ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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自分が風になる
2022/09/26

昨日で大相撲9月場所が終わりました。あーーーーーあっ・・つまんないなぁ・・次は11月か。

今回は、玉鷲が37歳10か月という最年長で優勝しました。土俵ではとても迫力のある相撲をとる方なのですが、趣味が、きらきらファンシーな小物づくり、刺繍、お菓子作り、料理、と、もう「乙女」です。

それぞれの作品もプロ級の腕前で「これ、売れるよ」といつもそこに繋げる私。

このギャップが私はすごくおもしろいと思うんです。

で、こういうこと(自分が持っている、色々な技能とか、特技とか、できることとか)を使っていくことで自分の仕事を作りかえて見ることがこれからの時代には向いているのだそうです。

できること(やっていること)が1つだけなのではなく、一見、結びつかいような色々とやっていることを総合することでその人の働き方(仕事)をオリジナルなものにしていくというもの。これはすごく分かります。

この場合の、色々な技能、特技、できることもは、資格があるとか、プロ級ではなくてもいいもので、とにかくそれらを自分が組み合わせて自分のものを作るということが大事なところです。

以前からお会いしている方でカウンセラーになられた方々に話したこともあるかも。自分が今までやってきた仕事とカウンセリングを合体させたものを作ってみるということ。例えば、占いをやってきた方は、まずは占うということからカウンセリングに入るようにしてみる、とか、経営に携わってきた方はそこも含めての起業する人のカウンセリングを行う、とか、医療に携わってきた方は健康になることとメンタルを健康にすることでカウンセリングを合体させる、とか。

自分にはやってきたことがない、と言う方も、自分の個性として、例えば教えることが好き、とか、説明が上手い、とか、センスがいいとか、資料作りが楽しいとか、そういう自分の個性とカウンセリングを合体させていくこともできるのでは?と思います。

アクセサリ―作りや手芸が得意であれば、クライアントさんに教えながら一緒に作りながら対話をしていくもいいと思う。

時代の流れとして、ひとつにしぼりこまないというふうに動いているのでしょう。だから、決めてしまわない、固定化しない、いつでも柔軟に変化させられるように、動けるようにしておくことがこれからは一番の強みだと思います。だめなら、そこで考え次々、と進む。

物質の時代から風の時代になり、物質はしっかりと目に見える形で表してきましたが、風は、エネルギーの移動です。目には見えない、とても軽く、自由なもの。風に自分を運んでもらうのではなく、自分が風になる。本当に個の時代になりました。

そもそもはこっち
2022/09/25

昔は(私が過ごした昭和の時代)しっかりと考え(本当にそれでいいのか…見落としていることはないか…起こりうる色々なことを予測してできるだけリスクがないように備えているか…それで生活できるのか、食べられるのか…)て物事を選択、決断するように言われました。

「ちゃんと考えなさい」と。そして、一度決めたことはやりとげることが正しいことで、途中でそれを放り出すことは、責任感のない、いいかげんな人だと言われてきていたと思います。そんなことじゃどこにいっても通用しない、社会からはじき出される、そうしたらどうやって生活していくのか?と言うこともよく聞きました(昭和の時代はこうしてみるとかなり厳しい)

そして、その価値観はいまだに続いていて、失敗することを過剰に嫌がり、できるだけそうならない人生を歩めるように「ちゃんと考える」ということはずっと続いていると思います。

それがどんなに自分にそぐわないものであると感じていても、その価値観に自分を合わせていくことを頑張ります。みんながそうだから、みんながやっていることは自分もできなくてはいけないから、ここで無理ならどこに行けば?

しかし、これからもこれを指針にして生きることはつらくなると思います。そもそも、この昔の価値観って誰が考えたものなのか?ということがあります。誰かの価値観をごくあたりまえのこととして多くの人達がそれを受け入れて今まできています。

でも、もう、目をさますときなのかも。何かが変、と感じているのなら、その自分を信じていっていいのかも。

ひとりひとりが違う魂の課題を持ち、個性も、生きてきた今までも違うのだから、ひとりひとりの価値観(指針)があってもいいはずです。そうしたいと思っている人も多いはず。

しかし、それを止めるのは恐怖と不安です。それも今までの価値観がもつ恐怖と不安。まずは、自分の中のそれをしっかりと見据えることだと思います。何が怖いのか、何が不安なのか。どうして怖いのか、どうして不安なのか。

そして、それはパターンであることもしっかりと認識することで、今までは無意識で動機に使っていたそれを意識的に見ていくことができます。意識的に見ていかれればそれを小さくすること、動機に選ばないことという新な道が開けていきます。

そもそもはこっち。この在り方がそもそもなんです。

小さな悟り
2022/09/24

先日乗ったタクシーで「コロナの世の中になって売り上げがぐっと下がってしまって」という運転手さん(多分、同年代だろう)の話から‥‥

「落ち込んでいたんですけれど、私、野球を見るとそのときには落ち込みも消えて、頑張ろうという気持ちになるんですよ」という話を伺いました。「それはいいですねえ」と言うと「テレビで見るだけなんですが、選手が頑張っている姿を見ると、よーーしという気持ちになれるんですよ。」とのことでした。

「大谷翔平君は特に素晴らしいですよね」と私が言うと「そうなんですよーーー。もう、彼はね、特別ですね。あの若さでなんであんなにすごいんですか?そして、謙虚じゃないですかあ、ゴミまで拾っちゃって。偉そうなところが全くないですよね。どうしたらあんなふうに育つんでしょうかねえ。私なんか彼の年くらいの頃はもうどうしようもなかったですよ」と言うので「私もです!あの年のころの自分は何もわかっていなくて」と言う話になりました。

どんなふうにどうしようもなかったのか、どんなふうにわかっていなかったのか…をお互いにしばし話、笑い合う。そして、本当に大谷翔平君はすごい、という話に戻る。楽しかったです。

で、思ったんです。年を重ねて(人にもよるかもしれませんが)こんなふうに他人同士がお互いに、自分の心をわって話ができるようになるというのはいいもんだなと。そのひとときだけではありますが、お互い、また頑張ろうという気持ちになれるというだけでもいいと思いました。

そういうことがてらいなくできるのが60歳を超えてからかもしれません。大谷翔平君のような大きな影響を人々に与えることはできなかったけれど、こういう小さなことでも、いいじゃないですか、と思いました。

「テレビの野球中継を見て、元気になるなんてささいな幸せなんですけどね、でもそれがあってよかったですよ」と言った運転手さん。それもひとつの小さな悟りだろうと思いました。悟りって自分の人生をスムーズに生きるために自分自身で発見するもの。

出来上がっている人
2022/09/23

私は「出来上がっている人」に見えるようで。

だからパターンにひっかかり「ちっ」となることもある、とか、腹がたって言い返したくなるのをぐっと抑えている、とか、「だって嫌いなんだもん、嫌なんだもん」と言ったりするのを見聞きすると「え?洋子さんでもひっかかることがあるの?」「そんなことも言っちゃうの?」と言われることが(言われたことが)あります。

もちろん、パターンにひっかかっての言動ではあるので、相手のせいではない。あとから語りかけをする、白を選ぶ(でも、もう言っちゃったから、もしくは今回はどうしても白を選べなかったから、絶対に次回は白を選ぼうと決める←これは絶対そうする)ということはします。

ですから決して、出来上がっている人(←実はこれもよくわからないんだけど、多分、ひっかからない人、全てを受け入れられる、聖人っぽい人のことなのではないか、と思います)では全くないです。

それでも、言えることは「私」が納得する生き方をしようと、日々、意識して、過ごしているということです。日々それを土台にしているとも言えます。そうやって本来の在り方や生き方を作っていきながら、そもそも何のためにここに来たのかという答えを毎日の生活に現わし、感じていきたいです。これが少しずつできるようになっていることの実感は何よりも嬉しいものです。

先日の朝ドラで「ちむどんどんすることを選んでいけばいいんだよ…」というようなセリフがあり「その通りだよね」と思わず言ってしまった。

もちろん黒パターンの「ちむどんどん」は選ばないほうがいいですが、もっと、純粋なそれ、もっと心から湧き上がるそれ、それは魂の声でしょうし、魂の感覚だと思います。それに従っていけばいい、というのはとても共感します。

で、私にとっては「私」が納得する生き方をつくっていくことはまさに「ちむどんどん」です。だから私は死ぬまでこれを続けていきます(死後もか)その途中で見ている景色が変わったり、新に何かを手にしたり、時には手放したり、と変化はつきものです。それに抵抗しなければ、いいように流れていきます(私的には流れにのる、連れていかれるという感じです)

こうして人生を歩み続けて、あちらへいかれるのならそれで十分であり、私は幸せだなあと思うのです。

本当に大切なものは…
2022/09/21

孤独の勧め…をここのところ言っています(自分専用のパイプの中には自分ひとり)なぜかというと、今まであまりに普通すぎるくらいに常に他人といたからです。

それは他人に偏りすぎていて、そこを軸にして生きていることに気づかないほどアンバランスでいる人が多いと感じているからです。そこをバランスよくしていきたいです。

偏りすぎているというのは、片方の極にとどまってしまっているということなので、一度大きく反対に動いてみる体験をしてみよう、ということです。

自分はそんなに他人と常日頃いるわけではない、ほぼ一人です。という人も昨日書いたように他人と比較をすることや、他人に気を使うことや、他人を優先することや、他人を恐れたり、差別することや、他人からの評価に過敏になることや、他人がイヤな気分にならないようにすることや、又は、他人に認めてもらいたい、評価されたい、大切にしてもらいたい、などなど、も同じです。こういうことも他人へ偏り過ぎているから起こるのです。

仕事があったり、家族がいたり(家族は血は繋がっていますが魂的には他人です)すれば物理的に孤独になることは難しいと考えがちですが、それは目に見えるところのことで、一緒に過ごしながらも自分という意識が他人へ偏りすぎない、選択と行動をとり、自分のバランスをとりもどしていくことで、他人と自分のバランスはよくなっていきます。

孤独って物質的にひとりになることではなく、精神的にひとりになることなんです。ですから、今すぐに仕事も家庭も捨ててひとりで山にこもりましょう、誰とも接してはいけない、と言っているのではありません。他人の中にいながら孤独でいるということです。

このことのとてもわかりやすい例は、他人と一緒にいて起きてきた自分の中の感情・感覚は自分の心で起きていることなので、自分でそれを引き受ける、というものです。これはまさに孤独的ありかたを具象化しています。

そして、そのように孤独であるとき、自分がひとりではないということがわかります。気づけばそばに誰かがいてくれている、ということではありませんよ。自分の中にはたくさんのパターンもいるし、過去世での自分もいるし、顔を上にむければ自分を見守ってくれている存在もいるし、身体を思えば、ご先祖様のエッセンスも一緒にいつもいてくれる。たったひとりではないんです。そういう意味では人は孤独にはなれないです。

そして、そいういう存在こそがなんといっても自分にはぴったりなんです。…と言っても目に見えないし…根拠もないし…と思うかも。でもね、ほんとに大切なものは目に見えないところに、根拠なくあるものなんです。

目から鱗
2022/09/20

人には自分のできていないところや、足りていないところばかりを探してしまうクセがあります(探しているのはもちろんパターン)

それは自分自身に対してもだし、自分の持ち物とか、自分の今までの経歴とか、経済状態とか、健康状態とか、自分の見た目とか、家族とかさえも。周りからみたらこんなに恵まれているのに、あれがない、これができていない、これが欠けている、と自分に厳しい。

それらも全部他人との比較で生まれます。自分のパターンが誰かを見て、あの人にはあれがある、あの人はこれを持っている、あの人には才能がある、お金がある、仲の良い家族がいる、それに比べて自分にはそれがない。それがない自分は、だめだからだ、自分には何もなくて価値がないからだ。だめだからそれを手にできないんだと思います。

その思考に陥ると、ますます自分の欠けているところや物事を探します。

しかし…それって欠けているのですか?足りていないことなんですか?…ただ、持っていないだけ。ただ、ないだけ。それは自分がだめだからではなくて、持っていないだけ。ないだけ。という意味づけもあります。

これは開き直っているのではなくて、くやしまぎれではなく、あの人の持っているものは私は持っていないけれど、あの人の持っていないものを私は持っているではなく、本当にそうだから、というところで止まっていて、尚且つそれを深めているんです。

深めているというのは、持っていないだけ、ないだけ、という世界をそこにとどまって味わっているということです。そこは自分だけの世界で、持っていないだけ、ないだけ、の世界ですっきりと、そうであることと自分が一緒にいる感じです。

かと言って、だから何?もない、それでもいいじゃないもない、その一切ジャッジが入ってこないところ、それがすっきり感になっているのは確かだと思います。ジャッジがない=意味づけがないが自分を解放します(他人も)

あらゆることにその意味づけをもたせることができます。そうやっていくと、ただ、今はそういう自分として存在しているだけとなります。この在り方を少しずつ自分のものにしていかれるといいと思います。なんてったって楽だから。

そして余計なところに時間やエネルギーを使わない生活になるので、ゆっくりと生活ができます。他人と比べることがどれだけのエネルギーと時間を使い、疲労するものなのか、他人と比べるということは他人がいないと生きられなかったからだ、ということが、よくわかると思います。目から鱗の気付き。

大人の素晴らしいところ
2022/09/19

9月の岩手はお天気に恵まれました。暑くもなく、寒くもなく、一番過ごしやすいときなのかもしれません。

今回は私が「近頃トイレが近い」という話から色々と話しが広がり、いっそうなごやかな(?)クラスとなりました。

2011年から岩手に行きはじめ、もう、10年ちょっとがたちました。お互いに年をとっていっているんだなあと感慨深いものがあります。

私も含め、時々、それぞれに不調がありながらも、こうして皆で続けられていることは本当にありがたいことだとあらためて思いました。自分たちの努力、それだけではない、何かのサポートとの共同作業の結果です。

そして、今回は、皆さんが自分に向き合っていることがとても感じられました。その人の中ではまだまだ整理されていないことがあるだろうし、暴れるパターンもあるだろうし、ずっとひとつのパターンにからめられているような状態にもあるかもしれません。どうしても他人と比べてしまったり、他人が上手くいっているように見えて苦しかったり、これからへの不安をかかえていたり、と色々だと思います。それでも、自分の中に起きていることは自分でやるしかない、というところはわかっていて、そこを一生懸命に使おうとしている姿勢が感じられ、私としては嬉しかったです。

ここでの学びは、最初、ひたすら感情や感覚を感じることから始まり(ほとんどの大人は感じられていないので)そこからパターンを見つけ、それへ語りかけをし、白黒ワークをして新な白を選び、それを実践して、それに慣れ、現実を変えていくということを一連の作業としてやっています。そこを集中的に行う期間が長いので(これは終わりがない)それだけですべてが解決できると思いやすいですが、それは自分の心の土台作りのためのものです。そして、その間をぬってちょこちょこと入り込んでくる多岐にわたることをやっています。

それは、感情や感覚を使うことであったり、熟考すること、発言、表現すること、そして、ここのところは量子力学、哲学なども使っています。実はこれらちょこちょこと出てくるものが自分の可能性や個性や人生の豊かさを引き出し、作ることになります。

「私」が白パターンを選んで生きるということは確かに生きやすくなるし、他人との軋轢も減っていきます。それはなぜかというと正しく生きる(天のルールにのっとって)という事が身につくからです。それは自分はもちろん、誰にとっても善きものなので(それって自然に利他なんだと思いました)自然とサポートされていきます(天に養っていただく)

そして、その心が土台にあって、初めて自分の可能性や個性を表現して生きることが人生を彩り、豊かにすることだと私は思っています。そこを高めていかれるように、と、色々とクラスでは行っているわけです。

出されるテーマが自分の得意なものなのか、不得意なものなのか、もあると思います。そこがその人の個性でもあるわけです。不得意なものというのは、今までたんに接してこなかったからと私はとらえています。

大人になってしまうとその不得意を克服することはなかなか難しいですが、その不得意さの中に今まで自分が使ってきた自分のものを溶け込ませて自分なりのそれにしていくことはできます。ここが大人の素晴らしいところですねえーーーー。子供にはこれはできません。

自分でもまだ気づいていない、今まで触れてこなかった自分の能力、可能性、これは自分しだいで活かすことができると私は信じています。ですので、これからも色々とやっていきたいと思います。アイデア切れにならないように、私もアンテナをはってやっていこうと思いました。

心を開いて…
2022/09/14

先日の「主婦の友」のお昼の映画は「最高の人生の見つけ方」でした(2007年 米)主演はジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン。

がんで余命宣告された60代の2人が、棺桶に入るまでにやっておきたいことを書き出してそれを2人でクリアする旅に出る…というものでした。そのひとつひとつを2人はクリアしていきます。

最後は、2人とも天に旅立つのですが、この映画のしめくくりの言葉がとても美しいものでした。

…「彼は最期のとき、目を閉じ、心を開いて死んでいった」…

心を開いて死んでいく…心に響きました。

心を開くとは、明け渡しということだと思います。何を明け渡すのか。きっと全てをなんだと思います。自分の心身、自分の生きた人生、家族や友人はじめ人生に関わってくれた全ての人々、自分がやってしまった失敗も悪いことも、後悔も、喜びも、楽しかったこと、善きことも。それら全てを明け渡す。そして、それらは宇宙にちりばめられていきます。

閉じていた心の扉を全開にして、そのものたち全てを宇宙に解放してからっぽにしていく。その明け渡しには、もう、すでにジャッジがなく、私、こんなふうに生きて、そして死んでいきます、という全てを受け入れ、全てを俯瞰している姿が想像できます。心は軽くおだやかであると思います。こうでありたいです。

誰もが、頑張って生きたんです。ダメだった人はいないんです。それを自分の(誰かの)最期のときに思えるようでありたいものです。

で、この心を開く、は、カウンセリングにおいても重要なところです。カウンセラーが心を閉ざしてしまうと、相手の人も心を閉ざします。時々、相手が心を開いてくれたら私も開くのに、という人がいますが、それは自分から開くものです。それを欲しているのであれば、自分からです。

自分がそうすることで、心を開くことは怖いことではないことを伝えることにもなります。そして、心を開くことは誰にとってもよいことであることも。

さて、今日はこれから盛岡へ行きます。今回も楽しく、熱く、道場クラスを行ってきます。行ってまいります。

まず利自
2022/09/13

まず「利自」・・・そうなんです、まず「利自」です。ほとんどの人が「利自」ではないから、苦しみや、問題をかかえ、うつうつとした気持ちや、虚無感を感じて毎日を過ごしているのだろうと思います。それはある意味「利他」だから。黒パターンの考える「利他」でいるから。

「利自」って天職を見つけて、自分の思いどおりの生き方をして稼ぐということではなくて、他人と自分という関係の中で、いつも自分を後まわしにしていたり、人の顔色をうかがい、嫌われないように、相手を怒らせないように、バカにされないように、良い人だと思われるように、波風立てないように、または逆に、相手を脅し、押さえつけ、見下し、やられる前にガードする、というように、処していく生き方をしない在り方を言っています。

で、これは人の本来の生き方なんです。しかし、私たちは子供の頃からたくさんのパターンを刷り込まれ、自分でも刷り込み、目は常に他人に向いていくようになってしまっています。そうであれば「利自」なんてあり得ないです。

又、自分を優先することを良くないこと、わがまま、自己中心的な人と捉えることが一般的です。もし、それが正しいことであったのなら、もっと世界は平和になっていたでしょうし、社会も正しく機能していたはずです。でも、そうではない。ということは、これらの捉え方(意味づけ)は何か違っていたのかもしれないということです。

ワークはまさに「利自」です。相手がどうであろうが、まず自分の中に起きている感情や感覚を優先しています。そしてそこに目を向け、語りかけて、自分の全てにジャッジなく愛をそそいでいます。これは本当に「利自」的在り方だと思うんです。ワークの最中には「あの人に悪かったかしら」「怒っていないかな」「傷つけたかも」などなどは在りません。純粋にワークをしているときは自分のことだけです。これがいいんです。

その積み重ねにより、自分の外に対しても少しずつ自分の意見を言ったり、自分からもう必要ない人とは縁を切ったり、自分の生活の一部を自分用に変えてみたり、と自分に対してのよりよい変化を与えていかれるようになります。まず、それを体験することが私は必要だと思います。自分の古いしきたりからの卒業。他人からの卒業。

それがあってからの自然とやってくる「利他」。それは、ただ、そうしたいからそうする、というもの。

そして、多分、次のステージでは再び「利自」なんじゃないかと思っています。こうして両方を次々とやり続けて、その質を上げていくことになるのだと思います。

利他
2022/09/12

「利他」…これは今年の私の課題でした。

元旦にひいたカードは「宇迦之御魂神」(うかのみたまのかみ)ここで言われていたこと「これがいかに人のためになるのかを意識してください。利他の心」とありました(日本の神様カードより)そして、キリスト教神秘主義でお世話になった先生からの今年の言葉も利他。「自分が心から他者のためにと利他的になるとき、ラファエルは、その想いに共鳴し、力を貸してくれる。」と。な・る・ほ・ど。。。。。

心していこう「利他」と思ってスタートした今年でしたが、もうすでに9月。ちゃんと、そこを使うのか使わないのかという選択をせまられるような出来事が次々とやってきた今年前半でした。

あと3か月ちょっと「やりましたよ、私。これからの利他につながるような体験をしました」と言えるように、毎日、その心を持つことを意識的にやって過ごしていこうと思います。

しかし「利他」とは?今の私の意味づけは、誰かの犠牲になることではなく、でも、自分の損得、安全か危険かと自分優先ではなく、その人にとっての最善はなんなのかをいつも考えること、そして、それを行動にうつすことだろうと思います…と書きましたが、まず人の成長は「利自」からです。もちろん黒パターンの「利自」ではありません。ここをとばして「利他」はあまりに苦しいのでそこは気をつけてください。苦しいということは今のあなたにそれは真理ではないということです。

利他的な中にいるときには自分の存在は薄くなっていて、あくまでも相手あっての自分という立ち位置。こう、練習しながら「利他」を育てるのだろうと思います。

こうしてみると「利他?絶対無理」ということでもないことがわかります。あくまでも自分の精神性の向上のひとつであるということがわかる。そして、相手の人を敬うことでもある。

・・・・なんて書きながらも、時にはパターンにひっかかり「チッ」となるわけですが、元旦に誓ったこれは、年末までやり続けます。いや、これから先の大きな課題となるものであることはわかります。

心から、純粋に利他的であるのかどうか、は、天にしかわからないことであり(自分でそうだと思っていても、ほぼほぼ人はわかったつもりなので)それが本当であるときにはきっと「宇迦之御魂神」と「ラファエル」が利他的な行動をとれるようにとサポートしてくれると思います。

そのようにできている、ということは今や私には真実なので、ひたすらいくだけです。

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