ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

道場的には…
2024/04/08

「BRUTUS」に哲学者「千葉雅也が進める9冊」という特集があり、それへの千葉さんのコメントがありました。その一部を書きます。以下。

『今の社会がおかしな方向に向かっているのではないか、と感じる人は増えているかもしれません。が、多くの人は世の中に適応することをよしと考えているので、世界や社会の変化を簡単には疑えません。安易に適応ばかりしていると、人は考えることをやめ、全体主義に走ってしまう恐れがある。それを防ぐには哲学を通じて物事を根本から考えることが有効です。ただし哲学を学ぶには既存の答えを疑い、自分の価値観が根本から突き崩される覚悟が必要です。』

この文章の中で、共感を持ったところは「人は世の中に適応することをよしと考えている」というところ。「安易に適応ばかりしていると人は考えることをやめ、全体主義に走ってしまう恐れがある」というところ。そして「哲学を学ぶには既存の答えを疑い、自分の価値観が根本から突き崩される覚悟が必要です」というところ。

道場的には、これらは、パターンで行動している姿を現しています。「世の中には適応したほうがいい」「全体主義(みんながそう、みんながやっているから、一般常識)に沿っていったほうがいい」「既存の答え、今までの価値観を守りたい」などなど。

それぞれになぜならば…があります。しかし、千葉さんはここを見直せと言っています。そして、それには覚悟が必要なんだとも。

今迄いたところから抜け出すのには勇気がいります。ましてや初めてのことなので、戸惑うだろうし、本当にこれでいいのだろうか、と疑ったり、不安にもなったりするかもしれません。

しかし、抜け始めてしまえば、こんなにも自分が軽やかに、柔軟に生きられる存在であったのか、と、初めて知っていくことになります。そして、いかに今まで他人を支えにしてきていたのかもわかります。そこを外していくことでの(他人から離れることでの)自由なのだと思います。

もちろん、嫌なことも起きます。でも、今までの既存の価値観や、既存のやり方でそれと接しなくていいということがわかっているので、その時に必要なものごとを選んでいけばよくなります。

今迄のところから脱出です。一度、自分を崩してしまってから再構築する。それは怖いことではありません。崩す、というのは黒パターンを選ばないということだからです。

新入社員
2024/04/06

この時季、あちこちでフレッシュマンを見かけます。緊張した様子で、先輩だろうと思われる人と一緒に電車に乗っていたり、先輩の後ろをついて歩いていたり。社会に出て、これからいろんなことがあると思いますが、心が動くような仕事ができるといいなあと思います。

先日、TVで、ある企業の新入社員歓迎会の様子が映し出されているのを見ました。新入社員を囲むようにして先輩たちが座っていて、談笑している様子でした。

しかし、そこでの話は自分との相違を感じるものでした。先輩が「がんがん働いて、年収〇千万になったら、六本木にタワマン買う、も可能なんで。それ、十分ありなんで」と話していました。たまたま、見たのがその場面だったということなので、それだけではないとは思いますが、仕事の醍醐味とか、仕事を通して自分がどんなことを体験したか、とか、これから働く人たちの心に届くような話はないのだろうか、と思いました。

その後、場面は変わり。今度は新入社員だけ6人の二次会となりました。そこで話されていたこともお金の話。「毎月、貯金どのくらいできるのだろうか?」という話。「3万できればいいほうかも」「3万は自分的にはきつい。でも、貯金はしたい」という。で「じゃあ、毎週金曜日は、飲み会ってことで…やりましょう」と。毎週飲み会って…それが親睦をはかることと思っているからだろうか。飲み会がなくても若いからこそそれぞれの夢を語り合ってほしいし、お互いに知り合っていってほしい、と思いました。仕事ってお金を稼ぐためだけのものになってしまうと苦しさだけになってしまいます。飲み会ってその憂さを晴らすために誰かが作ったものなんじゃないだろうか。

おまけにその場面に対して流れたコメントは「皆さん、若いのにしっかりしています。今から自分の生活というところに目を向けていて」とか言っちゃってる。

こういう場面を見て共感する人のほうが多いのだろうなあと思いました。お金は大事です。生きていくのにはどうしても必要なものだから。でも、お金に使われてしまったらだめです。

2つの目
2024/04/05

昨日は久しぶりに「我が家の書斎」(図書館)へ。そこで少し本を読み、となりにある高砂緑地へ行くと大きな桜の木があり満開でした。こんな近くにこんなきれいな桜があったとは。しばし桜の木の下で上をみあげながらいました。

私の母は桜の花が怖いと言っていました。花のひとつひとつが顔に見えて、全員で自分を上から見ていて、自分の心の中が全部見透かされているようで、だから怖いと。

そんなことを子供に言う母親はあまりいないだろう。でも、皆が綺麗、美しいという桜の花をそのように感じている母が好きでした。母にはきっと何か心に隠しておきたいことがあったのでしょうね。

心に隠しておきたいことがある…これ、誰でもあると思います。人には言えないこと、隠しておきたいこと、などなど。誰でも2つや3つや4つある。私はざっと数えて20くらいある!。心を持つ人間ってたいして大差がないと思う。

だから自分がこんなものを持っているから、過去にこんなことをしたからと自分を卑下したり、責めたり、長きにわたって後悔しなくていいんです(確か…後悔から何を得たか?をクラスでやったような)大事なのはこれからですから。

そして、良い、善い、これからのためには「今」が最も大事なんです。とにかく「今」なんです。で「今」って?と思う方もいるかもしれません。「今」っていつからいつまで?と。「今」はこの1分、いや、1秒といっていいくらいの瞬間瞬間の「今」です。その1分1秒という「今」をいい気分でいることが大事なんです。

こうして次の1分1秒、また次の1分1秒…と。この「今」はすぐに過去になりますから、いい気分の過去が連なっていく。それを持ちつつの、新しい、いい気分の1分1秒を創る。

では、そのときのいい気分って?こう考えたら、これをしたら、ここへ行ったら、これを食べたら、いい気分だよね、と言っているうちにすでに何分もたっているでしょう?そこはいい気分がまだない状態。ということは?そうではない、いい気分ってどう創るの?これを考えてみてください。

俯瞰して大きな目で物事を見ること、と、このように細かく分解していく目で物事を見ること。この2つを自分が持てるといいです。

大難を小難へ
2024/04/04

昨日の朝の「沖縄津波警報」目を疑いました。なんで?なんで?としばし意味がわからず。

どの地域にどのくらいの津波が来るのか、TVの画面を見ていました。津波予想3mという文字が目に入り、どきどきしてしまいました。観光客も多いと思うので、ごった返したのではないでしょうか。

しばらくして「解除」されて、ほっとしました、が、台湾の方々へ思いを馳せます。

本当に、今や、どこで何が起きてもおかしくないです。神経質に怖がることはしないほうがいいですが、危機感を持っておくことはやはり必要。全てが必然で起きていることであれば、それはそれで受け入れていかなければなりません。

で、今朝、いつも通りに「観音様」に手を合わせていたときに「この時代に生まれたことの意味を知る」と言われているような気になりました。気…なのでこれが絶対ではないです。

この時代を選んで自分は生まれてきて、これから来るであろう今まで自分が体験したことのないようなきつい体験に遭遇したときに、少しでも大難を小難にしていく自分として在ること、それがこの時代に生まれたことの意味なんじゃないだろうかと思ったのです。

大難を小難にしていく、というほどの大きな力を私は持っていないですが、小さな力も集結していけば、そうできるような気がします。この時代に生まれてきている人たちはそんな意味も持っているんじゃないだろうか。善い集合意識の持つ力の大きさや影響力を知り、そこへ自分も参加していくことじゃないだろうか。

そのためには、自分を整えていくこと、と、祈ることだと思います。人は幸せになるために生まれてきている、という事は本当にそうだと私は思います。しかし、幸せって、ただ嫌なことがなくて、全部自分の思い通りにいって、ストレスも疲れも全くない状態を言っているのではありません(その意味づけの領域はあります)

何かほんの小さなことであっても自分が誰かのために、何かのために存在していることが人にとっては大きな幸せ、喜びなんだと思います。そんなことを考えた今朝でした。

考えながらコーヒーをすする
2024/04/03

昨日、お昼ご飯を食べたお店にて。となりには20代の若い女性とお母さんのお二人が座っていました。テーブル間がせまいため、話が聞こえてきます。

娘さんはずっと話をしている。職場での人間関係のこと、趣味でやっているバンドでの人間関係のことのよう。今はひきこもっているらしい。お母さんは話を聞きながらもカウンセリングを受けることを勧めていました。娘さんもそうしようかなと思っているということでしたが、その後も休むことなく続く話を聞きながら、<何が言いたいのかなあ?>と考えながら聞いてしまいました。

結局、言いたいことは、自分の思い通りに皆が振舞ってくれない、それによって自分は病気になっている。その自分に対して「『考えすぎなんじゃないの?』と言う人がいるけれど、考えすぎてしまうところが病気なのに、そういうことがわからないから頭にくる」ということでした。自分を自分の望むとおりにわかってもらいたいんだね。

途中で誰かからその娘さんに電話がかかってきて、その会話も聞こえてきます。「私のことをあきれるような顔をしてみたでしょ?そうだったでしょ?ばかにしてたんでしょ?(多分、相手はそうじゃないといったのだと思う)絶対そうだった。私にはそう感じられたんだから」と言って電話を切ったあとにお母さんに「いらいらする、本当にいらいらする」とまた話がエスカレートしていきました。

お母さんもさすがに疲れてしまったようで「とにかくカウンセリングよ。私ではわからないからプロの人に話を聞いてもらいましょう」と言っていました。

うーーーーん。どうしたもんかねえ。と考えながらコーヒーをすする私。そして、思った。私もそうだったと。20代の頃は彼女のようだったと思いました。仕事場でもプライベートでも、自分の思い通りにいかないということで、この人は自分とは合わない、この人は自分をわかっていない、この仕事は自分には合わない、もっと自分をわかってくれて、もっと自分に合っている仕事があるはず、と思い、転職しまくっていました。これって、となりにいる娘さんと同じだよな、と思いました。

どうしたらいいのか?というところはわかりませんが、ただ、一つ言えるとしたら「今がこのまま続くことはないよ」ということです。人は必ず変化をしていく。自分でそこに居続けることを選ばないなら。苦しむということは変化したいからで、変化に向かっているということなんだと思いました。

諸々の条件
2024/04/02

昨日書いた「自分の面倒は自分でみよう」「自分のおもりは自分でしよう」ですが。

もっと今の自分の状態が良ければ私もできる、もっとこれとこれがあればできる、と思うかもしれません。

もっと自分に貯金があれば、時間があれば、もっと自分が健康ならば、もっといい仕事についていれば、もっといい暮らしができていれば、もっと人との関係が良ければ、もっと積極的な性格であれば、結婚していれば、子供がいれば、自分も、自分の面倒は自分でみよう、という気持ちが湧いてくるだろうし、自分のおもりは自分でしよう、ときっと思える、というものです。

それを行うための諸々の条件をまず最初に揃えてからじゃないとできないと思っているかもしれません。しかし、そうではないんです。もし、そうであればそれができる人達は諸々の条件に恵まれている人だけに限られてしまいます。

諸々の条件がない(…とパターンが思っている)ところで、それでも、自分の面倒は自分でみる、自分のおもりは自分でする、なんです。そうやっていって、あとから、諸々のものは、その人に必要なものであればついてきます。

自分の面倒は自分でみる、自分のおもりは自分でする、ということは、自分であらゆることを創造していくことになります。今までは黒パターンの誰かに助けて欲しい、誰かに認めてもらいたい、誰かに大事にされたい、と選択していたものを変えていくのですから、反対にある白パターンを選ぶことになります。そこに、創造の力があることが感じられるでしょうか。

それを選んでいる「私」という意識、それがまずありきです。人が意識したことで素粒子が動くということをまた思い出してください。今までは黒パターンを選択していて、その意識で素粒子を動かしていて、その現実になっているということ。そこは体験としてわかっていると思います。

だとしたら、それを逆に使おうということです。自分にとってよきほうへ使う。本当に「私」が欲しいほうへ使う。「私」が喜びを感じ、やすらぎを感じるほうへ使う。これらは全て白パターンだと思います。その選択と、選択したものを絶対に諦めないで継続して行動に移すこと、です。

この行為はまさに自分の面倒を自分で見ている状態、自分のおもりを自分でしている状態です。この意識が新しい現実を運んできてくれます。

自分で自分を・・・・
2024/04/01

先日書いた「自分で自分を励ましてあげなさい」(ブッダの言葉)の「励ます」の部分には多くのものが含まれています。

それは「自分で自分を理解してあげなさい」「自分で自分を褒めてあげなさい」「自分で自分を赦してあげなさい」「自分で自分をひっぱっていってあげなさい」「自分で自分に喝を入れてあげなさい」「自分で自分を押してあげなさい」「自分で自分にできるよ!と言ってあげなさい」「自分で自分を休ませてあげなさい」「自分で自分に勇気を与えてあげなさい」「自分で自分を逃がしてあげなさい」「自分で自分に大好きだよと言ってあげなさい」というように。

で、言いたいことは「自分の面倒は自分でみよう」「自分のおもりは自分でしよう」ということだと思います。

他人にやってもらおうとせず、自分でやりなさいということです。仏陀の言った、自分の「島」を自分でつくるために。そして、幸せに生きるために、です。

しかし、これは一切他人に頼ってはいけないということではなく、必要なときにはお願いしたり、頼んだり、おまかせしたりします。日々の生活もどなたかのおかげで過ごせています。ただ、自分の心の中におきていることは自分で面倒をみよう、ということです。

「腹が立つんです、いらいらするんです、怖いんです、寂しいんです、むなしいんです」と他人に言ってもそれは他人がどうにかしてあげられるものではありません(吐き出すことで一時落ち着くかもしれませんが、吐き出すだけではずっと続きます)こういうときにそのときにふさわしいブッダの言葉を自分に向けてもいいかも。

そして、大事なことは、それらネガティブな感情、感覚は全てパターンであり、本当の自分ではないということです。それを、はっきり認識することを積み重ねていきます。

そしていつも「私」はそうか、そうか、と聞き、受け入れる。「私」が受け入れる(ということは、受け入れる者と受け入れられる者がいるという確認にもなります)ことを身をもって、その感覚で行えれば、パターンはただ、パターンとして存在していることも感じられ、そこに脅威がないこともわかります。だから何ひとつパターンを変えることはないんだ、と思えると思います。

こうして自分の島を持てるように。そして隣には皆がそれぞれの島を持ち、生き生きと生きている姿が見られるように。島=パイプ。言っていることは同じです。このことが「自立」ということです。そして、幸せは自立がないと感じられないものです。

干し柿
2024/03/31

茅ヶ崎駅構内ではよく物産展が開かれます。

東北物産展、北海道物産展、沖縄物産展、京都物産展などなど。今は「庄内物産展」です。

「庄内、しょうない」と「湘南、しょうなん」。「しょうな…」までは一緒なので、そこの繋がりをプッシュしていて、スタッフの方達が着ているおそろいのピンクのTシャツには「相合傘に庄内、湘南」という文字が入っています。年に2回程行われている気がします。

でーーーー、今回も、美味しそうなものが並んでいるんです。野菜、お米、お酒、くだもの、つけもの、酒粕、お菓子、お茶・・・と色々あります。で、先日、干し柿を買いました。干し柿といってもまるっと干してあるものではなくて、カットされている干し柿です。一目みて、これはぜったい美味しいだろうと思い、袋を手にとり見ていました。

すると私の横に可愛らしいおばあちゃまがいらして、やはりカット干し柿を手にとりました。するとスタッフの女性が「美味しいですよ、カットしてあるので食べやすいし、チーズをのせて食べるとまた美味しいんです」と声をかけました。おばあちゃまは「私じゃなくてね。主人にお土産で買ってあげようと思うの」と言います。

「そうですか、ご主人、干し柿がお好きですか?」とスタッフの女性が聞くと「好きなことは好きなんだけど。いつもね、私の買い物についてきてうるさいの。今日はね、家にいてついてこないから、ご褒美で上げようと思うの」と言いました。

隣で聞いていた私は思わず笑ってしまいました。スタッフの女性も、そのそばにいた男性スタッフも笑ってしまった。するとおばあちゃま「いつでも私にくっついてくるのよ、もう大変なの」とにこやかにおっしゃって、ますます皆で笑いました。

「よーーくわかります」と女性スタッフが言い、私もおばあちゃまも干し柿の袋を手に持って笑う。「主人の話を聞いてくれてありがとう」とおばあちゃまは最後におっしゃいました。

家に帰って食べてみると、やっぱりねーーー美味しい。私はドライフルーツが好きでついつい食べてしまいます。すでにいちじくとプルーンとレーズンがあるところに干し柿が増えたので、食べすぎないようにちびちびと食べます。

干し柿をみるたびにあのおばあちゃまのことを思い出すでしょう。人って、こんなふうに影響を与えているんです。他人に影響を与えられる人にならなくても、こんなふうに。私はこのくらいのライトな影響力、好きです。

まあるく創る
2024/03/30

自分という人間を、まあるく創っていく、ということ。

まあるく(丸)なので、その中は陽が半分、陰が半分です。又は、今までのものが半分、新たなものが半分とも言えます。

で、今までのものは、これまで生きてきたところで得てきたものごと。考え方、捉え方、やり方、などなどです。誰の目にも見えるもの、わかりやすいもの、そこへの価値基準があるもの、などです。それはそれで、この地上で肉体を持って生きるためには必要なものだったので、いいわけです。そして、ここはその人なりにすでに持っています。

で、もうひとつのほう。これが道場で行っているものです。これから得ていく(というより身につけていく)ものごと。考え方、捉え方、やり方などなど新しいそれです。それは、誰の目にも見えないもので、わかりにくく、そこへの価値基準がないもの、など、今まで知っていたものとは反対にあるものです。

この新たに創っていくものが難しいのは、思考を使い、知識や情報で理解できるものではないところです。おまけに向き合うのは自分の外ではなく自分の内です。今まで接してこなかったところへ分け入っていくので、よくわからず、あいまいで、混沌としているし、時間もかかります。しかし、そこにこそ、今迄知らなかったものが眠っているのです。

陽と陰、外というわかりやすいものと内というわかりにくいもの。どちらも必要で、その2つで1つになる。その2つが合わさり豊かになる。そうやって自分の手で自分自身と自分の人生をまあるく創っていかれますように。死ぬときには、まあるい自分でありたいです。

暴風雨
2024/03/29

「自分で自分を励ましてあげなさい」これは仏陀の言葉。

なんて優しい言葉なんだろうと思います。それは誰にでも必要なことで、誰もが自分のためにそれを持って生きられたら、生きること自体が楽になることは確かです。

その究極の道具をあらわす言葉がこの言葉なのだと思います。

そして、カウンセリングってこの道具をその人が使えるようになることを手伝うためのものなのだろうと思いました。自分で自分を励ましていかれるようになればカウンセラーは必要ないと思います。

この仏陀の優しい言葉を見て「どうなんだ自分?そのようにやれているのか?」と自分に問う。今、茅ヶ崎は暴風雨です。たたきつけるようにして窓にあたっている雨を見ながら、自分の在り方を見直す。まるで心が洗われていくようで、自分に問うにはちょうどいい日です。

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

- Topics Board -