ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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パターンも感情もシンプル
2025/09/22

自分の内で起きていることは本来とてもシンプルなことなんです。

パターンはとてもシンプル。そして、感情もとてもシンプル。

それなのに、それに目を向けていなかったり、わかっていても無視したり、拾い上げることをしなかったり、知りたくなくてそのままにしていたり、とにかく思考で処理してしまったり。そういうことで、シンプルなものだったのに、それを重ねて、こねくり回して自分の内を複雑にしてしまうのです。毛糸がからみあって、ぎゅっと収縮されて玉になり、固くなり、どこがどの毛糸なのかがわからなくなる。何のパターンなのかわからない、どんな感情なのかわからない。これらはパターンや感情をほっておいてしまった結果です。そして現実は苦しい。

厳しく言えばほっておくことを選んできたということ。このことを正直に、素直に、受け取ってください。そうか、ほっておいたのは自分の選択だったんだと。ここで、まだ、パターンとかケアとかを知らなかったんだから仕方ないよね、ではないということです。それって自分のせいではありませんということです。今までのことは自分のせいじゃない。そういう人をパターンは信用するか。しないでしょう?自分のせいなんです。おまけに過去は今も同時にあるし。

これは誰でもそう。私もです。しかし、それを知ったときに、今までの事(過去)も自分が蒔いた種の結果かと正直に受け取り、自分の心の内で起きることは全て引き受けようを選ぶかどうか、でこれからは変わっていきます。ここに「自分はどうありたいのか」がいかされる。この心を自分が背負い、自分が助けるんだ、そういう自分でありたいと思ってもらいたいです。

物事は全て原因と結果があるのでそれを選んだのであればその結果になります。その絡んだ毛糸をひとつひとつ引っ張り上げてほどいていくしかありません。その具体的な行為はどんなに小さな感情も無視せず、それがどのパターンから生まれたものなのかをみつけます。みつけたら語りかけ。すぐに白黒ワークをせずに(何故、すぐにやろうとするのか?誰がそうしたがっている?)その語りかけに心身を使ってください。

そうして絡まっていた毛糸がほどけていけばこんなにも心はシンプルなのかとわかると思います。この状態までもってくれば、どんな感情が湧こうとも、それにシンプルに向き合えるようになります。だから結果、気付いたら楽なんです。心が楽だから、軽く、すっきりと生きることができるのです。

2025/09/21

整体の先生(←こちらの先生は量子先生と私の中では呼んでいます。最初の施術から量子の話だったので)が「自立とはたくさんの根を持つことなんです」とおっしゃいました。

なるほどーーーと思う。「その根があるから自分が立てるということなんですね」と私が言うと「そうです、何から何まで一人でできることが自立ではないですね。伊藤さんはどうですか?根は持っていますか?」と聞かれました(このあたりカウンセリング的)

「持ってます」と答えた。そこでまず浮かんだものが私の言い方で少々おおげさですが「これがあれば私は生きられる」というもので、それは音楽であり、文章であり、絵であり、色であり、バレエの小さな動きであり、などなど。これはまさに私の根になってくれていて、生命力を生み出してくれています。

「先生はどうですか?」と聞いてみた(ここもカウンセリング的)すると「僕は、数人、信頼できる人がいるので、その専門の方々に相談にのってもらったり、お願いしたりしています。」ということでした。そうか、人も根になってもらえるのか…と思い、私は?と考えてみた。「私も信頼できる専門の方達は数人います。」と答えました。「だけど、根に依存は違うと思いますがどうですか?」と伺うと「それはその通りです。あくまでも自立のための根なので、そこへ依存があれば違いますね」ということでした。ここが難しいところだろう。何をもって自立というかにもよりますが、一般的には、自立に向かうためにひとりでは無理だからまずは根を持ち、そこの力をかりながら、いつか自分で立つということなのだろう。

で、私は、やはりまずは自分で立つということが前提だろうと思いました。誰の内にもある「私」という芽。その小さかったものを大きくしていき、パターンたちの面倒もみれるようになって(ここがひとりでできるようになれば、それが自立、と、私は思う)そこからの根はより自立力を強めるためのものではなく、自分の人生を豊かに生きるための根という意味付けを持ちます。そこでの根は自分に合う、自分にとっての善き根です。それがひとつでも、ふたつでもいい(たくさんじゃなくていい)そして、そこでは相互サポートがなされていて、自分がその人の善い根にもなっている。そんな共存していく根。それを思ったらとてもいい感じです。そうね、これが自分には合っているんだと思いました。

正直さ
2025/09/20

今日も引き続きお二人の対談の話。

矢沢氏とイチロー氏、お二人に共通してあるものは「正直さ」です。この正直さというのは、隠すこともできず、かといって全面に押し出してアピールすることもできないものです。これが「正直さ」の持つエネルギーなんだと思っています。

人って、どんなに繕っていても、その人が外に出ているんです。どんなに素晴らしいことを語っていても、その言葉や態度の後ろにあるその人自身、その人の選んでいるもの、その在り方って、ちゃんと外に出ている。それが「正直さ」のなすわざだと思います。

昔、カウンセリングの先生から「最初に、自分の手の内を全てみせてしまったほうが楽だわよね」と言われたことがずっと残っています。これは誰に対してか、とか、どんな状況の時になのか、とか、あるのですが、人って本来そうやって生きたほうが楽だろうなあとは思っていました。で、ここまでやってきてやっぱりそうだと思う。ということは、自分の手の内をどれだけ自分が把握しているか、ということになります。どれだけ己を知っているか。

全てを把握しているというのは難しいとしても、その時その時の自分を把握できているのと、できていないのとでは、いろんなことが変わってきます。

で、あのお二人。もちろんTVでは話せないことはたくさんあるだろうけれども、それでも、ものすごく正直さを感じました。イチロー氏が言っていたことに、自分に対して賛否両論あるのはわかっているし「否」のほうが多いだろうともわかっているということでした。正直に生きるとはそういうことでもある。そのマイナスは他人からやってくる。しかし、それでも自分を貫いていくのは、意地ではなく、それが自分の正しさだからです。他人にそんな自分を見せているのではなく、自分に対して正直でありたいという思いがあるからです。ただ、ここだけ。

ここで、自分の哲学というものがいきてくることになります。で、カウンセリングの先生のお言葉「自分の哲学を持て」。それはカウンセラーには必須ですが、自分を生きる、自分らしく生きるとはそういうことだからです。毎日の生活を通して、自分のための哲学を自分で作っていくのです。

自分を生きているお二人から学んだ今回。自分の事も振り返り、新な気づきもありました。私は、こうして学ぶことがすごく好きなんだということもよくわかった。ありがたいです。

甘い優しさ
2025/09/19

昨日書いた、お二人の対談。

イチロー氏は、現在はマリナーズでインストラクターとして仕事をされているそうです。又、シーズンオフの時は、日本全国の高校球児たちのところに出向き、その育成をしているのだそうです。

そこでの伝えることの難しさを痛感していると話していました。しかし、矢沢氏の在り方から伝え方ということではなく、大切なことは、自分のパフォーマンスを見せることなんだろうというところに話がいきます。伝えたい自分というところにフォーカスするのではなく、その在り方を見せるということでそこで伝わっていくものがある、ということです。

その話の中に今の子どもたちは、周りが皆優しくて、厳しくできないという話がありました。「今は、先生も指導者も親も含めて周りにいる人達が優しいのだそうです。しかし、社会に出て競争しなくてはいけない時に競争能力がすごく低くなってしまうんらしいです」と。これはそうだろうと思いました。

世の中の在り方が全体的に優しい。優しさというのもミーム(質)があるので、それはひとつではないのですが、押しなべて同じような在り方、物事に対して「優しい」と言います。それは傷つけないこと、嫌な思いをさせないこと、不快感を与えないこと、又、自分にもそうしない、させないことです。それが球児たちを見ていても感じられるのだろうと思いました。

競争能力は必要です。特に若いときにはその体験自体が必要だと思います。ここを、変にスピリチュアルになっていくと、競争はしなくていい、競争なんてレベルが低い、皆誰もが素晴らしい、という認識を持って自分の可能性にフタをしてしまうような捉え方もあります。

しかし、競争能力とは、自分自身と競争する能力とも言えるし、常識や決められてしまっている物事と競争することでもあります(そのために他とのそれが必要になる時期ももちろんあります)イチロー氏が言っていた「はがゆいところ」とはそんなところであり、それを伝えることが難しいのかもしれません(周りが優しいがゆえに)

パターン的な優しさを自他に向け続けてしまうと、本当にもったいないです。怖いところへ飛び込むことや挑戦することで人は初めて自分の可能性を感じたり、何か、根拠なく自分は出来る…と本気で思えるようになります。甘い優しさという温室から出ることなく一生を過ごすこともできるし、勇気をもって自由に羽ばたくこともできる。やっぱり自分で決めていくしかないんだと思いました。

成熟した人たち
2025/09/18

先日TV番組でMUSIC SPECIAL 矢沢永吉「ヤザワ×イチロー 〜俺たちの失敗〜」という対談をみました。

矢沢氏76歳、イチロー氏51歳。20年ぶりの再会だそうです。

20年前に初めて顔を合わせたときの話から、この20年間のこと、そして、自分たちの失敗について話は広がっていきました。ビッグなお二人なので、私が想像できないような体験をたくさんされてきたからか、話の内容が濃く、おもしろかった。

そして、今も、安泰ということではない。いや、お二人とも安泰は選んでいないんです。最後に、今回の対談はどうでしたか?という質問に対して、イチロー氏は「苦しい時には矢沢さんを思い出そうと思いました。それぐらい、これからのモチベーションになる再会でした」と話していた。もっと大変な思いをしてきた矢沢さんが自分の前にいてくれることで自分も頑張れると思ったのでしょう。

矢沢氏は「そうね、迷うよね人生。皆迷っているんじゃないの?迷って迷って、腐って腐って。そこに一瞬のキラッと光りがあったら、俺、まだ大丈夫かもしれないと思う」と。酸いも甘いも知っている人の言葉です。そして、それは他を思いとても優しい。

こうやって人ってそれぞれの成熟を迎え、それでもそれを終えることなく進み続けていかれる存在なのだと思いました。人っていい…人が好きだ…私、と思いました。

成熟していったのは、お二人が特別な才能があって、特別な存在だからなのではなく、そういう生き方を選んできたから、努力し続けたから、結果そういう成熟を体験し、そういう自分に今成っているということです。

このように、精神的修行とか、自己探求とかをしなくても、自分のやるべきことを真摯にやり続けることで、その人が自分のミームを上げていくことがあります。人ってそもそもそういうふうに創られているから。

イチロー氏は議論好きで、とても正直で、日々の地味なルーティンの大切さを知っていて、追い続けていく人。矢沢氏はシンプルで、子供っぽさを持ち続け、それゆえ、自分の気持ちに正直に突っ走れる人。と思いました。タイプは違いますが、お二人ともとても魅かれるものがありました。

この頃、その人の持ち味とか、その人の前面に出ているものとか、それを感じることが多くなり、感じるたびに、この人はこうして生きてきて、今、ここにいると思うようになりました。私とは全く違う個性で、私とは全く違う人生を歩んで。そして、それはまだまだ続き変化していく。だから、やはり、それぞれが自分で創っていくしかないんだとも思います。

感情
2025/09/17

感情を丁寧に感じる。

一番最初に学んだことは「今、どう感じていますか?」ということだったと思います。「今、何を感じている?」「今、どんな気持ちでいる?」としつこくしつこく聞いたよなあーーーと思う。

そのくらい、大人になってしまうと自分の内に起きている感情がわからなくなっています。「今、どう感じていますか?」と聞いたときに、思考で答える人がほとんどだった。それを感情だと思っていたのだと思います。

話は飛びますが、今、感情を感じられない子供が増えているのだそうです。おまけに子供なので、思考でそれを説明することもできず、本人の内はうつうつとしている状態なのだそうです。このまま大人になっていくと…と、思うと…。

で、感情なんですが、この感情を感じることができて、初めて、私たちは自分の心に向かって入っていくことができます。感情は心の玄関。何よりも大事なもの。特にネガティブな感情は。それがたとえ小さなものであっても、一瞬通り過ぎてしまったものであっても、それを拾い上げて、その感情がどこからきているのかをみつけます。それがパターン。玄関から入り、その部屋に行ったような感じです。

初めての時からずっと続いているこの行い。これはとても深く、尊いものなんです。自分を大切に扱っているからこそできることです。ですから、よりもっと感情を感じようと決めてください。そうすることを頑張るのではなく、決める。決めるからそのように作れるので。

時には、最初にやったように、ネガティブな感情にどんなものがあるかを書き出して眺めてみたり、自分の内にあるそれでいつも出てきやすいものから、自分のパターンの傾向を調べてみたり。やってみるといいと思います。

次の領域へシフトしていくための階段をそれぞれが自分の足で上がっていかなければならないのですが、そこで使っていく「私」の資質は素直さ、正直さ、丁寧さです(もちろん、今まで使ってきた継続力、意志力は引き続き使います)そしてそれは、まず自分自身に対して行われます。自分にできたら、自然と他人にもそれを使うことができます。

人の感情は複雑だから…と言われますが(そう決めたらその通りになります)私はそうは思っていなくて、複雑にしてしまうパターンに心の内をまかせてしまっているからそうなるんだと思います。本当は感情はとてもシンプルです。ですから、それをひとつひとつ拾い上げてあげればいいだけです。そうすれば複雑になることはありません。こんなふうに、その使用方法を間違えなければ、誰でもできるように、と、私たちは全員、それは与えられています。

これは一生使える
2025/09/16

先日、CS60の施術を受けたとき、先生と再び、身体が何を欲しているのかという話になりました。

例えば、漢方薬は飲んだときに美味しいと感じる、いい感じと感じるときにはそれが身体に合っている、その時に欲していると聞いたことがあります。これはちょっとわかる気がする。あと、今年、私が体験したのは、プチ熱中症のときに経口補水液がすごく美味しく感じられて、これはまさに身体が今、欲していると思いました。

「では、サプリだとどうなのでしょうか?先生はサプリを飲んだときに美味しいって感じるんですか?」と、なんだかなあ〜というような質問をしてみた。すると「このサプリを取ると思ったとき(もしくはそれを手にしたとき、もしくはイメージしたとき)の筋反射で自分は決めています。」とおっしゃいました。それは、呼吸反射でもいい、と話されました。

続いて先生が「そのためにはまず、作っておかなくてはいけない(決めておかなければいけない)んです。それに使うためのものを自分の内に」ということでした。

で、それを聞いたとき、私たちはその道具はすでに持っている、と思ったのです。もし、迷ったときは2つの部屋を作って、そこに「私」が入り、その瞬間の感覚で決めるという道具。これ、持ってるじゃないかと。

そして、ここからが大事なところなんですが、その道具はどんどん使うことで、この自分が作ったものが固定化されていきます。時々使ってます、ではなく、性能が安定してくるところまでは毎日でも使って作っていくということです。

だから、ランチ何する?というとき、とか、今日はこっちの道でいくか、あっちの道でいくか、とか、どっちのTV番組を見る?というときとか、軽く使えるもので練習して、いよいよ大事なときには、躊躇することなく使える様に磨いておくことが大事です。

しかし、ここでパターンが騒ぐ。はたして自分の一瞬の感覚は正しいのだろうか、もし、正しくない方を選んで大変なことになってしまったらどうしよう、というところだと思います。今一、自分のこの判断でいいのだろうか…というような。これはパターンなので語りかけ。そして、それでもやってみよう、この道具を磨くために…というような白パターンを選んで、実践。これも作っていくというところに入っている。まず、性能のよい道具に仕上げるのには日々の練習が必要です。

たくさん軽いもので練習をしていってみてください。どちらであっても大丈夫なところから始めて、その結果を照らし合わせてみて、そこからまた微調整しながら練習を続けていく。そうしながら、それへの信用自体も作ります。いい結果につながったから信用できるではないんです。まず、信用することです。こうしていけば自分なりのものができあがると思います。

この自分のセンサー、これは一生使える自分だけのもの。

新な世界へ
2025/09/15

9月の茅ヶ崎クラスも無事に終わりました。気づけば、今年はあと茅ヶ崎クラスは1回。なんだか、まだ先があると勝手に思っていましたが、そうだった。

クラスはだんだん、新なことについて学んでいっています。今までいた自分の世界は、誰にでもわかる世界で、目で見ることができて、一般的だし、思考で対処や思考で導いていけば、そこには答えがあって、それを自他共に認識できる世界です。そこは誰もが十分にやってきました。それは心身に身についていて普通のことになっています。

この世界だけで生きて、あちらへ旅立つ人のほうが多いです。でも、それがダメだとか、レベルが低いということではないんです。この世界も肉体を持って生きている私たちにはとても大事な世界です。

しかし、その世界の他にもうひとつ、今までの世界とは相反するような世界があります。そちらの世界は、わかりにくく、あいまいで、混沌としていて、感覚や直感を使うこともあり、そこに流れているルールはそもそもというものであり、それにそって決断し、行動し、自分で創造して行く世界です。この2つを知り、使い、体験していくことで人の心はひとつのまあるい円になると私は思っています。

それは卵の部屋にいる黒パターンと白パターンの両方のバランスがとれたとき、ひとつのまあるい円(陰陽マーク)になるようにです。2極で出来ている世界に生きている私たちなので、すべてにおいて相反するものがあってひとつだと思います。そして、相反する両方をその時その時で自分で上手に使っていけばいいと思うんです。これは豊かなことではないでしょうか。

で、道場ではこのもう片方の世界を学んでいっています(クラスは少しずつそちらへシフトしていっています)でも、初めての世界だから、わかりにくく、何をどうしたらいいのかわからなくなってしまうと思います。どうしたらいいのか…が使えないところが悩ましいところだと思います。

この世界の大きな特徴は、今までのように自分の力だけで得ていくのではないということへの気付きです(厳密には今までの世界でもそうだったんだけど)私たちよりもはるかに大きな存在と共に生きていけばいいんだという体験です。

今までの世界ではひとりで頑張らなくてはいけなかったので常に緊張があり、気を抜いてはいられないような世界だったと思います。過去の後悔と未来への心配、そして闘いの今という日々。

しかし、それに相反する世界が新な世界です。少しずつそこでの在り方、生き方を体験しながら、安心して生きることを感じていけるといいなあと思います。そもそも、安心して生きるように創られているから。本来のそこへ戻っていく世界とも言えます。

バランス
2025/09/11

伝えたいことはいっぱいある。いや、伝えたいことはひとつなんだけど、それを伝えるためにいくつもの考え方とか、例えばなしとか、時にはフィクションの話とか、そこに近いことを思っている方々の話とか、とか、とか。色々考えていると、伝えたいことはいっぱいある、になるんだなと気付きました。

でも、伝えたいことはひとつで、それは、私たちを送りだした大元が望んでいるであろうそもそもの生き方をしていく(私たちも自然の一部であり、でも、人間は、直接、大元が息吹を吹き込んでくれて生まれた存在だから←これは聖書から)ということ。そこに少しずつ気づいて、腑に落としていかれるようにということです。

そこに在るものは「バランス」これだと思っています。だからバランスのとれた自分に育てていく、ということ。それは、今は肉体を持ってこの世界に生きているので、そこでの物質的な生き方とそこではない領域の「私」の生き方の両方のバランスをとるということです。

宇宙は微妙なバランスで成り立っていると思います。何かがちょっとでもズレたりしたら、あらゆるところに影響が出て、人間は生きては行かれないのだろうと思います。この大宇宙のミニ版が私たちひとりひとりの心なので、その中に流れているルールは大宇宙と同じだろうと思っています。

だからミニ版宇宙の私たちもバランスが必要になるのだと。そこを伝えるためのクラスであり(ワークペーパーのひとつひとつであり、皆で話し合うことであり)カウンセリングであり、なんだと思います。

「バランス」この美しさを自分で育てていかれるように、私もやるべきことをやっていこう。今日から茅ヶ崎クラス2日間です。楽しくやっていきましょう。

こんなに変わっていたんだね。
2025/09/10

時々、10年前、5年前、3年前の自分と今の自分を比べてみよう。絶対(これはあえて絶対といいたい)以前の自分と今の自分の変化があるはずです。

それは小さなものかもしれないし、自分でも驚くほど大きなものかもしれない。小さいからだめでもなく、大きいから素晴らしいでもない。そういう領域での変化ではないからです。その人にとって必要な変化が起きているはずです。

そこを自分で確かめ、それをこの道を歩くときのモチベーションにしてください。

パターンはその変化についてもパターンが望むような自分自身、自分の日々の生活、全てを望みます。きっとこうなっているだろう、きっとこんな風に生きているだろう…というようなことが変化だと思っている。だから、その通りではないと嫌がるし、それはまだまだ変化とは言えない、成長していない、無理なんじゃないか、と言います。これはパターンの声です。

実際自分の変化をよく見てみれば、いくつもそれは起きていると思います。それが現実。こうして自分の現実を知り、見る、ということです。そこで自分の力を感じることができると思います。

「こんなに変わっていたんだね、よくやってきた。嬉しいね!」と自分を褒めてあげてください。他人から褒められることを人は望みますが、自分で自分を褒められるようになることはまさに自立への道を歩みはじめていることです。他人が褒めるのもほぼほぼパターンだし。

自分の成長の現実をしっかりと見よう。

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