ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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自由は戸惑い
2024/06/21

問題や悩みを解決するためには、今の意味づけや今の視点では無理だということ。そこを変えなければ、ずっと同じ問題と悩みにさいなまれていきます。これは、アインシュタインのあの言葉通りです。

だから意味づけって大切です。丁寧にそれをやってみると、きっと今までとは違う意味づけがふと湧いてきたり、こんなふうに意味づけできるのかも、と思ったりすると思います。その意味づけはもしかしたら今までとは真逆であるかもしれませんし、今までどれだけ決めつけてそれを信じてきてしまっていたのかもわかると思います。そして、今の自分にとってふさわしいものでその事象を自分のそれにしていけばいい。そしてまたそれが変わっていっていい。

というように、絶対なものは何もないんです。というところに多くの人は戸惑いや不安を感じるんだと思います。これは絶対、というものが決まっていれば、それだけを信じていけばいいので、楽だし安心できるのですが、たくさんあるものの中から今の自分にふさわしものを選ぶという自由さに戸惑う。自由って戸惑いでもある(というのも自由の一つの意味づけ)。

本当は子供の頃から少しずつこういうことを知っていかれていれば、大人になってこんなに悩むこともないのではないだろうかとさえ思うのですが、大人の世界は全て決まっていて、それがずっと継承されてきているのでどうしてもそれを子供に教えていきます。しかし、その決められてしまったひとつの意味づけが自分を苦しめている。なんで?その意味づけが今の自分に合わないから。意味づけのほうに自分を合わせようとしているから。

ここを壊して、自分の意味づけの世界を広げる。自分だけのもの、自分を生かすもの、自分を自由にするものを獲得していく、意味づけ。楽しみながらどんどんやってみてください。

漆黒の闇
2024/06/20

人は誰でも自分の内に漆黒の闇を持っていると思います。深く、底が見えない闇。

これは自分をずっと見てきて何よりもわかることです。その人その人によってそれは違いがあるかもしれませんが、それが全くないと言う人はいないでしょう。

漆黒の闇と言うと…ダースベーダー登場という感じですが…黒パターンの終結したもののようなものなので、ダースベーダ―的なものかも。

で、私の感覚として、そこがちらちらと現れ、そこと接触したとき(だいたい自分にとって嫌なことが起きているとき、とか、苦しい状態にあるときです)そこへ行く(選択する)ことで、一瞬、晴れ晴れする、その嫌なことを忘れられる、何故だか増々そちらを選びたくなるような感覚に囚われます。この、囚われてしまうというところが闇の力なんだと思います。もうそこには自分はいなくて操られている、これが闇の望むところ。

そして、その反面、それが自分をどんどんだめにしていくこともわかっていて、しかしその感覚の方は弱く、小さいためにダースベーダ―のほうへ行きたくなってしまう。はっきりとした力あるもののほうへ行きたくなる、という気持ちになります。

…という体験を昔はしました。今はさすがにそちらへ行きませんが、でも、その記憶と感覚は今もあってそちらへ行こうとすればいつでも行かれるということもわかっています。常に裏表でそれはあり、まさに光と闇の闘いなんだと思います。

漆黒の闇に入ってしまうと、これも私としての感覚なので人によって違うでしょうが、もう、全てがどうでもいい、全てをぶち壊したくなる、そして何より自分なんてどうなってもいい、という思い、思考に囚われていきます。

漆黒の闇とは、自分の手で自らを捨てることなんだと今は思います。それは本来の自分の魂の活動を止めることであり、自分の命を粗末にすることです。これこそが自分に対して(ひいては他人に対して)行う最悪のことだと思います。

自分の内の「理性」の声は小さく、聞き取りにくい。でも、そちらこそが自分であり、その小さな光が自分です。いずれ、ダースベーダーさえも自分の内で抱え込んでいくくらいにその光は大きくなり強さを増すのだと思います。

魂で帰るだけ
2024/06/19

人は誰でもが死ぬのですが、そのときには何も持っていかれません。どんなに資産があろうと、豪邸を持っていようと、高価な物品を持っていようと、権威や肩書があろうと、人生で成し得た成功の数々があろうと、愛すべき家族がいようと、何も持ってはいかれません。

ただ、ひとつだけ、持っていかれるもの、それは魂だけです。それも持っていかれるというよりもそれ自体が自分なので、自分ひとりで帰っていくことになります。

その魂という自分がどれだけ今世でいろんな体験を通して、自分自身を磨き上げたか。その磨き上げているときに気づいたり、修正したり、より新に気づいたり、また修正したり、反省したり、褒めたり、していくことで感じられる喜び。その一瞬一瞬が魂には吸い込まれていきます。それが魂の成長であり、それで帰るということです。

肉体を持ってこの世でいろんなことを体験して、自分を成長させていく、それを持ってあちらへ帰る。これが、人間の喜びなんだと思います。だからずっと転生し続けて、その喜びを感じられる自分になろうとするのだと思います。

自分の前世の人達も、このことを知っていたのにそれができなかった、又は全くそういうことに興味もなかった、取り組んでみたものの実感は感じられなかった、そんなことをやっていられるほど平和な時代ではなかった、などなどあったと思います。

そういう人たちを代表して今自分がいる。そしてそういうことを考えたり、行動できるだけの余裕ある時代に生きている。だとしたら今世で頑張ってみようと思えるかもしれません。

人は何のために生きているのか、という問も私はここだと思います。これも一つの哲学なので絶対ではありませんが、何かそこに安堵感があるのです。

美しいから悲しい
2024/06/17

昨日は「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番」(その他)を隣街へ聞きに行きました。

この曲、日本人に人気のある曲と言われていて私もご多分に漏れず、好きですが、実際の演奏をいつか聞きたいと思っていました。

ピアニストは女性の方でした。わりと大柄のがっちりした方だったので、この曲を弾くにはこの方くらいの体があったほうがいいのだろうと思いましたが、実際曲を弾き始めたときに、これは、予想以上に体力が必要な曲だったんだ、と思いました。

本当は男性ピアニストのほうが体力がある分、より、迫力のあるものになっただろうと思います。それでも、全身を使って弾く音色や、女性ならではの繊細さは聴衆に十分届いていたと思います。本当に、聞けてよかったです。また、機会があれば、次はサントリーホールで、世界的に有名なオーケストラのものを聞いてみたいです。

その女性ピアニストの方がアンコールで弾いてくれた初めて聞く大変美しい曲(曲名はわかりませんでした)を、指揮者もオーケストラのメンバーも聴衆も静かに聞いているときに、つーーーと涙が流れていきました。

あのときに思っていたことは、こんなに美しい曲を聞く機会が自分にはあるということでした。世界中には、音楽とは無縁で、ただ日々を生き抜くことだけを強いられている人たちがたくさんいるのに、希望を持つことも、自分の好きなこともできず、食べることも、眠ることもままならない人たちや、親を失った子供たちがたくさんいるのに…ということでした。

美しい曲だったのに、あまりに美しいと、そんな悲しみを思い出してしまうのでしょうか。美しさには悲しみが宿っているとはこういうことだったのでしょうか。そんな体験もさせてくれた今回の演奏会でした。まだ体力が完全に戻っていない私なので、へろへろしながら行きましたが、近場であったこともあり、行かれて本当によかったでした。

反省は自分のため
2024/06/16

ご無沙汰しておりました。久しぶりに寝込みましたがまあまあの快復度です。

全てのことには偶然はなく…という言葉通りに、今回の病も必然であったのだろうと、反省と選択でまた次へ進んでいく。

反省って、反省した後が大事なんだと思った今回。これはまずかった、とか、ここが違っていたのか、とか、こう偏りがちなんだよなあなど、反省をします。

で、気付けたことで終わってしまっていないだろうか?もしくは次は気をつけよう、と思ったことで終わってしまっていないだろうか?しかし、これらでは反省はいかされているのではないと思いました。次に向けての練習が必要になるんです。

反省をして、では具体的にこれから何をどうしていくのか、何をやめるのか、何を新に行うのか、を自分で考えて実際の行動にすることを継続することなんだと思います。頭ではわかっていたはずでしたが、身をもってそのことがわかりました。

そして、その具体的な行動をこれからし続けていくことで、またきっとそれを試されるようなことがセッティングされるのだと思う。そのときに、以前よりもその部分がよくなっていれば、自分がうれしい。よくやったな自分と思えます。

こうしてみると反省はこれからのよりよい自分のためだね。なんとなく「反省します」というと他人に対して許してもらう言葉であるように思えるけれど。寝込んでも、ただでは起きない自分によし、よし、と言ってあげています。

体調不良で…
2024/06/05

本当は、今日から盛岡へ行く予定でした。

今回の岩手クラスは2日間合宿。あれもやりたい、これもやりたい、2日あるからかなりできる、と意気揚々としていた。おまけに前情報で「今回、お食事も楽しみに」的なことを伺い「やったーー」と喜んでおりました。

し・か・し…まさかの体調不良。で、キャンセルさせていただきました。本当に皆さんにはご迷惑をかけてしまい、申し訳なかったです。こういうこともあるよな、仕方ないよなあ、と自分を納得させましたが…。自分が楽しみにしていたことでもあったので、楽しみにしていた遠足当日に熱が出てお休みしなくてはいけない子供のような気持ちになりました。

私は、腰痛持ちだし、坐骨神経痛も時々出るし、蕁麻疹もでやすかったり、子供の頃は小児喘息で大変であったり、大人になってからも病院に行くことが多く、決して丈夫ではありませんでした。それでも今まで、こうしてそれなりに(本当にそれなりに)生きてきたんだなあと改めて思いました。

この、それなりに、ということが誰にとっても大事なことなんじゃないかと思うんです。それなりに、には、年齢に伴う、いろんな変化や、そのときそのときの自分をとりまく環境や、条件など、を受け入れ、そこに柔軟に自分を合わせて、変化させていくことなんだろうと思います。それなりがあるから生きていかれるのかも。

ということで、しばらく日記があいてしまうかもしれません。まずは体が回復するように1週間ほどはのんびりと過ごしたいと思います。

強さ
2024/06/03

強さは大事です…が…強さってなにさ?がある。

何があっても折れない、どんなにダメージを受けても愚痴らない、他人からの誹謗中傷にも傷つかない、ブレない、メンタルも体も強靭。へこたれない、いつも元気で明るい、とか。で、誰でもが(最初)はそこを目指します。強さとはそういうものだから、そういう強さのある人にならなくては…と思い自分をそこへ向かわせます。

このあたり(この領域)においての強さってそんな感じだと思います。で、その領域に多くの人はいるし、自分もそこに長年いたので、それは皆の共通の強さに対する意味づけ、イメージです。それはそれでひとつです。

でも、人の強さってそういうものだけではないです。自分のパターンと向き合い、傷ついているインナーチィルドと向きあっていくうちにきっと気づいていくと思います。そういうもろもろの弱い存在、それらが自分の内にあって、それらと一緒に生きて来たんだ…と。そして、それらを認め、受け入れ、弱い存在だからこそ永遠なる「強さ」を持っている「私」がおもりしていってあげればいいと。

そこには新な「強さ」が感じられると思います。強さとは自分の弱き存在を大事にできることなんだ。それらがそのまま存在していられるように(でも、振り回されるのではなく)してあげられることなんだ。

こうして強さの意味づけは領域によって変わっていくのです。そして、強さの意味づけを変えていくために、もともと人には弱さが与えられているのだと思います。

言葉に惑わされないように、支配されないように。それそのものには絶対的な意味付けがあるのではなく、いろんな可能性を秘めているものです。多くの人たちとの共通の意味づけも持ちながら、そうではないものも持つことができる。選択肢が多い分そのほうがスムーズだし、楽。何より楽しい。

待つ
2024/06/02

5月31日に書いた日記「現実を創っている」は、わかりにくかったかもしれません。一瞬一瞬、創られていてそれが現実化ってことです、ってやつ。

これについてはまたお会いしたときに直接お話しようと思います。

でーーー、とにかく興味を持って、楽しく学ぶことが一番なので、わからなくても、「ふーーーーーん」くらいに聞いておいていただいて大丈夫です(いつかわかります)。今、わからなくても、根拠はないけれど、いつかわかるんだな、という理解の仕方で十分なんです。

こういう目に見えないものごとを学ぶって、今までどうりの考え方で考えてもわからず、やり続けているといつかわかるというわかり方です。「そんないつになるかもわからないことをやっていられるか」という方もいらっしゃいます。そういう方のほうが圧倒的に多い。

それでもこのような学びを続けていきたいという方達に、ぜひ育てていってもらいたい資質として「待つ」があります。誰でもすぐに答えが出るものや、誰にでも簡単にできるもの、わかりやすいものが好きなんですが、そうではないものごとというのもあるということです。

そういうものには即効性やわかりやすさはないですが、地道に組み立てていく面白さがあり、そこでできていくものは以前に戻ることがありません。

待てる自分。自分を、そして自分を待てれば他人も待てる、そんな資質をぜひ育てていってください。待てるということは、何かを信じているから。何を?自分をだと思います。そして、宇宙(天、神)を。

ブルース・リプトン博士(スタンフォード大学医学部にて、細胞膜に関する画期的な研究に従事。遺伝子は単なる生物の設計図に過ぎず、意識や環境が細胞をコントロールし、遺伝子のふるまいを変えることを明らかにし、エピジェネティクス(epigenetics)という新しい分野の端緒を開きました。その研究と啓蒙・啓発活動は、人間と生命の本質への理解を促進し、人は自らの人生をいかにでも創造できる存在であり、よりよい地球の未来の共同創造者であるという新しい生命観・世界観の普及に寄与しました。五井平和財団より)の言葉に「まず宇宙を信じること。すると宇宙が自分を連れていく」というものがあります。

そう、まず、宇宙を信じよう。そして宇宙の子である自分を信じよう。

美容師さん
2024/06/01

いつも、髪をカットしてくれる美容師さん(男性、30代?多分)もう3年くらいおせわになっていると思います。

カットって、その人の頭の大きさとか形とか、毛質や量や年齢によりどんどん変化してくることや、何よりお客さんからのリクエストに応えることなどいろんなそれらに対する知識や技術やその人の在り方が必要になると思います(これはどの仕事もそうなんだけど)そこの質を高めていくにはたくさん学び、たくさん練習して、実践しながら体得していくものなのだろうと。知識だけでは無理な仕事です(これもどの仕事もそうなんだけど)

カットしている途中で話すことも、私がカウンセリングの仕事をしていることを知っているので、色々と質問されたり、自分がこう考えているという話をしてくれたり、笑える話で大笑いしたりと楽しい時間を過ごしています。

切り終わった私の頭を前からも後ろからもじっと見つめて何かを感じている様子が見て取れます。「うん」と言っている彼からはこの仕事に対する熱と自信が感じられて好感がもてます。

今の美容師さんに出会う前は、フジコ・ヘミングさんによく似た、飛び出し感いっぱいの、自分の道をいくかっこいい美容師さんに何十年もおせわになっていました。この方の影響もずいぶんと受けたと思います。今はもう亡くなられましたが最後のカットでお会いしたときに「洋子ちゃん(←洋子ちゃんと呼ばれるくらい若いときからお世話になっていた)長い間ありがとうございました。本当にありがとう」と言われました。そのときの様子が凛としていて、この方は最後までかっこいい、と思った。生き方が、とにかくかっこよかった。

自分との相性のいい美容師さんはいいものです。その時間が楽しく過ごせると思います。

現実を創っている
2024/05/31

昨日書いた「あじさい」のように人の意識を修正してくれるものはたくさんあります。

意識のレベルを数値化したものを見てもわかるように、自分の意識レベルより高いものは多く身のまわりにあります。で、それらは一瞬にしてその時、人をその領域まで連れて行くことで今の状態を修正してくれたりします。

しかし、そこから離れてしまうとまた元に戻ってしまうという事も普通にあります。できればそれを継続しておきたい。そのいい感じで過ごしたいと誰もが思うと思います。そこで、その良い感じを継続させるのが自分のやるべきことなんだと思うんです。

例えば、私のあわあわ状態、頭ぐるぐる状態は、もう、パターンに乗っ取られての思考と行動なので、それに気づき、それはパターンであり本来の自分ではないのだから、それは選ばない、とします。で、一連のワークをします。そして本来の「私」が選びたいものは?「慌てないで、ひとつずつこなしていこう」という現実的な白と「あじさいの側に立っていたときのあの感覚を思いだそう」という内的な白を選び、その通りに行動する。

また、あわあわがやってきても、それは選ばないであじさいを思い出す。これが、あじさいに助けてもらって体験したいい感じを継続することになる行為です。こうしていけば、あじさいが連れていってくれたところへ、又はひきあげてくれたところへ自分の力でいくことができる。それが何度も繰り返されていけば、自分の内に定着していくこともできる。そして、それが自分でできた(あじさいの力を借りなくても)ということの達成感も感じられます。

ココカラ本題。人って、こうして一瞬にして現実を創っているんです。あわあわ、頭ぐるぐるの現実があり、次には、あじさいとの落ち着いた現実がありました。その間、わずかな時間です。本当に一瞬です。意識が現実化するってこういうことなんです。一瞬、一瞬が現実化しているでしょう?あわあわ〜やすらぎへ。人って、こんなにもその時その時で現実化していることが変わるんです。

だから、ずっと何かについて考え続けている人は「考え続ける」という現実を創っている。ずっと探し続けている人は「探し続ける」という現実を創っている。ずっと迷っている人は「迷い続ける」という現実を創っている。ずっと解決を求めている人は「解決を求め続ける」」という現実を創っている。これらは一瞬一瞬の連続として続きます。だから、どんな一瞬を生きるのかということで、その連続でこれからが決まっていきます。

そのためにはいつも自分に気づいていることが大事です。いい感じではないとき(黒パターンで思考・行動しているとき)に気付いたら、ワークをして、その時の自分をひきあげてくれる自分よりも数値の高いものごとに接したり、かつてのそれを思い出したりして(そういうものたちに助けてもらいながら)いい感じの瞬間の現実を生み出してみてください。それをやったからと言って問題が解決はされませんが、問題に立ち向かえる心の状態は作っていかれます。

こうして、黒パターン的な瞬間を生きていても、そこに白パターン的なものを入れていく。そうして少し白パターン的なもののほうが多くなっていけばいいわけです。これは卵の中の白黒の分量にも似ていますね。若干白パターンのほうを大きくしていくような。そのためにも自分がいい感じになる物事(自分よりも数値は上のものですよ)をいくつか持っているといいと思います。

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