神様に言われているような気がしました。今までも毎日の祈りや参拝を神様はきっと聞いて、見ていてくださっていたと思います。しかし、そこをもう一歩進めて、もう一歩深めて、それを受け取るということは、私の覚悟のようなものが必要になると言われている気になりました。神社とは、そこにおわす神様の神気を頂戴するだけではなく、自分の心を整えることの大切さを思い出させてくれる場所なのだと思います。それが人がやるべきことであり、人ができることです。
又、我が家の観音様に手を合わすときも同じです。観音様に向き合った時に、自分の内にある観音様の神気と同じものに集中し、共鳴して、そのように今日も生きようと思うための新な気持ちを自分でつくることを後押ししてくださる存在なのだと思います。それにより具体的に今日どのように在るべきなのかもわかります。
…とここまで書いて、私としては観音様のほうが人間っぽいと思いました。特にカウンセリングや自己探求というところにはとてもお助けいただいていることがあります。観音様から受けるものは、パターンの存在も全て、人の持つ闇の部分も全てを受け入れて、でも、あなたはどうありたいのか?といつも問われている気がします。
神社の神様は宇宙的な感じです。ある意味システマチックな感じもあり、その壮大さは今の私にはまだ理解不十分でもありますが、そこもまた魅かれるところなのだと思いました。
私たちはこのような神様方の資質を皆が持っています。「私」はそれで構成されているのですから。「私」を活性化させるためにも神様と仲良くされるといいと思います。
さて、今日から今年最後の茅ヶ崎クラスです。今回も岩手、沖縄から参加される方々がいらっしゃいます。遠いところありがたいです。皆で、今年のしめくくりの善いクラスを作っていきましょう。神様方も応援してくださると思います。
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