ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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目指せ、覚醒
2020/09/26

洗脳とか魔法にかけられている、とか、以前に書きましたが、ここからの覚醒…これに尽きるのだと思っています。

全員が、誰かがどこかでつくった強く根深い価値観(こうあるべき、これが正しい、これが普通)に盲目的に従ってしまう。それは両親やまわりにいる大人たち、学校の教育、社会で確固たるものになっていきます(これが洗脳であり魔法)洗脳と魔法はごくごくそれらは普通のこと、あたりまえなこと、出来て当然、誰でもができなくていけないこと、と教えます。

で、ゆがんだ平等、格付け、競争、勝敗、権威、上下、支配、力、服従などが展開されている世界に住むことになります。そこには常に恐怖と不安と焦りと自他への不信と劣等感、もしくは優越感があります。それらを感じないようにするためにもっともっとその価値観を大きくし、他人に、すごい人間だと見られたい、まわりから、のけものにされないようにする、というところで生き続ける…。そんな洗脳、魔法の世界。

そうか、と腹から気づき、ここから「目を覚まそう!」ということです。

この世界では、人よりできる、頭がいい、家柄がいい、健康、体力がある、目立つ、魅力的、人気がある、メンタルが強い、優しい、いつも選ばれる、人から認められる、特別な力がある、稼いでいる人が素晴らしい人で、それ以外はその他大勢…という価値観です。

確かになんでもできる素晴らしい人っています。しかしその人とは個性も能力も違う自分もそこにいかなくてはいけないと思うことはない。ものすごく丈夫な体と強いメンタルの人っています。しかし、自分もその人と同じようでなければいけないと思うことはない。結婚していない、子供がいない、は、それだけのことで結婚できない、子供ができなかった自分はだめだということではないんです。年収3000万の人には年収300万の私は頭が上がらない、高卒の私が大学院卒の人には意見できないんじゃないんです。

でも、普通すぎてわからなくなってしまっているくらい普通になっている誰かのピラミッド型価値観。これをよく見ていかないといけないのですが、ありがたいことに、洗脳と魔法が形になっているのが黒パターンです。黒パターンの言い分の「なぜならば」のところにこの世界がくりひろげられているでしょう?

そこに反する情報に反応するのが黒パターンだからです。だから反対にある白パターンを選ぶということで自分をここから解放していくことができます(これが覚醒)でも、いつも言うように黒パターンが悪いのではないんです。いや、逆に、彼らがひっかかってくれることでずっと人が目覚められなかった世界から目覚めることができるんです。こうしてみると、黒パターンは「私」の協力者としていてくれているとも言えます。目指せ覚醒。

だからやっぱりまずは…
2020/09/25

自分の成長にともない、職場で、家庭内で、プライベートな人間関係の中で、自分が学んで体験したことを自分の言葉で、自然に相手に伝えている、話をした、ということをお聞きするととてもうれしいです。

仕事でお会いしている方に、職場の同僚に、その人がホッとする言葉や視線をおくれていることは、自分の得たものを押し付けるのではなく、説教するのではなく、ごく自然に伝えていることになります。

その言葉はそのときの相手の状態により色々だと思うのですが「自分を大事にしていいと思うよ」「頑張りすぎなくても大丈夫かもしれないよ」「今の自分でいいんだと思うよ」などなど、その言葉を自分の身近にいる人からおくられることは、自分をわかってもらえているようでとてもうれしいと思います。

そして、そういう自分の体験に基づく言葉を誰かにおくれることは、自分自身がとてもうれしいと思います。シェアするとは、相手だけではなく自分もうれしいことなんです。そしてそのうれしいという気持ちは、自分の存在価値にまつわるパターンのうれしさではなく、魂の喜びです。

自分の成長は、もう、他人から自分を癒してもらう、とか、他人に自分をわかってもらう、とか、大事にしてもらう、ということからだんだんと離れていくことになります。そこがうすくなっていく、それが必要ではなくなっていく。そしてかわりに、誰かに与えていくということに喜びを感じるようになります。

この立ち位置は「もう、自分はいい」というところへつながっていきます。しかしそれは自分を雑に扱うとか、粗末にするということではなく、他人からもらわなくていい、他人にわかってもらわなくていい、自分でできるから、そのかわりにそれを欲している人へそれを使いたいというものです。

たぶん…ここで初めて「愛」というものを行動にあらわすのだと思います。「愛」は与えるのみで与えてもらおうとは思わない。「愛」は宇宙の意思。宇宙は与えるのみなのだと思います。

・・・・・と聞いてしまうと、そうならなくては、とパターンはさわぐかもしれませんが、そういうものではないことはわかると思います。自然に、その人のタイミングで、十分なんです。自分に向き合っていくうちにそのときは必ずきます。

それはどれだけ自分に愛を与えたか、というところにつきます。自分のパターンの全てを愛で向きあう。それの継続で、自分が愛で満ちたときに、それは自然と他人へと向かうのだと思う。だからやっぱりまずは自分。

自分を表現する
2020/09/24

これからの時代は「アートだ」と言う方が増えてきている気がしています。いろんな分野でそう言う方達がいるところを見ると、その流れになってきているのかもしれません。

アートと言われても、自分は芸術には縁がなかったので…と思うことはありません。ここで言っているアートは「普遍的なものへの回帰」と「自分を表現する」ということだと私は思います。

今までの自分を表現するには、自分に付随しているものが必要でした。私は〇〇大学教授です、私は〇〇会社の社長です、私は〇〇大学卒です、私はこれだけの資産をもっています、私は200坪の土地をもっています、私の夫は医者です、子供は一流大学にいっています、私はこれができる、あれなら負けない、などなど、それらが自分(というもの)を表現するものでした。そして、それを聞く側の人たちも「すごいなあ、私とは違うんだなあ、特別な人なんだろうなあ」と思っていたと思います。

しかし、アートのもつ普遍的なものと、アートの根本的にある表現というところが、これから人々の指針にしていくことができる時代に入ってきている感じです。

自分を表現する、音楽で、絵画で、踊ることで、といういかにもアートなものでなくていいんです。今までのように自分を表現するのに、自分に付随しているもの(それも誰かが決めたそれ)に頼ったり、それが自分の価値、それが自分の全てだと思うことはないということです。そんな枠を超えて、自分はどんな人なのか、どんなことを考え、どんな思いで生きているのか、それをそのまま表現する。表現して生きていい。そうやってより自分を解放していく、このことがこれからは必要な気がします。

それだけひとりひとりのオリジナルというものが必要になってきているからだと私は思います。

それは本来の魂の在り方(普遍的なものへの回帰)です(昔、よく言われていた、自然への回帰ではなく、普遍的なものへの回帰というところに人のミームアップを感じます)

そもそもアートに既成はないんですが、昔はまだまだアートを頭で捉えることが主でした。それに対しては知識のある評論家がアートの専門家でもあったわけです。そしてそれを聞く私たちも「そうなのかあーー言われないとわからなかった」と妙に受け入れていました。でも、もうそこも終わっているのだろうと。

道場ではこのアートに関するもの(表現すること)をワークとしてやってきました。「私」を育てるためには自分の「美」を表現することが必要だと感じていたからです。主には言葉を使うものですが、時々、絵をかくこと、色をぬること、物語をつくること、イメージを創ることなど。やってきてよかったと思っています。これからも、これは続けていきます。

イメージしたものは息をする
2020/09/23

きのうの、安藤忠雄氏、そのほかにもここのところ記事として読んだ方々(それぞれに逆境を懸命に、賢明に生きている方々)を通して、人間、どこかで腹を決めることにも少しずつ慣れていくことも必要だと思いました。

腹を決めるというのは、もう、思い通りにいかないことがやってきても、大きく何かを失うことがあっても、予想外のショックなことがあっても、もう、そのときは仕方ない、そのときはそのときで考えよう、そのときにきっと自分は考えられるだろう、どうにかするだろう・・・くらいの思いです。

強く念じるようにして「絶対、腹を決めよう、強くなろう」と力でそれを持とうとするのではなく、まあ、そのときはそのときでどうにかすればいい…くらいのほわっとした、軽さとちょっとしたユーモアとが混ざったようなもの。それを少しずつ、なんとなく、自分の中につくっておくことをやっていくことがいいのではないかと思います(ここのところそこへつながるイメージワークもクラスではしているし)

それがあれば、いよいよのときに、きっとそれは発動します。これから準備するものとして私はこの腹を決めることもお勧めしたいです。

これもイメージしてみてつくります。大変なことがおきたとして(そこに大きくフォーカスしてしまうと恐怖と不安が大きくなるのでそこは、舞台の背景くらいのうすいものを用意)そこにいる自分が以外と落ち着いて、こうしよう、ああしようと考えている姿(これは白パターン)その自分をみている「私」がいて、そうそう、こんな感じでいかれればどうにかなるな、と思っている。

イメージした自分の姿は息をして心の中で生き始めます。こんな自分になっていきたい、と、未来の自分をイメージすることはよくありますが、大変なときの自分もイメージしておいてみることも大切だと思います。

ここに大事なポイントがあります。イメージするものは陽、プラス、ポジティブな楽しく明るいものだけじゃない。陰、マイナス、ネガティブなものへもイメージできる。イメージできるということは、そこへ向き合えるようになっているということ。このときに、恐怖と不安(いつかそうなる、怖いよーーー的な)を増幅させるのではなく、あるものとして、という立ち位置をとることができるように、というところです。自分の中でそれがどんな感じなのかをつかんでいくことになります。

押っ魂消る
2020/09/22

私はおったまげた!!(ちなみにおったまげるは「押っ魂消る」と書くのだそう)建築家の安藤忠雄氏のインタビューを読んで。ほ、ほ、ほんとですか?と思わず言ってしまいました。多分、知らない方が多いのではないかと思い(もしかして私だけ?…かも?)ここに記事を貼っておきます。

・・・異端の建築家、安藤忠雄。大阪の下町に育ち、17歳でプロボクサーとして活動したのち、独学で建築の道へ。大阪を拠点に世界で活躍する。「学歴も社会基盤も、特別な才能もない。困難ばかり。ひたすら全力で生きるしかなかった」。今年、79歳。がんで5つの臓器を摘出するも、いまだ現役だ。一心不乱に生きること、不屈の精神を語る。・・・

「内臓がなくても、生きていけますよ。面白いのがね、中国の方から仕事を頼まれて、『どうして私なんですか』と聞いたんです。『内臓が5つもないのに元気なのは、世界中の建築家を探しても安藤さんしかいない。縁起がいい』と」

2009年にがんが見つかり、胆のうと胆管、十二指腸を摘出した。14年には、さらに膵臓と脾臓を取った。それからずっと、食事管理と運動を徹底している。「食事は1回40分かけて、しっかり噛む。雨の日も風の日も1万歩は歩きます。夜はジムに行って45分。おかげで前より調子いいですよ。内臓がないと、軽くていいです」取材場所の大阪市中央公会堂へ、焼けつくような日差しの下、一人でふらりと歩いてきた。79歳の今、体力も、考えるスピードも40歳の頃と変わっていないという。「緊張感を維持できなくなったら、引退しようと思います。物事うまくいかない時のほうが、かえって気持ちも体調もよろしいですよ。よし、また越えてやると思うから。仕事をしようとしたら、必ず壁にぶち当たる。でも、壁の向こうにどんな面白いことがあるか。その好奇心があれば、乗り越えられます」。(取材・文:塚原沙耶/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース 特集編集部)

すごい、すごすぎる。安藤忠雄氏といえばエネルギッシュな方なので超健康な方だと勝手に思っていました。それが内臓が5つもないなんて。そして「内臓がないと軽くていいです。物事うまくいかない時のほうが、かえって気持ちも体調もよろしいですよ」と言い切る。あの安藤忠雄氏の言葉なのでそこにウソはないと思います。この、不屈の心根を人生のあらゆる場面で使い、育ててこられての、あのエネルギッシュな安藤氏だったのだと思います(私にとってはこういう方が悟った人と思えます)

ご飯作るのが面倒などと言っている自分がなさけない。

今の自分のありようを…
2020/09/21

自己探求による魂の成長と進化、というと、完璧な人になるんだろうとイメージする方が多く、私はすでに出来上がった、完璧な人のように勘違いされやすいですが、そうではありません。

「私」の成長にともない人は進化していきます。

でも、それは完璧な人に向かっていっているのではなくて、今の自分のありようの全てを許している方へ向かっていっています。

じゃあ、今の自分のありようでいい、の、今の自分って?そこにはいろいろある。

例えば、今日はパターンにのみこまれ自分を責めてしまった、そんな今の自分のありよう。でも2日前は、腹がたったけれど、それはあとからケアすることにして、そのときに「私」が白を選んで対処したその時の自分のありよう。5日前は、体調が悪くて「もう、だめだ」というパターンの声を信じてしまいどーーんと落ちた自分のありよう。明日は楽しみにしているドラマの日。今から待ち遠しい、よし、今日の仕事も頑張ろうと思っている自分のありよう。

それぞれにパターンにのみこまれていたり「私」の意思のもとに動いていたり、純粋に好きなことが楽しいと思える自分の個性が現れていたり…とごくごく普通なありよう。それが今の自分のありようで、それでいいということです。

パターンに飲み込まれている自分を完璧ではないとパターンが責めたり、焦ったりするのだと思いますが、実際そうという現実だったのですから、それはそれであり。そして次は「私」を登場させて白を選び行動してみようにつなげればいいだけです。

このようにして、今の自分のありようが、自己探求やワークや熟考や対話の継続により、全般的に、底上げされ、1年前よりは「私」の意思で動ける回数が増えたなあ、新しい意味づけや、視点が少し変わってきているなあ、前よりは楽になってきているなあ、少し、他人が嫌ではなくなってきているなあ、と、今の自分のありようが変化していることに気づきます。

私もずっとそこでやってきました。そして今もなお、それは続いています。だから完璧じゃないんですよ。と聞くと、いつそれは終わるんだと思う方もいるかもしれませんが、それはパターンなので声をかけてあげてください。

「私」にとってこの作業は、やりたいことであり、普通のことであり、ずーーーとやり続けていることです。死後も。そしてそのように得た成長は戻ることなくそれが進化となります。今の自分のありようを全て許している方へ進化していく。

引き寄せ
2020/09/20

先日、あるスピ系の方のブログを読みました。「コロナで皆が不安なときでも、自分は自分の意思で必要なものごと(お金、仕事、欲しいもの、やりたいことなど)を引き寄せることができているので毎日、楽しく、幸せにすごしています」ということが書いてありました。

きっと本当にその人は幸せなのだろうなあと感じました。その人が幸せだと言っているのだから、それはよかったね、なんですが、それと同時に違和感というか、居心地の悪さを感じました。なんだろうこの違和感、居心地の悪さ。自分もそうなりたいのか?うらやましいのか?・・・・と自分を洞察したんですが、それではないんです。

で、わかったことは、私は、引き寄せで幸せになっている人たちの存在を否定はしないけれど、引き寄せは自分の個性には合わないと感じていて、そこへの違和感、居心地の悪さだったとわかりました(この時点ですっきり)

多分、本気で引き寄せをしている方達は引き寄せたものが大きければ大きいほど(自己管理量を超えていれば)何かを大きく手放すことを体験していると思います(バランスを戻すために)私にはこの、手にしたものと手放したものとの間で起こる大きな動きがストレスで、それで疲弊してしまうのがわかります。私には小さな自然なバランスをとるための動きが合っているのだと思います。

そして、もう少し感じてみると、引き寄せを、不幸を回避するためのものに使うというあたりがちらちら見えるのも自分には合わないとも思います。そもそもどうして引き寄せたいのかと考えてみると、不幸にであうことが、怖い、不安、向き合えないなどのパターンがあるからだろうと思います。パターンは回避したいのでしょう。

しかし、人生は幸せ、不幸がほぼ半分ずつ設定されていて、不幸なときにどれだけ「私」を使って、自分の受け皿を大きくできるか、新な視点をもてるか、が求められます。なぜならば、不幸に対峙することで、不幸に出会う事は、初めて減っていくからです。回避をしていてはこれは起こらず、勇気をもって向き合っていくしかないんです。

「私」は不幸の中にいるときではないと発揮できない自分の力によって、豊かに=幸せになる体験をしようとします。

つらいことも、苦しいことも、問題も、悩みも、起きていることをそのまま受け入れつつ(そのまま受け入れるというのは、文句を言ったり、怒ったり、泣いたりするパターンへのケアをスキップしないということも含めて)さて、これをどうしようかと「私」が考え、そこに向かいあうことを頑張ってみる自分でいたいです。そういうことから、私には引き寄せは合わないのだろうと思いました。

いい気分でいること
2020/09/19

で、また、昨日の続きなんですが(このパターン多し)

今自分がいるところ、与えられているものごとの意味を知り、その中で「私」が白パターンを作り、それを実践するということで、今の状況は変わっていきます。

このときに絶対に使うといいのが白パターンをたくさん感じるということです。「白の部屋に入って毎日毎日、そのいい感覚にひたってください」といつも言っているのは、できるだけいい気分でいることを選択したいからです。このいい気分でいることがいい未来を創るからです。

そして、いい気分でいるときには、自分の後ろにいる方達も近寄ってきやすくなります。そこで気づくことがあったり、実際、何かが起きることもあります。未来はひとりで創らず、絶対に後ろの方々にサポートしてもらったほうが楽です。いい気分の連続により、確かにお金も、人間関係も、仕事も、健康もいいあんばいに与えられていきます。これは本当です。

「私はこんなに頑張っているのに…真面目に自己洞察し、ワークをたくさんしているのに、全然変わりません」ということを思う方もいるかも。その言葉、自分の中の誰が言っていますか?この感じは多分パターンでしょう。パターンはこれだけ頑張れば楽になるはずと思っているのだと思います。頑張ることといい気分でいることは、全く違います(いい気分はもちろん「私」にとってです。決してパターンのいい気分ではないです」)

又、いい気分でいれば相手が変わるとか、仕事場がよくなるとか、思うようになるとか、だから自分が楽になれると思うかもしれませんが、そうではありません。自分の外側は変わりません。しかし自分が変わるんです。相手が変わらなくても大丈夫な自分に変わっていきます。それがいい未来です。

で、話は戻り、だから、今の自分のいるところ、与えられているものごとを大事にすることがすごく大事なんです。与えられている仕事は丁寧に、こつこつ、相手が何を求めているのかを見定め、しっかりとやる。そのこと自体がいい気分ではないでしょうか。そうできる自分がうれしい、気持ちがいい、と思えるのではないでしょうか。そういういい気分は自分を進めてくれます。

今日も1日いい気分でお過ごしください。

美人は美人じゃないと学べないから
2020/09/18

前に「他人と自分を比べることはできない。皆違うから。比べられるものではない。だから比べること自体が無理。このことをより深く理解した昨今」と書きましたが。

これがいつもちらちらとあり、ここにきてもっと深く理解できたような気がしています。ほんとうに他人とは比べられないようにできているということがはっきりとわかった感じです。

誰もが(一人残らず)今いるここで自分の課題(課題というのは可能性、才能ともいえると思う)への挑戦をしているだけで(それも自分で決めて)今のこの状況じゃないと学べないから今のこの状況なんだ。それだけなんだとわかりました。

どんな暮らしをしているとか、どんな仕事をしているとか、どれだけ預金があるかとか、美人かとかかっこいいかとか、他人が賞賛しているかとか、頭がいいかとか、そういうことはどうでもいいことなんです。美人は美人じゃないと学べないから美人に生まれた。お金にずっと恵まれていく人はその状況じゃないと学べないからそうなっている。

そういう意味では今自分がいるところ、今自分に与えられているものごとは自分にとって最もふさわしいところ、ものごとなんです(「私」のセッティング)ふさわしいというのは、自分の課題への挑戦(可能性、才能をのばすこと)が最もやりやすいということです。このことが理解できてくると、今の自分に対しての不平や不満などは減っていくのかも。宿命というものへの理解にもつながるのかもしれません。

「伊藤さんはいいですね、自分の好きな仕事をして」と言われます。でも、これは私の魂(「私」)がこの状況じゃないと学べないからなんです。「いやいや、好きな仕事と言ったってね、大変なことがありますよ」というレベルのことではないんです。

今、自分の置かれている状況じゃないと学べないのか、という視点をちょっと持ってみてください。そして全員がそうだと考えてみてください。一生を、全てにおいてほぼほぼ、うまくいく状況で生きている人も確かにいます。その人はそこに学ぶべきものごとがあるんです。

どうせなら今世そうでありたかったと思うかもしれませんが、きっと前世で私たちはそういう体験もしてきています。ですから今自分のいるところ、与えられているものごとには意味があり、それによって自分はよりよい方へ向かっていると考えてみてください。「私」はより良い方へと動きたいのですから。

しかし、それはこのまま我慢する、そこにずっと居続けるということではないですよ。その状況の中での白パターンを創り続けていくことになります。

魔法にかかっている
2020/09/17

昔、お会いした方(音楽家の方)が「人々は魔法にかかっている状態だ」と話していらしたことを思い出しました。

魔法にかかっている状態というのは、一般的価値観という魔法で、その魔法にかかっている人はその一般的価値観に沿って自分自身も自分の人生も生きることをしていくことになるという話です。

私はそれを洗脳という言い方をしますが、その方は魔法にかかっていると言いました(音楽家ですね、言葉がきれい)

その魔法は威力が強く、自由に生きたいと思いながらもそこから抜けてしまうことをとても怖がるのだそうです。そこからはずれてしまうと、誰も自分を相手にしてくれなくなる、そうなると、仕事もなくなる、生活ができなくなる、ひとりになってしまう、と思っているからだということです。だから何かが変だと感じていても魔法の世界で生き続けるのだと…。

なるほどーーーと興味深く聞きました。その方は音楽を通して生徒さんたちの魔法をといていきたいと話していました。

私たちは子供のときから魔法にかかってしまっているんです。しかしそれは親のせいではない。親もまたその親から、又その親からとずっと魔法は続いているからです。そして、それは子供であろうと魂の成長のためにはまず、魔法のかかった体験をするんです。

でも、誰か、このことに気づいた人がそこでその鎖を切っていくことでそこを変えていくことができます。

魔法がとけた生き方って?単純に言ってしまうと、もう、みんながこうだから…、社会がこうだから…、普通はこうだから…というところでものごとを決めなくなります。自分はどうしたいのか、自分はどう感じているのか、自分はどう考えているのか、みんながではなく自分は、に、変わっていきます。

そんなになったら協調性のないわがままな人になってしまうのではないかとよく言われますが、協調性って何?他人に合わせていくことが協調性ではなく(厳密にはその意味づけもある)それぞれが違っている者どうしがひとつのことを成しえるために力を合わせることが協調性…という意味づけもある。

魔法がとけると意味づけの豊富さにも気づいていきます。目の前にあった枠がなくなるから。遠くまで見渡せるようになります。そこで見つける意味づけです。

わがまま、もね…「我が意のままに」…という意味だそうで、我が意というのは「私」のことです。だからわがままに生きよう。我が意は何を語っているのか、心の耳を傾けてみよう。魔法をといてくれる王子様はあらわれません。自分が自分の王子様になってあげる。そうして魔法から解放してあげる。それは一気にできることではないし、迷ったり、間違えたりしながら進みます。というか、その進み方しかないものです。その進み方を自分が受け入れるかどうかというところも大事なところ。

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