| ひとつだけ | - 2025/11/01
- 昨日は、夕方、雨の中、少しだけ散歩に出かけました。
いつもの通りを歩き、車や人が多分いないだろうと思われる路地に入ると、いろんな音(お店から聞こえる音楽、車の音、人の話し声、人の足音など)がない状況の中を数分でしたが歩くことができました。
そこにある音は傘にあたる雨の音だけ。これがとても気持ちよくて、ちょっとだけ立ち止まり、その音に聞き入りました。ぱらぱらとはじけるように傘にあたる雨の音。これしかない。ああ、今は、これを求めていたんだね、と自分に言う。
そして、普段どれだけ、いろんな音に囲まれているのかも思いました。それが普通になり、それに慣れてしまっているけれど、こうして雨の音だけになると、心が一瞬で変わるのがわかります。欲しいのはこれだけ、ひとつだけでいいんだね、とまた自分に言う。
で、歩きながら考えました(この時点ではもう、通りに出ていたのでいつも通りの音に囲まれる)今、頭で考えていることは、ひとつだけ。今、心の中で騒いでいるパターンもひとつだけ。今、心に湧き上がってきている感情や感覚もひとつだけ。本当はそのように動いているのに、そこに余計な思考や記憶や分析や情報や知識や、感情や感覚が入ってしまうことで、ごちゃっとしてしまう。そこから次から次へと考えが湧いて、それでひとつを見失ってしまう。そうやって私たちは生きています。それが普通になり、それに慣れています。複数のことを同時にこなせることがいいことのように思っています。
今、必要なひとつは何?それだけに心身の目を向けて、それに集中する、そうであれば、きっとそのものだけを聞き、知り、見て、感じて、味わい、考えることができる。
そして、それが強制的に行われる状況があります。それはとっても辛く、大問題に直面したとき。そういうときには人の心身はそのことだけに集中されます。そのこと以外は考えられないし、目にも耳にも入らない。そんな大変なことは起きないでほしいというのはありますが、意外にもこんな状況でさえ、こうして教えてくれているものがあるということです。ひとつだけに心身を向けることを強制的に行わせる。その体験からひとつだけに自分の心身をおくことができるという発見。
願わくば、そこまで大変になって、ひとつだけを体験しなくても、日常で、ひとつだけ、を創っていかれるといいと思います。そして、本来はこれだと思う。ひとつだけ。
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