ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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そんな「手」もある
2021/07/04

成長すると人は落ち込まなくなる、とか、ぶれないとか、平静でいられる、とかと思うかもしれません。だから成長してそうならないようになりたいと。

確かに中にはそういう人もいるでしょう。マスターとか。本当に落ち込むことがない、ぶれない、常に平静という方もいると思います。

しかし、中にはその人なりに成長しても落ち込む、ぶれる、平静ではいられなくなるという人もいます。私です。落ち込み、ぶれて、平静でなくなる、おまけにそれが続く、もちろんその間つらい。でも、自分の性格としてそれが極まった時、どうにかするというタイプです(努力し、諦める、離れる、が多い)

で、私はこの個性なのでそれでいいと思っています。というか、それでしかないのでそれを受け入れていくしかないことを今までに学びました(仕方ないかあという感じです)

成長するってもしかしたらそういうことなのかもしれません。なんとなく成長するとこうなるというイメージを追い求めてしまうと思うのですが。どうすることもできない自分の個性、課題というものを受け入れて、それでもそこに自分なりの処し方を見つけ、それをうまく使っていくことを身につけることがその人の成長なんじゃないかということです。その人その人の成長というものがあるのだと思います。

私はどっぷり落ち込み、極まったところで、浮上するということや、ぶれるだけぶれて極まったところで戻るとか、平静ではいられない状況をとことんやって極まったところでどうにかする、というこの「極まったあとにくるもの」が、私にとってはポジティブなのかもしれないと思いました。

最後はいつも通りにこれがくる、とどこかでわかっていれば、それがあると思えれば、落ち込んだり、ぶれたり、平静ではないときには(積極的に)それにひたり、早めに極める、そして、新たなところへ…という、そんな「手」もあるんだということです。

今日もまた
2021/07/03

なんか、無性に鳥のさえずりが聞きたくなって・・・・。昨日はしばらくぼーっとこれを聞きながらすごしました。

https://www.youtube.com/watch?v=_o_fD1EgMx8

途中でしばし椅子に座ったまま寝てしまいました。鳥のさえずりとピアノの音色はよくあう。実際に目の前にピアノがあって弾いてくれたらその音色はもっともっとクリアで美しいのですが。それでも。森の中を歩いているような気分になりました。

土のにおいや、樹々のにおいや、風を感じ、そこに射す光の暖かさを感じたり、水の透明さを見たり、とびかう小鳥たちを見たり、そして小鳥たちのさえずり。

耳から入ってくる音から、イメージははてしなく広がっていく。本当に便利な時代になったものです。

で、思い出したのは北海道のことでした。母のおともで一緒に歩いた森です。毎年行っていたのに、この数年はそれがなくて、私は恋しいのだと思います。

父や母はもっと恋しいだろうと思うとちょっぴりせつないです。「こちらへ来てよかった」と言ってはくれますが、本当はあの地の山や森や風を感じたいだろうなあと思います。

今日もまたしばし、森の中を歩く・・・。

100%の精神性
2021/07/01

昨日の「大元に近づく前進」というところを考えてみました。

デヴィッド・R・ホーキンズ博士の、本だったか、インタビュー記事だったか忘れましたが「必要なのは100%の健康ではなく、100%の精神性」という(ような)言葉がありました。これはまさに、大元に近づく前進のときに使われるスキルであると思います。

100%の健康を手にすることが大元に近づく前進なのではなく、どんな状態が今自分にあっても、それでも、その意味を問い、何を大元から求められているのかを自ら考え、自分を洞察してこれからを決めていくこと、その精神こそが人間には必要なんだ、とホーキンズ博士は言われているのではないかと。

なぜならば、人生には思いもかけないことが誰にでも普通に起こるからです。だからそれらに向き合える100%の精神性を自分で作っていきなさい(作るのは「私」)と言われているのだと思う。

ここでは100%の健康とありますが、これは100%の人間性とか、100%の霊性とか、100%のいい人とか、そういうこともあてはまっていて、それが大元に近づく前進になるということでもありません。未熟で、弱くて、不安を持ちながら、うまくいっていない今の自分でも、それでも、それを認め、何を今大元から求められているのかを考える(大元からプチっと生まれた「私」にはそれがわかっている)その在り方のところに100%の精神性というものがあるわけです。

私はこの考え方にものすごくほっとします。そして、すぐにこのようにできないときであっても、このことを思いそれをイメージしたときに、あらゆる執着から自分が解放されていくのを心の底で感じます。この、心の底で感じているこれを自由というのだろうということもわかります。そして、これが最も人を満たすものなのだろうということもわかります。

100%の精神性…これを日々自分で練っていくということ。

大元へ近づく前進
2021/06/30

何かトラブルがあって(体のことでも、心のことでも、仕事でも、人間関係でも)それを修復させるときに元通りにしよう、とすると思いますが、そこを、これを機にして新なものにしていこう(新な意味づけ)と考えてみるというのが、トラブルの意味と思うようになりました。

何か困ったことがおきて、それがよくなったり、なくなると「ああ、よかったこれで元通りだ」と思うのですが、元通りにするのではなく、それをチャンスにして新なものにしていくということです。

そもそも、今あるところから進ませたくて(気づかせたくて)トラブルは起こる(セッティングされる)という考え方もあります。

例えば、腰が痛い、なかなか治らないとなると、毎日憂鬱で、ずっと治らないのかなあと不安にもなるし、落ち込みます。それが今までのやり方で少しずつ良くなっていって、ある日、痛みがなくなったときに「ああ、よかった、これで元通りだ」と思うと思うんです。

でも、元通りということはそのセッティングをいかしていないということなのではないかと思います(いかしていないから罰が当たるという事では決してないです)

今回腰が痛くなったことで、何に気づいて、何を変えていけばいいのかを少し上の目で見てみる。少し上の目というのは、ちょっと大元に近づいた目ということです。大元(天)は何を私に求めている?今回の腰痛で。もしかしたら、それほど神経質にならなくていい、もっと大元にゆだねてみたら?ということか。もう、自分の思い通りの体でなくても大丈夫でいられる段階にきているんじゃないか?ということか。ちょっとおかしいなと感じたときの感覚をもっと信じていいのでは?ということか。

要は今までの「策」ではない新なものをみつけていくということです。これにより、今までの腰痛は、新なものとなり、そこには前進があります。大元へ近づく前進です。こうして歩んでいくことなんじゃないかと思うんです。

その意味を考えろ、気づけ、知れ、偶然はない、などなどと言うことはこういうことなんだと思います。今までのそこにいることではなく新なところへ行くことなんだと。

小さな巨人
2021/06/29

タキミカさんという90歳のフィットネス・インストラクターの方がいらっしゃいます(つい先日知りました)

昭和6年生まれだそうです。65歳からジム通いをされて、インストラクターとしてデビューしたのが87歳。現在90歳。動画もたくさんあります(ご興味のある方は見てみてください)

とても小柄(身長が144pになってしまいましたと話していらっしゃいました)ですが、とにかくパワフル、明るい、元気、可愛らしい、筋肉がすごい、軽快な動き。そしてなんといっても人生の大先輩です。

もともと運動はしたことがなかったそうですが、始めてみたら楽しくて楽しくて続いてしまいました…やめたいと思ったことは1度もなかった…と話されていました。

「年齢はただの数字です。皆さん、頑張っていきましょう!パワーエイジング!」とにこやかに語りかけています。動画を見て、私もちょっと動いてみましたが、とてもじゃないけどついていかれませんでした。これを楽しいと感じられるというのがすごいです。もし、私がこれを行うのであればひたすら我慢してやり切ることを頑張るしかないと思う。あと何回?、あと何分?と、ひたすら頑張る。

そこには楽しいはないだろうなあ・・・というように人はそれぞれ楽しいと感じるものごとが違います。そして自分の楽しいものごとを持っていることはすごく幸せなことだと思います。楽しいことなので毎日でもやりたい、それがない人生なんて考えられないくらいに楽しいものごと。

で、楽しいと感じると体の底から活力がわき、心は満たされていきます。この心身を充実させる楽しさというものが、本当にその人にあった楽しいものごとなんだろうなあと思います。

タキミカさんを見て、勇気をもらったり、自分も何かに挑戦してみよう、年だから無理、できないと決めなくていいんだ、と思った方は多いのではないかと思います。

小さな巨人。タキミカさん。

意思と行動と継続
2021/06/28

昨日は、駅ビルのとんかつ屋さんで夕食(ここのとんかつはとても美味しい)

そこでトミーが「自分を変える、変えたい、というときには、その意思を持ち、行動に移して、それを継続(習慣化)させることだと思う。自分はそうやって自分を変えてこれた」と話していました。

私の注文した「アジフライ」についていた「タルタルソース」がすっごく美味しくて(そういえば、茅ヶ崎グループの誰かがこんな美味しいタルタルソースは初めてと言っていたなあ…ということも思い出したりして)そちらに気をとられてしまっていたものの、そうかあ・・・・と思いました。

「こう変わりたい、こうなりたい、と強い念を持つだけじゃあないね。継続し続けることが大事だね、継続は大変だけど」と話しました。

継続がなかなか難しいところなのだと思います。しかし、継続って最初の頃は大変と思うかもしれないんですが、やり続けていくと、継続自体が習慣化してくるというものでもあります。そうなると、生活の中にそれが自然と組み込まれていて、そこまでになると大変というものでもなくなってきます。

大変ではなくなると、それはあってあたりまえのようになる(=すでにあるということか)ので、現実化するということなのでしょう。

「洋子は?洋子はどうやって自分を変えてきたの?」と聞かれ、うーーーーん、と考えたあげく「なんとなく」と答えてしまいました。答えになっていないなあと思いながらも。ワークしたり、考えたり、話たり、カウンセリングで皆と共に学んできたり、毎日の生活の中で起こるいろんなことを体験したり、なんか、全てが私の場合には自分の変容に必要なことだったと思えたから、そう言ったのかなあとこれもまたあいまい。

「なんとなく、って、洋子っぽい」と言われて笑って終わりました。

意思と行動と継続は確かにそうです。「私」が求めることはそれを使うといいと思います。そして、自分の力で自分が変容していったことが実感できると、自分って、すてたもんじゃない、と思えると思います。

全てにOKを出す
2021/06/27

自分の心の中に起きていること全部をOKとする…ということだけなんですが、なかなかそこが、わかっちゃいるけど、なんだと思います。

というのも、私たちは、こんなことを思ってはいけない、こんな感情をもってはいけない、ましてや、人にそんな自分であることを見せてはならない、と無意識に自分の心の中に起きていることをジャッジし、抑圧することに慣れてしまっているからです。

これ、意識してみてみると1日のうちにもけっこうやっていることがわかると思います(これに気づくという事自体、すごいことだと思います)

誰かに対して「嫌いだな、こいつ」と思ったとします。すると、すぐにそれを打ち消すように「人を嫌ってはいけない、そんなレベルの低い自分でいてはいけない、相手にさとられてはいけない、道場で学んでいるのに」と思います。これ自体がパターンです。

このパターンが「嫌いだな、こいつ」というパターンが動きだすと「だめ、だめ、出てきちゃだめでしょ?」とストップをかけます。即反応する。

で、このストップをかけるパターンが知らず知らずのうちに自分の心の中の学級委員のようになっていて、知らず知らずのうちにそれに従って生きてしまう…ということをほとんどの人がやっているんです。すごく普通に。

この時点で「私」は一切機能していなくて、この学級委員が全てをしきっていくということになります。そして、この学級委員が自分だと思い込んでいく。それは一見すごくいい人に見えて(そう振舞うから)理性的に見えます(そう振舞うから)そして、そんな自分もいいと思う(学級委員はそれがうれしい)

しかし「私」は気づかせるためにセッティングします。この学級委員で生きることで苦しみや問題が起こるようなセッティングを。「私」は本来の生き方をさせたいので(そのために生まれてきたのでそこは遂行させようとします)自分の心の中に起きている「嫌いだ、こいつ」と「だめ、だめ、出てきちゃだめでしょ?」の攻防により、結局苦しくなります。

じゃあ、どうすればいいのでしょうか。「嫌いだ、こいつ」をそのまま認め「だめ、だめ、出てきただめでしょ?」をそのまま認める。その2つともパターンなのだから。そして両方ともに「いつ出てきてもいいよ」と彼らの個性を尊重する。その積み重ねで全てOKとなるわけです。

楽に生きるには、全てにOKを出すことです。「私」が。そうやっていろんなパターンと一緒に今日も生きていこう…これだけでいいということです。

今じゃない 
2021/06/25

昨日、日記に書いた「今じゃない」ということ。

何かをやろうと決めたり、やりたいという衝動(「私」の)があるのに、色々と考えすぎて面倒くさくなったり、怖くなってしまったり、他人がどう思うか、理想通りにやれるか、というところへいってしまったときに、この言葉はよく使われます。

「今じゃないんだなって思いました。やれるときにやろうと思います」と。

「いまそれをしなかったらいつできる日があるというのか。」という言葉はヒレルさんの言葉です。なんと紀元前一世紀の律法学者であり宗教指導者の方です。この時代から、人ってやらなかったんですねぇ。そして現代はあの先生が「今でしょ」と言っていらっしゃいます。

で、この今じゃないは自分の中の誰が言っているのか?ということです。「私」の衝動であれば、それは「私」ではありません。パターンです。だとすると、そのパターンを選んでいるということになります。そこまでわかっていれば、黒パターンを選んでいるということでいいわけですが(結果を受け取ることもOKとして)なんかこの言葉のもつ「いかにも感、自分も他人も納得させる感」というところでごまかしていくと、これに慣れていってしまいます。

本当に必要な「待った」が入るときって、やり始めたのに、なぜだかやれない状況になってしまった(物理的、精神的に)というようなものです。そこにはせっかく始めたのに、あーーあ、という気持ちがわくと思います。しかし、そのときは強引に続けるよりはストップして様子をみたり、再度みなおしたり、新なものを選ぶことが必要なのだと思います。自分を応援してくれている方々が誰の後ろにいらっしゃいますから、必要であれば何かを教えてくれます。

やれるときに…と言う言葉も、一見自分への許しを感じさせるものですが、やれるときっていつなのでしょう。全ての条件がそろったときでしょうか。天が「やりなさい」とサインをくれたときでしょうか。自信がついたときでしょうか。これらは待っていてもきません。ということは、これもパターンの言葉であることもわかると思います。

もっともっと単純でいればいいんです。だから思い立ったら吉日で行動に移せばいいということになります。

思い立つ
2021/06/24

「思い立ったら吉日!」

これだけで生きてきたと言っていいくらいの私。

いや、昔はそうではなかったですね。よくよくよくよーーーく考えて、計画たてて、ちゃんと準備して、他人にも意見を求めて、ほぼほぼ大丈夫だろう…がないと行動しなかったので、いつの間にかその機会を逃してしまうということもたびたびだったと思います。

あるときからは「思い立ったら吉日」が一番だと思うようになりました(黒パターンの衝動ではないです)だいたい「思い立つ」って、自分が発しているように思いますが、私は、どこかからの、何かからの、誰かからの、自分の中の本質からのサインのように思います。だって急に「思い立つ」のですから。別にそれについて何日も考えあぐねていたわけでもないのに。

だとしたらああだこうだ言わないでGO!結果を怖がらずにGO!そして、1度その軽快さ、時短を体験すれば、それからもフットワーク軽くいけます。そうであれば膨大な時間とエネルギーを無意味に使うこともなくなるので、自分の人生がぱたぱたと、次々と組み立てられ、展開していくのが感じられると思います。

人ってこの「思い立つ」ではなく、よくよくよくよーーーく考えているうちに大事なものを見失うのではないかと思います。あら?何について考えていたんだっけ?というように。考えているうちにわからなくなちゃったから、またでいいや、できるときでいいや、というように。よくよく考えているうちに面倒だな、という気持ちになったり、面倒になるということは今じゃないというお知らせだな…と訳の分からない意味づけをして納得したり、と。

そのときにはもうチャンスの神様は目の前を走り去っていて、後ろ髪のないチャンスの神さまをつかまえることはできないのです。人生を展開させられずに終わるということになります。

「思い立つ」ことをぜひ大事にしてください。あちらからわざわざ来ているんですから・・・・と私は思います。

感情労働
2021/06/22

「アイドル、感情労働」という言葉がTVから流れてきて、私は初めて「感情労働」という言葉を知りました。

「感情労働という言葉が日本で使われるようになったのは、アメリカの社会学者であるA・R・ホックシールドの著書がきっかけだと言われています。肉体労働や頭脳労働といった労働の分類に対して、それらとは別形態として提唱されました。仕事をするうえで常に自分の感情をコントロールすることが求められ、我慢や忍耐をしたり、明るく振舞ったりしなければならない働き方が感情労働です。一般に感情労働が多い職種は三次産業、つまりサービス業に分類されます。中でも特に多いと考えられている職業は、客室乗務員、看護師や介護士、テレフォンオペレーター、教師や講師、カウンセラー、接客業です。」(BIZHINTより)とありました。

しかし、ここであえてアイドル(10代、20代位の)を番組として取り上げたのは、彼女(彼らもいるか)たちの感情労働には歯止めがきかなくなってきているからです。

それはファンサービスとしてあたりまえなこととなります。より明るく、元気に、いつも笑顔で、でもわざとらしくなく、できればファンの方の名前を覚えたり、握手会では心を込めて握手をする、と、より他のアイドルと競争させられ、より多くを求められていっているからでした。

特にまだ若い分、そこで強要される感情労働により自分が疲弊していることに気づかず、それがアイドルとしてはあたりまえになっていってしまう事、パフォーマンス以外でも、SNSでのファンへの発信も個人的なものよりも、この感情労働が使われていて、より疲弊していくということです。

どの仕事にも多かれ少なかれ、この感情労働というものは入っています。特に日本人にはどこかあたりまえのようになりうるものでもあります。

相手が望んでいるように自分が振舞うことで、相手を良い気分にさせてあげることは、人としても余裕がある人、配慮できる人、仕事ができる人、優しい人のように思われがちですが、はたしてどうなのでしょう。

まだ人生経験も少ない、若い人たちにはなかなかそこへの気づきは難しいだろうとも思いました。そうなると彼女たち(彼らたち)をリードしていく人達が変わっていくことが求められます。

より…売れるために…と感情労働を知らず知らずのうちに使っていくことの弊害は思っている以上に大きいように思います。

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