ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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サルかな
2019/11/27

先日、近所の喫茶店でランチをしていたら、となりの席に2人の男性(2人とも30代前半でしょう)が座りました。注文がすむと、一人の人がバッグから資料を出して早速話がはじまりました。

聞こえてくる話は・・・投資のお勧めの話でした。2人は面識があるようで、ずばずばと話は進みます。「これは信頼できるものである、これだけ儲かる」と資料を色々出してぐいぐい押してきます。

話しを聞いている人は、保険会社の終身のものに2つ入っているということを話ていましたが、その終身の弱み(「実は、私も知らなかったんですけどね、終身って…」と言って超小声で話している部分は聞こえなかった)を言い、それより投資だと力説していました。

そして営業マンはこう質問しました「〇〇さん、自分が60歳になったときって想像できますか?ちょっと想像してみてください」と。相手の人が「う〜ん、想像はできませんね。でも、人間終わってますね」と言いました。「そーーーなんですよ、60歳ってもう人間終わってるんですよ、終わってしまっているともう無理なんです。お金をつくることはもう無理なんです。だから〇〇さんにはぜひ60歳前に財産をつくっておいていただきたいんです」とヒートアップ。

そうか・・・・60歳って人間終わっているのか。人間終わって何になるんだろう・・・・サルかな。

もう少し続きが聞きたくて、もう1杯コーヒーを注文してしまった私。

その後、話は60歳を過ぎて財産がない人の悲惨さにうつっていきました。こうなると、もう、脅しです。相手の人がどうこたえるのだろうか・・・と思っていたら、話は趣味の話と車の話に変り、投資話へのこたえはありませんでした。

なんだ、これならコーヒーを注文しなくてもよかった。

60歳すぎて人間終わって、でも、それなりに元気に生活をしている人、そういう人がたくさんいることをいつか彼らも知ることになるのかもしれません。年をとらないとわからないことはたくさんある。人間でもサルでもいいや・・・こう思えるのも年をとったからだと思いました。

自発的であれ
2019/11/26

先日の日記に書いた「私の宝物」。

バレエの先生から教えていただいていた大切なこと。それはピアノの先生についても全く同じであったことにも気付きました。

高校生のときに通っていたピアノのレッスン。私にとってそれは、やらなくてはいけないもので、その義務をはたせばいいものでした。

ある日、あまりに弾けない私に先生が「こんなに何もできないで来るのなら、もう、弾かなくていい」と言いました。私は泣いてしまい涙がピアノのキーの上に落ちたとき「ピアノが汚れるから帰って」と言われました(私、帰ってとよく言われますねえ)なんて酷い先生なんだ、と先生を嫌いました。ピアノが好きだったとか嫌いだったとかということ以前に、ピアノ=嫌な先生というものでした。

当時、私は自発的に練習をしたものをもって先生に教えてもらうということはなく、レッスンが練習のようになっていました。先生としてはこれも教えたい、あれも教えたいというのがあったと思います。しかし、全く自発的ではない私だったので先生にしてみれば不甲斐なさや、腹立たしさや、あきれたと思います。まだ子供だったからそういうことが全くわからなくてもしょうがないとは思いますが、そういう自分であったことに今はっきりとわかります。本当は先生から学べることはたくさんあったはずなのに。

もうこの世にはいらっしゃらない先生に謝り、感謝をしました。

バレエの先生もピアノの先生も私に全く同じことを教えてくれていました。「自発的であれ」ということです。全てにおいて。やらされている間は何も変わらないと。自分の人生なのだから自発的に自分で自分をコントロールしていきなさいとお二人は言っていたのだと思います。芸術の世界と魂の世界は根っこでつながっている。

だから、白を選び続けること。

贅沢な1日
2019/11/25

きのうは、道場生であり「心と身体と魂をつなぐカウンセリング」のアリ真弓さんのフラダンスの発表会に、茅ヶ崎クラスの皆さんと行ってきました。

私、フラダンスの発表会を見るのは初めてでした。舞台で、美しく、優しく踊る真弓さん。多くの曲を踊り、これだけ覚えるのは大変だったろうと思いました。

真弓さんの踊りを見ていたら、初めてお会いした日のことから、今日にいたるまで、共に学んできた日々を思い出し感慨深いものがありました。誰の人生もそうですが、人生山あり谷あり。そこを生き抜いてきた真弓さんが笑顔で踊っているのを見て、こみあげてくるものがありました。一瞬、母のような気持ちに・・・。

皆さんのフラダンスを見せていただき、やはり踊りは身体の中心軸が大事だと思いました。フラダンスはやさしく、柔らかな動きでできていますが、この動きは身体の中心軸あってのものだと思います。そして、心もそうですね。心の中心軸があるから、揺れても、ぶれても自分を保てるのだと思います。

全ては中心軸、軸の片方をしっかりと大地につきさし、もう片方を天に伸ばしてしっかりと自分を保っていきたいものです。

家に帰ってから「LAST DANCE 〜バレリーナ吉田都 引退までの闘いの日々〜」をやっていて、途中からでしたが、それを見ました。英国ロイヤルバレエ団で20年にもわたってプリンシパルを務め、その後も活躍されていた都さん。その都さんが今年8月に引退するまでの挑戦の日々のドキュメントでした。

53歳の都さんは、ご自分の意思で引退を決め、そこに向けて全てを調整し、最後の舞台を務めあげていました。「まだ、続けられる、踊り続けることが大事、あなたならできる」と師に言われながらもご自分で決めたことの気高さを感じました。

ロイヤルバレエ団に入ってからの自分へのコンプレックスから「自分の全てが嫌いだった」と話されていたことも印象的でした。そこをご自分の努力で超えてきた方だからこそ人々に感動を与えられる方として長くプリンシパルとして存在されていたのだと思います。

きのうは踊り三昧のとても贅沢な1日でした。

私の宝物
2019/11/24

バレエに通っていた頃、その日、いまいち気持ちが乗らず(たぶん、何か嫌なことがあったのだと思う)やらされている感満載で(自分としては普通だった)レッスンを受けていたら、先生から「嫌々やるんじゃない、今日はもう帰りなさい」と言われました。

すぐに謝ったのですが「いいから帰って。皆のじゃまになるから」と言われ、ショックを受けて帰ったということがありました。後日、先生からそのときの説明を受け「どんなに気持ちが乗らなくても、乗る気持ちを自分で創りなさい。気持ちができたらはじめてバーをさわるのよ。気持ちができてないのにバーにさわってはいけないの。これはレッスンだけのことではなくて仕事や日々の生活でも同じなんだよ」と言われました。この言葉はずっと私の中に残っていたのですが、今朝になって、先生はあらゆる場面で「白を選べ」ということを言っていたのか・・・と思いました。

もちろん先生は白黒パターンのことは知らないですが、気持ちが乗らない、というのは黒パターンのなせることであって、それをその瞬間に白パターンを選択していくことの大切さを教えていただいていたのだとわかりました。

ましてやバレエのレッスンで気持ちが乗らないという黒パターンでそこに参加するのは、レッスンを受ける資格がないことであることは確かです。気持ちが乗らずにレッスンを受けることで、怪我をすることも出てくるし、自分だけでは済まないことも出てきます。

今更ながらですが、自発的に受ける人しか受けてはいけないものだったんだ・・・と思いました。そこまでの自発性をつねに自分が創るということが求められ、だからこそ学ぶことができるものだったんだ・・と。

このことを考えると、何かを学ぶとは全てがそういうことです。自発的にできるのか、自分、ということをちゃんと見ていないといけないんだと思いました。通っていればどうにかなる、やっていれば教えてもらえる、とりあえず出ておくか、では学べないです。

今朝、お皿を洗っているときにふとこのことを思い出し、先生に感謝しました。先生はもうこの世にはいらっしゃいません。でも、こうして先生が皆に教えてくれたことがこのように生徒の心に残っている。これこそが私の宝物だと思いました。

自分を満たす
2019/11/23

自分のパターンの欲していることを他人に満たしてもらうのが当たり前だった昔。

他人に満たしてもらうことが愛されていること、大事にされていること、認められていること、価値ある人と思われ、自分でも価値を感じられることと確信していました。だから、そうしてもらえるように他人に接していた、ということを思いだしました。

しかし、誰からも満足するそれは与えられず、もんもんとした時間を過ごしました。もっときれいだったら、もっと賢ければ、もっと目立つ仕事をしていれば、きっと愛される、大事にされる、認められる、価値がある人だと思われるし、自分でも価値を感じられると思ってもいました。だからそれを得るために努力をしました。しかし、それは与えられませんでした。

今は・・・・はっきりと言えます、他人からは与えられません。もし、与えられてもそれは一時のものでありそれが継続することはないです。

で、見つけたことは、自分で満たすということでした。自分で満たすためには、自分の中でそれを創らなくてはいけません。幸せも自分が生み出す、自分への価値も自分が生み出す、自分を愛することも自分が生み出す、というように全て自分で創ることにより、やっと人は自分を満たしていくことができるんです。それなのに、それを他人からもらおうとするからずっともんもんとしていたわけです。

そして、もうひとつの発見は、もう、他人に満たしてもらうことを必要としなくなると、他人と純粋にかかわることができるということです。そこには、期待や予想や駆け引きや比較などが必要ではなくなるからです。

又、自分が自分を満たしたように、この人もそうして自分を満たしていく人なんだということがわかってくると、必要以上にこの人のためにこれをやってあげよう、喜ばせてあげよう、励ましてあげよう、というところも消えていきます。自分を満たすために今頑張っていることを見守ることを選びたくなります。自分がそうであったように他人もそうです。

そんな関係が、自分を満たすことにより体験できることは大きな喜びになると思います。

結局、人。
2019/11/22

施設に入っているトミーの両親のところへ、時間ができると行くようにしています。

高齢な2人が北海道から関東へ越してきて、はたしてどうだろう?困っていないか?寂しくないか?と心配があるからです。慣れない気候、文化、風習、それらに順応するのに高齢であると大変だろうと思うからです。

しかし、私の心配をよそになんとなく順応している2人。これには驚かされます。そして安心します。

特に父はもう北海道のことは忘れているくらいに今の生活を楽しんでいるようですし、北海道の大自然が大好きだった母も施設という限られた生活の中でも落ち着いていられているようです。

2人から施設の話を聴くと、必ず出てくる話が「ここのスタッフの人達は丁寧で優しい。必ず言葉かけをしてくれる。気をかけてくれる」ということです。確かに私がみていてもそれは感じます。忙しい仕事の中にありながらも、余裕のある対応をしてくださいます。余裕があるから(人に向き合うときには余裕を創って)丁寧で優しいんだろうと思います。

「・・・結局、人・・・なんだ・・・」と思いました。豪華な施設でなくても、そこで働いている方達の意識というものがその施設を創り、その意識を高齢の方達は察知しているのだと思います。

できれば誰でも自分が生まれ育ち、慣れた土地で一生を終えたいと思うと思います。しかし、それをうわまわるのは人の力なのでしょう。人が人に向き合うその心はあらゆるものごとからその人を自由にしてくれるのかもしれません。ここに、カウンセリングの原点が見えます。

両親には残りの人生をおだやかに過ごしてもらいたいです。

70代になったら・・・
2019/11/21

近頃、見ず知らずの人とよく会話をするようになりました。

先日も、いわしを買おうとスーパーの生魚売り場でじっといわしを見ていたら「今夜はいわしにするの?」と声をかけられました。多分70代の方です。

そこから、新鮮ないわしの見分け方や、いわしはおいしいけれど、骨が多くて食べにくいとか、それでも煮つけはおいしい、などなど。話の内容としてはそういうものですが「あーらー、こうしてちょっと話するだけでも楽しいわねえー、いいわねえー主婦って」とお互いに笑いました。

それから数日後、駅ビルのお花屋さんの花が、みごとにきれいだったので足を止めて見ていたら、やはり70代くらいの方が「きれいねえ」と私の顔をみながら言いました(私の顔がきれいなんじゃないですよ・・(笑))

「本当ですね、みごとですね。今日はピンクの花で揃えたんですね」と言うと「私ね、ピンクが大好きなの。庭でも花を育ててるのよ」と言って、目の前の花、ひとつひとつの名前を教えてくれました。

とてもきれいなピンク色のキンギョソウがあって、これは特にいいわねえ、と2人で話しをしました。「でも、これだけのたくさんのキンギョソウだからきれいなんじゃないですか?1本だと寂しいです。でも、10本は買えないなあ・・」と私が言うと「1本でもいいのよ。10本の迫力はないけれど、1本は、わび・さび、なのよ」と言われました。「わび・さびですか・・」と言うと「日本人が買う1本は、わび・さび、よーー」とおっしゃっていました。

こんなふうに全く見ず知らずの人と、何でもない会話を普通にして、その一瞬だけの関わりが尊いもののように感じます。その会話から得るものがある、とか、ためになる、とか、わからないことのメッセージがある、とか、そういうことではない普通の会話。それが楽しく、尊い。それは、その人の人生が、その話の後ろにあるのを感じるからだと思います。

こんなで日々の買い物もなかなか楽しいです。私も多分70代になったら、この方達のように自分のほうから声をかえていくんだろうなあと思います。

気付いただけでは・・・
2019/11/20

気付いただけでは変われない。

ここがきっと一番難しいところだと思います。

今まで多くの方々にお会いしてきて感じてきたことは、皆、わかっているんです。心の深い所で。「こんなことしていちゃいけない」「自分のこの部分を変えていかなければこのままだ」「今の自分を変えるのに、何が必要で何が不必要かわかっている」・・・・これには気付いています・・・・。

でも、変わらないのは、そのように思うだけで、そこに行動がともなっていないからなんです。

気づくということは、小さな種を、もしくはこれからしっかりと固めていくための枠を持つようなものです。それを形あるものにしていくために、行動が必要になります。

例えば、ダイエット。痩せるためには、毎日お菓子を食べないほうがいい、そして、ご飯の量も減らすほうがいいということに気付いています。この気付きというところだけを継続して気付きつづけても(毎日、思い続けても)何も変わりません。この気付きの後に、行動が必要ということです。それは実際、お菓子を止める、ご飯の量を減らす、という行動。それを継続するということ。それがあって気付きは初めて形あるものに(痩せる・・という花を咲かせ、痩せるという枠を固める)なります。全てがそのようにできています。

黒パターンの「自分はだめだ」があることに気付いた。「そうかーー、そんなパターンがあったのかあーー、だからずっとこんなだったんだ。このパターンによる結果だったのか!と毎日思っていても(分析していても)変わりません。そこに行動を持ってこないと。

そのパターンに向き合うという行動(語りかけ)そして選び変えて(白黒ワーク)実践するという行動。そうやって気付きを少しずつ形にしていきます。

行動によってそれがもたらされるのはどうしてでしょう。私は、形になる元の素材を行動で揺り動かしている、練り上げている・・とイメージしています。このイメージも使えそうであれば使ってください。

2019/11/19

「洋子さんの夢って何ですか?」と聞かれました。

で、考えてみたんですが私には夢がないということに気づきました。夢がないって悲しすぎ?でも、ないんです。こうなりたい、これをやりたい、こうしたい、などなどのものごとがない。

強いて言えば、皆さんが成長して幸せになっていくことでしょうか(ちょっと優等生的答えですねえ)ご縁のある方達が、そしてご縁のない方達も、全ての人達が、全ての生き物が、穏やかに健やかさを感じて生きることでしょうか。

「・・・でもね、来世の夢はあって、それは鳥の獣医さんになることなんだあー」と質問された方に話ました。来世は動物に関わる仕事がしたいです。その中の鳥専門の獣医さんになりたい。

以前飼っていたオカメインコのポロンが病気になったときに診ていただいた女医さんは鳥専門の先生でした。先生のクリニックには入院している鳥たちがいて、その声がいつ行っても聞こえていて、さながらアマゾンの森の中にいるような感じでした(行ったことないけど)

生きているものと関わるわけですから、大変な仕事だとは思いますが、ポロンのおかげで、まだまだ解明されていないところがたくさんある(・・・と先生が話してくれました)鳥をとてもおもしろいと思うようになりました。ポロンとあうまではどちらかというと苦手だったんです、鳥。わからないものです。

こうして来世での自分の夢を持つということもいいと思います。そうして、おもしろいと感じたのは、来世に夢を持つことで、今世と来世の隔たりのようなものもなくなっていくような気がします。このまま続いて、あるときから来世の方へ足を入れていく。

・・・そのときに今世の夢を覚えているかどうか・・・は、はなはだ疑問ではありますが、まあ、そのときはそのときで。

美味しいとこ取り
2019/11/18

・・・「魂の道場」は美味しいとこ取り・・・と言って先日お会いした方と笑いました。

話の流れからこういう言葉が出てきたのですが、美味しいとこ取りとは「私」を育てていくことで、永遠なるもの、私たちが人間として生まれ放たれた大元を思い出す、心の帰還、大元との合一、を日々の生活の中で行っていくことと、この現実にしっかりと足をつけて、自分で考え、選択して人生という大海をわたっていく善き術を手に入れ、創造することの両方を、生きているうちに(肉体を持っているうちに)得て、楽で自由に生きていこう、ということでの・・・美味しいとこ取り・・・です。

魂だけじゃない、かといって現実だけじゃない。両方〜〜〜。欲張りな私にぴったりなんです。

そして、それを体験し、自分のものにしていくために、あらゆることを行っています(特にグループにおいて)ワークはもちろん、そこにある深意(神意)を知っていくこと、言葉を感じてみたり、自分の哲学を発表したり、色や音をイメージしたり、物語を作ったり、絵をかいたり、音楽的なフレーズを感じてみたり、その空間に漂うものを感じてみたり、熟考したり、ロジカルに説明したり、学びに合いそうな他の方々のコメントや、ワークなども使わせていただくこともあります。お金についても考え、そして、たまには身体を動かして、と多岐にわたります。このあたりも欲張っている。

本当はここに数学的なこととか政治経済的なこと科学的なことも入れていきたいところです(・・・が私が苦手なところで・・・)自分が体験してきた使えるものはなんでも使って先ほどの魂と現実の質アップの両方を得て、バランスをとり、その人のオリジナルな人生を創造していくということです。

これからも・・・美味しいとこ取り・・・は道場の個性として在ることになります。いいあんばいで全部が在るというところに私は魅力を感じます。たくさんじゃなくていい。いいあんばいで、自分らしく。

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