ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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魂が決める
2020/09/02

白パターンを自分で考え、白黒ワークをして白パターンの部屋で感じるいろいろな感情・感覚。人それぞれ感じるものは違うとは思いますが、多くの方が言う「ほっとした」というもの、これはとてもあてになる、選択をするときのサインです。

白パターンの部屋で聞こえてくる白パターンの言葉。

「もう、決めつけなくていい」「もう、苦しまなくていい」「もう、自分を楽にしてあげていい」など。時には「もしかしたら、もう、自分ひとりでがんばらなくてもいいのかもしれない」「もう、自分を無理にそこにしばりつけなくてもいいのかもしれない」「きっとできる」「もう、自分が育ってきたのだから」「自分を守るためにそこから逃げよう」などもあります。

いずれにしてもその言葉を聞いて「ほっとした」という感覚を感じる方は多いと思います。そういうときは「それが今のあなたにとっての良い選択、それが今のあなたにとっての進むべき道」というサインです。その「私」の得た感覚を大事にしてください。

これは思考で選択をしていません。あくまでも「私」が両方の部屋に入ってそこで直観したものです。それに従っていくことを(最初は怖いかもしれませんが)続けていって、自分の新しいスキルを育ててください。

この、一見根拠のないことを信じていいのかどうか?ただの気のせいでは?そんなことで大事なことを決めるのは危険だ、と頭は働きます(ずっとそのやり方でやってきているので)

新しいスキルを育てる(育てるんです。もともと存在しているものは種ですから)ということは、こういう感覚、こういう微妙な感じのときには、こうなんだ、自分にとって。という自分が意識できる形にすることを続けることで創っています(誰もが創造主)

そのためにも、白黒ワークに慣れて、黒の部屋が持っている感じと白の部屋が持っている感じの違いを心身で感じられるといいです。

心身で感じる、これは誰にとっても純粋なもので、きっと誰もが感じられるものだと思います。特別なことではなく、もっと本能的というのか、人っぽいもの。人=魂ですから、魂が決めているという事です。

統合
2020/09/01

きのうの大人になったパターン。

あのときのことを再度思い出し、考えているうちに、パターンは生きているものなので「私」との信頼感が築ければ(パターンが「私」を信じるようになれば)パターンは「私」に協力的(「私」の意思に沿おうとする)になるのだろうと思いました。

過度に、感情や感覚にひっかからなくなるというのは「私」が自分(パターン)のことを大切にしてくれていることがわかり、パターン自身が、もう、暴れたり、激しく感情や感覚で自分をアピールしなくても、大丈夫なんだ、自分はここにいていいんだ、だって、このままの自分で「私」から愛されているから、ということを認識するのだと思います。

パターンは本当の自分ではありませんが、自分の内に一緒に存在しているものたちです。「私」が自分の内をどれだけ平和にしていくのか(天国の心を創る)というところが最も大事なことで、それがパターンを愛するというところで行えていればパターンは「私」の意思を知ることができるまでに成長、変容していくのだろうと思いました。

こういうことが心の統合ということだと思いました。ひとつひとつのパターンの個性はあっても、ひとつの方向へ向かって皆でいくこと、それが統合なのか…と思いました。

そこで皆をひっぱっていくのが「私」なので、やはり「私」に力をつけていくことが大事ですね。パターンをどうにかしようということでは全くないです。「私」がこんな王国にしたいという思いを持ち続け、国民のパターンひとりひとりを大事にし、パターンたちにも協力してもらいながら、ひとつの国を作りあげていく。

そして、大人になったパターンたちがまだ子供の他のパターンたちにその姿を見せてくれているとも思いました。これからも今までなかったようなパターンとの関わりがやってくるのかもしれません。それも自然に、待っていればいいと思います。

…沖縄の皆さま、台風、気をつけてお過ごしください…

大人になったパターン
2020/08/31

「成長とか進化とかしなくていいから、そんなのいらないから、楽でいませんか?…」と私の中のパターンが言いました。パターンにつきものの感情・感覚は特になく。

急にそう言ってきたそのパターンに「あーーーっはははは、そうなの?」と思わず声に出して笑ってしまった。「そうだよね、あなたは、成長とか進化とかしなくていいから、いらないから楽でいたいんだね・・・」と言うと、パターンは「あーー、その言葉いらないんで。人は成長・進化のために苦しみが必要で、それがあるから魂は成長する、進化すると言われているし、実際そうなのもわかるけど(パターンにしてはなかなかの理解者)でも、成長も進化もしないでこのままでいいから、そんなのいらないから楽でいたほうがいいと思う」と言いました。成長とか進化を望まなければ、苦しいことって起きないんじゃないかと考えているようです。

「でもね…「私」がしたいわけよ、成長・進化」

「もういいんじゃないの?今までやってきたんだからここで止めても。成長しない、進化いらないと「私」が決めればいいだけなんでしょ?」と言います。

このやりとりは「王」が国民に語るという状態ではなく、おばちゃんがおせんべいをたべながら話しているような感じです。

「確かに「私」が決めればそうかもね。だけど「私」としてはさあ、神さまとも約束しちゃってるし、魂の兄弟にも「やってくる」と言ってきたし、何よりやりたいわけよ。生きてる間にどこまでできるかわからないけど、それが「私」の仕事というか趣味というか」

「ふーーーん、ボスがそうしたいならしょうがないけど。でも、成長・進化を捨てたら嫌なこと起こらないよ。苦しいこと起こらないよ。楽だよ」と言う。

「成長・進化して「私」が大きく育てば育つほど、楽になるんだよ。楽になるって苦しいことが起きなくなるんじゃなくて、苦しみに対してのとらえ方や意味づけがぐっと変わってくるので結果、楽になるのよ。それを「私」は知っているから成長・進化をあきらめないんだな」

「そうなの?」「うん…「私」は皆に楽になってもらいたいと願っているんだよ」というと、ちょっと悲しそうに「わかった」と言って消えていきました。

こんなこともあるのかと思いました。その後、全般的に感情・感覚にひっかからなくなってきている状態というのはこのパターンのような感じになっていくことなのかもと思いました。パターンが速攻で出してくる感情・感覚が出なくなっているということは、パターン自身の成長もそこにあるのかもしれません。

なんとなく、自分の心の状態を垣間見る体験でした。感情・感覚でアピールしてきたパターンが感情・感覚を使わずに「私」に質問/提案をしてくるというアピールの仕方を覚えたのかも。大人になったパターン。大事に大事にしてあげれば落ち着くだけではなく、大人になっていく(…のかも)

宿命
2020/08/30

人には宿命があります。

宿命は、生まれる前から決まっていて、変更が難しいものごとです。例えば、150pの身長という私の身体的宿命を持って生まれたのに170pの身長に変えるということはできないということです。世界で活躍するバレエダンサーになりたいと思っても、それだけの才能と身体能力がない私にはそれはできない。この顔をもって生まれた私が蒼井優さんのような顔になりたいといってもそれはできません。もっと両親の仲が良い、金持ちの、温かな家庭に生まれたかったのにそうではない家に生まれたのも宿命です。不器用であること、何かを身につけるのに時間がかかること、呼吸器が弱いこと、肌が弱いことなども宿命です。

というように、身体的特徴、能力、知能、性格の傾向、どの国のどんな両親のところに生まれるかなどなど、生まれる前に決められたものを持たない人はいません。

なぜならば、そもそも、宿命は自分の魂の課題クリアを行うために必要と考えて自分で決めてきているものだからです。課題をできるだけクリアしやすいように(余計なところにエネルギーを使わないように)設定した宿命というもので、何をクリアすべきなのかがしぼりこまれています。

しかし、ほとんどの人は自分の宿命に不満を持ちます(魂的にはそれは順調なことなんですが)そして、それにより増々パターンを増やしていきます。全て宿命なんだから、と、あきらめてしまうのは違いますが、自分の基本的宿命というものを知りつつ、変更できそうなことは変更しながら、宿命とも仲良くなっていくことは誰にとっても大きな課題クリアになると思います。

自分軸でのこれから
2020/08/29

昨日、安倍晋三首相が辞任されました。会見中の姿を見て、体調はかなりきつかったのかもしれないと思いました。色々な意見があるとは思いますが、体調が悪いところで仕事を続けたことのご苦労は大変だったと思います。ご回復をお祈りします。

今年は色々なことが起きます。なんでも子年はそうらしいです。

いろんなことが起きていく現実を受けいれつつも、自分はどうやっていくのかを自分で決めていくことがむやみに翻弄されることを止めてくれると思います。

ちょうど、コロナにより、人と一緒にいることよりもひとりになることのほうが多くなっています。ですから自分にじっくり向きあい、自分で考え、自分で決めて、自分がいいあんばいでいられるところにいることが今まで以上にやりやすい環境になりました。これは、今まで扱うことのほとんどなかった自分に向かうということが広くめぐってきたのかもしれません。今までとは違う新しい生活に慣れるというのは、このことかもしれません。

人はひとりです。こう言われてしまうと寂しい、悲しい、むなしいと思うかもしれませんが、人はひとりなんです。生まれてくるのもひとり。死ぬときもひとり。でも、全く孤独なのではなくそれぞれに、その人を応援しているものがたくさんいてくれて、ひとりだからこそそれを感じられるということになります。自分のそのことに意識を向けてみてもいいと思います。今までは自分を支えるために他人に意識が向いていましたが。

そして、隣にいる人もひとりなんだとわかると、その人への気持ちも今までのものとは変わるかもしれません。皆、ひとり。ひとりの皆がそれぞれに頑張って生きている。今のこの状況を、より自分を大切にするために与えられた状況と捉え、自分軸でのこれからを構築していくことに向いているこの時なのだと思っています。

胸のあたりにぼーーーっと
2020/08/28

先日の「良いエネルギー状態でいる」についての補足です。

先日の日記から、良いエネルギー状態でいるって(道場的には)ただ楽しいことをやりましょう、好きなことに没頭しましょう、つらいときもとりあえずそれをおいといて、何か自分が楽しくなることをやりましょう…じゃないんだな(道場主が欲張りなので)と読み取っていただけたと思います。

決してそれが間違っているというのではありませんが、多分、ここはすでに(ずいぶん前に)やってきての道場入門の方が多いのではないだろうかと私はお会いしている方から感じています。

では、ここでいう「良いエネルギー状態でいる」とは?ということですが。

わかりやすいところでは白パターンの部屋に入っているときの感じです。「もう、そんなふうに自分をきめつけなくていい」「もう、自分を苦しめなくていい」と言っている白パターンの部屋の感じ。温かさがあり、広がりがあり、開放感を感じると思います。

それからここのところやっている誘導ワーク「根拠はないけれど…私はやっていかれる」というもの。そこで語られる魂の言葉。それにひたることで感じられる安心感、安定感、脈々と流れ続けている大きなものへの信頼感。それは白パターンの部屋とはちょっと違う自分の本質を感じられるものだと思います。

そして、何か問題や悩みが起きたときに、白パターンの部屋の感じと、誘導ワークで広がり続ける永遠にあるものへの感じを、うまく使って、良いエネルギー状態になります。

良いエネルギー状態になろう→あの感覚を思い出そう。温かさ、広がり、開放感、安心感、安定感、(天への)信頼感を思い出しひたる。そのときに目をつぶってやりやすい方はそれでやってください。私は空を見上げてが、やりやすいです(遠い目になっている)海を見ながら、山を見上げて、月をあおぎみてでもいいです(太陽は目がつらいのでやめましょう(笑))

これが「良いエネルギー状態でいる」ということです。また黒パターンが出てきたら、ケアをしつつ、良いエネルギー状態になる。これを繰り返す。そのとき、はっきり、しっかり、すっきりという感じになっているときは頭でそれを思い描いているときなので、ずれているかもしれません。

それは胸のあたりにぼーーーっと、深くしみこんでいる感じです。

「良いエネルギー状態でいる」それが自分の心身に良き影響を与え、自分の未来を良きものにしていきます。

「私」の目
2020/08/27

自分の心身においても、そして今自分に起きていることにおいても、とても客観的に、冷静に、観察している本当の自分「私」。この「私」を養い、大きくすることをやっていく。

語りかけはパターン救済のためのものでありながら「私」を養っていくことを同時にしています。語りかけも「そうだよね」だけではなく時には「だまりなさい」も使ってみたり、王である「私」と国民との対話にしてみたりとパターンの状態に合わせてうまく使い分けていくうちに「私」は柔軟性、受容力、理解力、許し、心のコントロール力(うまい、匙加減)をつけていきます。

そして、白黒ワークでの新な「私」の考えた白。それを実践しようとする「私」。これにより「私」はやり続けてきたワークを生活にいかすという、魂レベルでやりたかったこと(自分の課題)をやっていくようになります。

そして、もうひとつ「私」の視点は「塞翁が馬」的視点です。今自分に起きている嫌なこと問題を「塞翁が馬」的視点(宇宙的視点)で「私」は見ています。それは起きていることを俯瞰してただながめている「私」の目です。

その目が知っていることは、今起きていることは永遠に続かない、ということ。今それが必要だから起きているということ(罰ではない)。物事は必ず転じるということ(きっと今起きているこのことがあってよかったんだと思える時がやってくる、そう思える自分に進化していく)というこれからについての目です。

だから今起きていることに一喜一憂することはなく、疲弊するほどそれに抵抗し、どうにかすぐにしようとすることなく、ケアしながら、ちょっと様子を見てみようと思ってみてください。

「塞翁が馬」の視点、目、を時々思い出してみてください。そう言った瞬間に今起きていることから「私」の目は遠く遠くに離れて、永遠にあるところから今起きていることをながめているということが感じられると思います。そのとき、どんな感じがしますか?

良いエネルギー状態でいる
2020/08/26

結局は…いつも、この一瞬一瞬をどのようなエネルギー状態でいるか、というところにつきます。

それが自分の心身をつくり、未来をつくるからです。

エネルギー状態というのは、そのときの自分という意識の状態ということなんですが、心身楽しく、おだやかに、平和で、明るく、いい感情といい感覚で、ということになります。

で、そのためには、楽しいこと、自分の好きなことをすればいいんだ、という考え方がわかりやすいと思います。心の中に悲しみや苦しみがあっても、悩みがあっても、一瞬一瞬が大事なのであればそのネガティブなものを忘れられるくらい楽しいこと、自分の好きなことをできるだけやろうというものです。

そして、またネガティブなものに飲み込まれそうになったら、それはひとまずおいといて、また楽しいことを考えたり、好きなことに没頭したりを繰り返していくというやり方をしている方が多いです。そのように勧める先生も多いです。これはこれでひとつ。

私は、欲深いので、とりあえずネガティブなことはひとまずおいといて、楽しいこと、好きなことをやるというのができなかったんです。全面的にそうじゃないと苦しかった。好きなことをやっていても頭や心のどこかにネガティブなものが常にあって、心底、それを楽しめない人間でした。このような人間がよいエネルギー状態でいるためには、心底から楽しめる、おだやかでいられる、平和な心がまず必要になります。そういう心があれば、ネガティブなときにも一瞬一瞬選び変え、良いエネルギー状態を創りだすことができます。白パターンを選ぶというのはそういうことをしていることになります。

…というように、その人の個性や今いる段階によって良いエネルギー状態でいるということをどう捉え、どのように自分に合ったものを探すかも変わってきます(超マスター級の領域になれば、もしかしたら、良いエネルギー状態でいる必要もないというかもしれません←けっこうこれ、そうだろうと感じています)

そしてそこにはどれが正しいはなく、どれがレベルが高いもありません。自分の今の精神的領域に合ったところで、無理のないところで良いエネルギー状態でいることが重要(と今は思っている)です。この世においてのこれからは特にそうであるほうがいいと思います。そうして、良いエネルギー状態でいることで、自分に起きてくる数々のできごとに注視していくといいと思います。

どうにかしよう
2020/08/25

「愛が素晴らしいのは、そこに愛ではないものを含んでいるから」…誰の言葉だったか思い出せないのですが、掃除機をかけていたら、ふと、この言葉が出てきました。

愛は善きものだけでできているのではなく、愛ではないもの悪しきものもそこに含んでいるということなんですが。だからこそ愛は素晴らしいということです。

しかし、ここが理解できていないと、愛=善きものだけと理解しているので、善きものというイメージの完璧な自分(ひいては他人も)になろうとします。でも、それは不可能です(そもそも愛ではないパターンというものを誰もがもうすでに持っているので)それでも不可能をどうにかしようと、自分に厳しくするから苦しむことになります。

どうにかしようとするパターンが働いています。そのパターンは完璧になれば、全てがうまくいく、幸せになれる、怖いことも不安もない、毎日がおだやかになると思っています。だからどうにかしようとします。

どうにか、には色々あって、大金持ちになってどうにかしよう、出世してどうにかしよう、人より目立つことをやってどうにかしよう、他人からの評価を得てどうにかしよう、誰よりも美しく、スタイルよくいつづけてどうにかしよう、他人から幸せそうに見えるようにどうにかしよう、自分はぱっとしなかったから子供に有名になってもらってどうにかしよう、などなどなど、策略を練ります。

そして、それはいかにも正しいことのような、挑戦しているような幻想を抱かせます。頑張っている自分を感じられて高揚感もあるかもしれません。

しかし、しょせんはパターンがやっていることなので、努力のわりにはその結果に終わります。そうか、やろうとしていることが違うんだ、ということに気づくことが大事です。

愛は愛ではないものを含んでいる…そもそも…だとしたら?今の自分のままでいいんだということになります。それを「私」が選べるようになるということが本来の在り方を選択するということになります。

完全に脱帽
2020/08/24

昨日見た「日曜美術館」(「カラフル! 多様性をめぐる冒険」人知れず表現する者たちのアート)で、現在、東京藝術大学大学美術館に展示されている作品が紹介されました。

ここに展示されている作品の数々は、人知れず、自宅で、工房で、作業場で作られた作品です。その発想の豊かさ、緻密さ、情熱、ユーモア、こだわり、それらは、常識から大きくかけ離れていて、見る人たちを圧倒するものばかりでした。

ただひたすら自分の衝動で作りあげていて、その感覚を私も含め、ほとんどの人たちは忘れている(無意識に抑えている)ことに気づきました。

そして、この作品を見たコメンテーターの方達の感想を聞いていて、とても印象的であったのは、それぞれの作品によりその人達が自分でも気づかぬうちに自分に対して正直になっているということでした。

それぞれ「自分にはコンプレックスがあって」「表現せずにはいられない衝動をもっていることにあこがれる」「自分は共感ができなくて」「自分はただ言葉を屈指しているだけで」というような、放送の中で言わなくてもよいこと(もしかしたら、言わないほうが一般的であること)を言葉にしていました。これが衝撃でした。

例えばカウンセリングにおいて自分を正直に感じ、それを口にするまでにはある程度の時間が必要になります。その体験ができた人であっても<これは言わないでおこう>とする場面は多くあります。それは人間の防衛の力のひとつだと思うのでそれはそのままでいいということでありながら、いつか<言わないでおこうも>ただひとつの現実と捉えられることができるようになるところへ到達したいというのがあります。

今回のそれは、作品が一瞬で、その人を正直にさせるという神業が起きています。これは見ている側の<言わないでおこう>という規制が作品によってはずされているような感じがしました。どうしてそういうことが起きるのか?多分、ひたすら作品が純粋=作家が純粋(全てがさらけだされているから)だからだと思います(ということは私はまだまだ純粋ではないともいえます)

あまりに純粋なものには、もう、ごまかせないというのか、隠し通せないというのか、隠す必要がないというのか。何だか知らないうちに口に出てしまったくらいの自然さです。

人が本来持っている自分を表現したいという欲求を自分に許し、今の自分を自分のままとして解放して生きられるように(他人の目など関係なく)ということを一瞬にして起こしてしまう人々。

この神業に完全に脱帽でした。

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