ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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2番目の教科書
2023/11/18

「シントラ声明」道場の2番目の教科書(‥と勝手に思っています。1番目は「卵の上の私 U」と言わせてください)

この「シントラ声明」に「寛容で心が広く、いつも微笑んでいて人にやさしく、人に頼りにされ、誰からも好かれ、人の力になれる・・・そんな者など、この世にいない。」という文章が出てきます。

この文章が、何の抵抗もなく、とても腑に落ちて自分のものになったときにはきっとあらゆる物事から自分を切り離し、自分として、のびのびと生きていかれるだろうと思います。

これが現実であるし、そもそも、そういうもんなんです、人間って。ということです。しかし、その、そもそもが理解できていないがゆえに(このことを無智といいます)ここが人間の目指すべき姿と思ってしまい、そうなろうとしてしまいます。いや、いや、いませんよ、本当にそんな人。そのように振舞っている人はたくさんいますが、パフォーマンスの波動がビンビン出ているのでかえって自分はそうじゃないです、と言っていることになります。

で、私は、だから開き直っていけばいいと言いたいのではありません。まず、それを知る。そのためには良く自分を観察して今の自分を知る、ということです。寛容ではないな、やさしくないな、頼りにされていないな、好かれていないな、誰かの力になっていないな…そういう自分をちゃんと素直に、正直に認めることなんです。

それができるということが私は本当に素晴らしいことだと思います。ほぼほぼ、人は最も大事なそういうことはしないですから。

そして、自分はどうありたいのだろう、ということを「私」の感覚として感じてみます。寛容な人になりたい、やさしい人になりたい、パターンを依存させるような頼りではなく健全に頼りになる人になりたい、自分を好いてくれるように自分も誰かを好きになりたい、いずれ、自然と誰かの力になりたい…というこれからの道をしっかりと、深く味わってみて感じてください。

今日から歩む道で、それらを育てていこう、ということです。それがこれからの自分が求めるものであり、自分が進みたいところなんだということです。

今、寛容です自分、好かれてます自分、頼りにされています自分、力にもなっています自分、という方もいるかもしれませんが、それが自分の内のどこから出ているものなのか、そしてそれは本当に「私」の大欲なのか、を見極めていくことも大事です。

最も嬉しいことは…
2023/11/17

私が自分の成長した部分で最も嬉しいことは「人の幸せを心から喜べるようになった」こと、と「他人を優しく思えるようになった」ことです。

これが最も嬉しいことです。この2つとも、以前は全くと言っていいほどなかった。

他人が幸せになること、成功することはおもしろくなかったり、負けた感があったり、嫉妬したり、時には優越感を持ったりしていました。でも、そんな自分もすごく嫌だったんです。心から人の幸せを喜べるようになりたいと思っていましたが、今はそうなれた。

それは小さな場面でもあって、例えば、自分が入っていないところで皆が楽しそうにしているのを見たときに、よかった、よかったと思います。皆が楽しそうなのを見て、皆よかったなあと思う。昔は、自分だけ外されていて悲しいとか、腹が立つとかだったと思います(今はこのときの感情とか感覚が薄くなっているのではっきりとは覚えていないんですが)自分だけ誘われないとか、嫌われているのかもしれないとか、色々と思っていました。

そしてもうひとつの「他人を優しく思えるようになった」というのはひとえに自分自身のパターンとの関係によるものです。自分の内のパターンと真剣に向き合い、それのひとつひとつを大事(あなたはそのままでいい)にしてきた。パターンを赦し「私」がリーダーとして彼らを守り、彼らがいやすいようにしていく途中で、いかにパターンが傷ついているか、怒りを持っているか、自分を責めているか、怖がっているかなどがよくわかるようになりました。それを「私」が愛おし思いで見ているんです。

するとそれは自然に他人に対しても感じられるようになります。その人の内にあるパターンも自分のパターンと同じように存在している。そういう人を見ていて、自分のことのように思えたりもして、その人に対して優しく思いたいと思うのです。優しくありたいのではなく、優しく思いたい、です。

少しずつ少しずつそういう風になっていった自分を助けてくれていたのは、まさに黒パターンたちでした。彼らとの出会いが「私」を助け、成長に結び付けていたということです。

人は成長していくことで思いもかけない自分を自分で育てています。そして、ある日、成長した自分を感じます。それはきっと誰にとっても、尊く、嬉しいものだと思います。

楽で自由
2023/11/16

「私」の選択で生きることが少しずつできるようになっていくにつれ、生きること自体が楽になり、自由になります。

それは「私」の選択というところだけに従っていく、というとても単純なことが、今までの複雑さやあれこれ考えることや他人を必要とするところから離れるからだと思います。それが楽で自由という感覚を伴っているんだと思う=楽で自由に生きる。

こうしてみると、楽で自由って、物質的なものごとや他人ではないということです。物質では表すことのできないものが自分の内側に現れているんだと思います。

この気付きは私は大きなものだと思っています。今までは、もっと外側のものごと。これを持っている、これがある、こうなった、これを求める、これが欲しい、それが手に入る、そして楽で自由になったと思っています。ところがそれはどんどん変化していき手に入れたつもりがするすると流れていってしまったり、それでもそこに安心がなかったりすることが多くある。

ところが、自分の内に分け入っていくことでみつけた色々な気づきのひとつとして(それも大きなものとして)この内面的な楽と自由は変わることなくそこにいつもあります。その安定感のおかげで、外側の物事もその人にあったいい分量、いい塩梅で動くということが起こります。

ですから、外側を安定させたいのなら、まず、内側の楽で自由の体験をすることだと思います。自分がそういう波動で生きていれば(それはそのカードを選び続けていることになるので)そこにはいつもの「量子」の世界が自然と展開されます。

いい人って意見がない
2023/11/14

人はどういうわけか、他人を悪く言わない。

例えば、人を悪く言ってはいけない、ってやつ。子供の頃からそう言われてきたし、学校でも、人の悪口は言ってはいけない、どんな人にも良いところがあります(って何?)その良いところを見ていきましょう…的なことを言われ、人の悪口を言おうものならレベルが低い人、優しくない人とレッテルをはられる。

自分は誰に対しても思いやりが持てて、誰のことも受け入れられる人が人として素晴らしい人と思っているからか、ほとんどの人が表面上はそのようにふるまいます。私は悪口なんて言わない人です…と。そんな人いないのに、だからかそこには傲慢さがただよいます。

実際、心の中にあるでしょう?「あの人嫌い」というもの。「あの人は苦手」「あの人のことは気にくわない」とか。私はおかげさまでたくさんあります。そして、それを口に出すこともしばしばありますがそれも全くいいとも思っています。

もちろんその相手に言うことはないです。それは自分のパターンの問題だから(相手に言ってしまうというのは、相手に変われ、謝れと言っているものなので)でも、心をオープンにしている人には言います。それは今の自分の表明。今の自分ではあの人は受け入れられないパターンにまだまだひっかかるんです、ということを言っているんです。そのレベルにいます、自分。ということ。

このように自分がその相手に対してどう思っているのか、ということは自分のレベルを知るということになるということ、と、自分の考えを純粋に組み立てていくということにもつながるんです。何かに対しての自分の意見を言えるようになります。

・・・・・いい人って意見がない・・・・・

いい人になろうとしないことが自分を飛躍させていきます。ありのままの今の自分が自分を大きくしていくんです。

つらいことではない
2023/11/13

昨日書いた「生きることはつらいこと」ですが。これを選び変えるとなると「生きることはつらいことではない」になると思います。

しかし、ここでの「つらいことではない」というのは嫌なことや、苦しいことや、問題が一切なく、ストレスがないから楽しく過ごせる、ということではありません。

それを求めているのは物質界にいるパターンであり、パターンにとって「つらいことではない」ことってそういうことだと信じています(子供なんで読みが浅いんです)逆に言うとそういう状態じゃないと自分を保っていかれないと思っています。

しかし、選び変える(白パターンを選ぶ)ということはパターンがいる領域に身をおくことではなく少し上の領域にいくことです。ですからそこにあるそれは、物質界のそれではないということです。

では、何なのか。「つらいことではない」って何なのか。簡単に言ってしまうと「つらくていい」という自分になる体験を時間をかけながら少しずつすることです。そこへいくまでの道の中にそのときそのときの白パターンをみつけて体験していくうちに、新な「つらいことではない」がわかっていきます。

でも、行き先は「つらくていい」だったら今と変わりませんよね、と思うかもしれませんが、今とは全く違うものが自分の内に生まれてきます。それは「つらくない」ときよりもより自分を力強くさせ、より身軽にさせ、よって日々を豊かにしていきます。

そもそも物質界にあるものは本質からはずれて認識されているものなので(物質界にあるものがだめとか間違いということではありません。自分の認識に関わります)逆に現実的ではありません。「つらくないこと」だけで人生を創れるわけがありません。現実を生き抜くためのスキルが全てにおいての新な認識になっていきます。

生きることはつらいこと
2023/11/12

今迄、お会いしてきた方々や、以前の自分も含めて、強く大きく皆(と言ってもいいと思う)が持っている黒パターンに「生きることはつらいこと」(人生は大変なことの繰り返し。ずっといいようにはいかない)というのがあるのではないだろうかと思います。

社会の掟みたいにもなっている。皆がそう思っていれば集合意識として社会もそうなっていきます。

で、個人個人にそれがあればそれぞれもそうなっていきます。この根底にある「生きることはつらいこと」があるから、スピビジネスは大きくなったし、宗教を求め、哲学を求め、生きることのつらさから解放されるための情報や知識が蔓延しているのだと思うんです。

何をやってもうまくいかないのは、この大元にある強く大きな黒パターンの力によるものだと言ってもいいのかもしれません。そのくらいそこを信じてしまっているのかも。子供のときから。

自分の周りにやたらハッピーな大人ばかりがいる環境で育てば、大人になるって楽しみ、こんなふうに生きていくんだ、というパターンを自分で創ったかもしれません。しかし、誰もが(きっと)苦労している大人の中で育ってきているのでそうは思えない。なおかつ、それをより信じていくような教育や環境に身をおくことになり、自分でも知らず知らずのうちにそのパターンは育てていってしまうのだと思います。

根底にこのパターンがあれば「どうせ自分には無理」「きっとできない」「うまくいってもまただめになる」などなどの小枝的パターンも生み出されます。

自分にこのパターンがあるかどうかをまずは探してみてください。大きなパターンではありますが、パターンにかわりはないので、選びかえていくことができます。ただ、まずはちゃんと「私」が認識することが必要です。

小さなご縁
2023/11/11

先日、夕方、散歩をしていてちょうど「高砂緑地」https://chigasaki.heart21.jp/leisure/chigasakitakasunaryokuti-w015-202011015/ の入り口で「すみません」と声をかけられました。

振り向くと、高齢の男性の方が立っていらして「美術館はどこですか?」と聞かれました。私は時間もあったので「ご案内しましょうか?この緑地の中を通って上に上がるのですが、よろしいですか?」と聞くと「はい、大丈夫です」とおっしゃる。ということで一緒に美術館に向かって歩いていきました。

歩いている様子を見ると、ゆっくりで、足元も少しふらつく様子から90代くらいなのかもしれません。

「今、小津監督の映画作品の展示をしていますね。私も見ました」と言うと「おお、そうですか。私はどうしても見たくて、東京から来ました。最終日になってしまい、道に迷ってしまい、夕方になってしまいました」と話されていました。

<確か、今、4時頃かな。美術館って5時までだったような…だとすると4時半には閉館かも>と思い、気持ちが焦りました。これで着いたときにもう閉館の時間になっていたら、あまりに悲しい。

わざわざ、東京からお一人でいらしているには、この展示をどうしても見たいという強い気持ちがあるのだと思う。そこにはこの方のいろんな思い出があるのだと思います。もしかしたら、かつて小津監督と関係のあった方かもしれませんし、映画に勇気づけられたり、励まされたりしたのかもしれません。当時の女優さんへの憧れや、当時の映画のゆったりとした時間が流れる感じや佇まいがなつかしくまた触れてみたいと思われたのかもしれません。

歩きながら、ちょっと息切れをされているようだったので「大丈夫ですか?」「もう少しです、見えてきました」といいながら一緒に歩きました。美術館について、まだ開館していて安堵しました。「ありがとう」と手をあげておっしゃって、中へ入っていかれました。

夕方になって、まわりがなんとなくぼんやりとしてきた中をその方の歩みに合わせて一緒に歩いた数分が、それこそまるで映画のようで、リアル感がなく、でも、とてもあたたかい気持ちを感じたひとときでした。

「ご案内します」と私のほうがその方を手助けしたような形ではありましたが、逆にその方と一緒に歩くことを与えてもらっていました。お礼を言うのは私のほうでした。

そういう小さなそのときだけのよいご縁が近頃とてもありがたいものであるように感じます。

次へ、先へ
2023/11/10

「私はわかっている」というパターン。これは誰もが持っていると思います。

時にはそれは「私は知っている」「私はできている」というものでもあります(「すでに」がついていたりもします)

こういうことを自信というのだ、という捉え方もできますがどうなのでしょうか。自分が体験してきたこと、知ったこと、できたことを根拠にしての「私はわかっている」というところで自分を決めてしまうことは自分の可能性を止めているようにしか思えません。

それは、あくまでもその領域でのそのときの「わかっている」であり、その物事についての新しい捉え方とか、使い方とか、そこから広がる意味づけや、そこに身をおいたときの心の状態は、まだ、知らないでしょう?ということなんです。

このように、私たちにはまだまだ知らない世界があるんです。

だから「私はわかっている」というところで自分をとどまらせてはいけないし、そこに絶対の価値があると決めてしまってはいけないんです。そうなってしまうと自分が満足するような(厳密にはパターンが満足する)ところで、他人と関わって、それを確認したり、自他に証明することに時間もエネルギーも使われていきます。自分はわかっていることを自他にしらしめるために費やされてしまいます。これはもったいない。

自分が体験したこと、知ったこと、できたことは、その領域において「そうか、それはよかったね」であり、そこで終わらせていくこと。でも、それは自分のできたことについて謙虚でいることなのではなく、それはそこで喜び、いい体験として味わったら、そこに置いて、またどんどん次へ、先へと動いていきます。

視線は先を向いている。またこれからの何かを体験するためのスペースのある心。そんな心だけを持って動いていく爽快さ。持ち物が少ない方が、断然軽やかに歩んでいかれます。そしてスペースのあるところに新なものがやってきます。

閉店
2023/11/08

先日、いつも行っている近所のお蕎麦屋さん「むさし乃」さんへ行きました。

「こんにちはーー」といつものように入っていくと店員さんが神妙な顔つきで「実は、こちらなんですが‥」と壁にはってある「お知らせ」を教えてくれました。

そこには「来年の1月16日で閉店します」の文字が。

店員さんがそのいきさつを話してくれたのですが、もう、頭の中は「へいてん、へいてん」しかなくて、何を答えたのかも覚えていません。

お蕎麦を注文し、もう、ここの美味しいお蕎麦も食べられなくなるのか、クラシック曲の流れているこの落ち着く店内もなくなってしまうのか、と思いながら食べていると、そこへおかみさん(80代後半の方です)が来て「閉めることになってしまって。お父さんにもお母さんにもずっと来ていただいて、長い間ありがとうございました。これ以上話すと泣いてしまいそうなのでね。最後まで頑張りますからよろしくお願いします」と言われ、その気持ちを思うと私も泣いてしまいそうでした。

ここのお店のファンはたくさんいるので私のようにショックを受けている方達も多いと思います。

「むさし乃」さんはご夫婦で65年お店を営んでいたのだそうです。65年ってものすごい。続けてやられていたことが本当にすごいです。手打ちのおそばと、うどんと、出汁のきいたおつゆと、ゴマ油であげた天ぷらと、本当に美味しい。残念な気持ちはありますが、これからはゆっくりしていただきたいと思います。

そして、このように、全てはいつかその姿を消していきます。私の仕事もそうでしょうし、妹の店もいずれはやめるときがやってきます。もっと続けたいと思ってもそうできないこともあるし、もう続けてはいけない状況になるかもしれません。そして、誰もがこの地上から去っていきます。ずっと残り続ける物事は何もないです。だからこそ、今のあらゆるご縁を大切にして1日1日を丁寧に生きていかなくてはいけないと思いました。閉店まで、今まで以上に通いたい。次回は大好きな「なべやきうどん」を食べます。

カウンセリングの振り返り
2023/11/06

先生のカウンセリングを受け、数日たちました。この間、自分を振り返ることや今の自分の立ち位置や自分が何を指針にして、どんな哲学で仕事をしているのか、などを確認できました。

先生と色々な話をしましたが「聞いてもらう」ということが全くなかったことに気づきました。聞いてもらいたい、受け止めてほしい、というところをもう求めていないということがわかりました。ここは自分でやれるので、そこへの時間とエネルギーは他の事に使われていました。それがとても有意義であった。

こういうささいな気付きから自分が今どこにどんな状態で立っているのかがわかります。

そして、自分が何を指針にしているかということも、わかってはいましたが、再確認した感じがします。

それは、自分ひとりで生きているのではなく、何かの働きによって生かされていて、そこには脈々と続くルールがあり、そのルールの中で生きることの豊さを今までの自己探求で体験したことです。実際体験したことなのでそれは自分の核になり、そこをはずして生きることはもうできないです。

それが根底に、しっかりとした基盤として知らず知らずのうちに、時間をかけながら創られてきていたことも再確認できました。

そして、やはり先生の人間的魅力です。カウンセリングのやり方やそれへの哲学は違っていても、先生の持っている個性は私にとっては魅力的なのです。強くあり、弱くもあり、とても知的でありながら感情的でもあり、正直であり、演技者でもあります。そんなご自分の持っているもの全てを必要なところに必要なときに使いこなしていることを感じました。カウンセラーという枠におさまっていない。とても真摯にカウンセリングに向きあいながら多くの人を助け、育て、でも、そこへの反骨精神も感じられて、人がたくさん持っているエッセンスの可能性も感じました。

今回、カウンセリングを受けて色々と気付き、考えました。これもセッティングされたことです。与えられたことです。ここから私はどのカードを選んでいくのかです。

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