ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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私は私でしかない
2020/03/10

自分以外の者になろう(なりたい)とするから苦しくなる・・ということだけなんだけどな・・・自分が楽に生きるには・・・と「私」は言っています。

私は私でしかなく、私は誰かのようにはなることはできず、そうならないといけないことが違っていた、ということを心の底からわかったとき「解放」がやってきます。今まで自分を縛り付けていたものや他人や自分から自由になります(自分から自由になるというところはおもしろいですね)

私は私でしかない、それでしかない、というのは、誰でも価値がある、とか、皆違っていい、とか、誰でもが使命がある、とかとかの領域の話ではないものです。これを聞くとがっかりするかもしれない(パターンは)

でも、もう、そうやって自分に価値を与えたり、自分を納得させたり、自分もここにいていい、と承認したりすることすら、必要じゃないんじゃないのでは?・・・とちょっとずつ、感じ始めている方たちもいるのでは?と感じています。

そういわれればそう、以前のように「そんなこと言ったって」ではない、と感じられている方は、もう、必要じゃないんじゃないのでは?と何度も心に問いてみてください・・・この自分自身への自分自身からの問いというものは、誰かに何かを言われることよりも力があります。

ということで、今日はこれから盛岡へ行ってきます。もう、自分以外の者になろうとすることから抜け出るために。そこに向かっていくために。時間をかけてやってきたことが少しずつ実になっていくように。今回も良いセミナーを行ってきます。

美しいもの
2020/03/08

ここのところ、焼き芋が妙においしくて。甘くて、ほくほくしていて、とにかくおいしい。

近所のスーパーに売っています。家でさつまいもを蒸かして食べることはあるけれど、焼き芋はまた特別においしいです。今日も買っちゃおうーーーと毎日食べていたら体重が増えました。そこで、しばらく我慢することにしました。

この、毎日でも食べたくなるくらい、おいしい、食べたい、と感じられるものが時々あります。

ちょっと前はレタスでした。とにかくレタスが食べたい。ドレッシングもマヨネーズもいらない。そのままむしゃむしゃと虫のように食べる。おいしいーー。毎日レタスを買いにいっているときがありました。

その次は里芋でした。里芋の煮たものがとにかくおいしくて。あのねっとり感がたまらない。これもしばらく続きました。

かぶのときもある。煮たり、焼いたり、生で食べたりと、こんなにおいしいものはないとそのときには思います。そのときそのときでそういうものがある。なんなんでしょう。詳しいことはわかりませんが、おいしい〜と思えるのでそういうときは毎日食べています。

で、いつのまにか、もう、いいかと思い、いつものなんでも、まんべんなく食べるに戻ります。なんでも、まんべんなく、であっても、なんでもいいわけではなく、自分がその食材や料理を思ったときに内臓が「通る」と感じるものを食べています。この感覚を起こす食材、料理を私は「美しいもの」と名付けていて、食事は「美しいもの」を「美しく食べる」ということだと今は思っています。

「美しく食べる」とはマナー的なことではなく、よく噛んで、ゆっくり食べる。そうやって内臓が「通る」と感じるようにしてあげる。こうしてみるとごはん作りが嫌いなわりに色々と注文が多いですね。

食事というものも、毎日ふつうにあたりまえに行っていますが、ひとりひとりが自分専用の食事=食べる事、を創っていくのもいいと思います。

思わずつっこみ
2020/03/07

同じマンションに住む方から「トイレットペーパーある?うちにあるからなければ言ってね」と声をかけていただきました。「ありがとう、うちもまだあるから大丈夫よ」と返事をし、部屋に帰ってきてから、大事なことってこういうことなんだよね、と思いました。

大変なときには助け合う、いや、大変なときでなくても、困っている人がいたら声をかけたり、サポートするなど、とても普通のことをどこかで忘れて、私たちは自分と家族の安心のためだけにずっと生きてきていたんじゃないかと思います。

大変なときに、他人のことなんてかまっていられない、と思うのが普通だろうという方もいると思いますが、宇宙は進化し続けているので、もう、そこも人類として卒業していきませんか?と言われているような気がします。「今までずっと待っていたんだよ、あなたたちがやりたい放題にやってきても。あなたたちがアンバランスの中で停滞していても。でも、もう、限界。ここで立て直してください、進化していくのにはあなたたちのバランスが必要です」と言われているような気がする。

マスクの奪い合いになったり、どこにも売っていないのをいいことに高額で売っていたり、買い占めたり、そういうことをし続けていれば、第2、第3の新型ウィルスもまたやってくるでしょう。バランスをとるために。人々を気づかせるために。

きのう見たTVで、あるコメンテーターの新型ウィルスへのコメントには(ご本人がよほど怖いのでしょうが)あきれてしまいました。高齢なコメンテーターが感染症専門家への攻撃的なコメント(・・・と私にはとれる、ご本人はまっとうなことを言っていると思っている)を言っているのを見て「もう、いいじゃん、ここまで生きたんだから・・・」と思わずつっこみを入れてしまいました。

こうしてみると、満足して生きるということは大切で、そうであれば、自分のことよりこれからの人たちを思う、という高齢者でいられるのではないか・・と思いました。自分は自分の人生を生きたというものを、まわりからの評価ではなく、自分で思えていれば。私はそういう高齢者になりたい。

子守り役
2020/03/06

ちょっと・・・のんびり生きよう。こういうときだからこそ。

のんびりよく寝て、心身をのんびりさせてあげよう。今、心身は必要以上に緊張しているかもしれません。世界中がぴりぴりしているからね。

私は、眠れないとき、祖母の家にいた猫(ボビー)のことを思いだします。

子猫のころはスマートなシャムネコだったのに、祖母がごはんをたくさん食べさせて育てたおかげで、たぬきのようになってしまいました(たぬきですか?と聞かれたこともあったそう)オス猫でしたがとてもやさしい猫でした。

祖母の家に泊まった夜は、時々、私の布団の中に入ってきて一緒に寝ることがありました。薄暗闇の中、枕に私の頭とボビーの頭が並んでいます。私がじっとボビーの顔を見ていると、ボビーは目を閉じます。私も目を閉じて、しばらくして目をあけると、ボビーはじっと私を見ています。そのまま私がボビーをみているとボビーはまた目を閉じ、私も目を閉じます。そしてしばらくして目をあけてみるとボビーはまたじっと私を見ている・・・ということを繰り返す。それがおもしろくて、安心できて。そうしているうちにすーーっと眠りにおちます。

でも、朝まで一緒にいたことはなくて。私が寝てしまうと、ボビーは祖母のところへいき、祖母と一緒に朝までねていました。小学生だった私の子守り役だと自分のことを思っていたのかもしれません。

そのときのことを、眠れない日には思いだします。すると自然に眠りについている。ボビーはずっと昔に死んでしまったのに、こうして今でも私の子守り役としていてくれています。皆さんの子守り役は?・・・きっと、何かある、誰かいる。眠れない日には登場していただきましょう。

知っている
2020/03/05

ネガティブなものを持たない人はいません。

もう、自分にはそれはない、と言う人もいますが、たぶん、ないと思っているだけでしょう。自分の顔に、目や鼻や口があるのに、私にはそれはない、と言っているようなものです。ただ、パターンはネガティブを嫌うので、パターンの力を借りて、私には、もう、それはないと言っているのかもしれません。

それが人間です。しかし、今までのカウンセリングを通して、はっきりとわかることがあります。それは誰もが、自分がどうありたいか、を知っているということです。

ネガティブな感情を持っていても、それを置いておいて、その下にもともとある、自分が本当に望んでいることは何かということを魂として知っているということです。

ここについて言葉はそれぞれであっても共通して言われることは「他を愛せるようでありたい」ということです。他人と自分を比較し、競い、自分の価値を確かめるような自分でいたいのではなくて、誰のことも受け入れられるようでありたい、誰のことも許せるようでありたい、誰のことも愛せるようでありたい、ということです。本当はそうでありたいのに、そうなれていないから苦しいのだと思います。

お会いしている方々のそれを垣間見る瞬間があります。そんなとき、そうか、やっぱりそうやって生きたいんだなあと感慨深いものを感じます。どんなに今目の前に悩みや問題があっても、誰にも何も言われなくてもすでに知っている自分の本当の姿。やっぱりそれを取り戻したいんだと思います。そのために今世も生まれてきたのだから、それは自然なことです。

その衝動を、どうぞ大事にしてください。その衝動が自分自身です。

そして、他を愛すためには、まず自分を愛さなくてはなりません。自分を愛せるから他を愛せます。この自分を愛するというところがなかなか難しいところです。しかし、自分を愛せないのはパターンです。そうであればどうしていけばいいのかはもうわかっている。わかっているから実行です。

時間がかかろうとも、少しずつの歩みであろうとも、本当の自分が望むものに向かっていくこと・・・それをやりたい。それは、そこにしか、心の平安とやすらぎがないこともすでに知っているからです。

クールでホット
2020/03/04

昨日の日記の続きです。・・・・「〇〇さんの言い方にすごく傷ついたんです。でも、よく考えてみたら〇〇さんもこうだったのかなって思って。そうしたら、もう、いいかなあって思えて、気持ちが落ち着きました」的なもの・・・・これはこの黒パターン(傷ついている黒パターン)を嫌う黒パターンが言っているのでは?ということでした。

では、この心に起きていることを「私」が観察してその視点で表現してみると?

「〇〇さんの言い方にすごく傷ついたという黒パターンがいます、そして、それを嫌っている黒パターンもいます。そのパターンはよく考えてみたら・・と言いながら、嫌っているパターンが早く落ち着くように、そこにわずらわされないようにしようとしています」ということになります。

この場合だと「私」はとても遠くにいて、パターンのどちらのことも見えています。ああ、この2つのやりとりなんだと。だから「よく考えてみたら」は選ぶ必要がないを選択します。

この距離感と分離感。あたかも自分の心ではないものを見ているような、客観的な目。ただ、あるものをあるものとして一切のジャッジなしに見ている目。

この距離感と分離感があるからこそ、さて、どうするか(白パターン登場)を考えていくことになります。もちろん2つのパターンには、その領域におりて行ってパターンのレベルで語りかけます。

「そうだよね、あなたは〇〇さんの言い方にすごく傷ついたんだね」&「そうだよね、あなたは〇〇さんの言葉にすごく傷ついたパターンが嫌いなんだね」これも、たんたんとしかし共感したいという気持ちで行われています。

パターンたちは弱い、でも、強情に言い張る(あら?・・それって私?)そんな子たちの気持ちがわかるから寄り添ってあげたいと「私」は思う。その子たちは苦しんでいるのだから。自分が救わないで誰が救う?

「私」はとてつもなくクール、とてつもなくホット。この2つを行き来しているのではなくいつも同時に持ってクールとホットをちりばめながらパターンと向き合っています。

よく考えてみたら・・・
2020/03/03

黒パターンを嫌い、攻撃したり、押さえつけたりする黒パターンがいます(多分、ほとんどの方がもっていると思います)

その黒パターンは他の黒パターンたちを嫌い、自分がリーダーのように君臨して、自分が望むような心をつくろうとします。

例えば、●私はだめだ、●私は認められていない、●私は負けている、などなどの、特に自分を否定するようなパターンに対して敏感にすぐに反応します。

そして自分を否定するようなパターンたちに話しかけます。「だめじゃないよ、自信をもたないとだめだよ」「認められていないなんて思っちゃだめだよ。認められているんだから。だいたい、自分は認められないわけがないんだから」「負けていないよ、努力してきたんだから、努力をした人が負けるわけないだろう」と言ったり、と一見、落ちている黒パターンたちを励ましたり、違う考え方を教えたり、するのですが、本当のところはそういうパターンたちのことが嫌で嫌でしょうがない(自分の理想の心にいてほしくないメンバーだから)んです。

だから「私」がどのパターンのこともそのままに置いておくこともすごく嫌がっています。「私」なんかにまかせていられない、自分がリーダーになって心をつくらないと、と思っています。

普通の会話でよくあるもので「〇〇さんの言い方にすごく傷ついたんです。でも、よく考えてみたら〇〇さんもこうだったのかなって思って。そうしたら、もう、いいかなあって思えて、気持ちが落ち着きました」的なもの。これはこの黒パターンを嫌う黒パターンが言っているのでは?ということです。なんで「よく考えてみたら・・・」って考える必要があるのか?それは傷ついたパターンの生み出す感情が嫌で、わずらわしくて、早くそこから離れたいからでしょう?そもそも、このパターンがいるからいけないんだと思っています。

この「よく考えてみたら・・・」という言葉は誰が言っていて、誰が考えているのでしょう。ここへの観察です。一般的にはこれはよく使われていますが、そのときは確かに気持ちが落ち着くのかもしれませんが、また同じ状況になったときに再び 傷つくということを繰り返します。

何かがパターンにひっかかり、すぐにこの「よく考えてみたら・・・」的なところへいきそうなときには、それを選ばないようにしてください。

それを追っていこう
2020/03/02

とりあえず、毎日、つつがなく生活している。

仕事もあり、家族もいるし、友人もいるし、好きな趣味もある。しかし、気づくと、自分の中に空虚感がある。それがずっと続いている・・・ということを感じている方もいらっしゃると思います。

そんなとき、一般的に言われていることに「つつがなく生活ができているんだから、それでいいじゃないか、それで十分でしょ?そのことへ感謝しないとね」というのがありますが、正直、この空虚感を抱いたまま、感謝したら?といわれてもーーー。私は嫌だな、それ。

その空虚感は仕事をしているときや、家族といるとき、友人と楽しくおしゃべりをしているとき、趣味に没頭しているときには忘れられています。しかしひとりになってふとしたときにそれを感じます。だからまた仕事や趣味に没頭する。

で、とってもざっくりと言ってしまうと、人って「私」として生きていないと空虚感を感じます。そもそも(そもそも論が結構好き)「私」が主であって、その「私」は成長・進化(課題クリア、そのための挑戦)のために今回もきています。ですから、そこをやっていないことは本当にやりたいことをしていない状態なので空虚感がつきまといます。この正しい空虚感は白パターンからやってきているのでしょう。

つつがなく生活をしているだけではものたりないんです。「私」としては。

たとえ、全て思い通りに生活できていても・・でも・・・空虚なんです。いやなことない・・苦しいこともない・・問題?問題って?・・・全くないんで・・・であっても空虚なんです。

いやなこと、苦しいこと、問題があるから「私」の今世での課題クリアに初めて向かえることになります。そこへ向かい、勇気と意志力をもってクリアしようとしているその瞬間に空虚感はありません。これがやりたかったのよーーーーというサインです。

主である「私」が決めてきたこと、納得することの選択と行動にはどこか満たされているものが生まれてきます。それは小さな、ささいな、見過ごしてしまいそうなものです。しかし、それを追っていくうちに確かなものとしてわかるようになっていきます。

そうか、こうして生きていけばいいんだ、という手ごたえ(そこには喜びがあります)を感じられるようであれば、そう、そう、その調子、です。それをキープ。それを追っていこう。

富士山のように
2020/03/01

3月に入りました。3月と言えば、雛祭り。その3月3日は大好きだった祖母の命日。

今の私に大きな影響を与えた人です。祖母がよく言っていました。「女の人はね、強いのよ。いざというとき、女の人は底力を出すから。だから、いろんなことを怖がらなくて大丈夫だから、それなりにうまくいくから・・・」と。

確かに、女性は強いです。いざというときの腹の決め方、潔さ、あきらめ方、決断力・・・そういうことをお会いしている方々からも感じるときがあります。男性の方々からもそれを受け取ることもあるので、人間は・・・ということなのでしょう。いざとなれば人間は底力発動。そう思っていれば、必要以上に怖がることはない・・ということ。怖い、どうしよう、だめかもしれない、と思っているときは、まだ「いざ」ではないところなのかもしれませんね。

祖母の名前は「富士子」でした。写真は今から7年ほど前に飛行機の中から撮った「富士山」(相変わらずぼーーっとした写真ですが)富士山を見るたびに祖母の「怖がらなくて大丈夫、うまくいく」という言葉を思いだします。

何を自分の信念、指針にしていくのか、というところが日々に影響を与えていきます。わたしたち、日本人だから、富士山のようにどーーんとかまえていればいいのかもしれません。

とても印象的
2020/02/29

先日、元SMAPリーダーであった中居正弘さんの事務所退所の記者会見がありました。

全てを見たわけではありませんが、一部を見ました。

中居さんといえば、MCのプロなので、とにかくひきつけ方が上手く、しかし自分本位にならず、まわりの空気も読みながら、なごやかな中でも伝えることは伝えて・・・と、中居さんの力量を感じられた会見でした。

その中で出た質問に「SMAPは不仲だったのですか?」という質問がありました。これに対してまず「何で知っているんだろうとは思いました」と答え軽く笑いをとり、その後「不仲でいいんじゃないですか?別にいいんですよ、本人たちがわかっていれば」と答えていました。これがねーーーとても印象的でした。

「不仲でいいんじゃないですか?」という言葉とそのときのトーンには、ひらきなおりや、怒りや、嘆きや、不満がありませんでした。私の想像でしかありませんが、不仲であったことへの、責任や、怒りや、不甲斐なさや、不満や、当初はその中でもんもんとしていたときはあっただろうと思います。

そして、そこをこらえたり、爆発させたり、無視したり、話し合ったり、いろんなことを経て「不仲でいること」を選べたのだと思いました。5人がそうだったのかどうかはわかりませんが、たぶん5人ともそうだったのかも。だから「本人たちがわかっていれば」と言えたのだと思います。

不仲な自分たち、でも、それを認め合ったから不仲なままでいることを互いに許しているのだと思いました。

本当に大人だと思いました。

仲が良いのか、不仲なのか、というどちらかではないという2極ではないところに着地点をみつけたという感じです。2極以外のところでの着地点ってとても足場が悪いんです。不安定でぐらぐらする。でもそれをしっかりとした足場にしていったのは努力だったろうと思います。

今後は新会社名のごとく(「のんびりな会」(のんびり中居?))のんびりといい仕事をぜひやっていっていただきたいと思いました。

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