ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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裁くものは誰もいない
2019/10/05

「魂を成長させるために自分の意思で来ている」この世。

もし、これがほんとであるならば、全ての物事はこのために使われるためだけに起きていると理解できると言えます。「もし、これがほんとであるならば」なんて言われてしまうと、そんな根拠もないことを信じられないと思うかもしれませんが、私はこれを指針にしていることで、日々の生活が楽に自由に、軽く、シンプルになったと感じています。その変化はあらゆるところに現れ、驚異です。そして、そうなることで余計なことが省かれていくので、逆に、楽しみ、味わい、豊かにいられるのだと思います。

何を自分の哲学とするのか、何を生きる指針とするのかはそれぞれ自由なので、そこは自分で決めていいわけです。これは絶対なんてありえないですから。

「魂を成長させるために」というのは「今起きていることは今の自分にとって必要だから」ということです。ここは、頭ではわかっていても受け入れがたいですね。実際私も嫌なことや大変なことはそれすらもそうであることをすぐに受け入れられないときもあります。でも、落ち着いてそれを見たときに、やはり今の自分に必要だからそれが起きていることに気づきます。

それがわかれば少しずつ受け入れていけばいい。100%の受け入れが無理でも10%ならできるかも。そうやって自分になじませていってあげればいいです(気づきました、はい、100%受け入れました、は、あり得ないですし、これは極端。極をぎっこん、ばったんと動いただけです)そうやって一生を大事にしていけばいい。

もし、今世できなければ来世に持ち越してもいいじゃん・・・と私は思います。「えへへ、一応、今回は頑張ってみたんですけどぉ〜」と言って帰ればいい。それを裁くものは誰もいないです。

皆同じ
2019/10/04

ここのところ、施設に入った両親の、諸々の手続きのため、市役所や年金事務所や金融機関などに行っています。

そこで、感じたこと。

市役所の人たちも、年金事務所の人たちも、金融機関の人たちもとにかく、丁寧で、気持ちが良いです。

当然知っているだろう、ということを私は知らなかったりするので、わかるまで質問するわけですが、それでも丁寧にわかりやすく教えてくれます。

特に行った先の市役所は建て替えたばかりだそうで、とても広々としていて綺麗です。あちこちに座れる場所があり、ゆっくりできます。近頃はたて続けに動くと疲れるので、きのうは市役所の自販で飲み物を買い、座って休憩しました。

目の前で仕事をしている人たち、順番を待っている人たち、手続きをしている人たち、たくさんの人達がいましたが、それぞれに、その人の人生があるんだなあと思い、そう思うととても近しいものを感じます。

皆同じだなと思うんです。生きていくことは大変なことが多々ある。それは皆同じです。そして、その同じところの根底は、皆「魂を成長させるために自分の意思できている」というところです。だから、嫌いな人も、苦手な人も、大きな視線でみてみれば、自分と同じと思えます。皆が傷つき、悲しみ、不安や恐怖を感じている。それは自分と同じでしょう?

・・・・なんて、考えたりして、市役所に暫くいました。

こういうことを思いめぐらすのに、特別な場所もいらない、誰かと一緒じゃないとできないわけでもない、どこでも、いつでも、ひとりでできる。そのひとときもまた楽しい。

パンチのあるやつ
2019/10/03

先日、久々にパターンにひっかかりました。不快感が湧き出て、パターンであるとわかりました。

今はひっかかることがほとんどないので、それなりにキョウレツでもありました。

パターンは「●思い通りの相手でいてほしい」です。語りかけを何度か繰り返し、さて、白に何をもってくるかを考えました。○相手の在りようを尊重しよう、○そのままの相手を受け入れよう、○思い通りでなくてもいいを選ぼう、○思い通りの相手じゃなくても大丈夫、○静観していこう・・・などなど作ってみました。

話はとびますが、この白に何をもってくるのかを考える、って、私大好きなんです。楽しい。どの言葉も言わんとしていることは同じなんですが、どんな言葉をもってくるのかで微妙に違います。そのときの自分用の言葉を探すおもしろさ。

白を考えるのはもちろん「私」なので、惰性で考えないでください。しっかりと「私」が考える(「私」が脳のスイッチを入れて脳を動かす)ように意識してください。そうでないと黒パターンが考えますので。

で、どれも使えそうであったのですが、なんかいまいち。もっとパンチのあるやつが欲しくて、しばらくほっておきました。夜ご飯を食べて、お風呂に入って、暑かったのでベランダへ出て夜の海を見て(実際は月が出ていなくて暗くて見えない)いたときに「私が我慢しよう」という言葉がわきました。すごくしっくりきました。そうか「私」は我慢を選びたいのか、それを白として使いたいのか。

何度も何度も言ってみると、そこには広がりがあり、温かさがあり、この真っ暗な夜の空のかなたに、輝く月を見定めたくらいのシャープな勢いがありました。これこれ。で、それを白に選びました。そして、その部屋の感覚にたくさーーーんひたりました(これが大事です。白の感覚でいっぱいにする)で、実践は我慢です。我慢。

しかし、昔の我慢とは違うものでした。心が豊かになる我慢でした。こういう白もあるんだということ、と、こういうものを選びたい「私」の変化を感じ、なかなかいいと思いました。これからこの手のものを私の「私」は求めていくのだろうと思います。

こんなふうに自然に、正直にやってくる変化を楽しみ、おまけとして、付録として、成長がついてくれば十分です。

こんなはずじゃなかった
2019/10/02

「こんなはずじゃなかった・・・・」とポツリと言う言葉を聞きました。

独り言のようでもあったし、思わず出た言葉のようでもありました。

「こんなはずじゃなかった」はきっとほとんどの方が思うことだと思います。就職したものの、結婚したものの、子供を持ったものの、友人や恋人や家族がいるものの、子供から大人になっていく自分自身さえも・・・「こんなはずじゃなかった。もっとこうなるはずだったのに。こういう人生を生きるはずだったのに」と思います。そのために努力してきたのに・・・と。

こんなはずじゃないことのほうが多くて、こうなるはずのことはほんのちょっとで、人生ってこうも自分の思い通りにならないのか、と、きっと大勢の方が体験しています。

私もよくよく考えてみると中学生くらいからそれはあり、大人になっても、こうなるはずと思い描いていた自分とは全然違う自分自身や、環境になってしまったことにがっかりでした。思い通りに生きている人もいるのに(・・と当時パターンは思っていた)。こんなに思い描く通りにいかないなら、もう、どうでもいい、と思った時期もありました。

しかし・・・・・そんながんじがらめの毎日から、自由や、すっきりや、健やかさや、おだやかさが導き出されるんです。それは、今は思い描くようにいっていないけれど、ワークを続けていくうちに思い描く自分になり、思い描く環境を手にできるのではなく、今のこんなはずじゃなかった自分自身や環境を違う視点で(これを違う次元でと言った方もいました)見ていくと、こんなはずじゃなかった自分自身と環境が今の自分にとって最もフィットしているところであることに気づきます。

えーーーっ、こんなにひどい状態なのに?こんなに苦しんでいるのに?それは伊藤さんが今うまくいっているから言えることでしょう?と思うかもしれませんが、それでも「YES」なんです。

原因あっての結果。全てがそれです。

この今までとは違う視点を育てる、視点を増やす、視点を大きくする(「私」を育てる)ということで「こんなはずじゃなかった」の世界からは離れていきます。

「こんなはずじゃなかった」は、負けの言葉ではないんです。ある意味、人生という大海原をしっかりと見た言葉なんです。そこには、虚脱感もあるだろうし、挫折感も、絶望もあるかもしれません。でも、それはこれから進む大海原をしっかりと見つめたということへの反応。

冒頭でそう言った方からは、大海原をみつめている姿が見えました。悲しみと戸惑いを持った目は、これから先も見ていました。それでいいよ。その視線があればきっとうまくいく。

健やかであること
2019/10/01

苫小牧を出発する前日、私とトミーと母と母の親友と4人で「イコロの森」と「北海道大学 苫小牧研究林」へ最後の散策にでかけました。

すがすがしい天候の中、秋の森を歩きました。落ち葉の上をさくさくと歩き、クッションのようなコケの上を歩き、透明な川をのぞきながら、人がほとんどいない森をおしゃべりをしながら歩きました。

ここでは人に慣れている野鳥は自ら私たちのそばにやってきて(時には肩や頭にとまり)少しの間一緒に移動します。そう書くととてもファンタジーチックですが、そうではなく、彼らはエサがもらえることを知っているのでそのために来るだけです。エサがないとわかればすっと他へ移動します。

エゾリスもそうです。人に駆けよって来る姿はとても愛らしいものですが、それもエサのためです。人が思い描く、甘い、人と動物との交流というものではありません。

森はファンタジーでもなんでもなく、生きるための超現実な場所です。それでも、そこに身をおいているうちに、健やかな気持ちになるのはどうしてだろうと思います。もしかしたら、生きることだけを優先して現実的に生きているものたちに囲まれることで自分の中のそこにもスイッチが入り、生きるという根源的なところがしゃきっとするからかもしれません。

自分という個体が生きるためには健やかであることは大事なことです。

森林はそこへ戻してくれるところなのかもしれません。疲れたときや、頭の中がぐるぐるしているときや、もう、だめだと思ったときには森林の中に入り、樹々にかこまれてみるのもいいと思います。

そのときには、確かめようとしないことです。「ああ、なんかしゃきっとしている」「さっきよりいい感じ」「元気になった」など、その結果を確かめないで、ただ、普通にその一時をすごすのがいいです。この社会の中で生きている私たちは、こうすれば、これが手に入る、というのに慣れてしまっています。しかし、それが通用しない世界もあります。そして、それが通用しない世界は今の人間社会と普遍的な世界の中間に位置しています(自分の心の世界がまさにそうです)そういう場所が私たちには与えられているということです。

所有しない生き方
2019/09/30

お久しぶりです。

元気に生きてます。

無事に苫小牧の両親を隣町の施設まで連れてくることができました。24日、25日、26日、27日出発と、家の片付けと引っ越し用意、もろもろの手続きと、超多忙の日々をトミーが送りました。私は相変わらずのおとぼけだったので、たいして助けにならずでした、が、とにかく、無事に引っ越せてよかったです。

千歳空港を飛び立った飛行機の窓から、外界を眺めていた母。「この飛行機ね、苫小牧の上を飛んで、海の上にでるのよ」と言って、じっと上空から苫小牧市を見ていました。苫小牧にさようならを言っていたのでしょう。

今回・・・・とにかく物質も、身体も心も身軽にコンパクトに生きること・・・・ということを考えました。そこには、所有しない生き方というものがあると思いました。

人が生きていくためには、家も、生活用具も、仕事も、その土地での楽しみも、そこでの人間関係も、必要になりますが、それへの感謝を持ちつつも、それを所有しないことなのだと思いました。

以前読んだクリシュナムルティの日記だったと思いますが「美しい夕焼けを見たときに、明日も見たい、明日も見ようと思わないこと」というようなことが書かれていました。今日、この瞬間に見た美しい夕日で十分であり、それを明日も欲しがらないということです。欲しがるからそれが見られないと苦しむことになります。

こう書くと苦しむことを避けるためにそうしよう、と言っているように思えますが、そうではなく、そもそもが今という一瞬しかないということを言っているのだと私は思います。今という一瞬しかないことでよけいなものを持たず、よけいなものを欲しがらず、よけいな思いも生まれない、従って生活はシンプルでコンパクトなものになっていく。結果、付録として、ないこと、失うこと、去ること、思うようにいかないことでの苦しみから自由になります。

これからは、また、新な両親との生活が始まりますが、ここも、シンプルに、コンパクトに。今という一瞬を大事にしていくことに専念します。

森を歩くために
2019/09/24

心配していた台風も去り、今日から北海道へ行きます。

トミーの両親が茅ケ崎の隣町の施設に入ることになり・・引っ越し&両親をこちらへ連れてきて入所・・ということとなりました。5月頃までは元気でいた両親でしたが、2人とも、急に身体が弱り、自分たちだけでは生活がむずかしくなったため、今回のこととなりました。おかげさまで入所先が近くに見つかり、あとは無事に2人をこちらへつれてくることです。

ずっと北海道で暮らしていた両親なので、そこを離れることの寂しさをきっと感じていることだろうと思います。北海道の自然に抱かれるようにして生きてきた人達にとってはその自然が身体の一部のようになっていると思います。そこから離れてしまうことは、身体の一部を置いてきてしまうような寂しさがあると思います。

又、私も、結婚してから毎年、北海道へ行き、その地特有の自然に触れていくうちにそれに魅了され、毎年行くことが楽しみになっていました。

母が好きだった「イコロの森」や「北海道大学 苫小牧研究林」は特に、野性的な森の持つ美しさを私に教えてくれました。山、森林、花が好きな母と出会うことがなかったら海派だった私にはこの体験はなかったと思います。そんな貴重な体験を苫小牧に住んでいた母がさせてくれていたことに今頃気づきました。

もう、今までのように来られなくなるのかと思うと寂しさがありますが、この体験が消えることはないということはわかっています。そして、これからも私はそれを育てていくのだろうと思います。

そして・・・森を歩くために・・・また北海道を訪れたいと思います。

昨日の日記といい、今回のことといい、永久に続くものはないということを教えてもらう今月です。全ては移り変わっていく。大事なものを残して。・・・・ということで、1週間ほど日記をお休みさせていただきます。どうぞ皆さまも、お元気で。楽しい日々をお送りください。

お別れ
2019/09/23

ここのところ、お別れをする方達が周りに多くて・・・・。

ずっと髪を切ってくれていた美容師さん(73歳)がいよいよ店じまいとなりました。20歳から自分のお店をもってその道ひとすじ。とても個性的な方でした。髪を切ってくれるだけではなく、人生の先輩として教えていただいたことがたくさんありました。その最たるものは「ずるい生き方をしない」ということと「他人のまねをしない」でした。どこかフジコ・ヘミングさんに似ている方でした。いつも、ありきたりではない髪型をして、ありきたりではない服を着ていました。

そして近所のコンビニも今月で閉店となります。毎月、出張の荷物を出しに行くうちに仲良くなり、いつも、冗談を言って笑いあえた場所でした。そんな店長、スタッフの方々。この方たちともお別れです。

それから、近くにある薬局の男性の方も。父が生前、薬をもらうために一緒に行っていたときからのおつきあいで、親切で優しい方でした。高齢になったご両親を助けるために他県へ移ることになりました。

駅の近くにあった日本料理店も閉店になりました。そこのオーナーとは顔見知りだったので「閉めることになりまして・・」と伺ったときには、ああ、この方もか・・・と寂しい思いがしました。

こうして、この9月はお別れをする方たちがたくさんいました。私が親しみ、お世話になった方達。それぞれに人生があり、私は一時その方の人生に登場させてもらい、そこに共にすごした時間があったことに感謝をしています。

人との出会いは偶然ではなく、私にとって必要であったからです。それはご近所の方達でも。これからの皆さんの健康と幸せを願っています。

そんなたいくつな心
2019/09/22

ワーク(語りかけ、白黒、中立など)を続けていくことで、何が来ても絶対大丈夫な自分になれる、何が来ても絶対心に波が立たない自分になれる、と思っている方がいるかもしれません、が、そうはなりません。

もともと、そんなふうに、半分だけで人は創られていないからです。創られていないものを目標にすると、わけがわからなくなるし、そこへ執着しても、時間とエネルギーの浪費です。

「私にはネガティブなものは何もない。常に心は平常です」と言う方もいますが、そうであると、あと半分のポジティブもないだろうと思います。片方だけではなくて、この両極をいったりきたりしながら、バランスを保ち、より健全に成長していくためにネガティブから課題をもらい、練習させてもらって、ポジティブに転じていくことを繰り返しているのが人だからです。

従って、大丈夫な自分とは・・大丈夫じゃなくても大丈夫な自分・・ということになります。道場ではそんな本来の自分を目指します。

大丈夫も大丈夫じゃなくても大丈夫。だって、そもそもそういうものだと知っているから。そして、大丈夫じゃないと騒いでいるパターンに目を向け、声をかけてあげることもできるから、ということです。

黒パターンの理想とする姿を追わないようにしてください。ちまたには、そこを看板にして勧誘するものもたくさんあります。常に平常心、常におだやか、と。そんなたいくつな心、魅力的じゃない。今の自分の心を大切に。

軽く行う
2019/09/21

自分は、黒パターンで言動していんだ、とわかったときには、白パターンに選び変えればいいだけです。気付いたときに選び変える、そしてそこからはその白パターンに基づく言動をしていけばいい、たったそれだけです。

今まで(無意識に)黒パターンを動機にしていた、そのことに気づいた、だったら意識的に白パターンを選んで行動。そしてその結果を受け取る、これだけです。

昔の自分の黒パターンでの言動を責めたり、それがあるからもう人生はうまくいかない、取返しがつかない、と思うことは全くありません。これはぜひ軽く行っていくといいと思います。

黒パターンのひとつに、自分の人生を全ていいもので埋めたいというものがあります。そのパターンの言ういいものとは、間違えない選択というもので、選択したもの全てに失敗がなく、ムダがなく、リスクがなく、パターンの望む結果が必ず生まれるというものです。そのパターンはそんな完全性を求めているので、ひとつでも、自分の選択に間違いや、思い通りではないいものがあると、それが許せません。

このパターンをリーダーにしてしまうと、昔の自分のパターンでの言動を知ることで、またそこに悩みをつくります。今までの自分の努力は何だったんだ、今までの自分は間違いだった、自分の人生は敗北だったと。そんな深刻なことじゃないんです。このパターンにのまれていくと、人生を創造していくというところからは遠く離れてしまいます。後悔しながら生きる人生ほど苦しいものはありません。

気付いたら、変更、気付いたら、変更・・・・この繰り返しで十分です。

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