ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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あるとき気づく
2020/07/27

あるとき気づく。

そういえば、以前ほど何かに癒しを求めることをしなくなっているなあ…と。例えば、あんなに好きでよく行っていた旅行にそういえばこの頃全く行っていないし、別に行きたいとも思わないなあ、というものです。

旅行はとてもわかりやすく、まず、非現実を味わえる。環境が変わるので、いつものめんどうくさい人間関係からも解放される。旅先ではホテルや旅館に宿泊することになるのでそこでは大事に扱ってもらえる。生活にまつわる諸々のことをやらなくていい。などで、心身が癒されます。それが味わいたくて、今まで時間があれば旅行に行っていた人も、そういえば…という自分に気づきます。

それは、今の自分の日々の生活の中に(生活そのものに)自分の癒しをみつけているということなんです。または癒しの質が変わったとも言えます。またはそれほど癒されなくても大丈夫になっているとも言えます。癒しって?とあらためて考える人もいるかもしれません。

これはひたすら「私」の成長によるものです。こうしてだんだんと自分の外に何かを求めることをしなくても大丈夫になっていきます(かといって旅行に行ってはいけないということではもちろんありません。ここでの旅行では、癒されることを求めるのではなく、それがないからこそ純粋に楽しみ、そこで体験したことの意味を受けとるようになると思います)

こんなふうに自分の成長を感じられることもあります。自分に向き合うことは地道な作業ですが、こんなふうに所々で自分の成長をみつけることがあります。それを見つけたり、感じたりする力も育っているので、今まで気づかなかったことに気づくということがよくおこります。

そうやって生きることが人生を豊かにしていくということだと思います。

大雨の中を…
2020/07/26

きのうは、急に大雨が降ったと思うと、急に雨がやみ晴れ間が出るということを何度も繰り返すお天気でした。

ちょうど出かけたときと帰るときは大雨にあたってしまいました。大雨で足元がぐしょぐしょになりながら、霊体にとっては大雨だろうと、晴れだろうと、雪でも、風でも全く関係ないんだよなあと思いました。この肉体があるから「足が濡れて気持ち悪い」とか「腕がかなり濡れてる」とか感じるんだよなあ・・・・・と。

そのときに思い出したことがありました。高校生(多分2年生の頃)のときのこと。ある暑い夏の日の土曜日の午後、誰もいない教室で同級生と2人で話していたら急に大雨が降ってきました。すごい雨でしたがなんだか2人とも校庭に出てみたくなり、そのまま外へ飛び出しました。

大雨に打たれて、でも、それがとても気持ちよくて2人で大笑いしながら校庭を駆け回った。顔も髪も制服もずぶぬれになって、でも、とても気持ちがよく、私たちはとても楽しかった。それを見つけた先生から「入りなさい、風邪をひくでしょ」と言われ、バスタオルを渡してもらったことがありました。そのときのことを思い出しました。

次の日、私は高熱を出し、数日学校を休みました。友人は全く大丈夫だったらしい。今でもあのときの校庭の感じや、シャワーのような雨や、友人が本当に楽しそうに駆け回っていた姿や、雨に濡れてよれよれになった制服を覚えています。

たいした思い出ではなくても、本当に楽しかったことって覚えているものです。そしてその逆に本当に悲しかったこと、つらかったことも。そんな思いでの積み重ねで自分ができているんだなあと思うと、人間、なかなかのものだなあと思います。

今のこの自分の体でいい
2020/07/25

きのう、お会いした方からうかがったお話です(ご本人の承諾を得ております)その方が初めて「アーユルヴェーダ」の施術を受けたのだそうです。アーユルヴェーダには3つの「体質」タイプがあるそうで(誰もがその3つのタイプの特徴をそれぞれに持っていてその中で優位に立つタイプということを優先するらしい)自分の体質タイプにあったオイルでの施術がとても気持ちよかったということを話してくれました。

そして、そのときに施術者の方から言われた言葉にとても驚いたということでした。それは「自分の体質タイプというのは、その特徴が増しすぎてしまうとよくないものであるけれども、これがちょっとあることでその人の健康が保たれる」というものだったそうです。

例えば、そのタイプの中に冷えが入っていても、それは悪いものではなく(増してしまえば悪く働くけれど)それがちょっとあることでその人の体はそれでバランスをとっている(健康)ということなんだそうです。

一般的には冷えはよくない、病気の根源、だから冷えはなくさなくてはいけない、となるのですが、これがちょっとある(多分、必要な分ある)ということでバランスがとれている=その人の健康が保たれている(そういう体質)ということなんだと思います。その方は、それは黒パターンも白パターンもあることで心のバランスをとっているということと同じなんだと思ったと話してらっしゃいました。

そして、施術者の方からこの説明を受けて安心したと話していらっしゃいました。今のこの自分の体でいいんだと思った…と。これは、とてもよかったと思いました。

これはよくない、だから良くしなくてはいけない、という情報があまりに多く、自分の本来の体を違うもの(正しい健康体?)にしなくてはいけない、したい、ということをずっとやってきたとその方は話してくれました。

お手本のような体があって、それを信じている体についてのパターンが理想とする健康体、そこへ合わせていこうとすることが実は自分の体の在り方を無視していたり、よかれと思ってやっていたことが体にとっては不要なことだったりということがあるんだろうね、という話をしました。

自分の体を信じる大切さ。自分の心を信じる大切さ。肥大化した健康という名の病。

洗濯ものをたたむとき
2020/07/24

大相撲7月場所が、国技館で行われています。

1日当たりの観客の上限を2500人に設定。升席には1人。椅子席も間をあけて、と、すきすき状態ではあるようですが、それでも、観客が入り、大相撲ムードが感じられます。声援が禁止なので、観客は精一杯の拍手とそれぞれの応援幕で応援することになるので全体的に静かです。それでも人々の熱い思いと、力士ひとりひとりの士気を感じる毎日です。

私は毎度のように、TV観戦をしながら洗濯ものをたたむという幸せなひとときを過ごしております。こういうほんのひととき、そのときに感じる幸せ。それは他人から見たら、全くどうってことではない、だから何?というものなのだろうと思いますが、本人がそこに幸せを感じられることがいいですね。

お会いしている方々が、それぞれに、自分の感じている幸せを口にしてくれます。毎日、安定して生活していること、ご飯が食べられていること、仕事があること、眠れること、自分の好きなことをできていること、元気でいられていること、それぞれがそれぞれの幸せで、それはささいなことなのかもしれません。でも、自分にとってのそれで十分です。それを大事にしてほしいと思います。

今、先の見えないことや、今までとは違うありかたなどに不安を感じている方達が多いと思います。その心にある感情や感覚への共感は大事なものですが、そういう人に悪いからと自分が幸せを感じることをやめてしまうことはありません。これからの時代は、ますます自分のありようというものを中心にして、そこで生きていくことになると思います。

今までは、まわりに気をつかい、まわりに合わせて、そこからはみださないことが最優先されてきたかもしれませんが、これからは、自分をもうそういうところに置かなくていいというところを自分に許してあげるといいと思います。今日も自分の幸せを感じてお過ごしください。私も洗濯ものたたみを楽しみにしています。

奇妙なことに・・・
2020/07/23

『「私」がパターンたちを理解し、許し、愛してあげてね、それにより彼らは安心してそこにいるから。安心するので、もう暴れなくていいと思うようになり、だんだんとひっかからなくなるよ』ということですが、デヴィッド・R・ホーキンズ博士の著書に同じことが書かれていたので書いてみます。

…「奇妙なことに、自我の支配は、受容、親和性、憐れみ深い理解によって弱まる。対して自己批判、恐れ、恥によって強められる」…(自我を溶解し、自己に目覚める より)

この自我をパターンに置き換えてみてください。パターンに対して受容し、親和性をもって、深い理解を与えると、パターンは弱まり、逆にパターンに対して自己批判し、それを恐れ、そんなパターンは恥ずかしいを与えると、パターンは強くなると言っています。本当にそのとおりだと思います。

そして、おもしろいことに「奇妙なことに」と言っています。

一般的にはよくないもの(黒パターン)を受け入れ、理解をしめすともっとそれが力をつけて強くなるのでは?と思えるから、それを批判し、その存在を恐れ、それを恥だと思うことで、それは力を失って、静かになっていくのではないかと考えるのだと思うのです。しかし、これが逆だった。奇妙なことに、です。

これはよくあります。あれが欲しい欲しいと思っているうちは手に入らず、もう、いいか、あきらめよう、もう、いいか、今あるので十分かも、もう、いいか、もっともっとは…と意識がそちらへ動いたときに思わず手に入るということ。でも、そのときにはもう、いい、と思っていたのでそれほどうれしくはなかったりします。

こうしてみると、欲張らず、今あるものでいけばいい、ということがいい流れになっていくことは確かです。それぞれ今の自分に必要なものは与えられています。

そして、自分にむきあうときには「愛」をもってということです。自分へ愛を与えてあげることでそれは自然と他人へもいくので、まずは自分にたくさん「愛」を与えてあげてください。

自分の心を愛で満たす。自分の心に天国を創る。

清濁は自分ではない
2020/07/22

清濁併せ呑むがあるから、中庸がわかる。真ん中に立てる。よく考えたらそうだよなあと思うと思います。

両極を知っているからその真ん中がわかる。そして真ん中に立てるということはどっちにも動けるということです。そういう意味で自由で楽だということになります。

どうしても、人間、自由で楽と聞くと、いいことだけ(清だけ)と思うのですが、そうではないということです。これだけでは不自由で苦です。聖人君子、マスターが、落ち着いて、自由に、楽に生きているように見えるのは、清濁併せ呑むことをよしとしているからです。全てあるものをあるものとして、好き嫌いせず、認めているからです。

では、清濁はそのままでいいとしたら、人は何に対して自分を研磨していくのかということになるのですが、それは『清濁は自分ではない』というところへの理解と認識を深め、それではない自分として生きるというところを研磨していくわけです。道場でいう、パターンは自分ではない。そして、それではない自分「私」として生きるというところを研磨していくということです。

それまでは「清濁」が自分だと思って生きてきた。それまでは「パターン」が自分だと思って生きてきた。ですからそこを使わず、そうではないものを自分として生きるということは大アドベンチャーではあります。

しかし、転生している魂は毎回毎回そのために学び続けてきました。ですから魂の中には、その記憶もあるし、そこへの挑戦もあったし、そこへの衝動、大欲があります。魂がまっすぐにみつめているものはどの転生のときも同じものだったんです。それは、神とか、宇宙の意思とか、永遠にあるものとか、普遍的存在とか、人知を超えた何か、とか、呼び名は色々ですが、そういうものへ向かい、合一していくということです。

それに向かっていくためには「自分はパターンではない」を深く理解していくことになり、それは、自分の霊的な真実を知ることになります。これは宗教ということではなく、特別なことではなく、人が心の深い深いところでずっと知っていたこと、わかっていたことです。今世ではそれを肉体を持つひとりの人間として体現していきたいと思っているのです。

今世、このことに気づいた方たちがきっとこの日記を読んでくださっているのだと思う。そして、その気づきは、真髄にあるものです。そこに気づいている自分にどうぞ誇りをもってください。

清濁併せ呑む
2020/07/21

勇気をもって行動をする、というとき、それは黒パターンをケアして、行動できるようになるまで待って(黒パターンが怖がらなくなるまで待って)行動をする、ということではありません。

黒パターンにひっかかりながらも(それを持ちながら)行動をするための白を選び、あえて、行動をするということになります。これは全てにおいてそうです。自信がつくまで黒パターンをケアして、自信がついたら、あれをやろう。もっと自分を愛せるようになるまで黒パターンをケアして、そうなれたらこれをやろう。そういうことではないということです。

ここで望む「こうなったら」ということはいつまでたってもやってはきません。今やるということしかありません。

…お坊さんになりたいと願っていた若者がお坊さんになるためには、仏教を学ぶ、書も必要、お茶がたてられるようであらねば、瞑想もしないと、馬にも乗れないと、もっとこういう自分にならないと、としているうちに、お坊さんとしての仕事をすることなく死んでしまいました…という話がありました。

黒パターンの変化を待つというのはこういうことです。だいたい変化しないし。そのままでいいよ、と「私」が言っているし。

黒パターンにひっかかりながらも(それを持ちながら)行動するための白を選び、行動にうつすということです。このときの、行動するための白を選び、という一瞬にチャンスがあるわけです。あるマスターはこの一瞬に精霊が宿っていると言いました。その一瞬の精霊を選ぶことが大事です。黒パターンにひっかかりながらも(それを持ちながら)それとは違うものを選ぶというところに意味があります。

これを同時に両方持っているというところには、清濁併せ呑むという世界があると思います。この清濁併せて呑むから、自由で楽であるということなんです。

この世は清濁です。清だけではないし、濁だけでもない。両方でひとつです。心の中も同じ。黒パターンと白パターンでひとつです。そんな感覚を体験するための黒パターンにひっかかりながらも(それを持ちながら)白を選び、行動するというものでもあります。

自分で完結できるように創られている
2020/07/20

自分を苦しめているのは自分(自分の黒パターン)他人が自分を苦しめる、出来事が自分を苦しめているのではなくて、それぞれの自分の中の黒パターンが自分を苦しめています。厳密にいうとパターンが「私」を苦しめることはできないので、パターンが苦しみを生み出して、そのパターンが自分の苦しみでますます苦しむということです。

ということはパターンが苦しみという感情を生み出さないようにしてあげればいいです。ということは、そのパターンがひっかかりにくくしてあげればいいです。ということは、やっぱり語りかけ。と、ここに戻ってきます。

語りかけは本当に大事な作業なんです。だから続けながら自分でその質をあげていかれるといいです。

「私」の苦しんでいる黒パターンに語ってあげたい、という意思で、黒パターンにむきあって語ってあげることには、自分をまるまる抱きかかえていくような感じを感じられると思います。

「自分をまるまる抱きかかえていくような感じ」これは今の自分の何も変えずに、そのままを両手で抱え込むような感じです。抱え込むためには、これはいてもいい、これはいてはだめとはありません。全てOKというものです。

このように自分に対して好き嫌いをする黒パターンを使わないで、まるまるOKになっていくための練習にも語りかけはなります。

又、このまるまるOKという感覚を感じる前に白パターンを選ばないようにするということも大事です。黒パターンが黒パターンを制したいと思っていると本来「私」が白を考えるところを(そのタイミングも含んで)黒パターンがすぐに白パターンを考えてしまうということもします。そこには、とにかく早くこの問題を終えたいという黒パターンの思いがあるのだと思います。そこを間違えないようにすることはとっても大事です。

黒パターンがすぐに白パターンを考えなくていいように、安心させてあげられるといいです。

ずっと一緒にいる黒パターン。そして、自分の生み出した感情で苦しんでいる黒パターン。それを助けられるのは「私」だけです。結局、すべて、自分で完結できるように私たちは創られています。

さわやかな人
2020/07/19

俳優の三浦春馬さんが亡くなりました。自殺だったということですが…。きのう、そのことを知り、力がぬけてしまいました。

というのは、JUJUさんと三浦春馬さんがMCをつとめる番組「世界はほしいモノにあふれている」(旅するバイヤー・極上リスト)が好きで見ていたからです。つい先日16日にもその番組を見て、いつみてもさわやかな人だなあ、JUJUさんといいコンビだなあと思っていました。

この番組では世界中の極上の品々をトップバイヤーがみつけてきて、それを紹介するのですが、三浦春馬さんは毎回その品々を、本当に楽しそうに、興味深々で紹介していました。もう、あの姿が見られないと思うととても残念です。

自殺は本人だけではなく、まわりにいる人たちを大きく傷つけます。それはずっとその人たちの心にしこりのように残ります。私も大事な人を亡くしましたが、何年たっても、実際、その人との良い、楽しかった思い出があるはずなのに、その思い出と、その人が結びつかず、その人を思うときには、なぜ、気付けなかったのだろう、何かできたんじゃないか、あのとき、こう言っていたと、当時のまま心が止まってしまっているようになります。そう感じると、その人もそのままそこで止まっているのではないだろうかと思ってしまいます。それは今でも後悔の痛みをともなって自分の中にあるのがわかります。

死んでしまいたいと思うことはきっと誰でもあると思います。生きていること自体が面倒に感じられたり、行く先に何もいいことがないだろうと思えてしまったり、自分というものを終わらせてしまいたいと思うこともあると思います。

しかし、自殺してしまった後に、自分がどれだけ愛されていたのか、どれだけ大事にされていたのか、どれだけ必要とされていたのかを知ることになり、それによりまた苦しむことになるのではないかと私は思っています。自分を責めて苦しむ自分のまわりの人たちを見て、初めて気づくのかもしれません。でも「私はひとりではなかったんだ」と気づいたときには、もう、遅いんです。

自分を追い込んでしまう前に、今苦しんでいる自分のまわりには、実は愛してくれている人たちがいるということ、大切に思ってくれている人たちがいるということ、必要に思ってくれている人たちがいるということ、そして、苦しみは永遠に続かないこと、抜け道はたくさんあるということ、このことに気づくことが大切なのだと思います。それが感じられれば、人は生きていかれます。

生きぬく、そして天から吹き込まれた命をお返しするということだと思います。命も自分のものではないんです。お預かりしているものです。だから大切に扱わなくてはいけないのだと考えました。

フライ料理
2020/07/18

茅ヶ崎夏合宿、無事に終わりました。

今回も、皆で話し、考え、お互いに気づきを与え、気付きをもらいながらきっとそれぞれ新なものを手にして自分の走るコースへ帰っていったことと思います。また、しばらくの間はひとりで走ります。

このグループでの人との距離感がいいです。家族や職場の人たちや友人とは違う、大人の関係は、貴重なものだといつも思います。

そして、メインはひとりで走るということ。でも、先日も書いたように、ひとりぼっちではない。いつも自分を応援してくれるものが並走してくれています。そこへの信頼をもちつつ、自分の走りを続けてもらいたいです。

さて、今回、最も印象的であったことは・・・私がフライ料理をする・・・ということについての反応でした(話はクラス後のご飯のときのものですが)

私が「かつおのフライが美味しいんだよ」と話したところ「ええーーーーーっ、先生、フライ作るんですか?」「お惣菜買ってきて全てすませていると思っていた」「あんなに手間がかかるフライを?先生が?」「これは…2020年一番の驚きだ!」「もしかして…エプロンもするんですか?もしかして、ピンク?」と話しが膨らむ膨らむ(笑)

私にとってフライ料理は、迷いのない、自信をもってできる料理で、エビフライ、アジフライ、カキフライ、時々コロッケ、など作ります。手順も同じでただ油に入れれば揚がるので、安心してできる唯一の料理で、尚且つ、ソースをかければ全部おいしい。

私には逆にそれしかできないというところがなさけなく、恥ずかしい、という話だったのですが「…フライを作るんだ…(呆然)」というところへの驚きは大変なもので、これだけでかなり笑えました。

この話のあった次の日の夜ごはんは皆でとんかつを食べに行きました。とても美味しかった。やっぱりプロのフライはおいしい。

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