夢について | - 2022/05/10
- いまでもあの夢のことを思い出すと、気持ちが沈みます。
私はほとんどニュースを見ません。それでも、今世界で起きていることに影響されてそういう夢を見たのではないだろうか、と考えましたが、父の命日だったというところもひっかかります。父が私に言いたいことがあるのではないか、と。
で、ふと(考えると言っていますが、私はこのふとということがほとんどです)「他を思え」と言われている気がしました。
私が夢の中でリアルに感じた恐怖と不安、挫折感、理不尽さ、後悔や無念さ。こういう気持ちをもっともっと現実として、毎日押しつけられている人達が世界中にはたくさんいるんだということです。そして、それがいつ終わるのかもわからない。「そのことを忘れてはいけない」と言われたような気がしました。
日本は平和ボケしているといわれるくらい平和です(とりあえず)どうしてもそこに慣れてしまうと、普通に暮らしていることがあたりまえすぎて、もっとこうだったらいい、もっとこれが欲しいとますます生きることにボケてしまいます。生きることで最も大事な視点がボケてしまうのです。
でも、今日1日を生きられるどうかもわからず、家族がどんなことになっているのかもわからず毎日を過ごしている人たちがたくさんいます。特に乳幼児や小さな子供たちを持つ親は、その子たちに何を与えてあげられるのか、子どもたちに未来はあるのか、悲嘆にくれていると思います。
そういう人の気持ちを、どこかで忘れていたと気づきました。毎日その人たちと同じように苦しまなくてはいけないということではありませんが、実際にそう苦しんでいる人たちが大勢いることを、私が呼吸しているように、その人たちも呼吸をしていることを忘れてはいけないと思いました。
その人たちが普通に生活ができるように、紛争が全て終わることを祈ります。
そしてもうひとつは「危機感をもて」ということだと思いました。心をおだやかに、平和に、美しく生きることは大切なことだし、本来人はそのように創られています(人は神の子としての「私」をもちそれとして生きることができるから)もし、ほとんどの人がそこで生きている場合は、もう、自分と自分の家族を超えて、人類として生きることが世界中に現れてくると思います。
しかし、今は全員がそこにいるわけではなく、圧倒的に黒パターンの世界で皆が生きています。だから間違いは世界中で容易に起こると言われています。そういう中で生きるためには「危機感を持つ」ことは大切です。
ただ、危機感とは毎日びくびくと自分を小さくして生きることではなく、できるだけお金や物質をため込むことでもなく、それについての多くの情報で自分をかためることでもなく、自分だけ助かればいいと行動することでもありません。
危機感とは、それもありうるだろうという視点をもつことです。それを持って心を備えておくということです。いたずらに怖がることではなく。多分、父はこの2点を私に持つようにいいたかったのだろうと私としては思いました。
・・・・・というところで納得し、こうして日々暮らせることにますます感謝していきたくなりました。この、普通に生きられることが世界中の人々に訪れますように。
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