| そういうことか。 | - 2025/11/19
- 自分の成長を早くせねば、と、焦らなくていい。なぜならば、あちらの世界が本質、本番だから…私はこちらの世界から去る時までに今世の課題をいい感じで終えられていればいいだろうと思っています。
それと、いつも言っているように成長って自分一人の力でできることではなくて、あちらとの共同作業なので、あちらの都合もふまえると、早々自分の思い通りに成長は成されないだろうとも思います。だから焦らなくていい。
そもそも、今の自分でいいんだよ、という「私」であり、これが土台です。しかし、それは何もしなくていいということではもちろんありません。やるべきことを継続する。後は待つ。この在り方、この視点です。
ここはほとんどの人が苦手で、待ちきれなくなってしまう(これについては先生がおっしゃっていた通り「多くの人はできる前にあきらめちゃうから」)のだと思います。
こうして、時間をかけることを通して、待つ力は鍛えられ、大きくなっていくのです。思い通りに行かないことにもだんだんと慣れ、それでも大丈夫な力を養っているんです。だから、焦りそうになったときには、こうしていろんな力を鍛えているんだと思えばいいと思います(これを白にしてもいいかも)
ここのところ、自分の身に起きた不調であったり、変化を見ていて、だいたい年単位での移行だと思いました。これは私のことだけではなく、周りの人達を見ていても、1年、2年と時間がかかるのです。そこをどうにか早く自分の思う通りに解決しようとしても、それは空回りしているようになり、どこかでそれをあきらめて、1年、2年たったときに、そこが修復、変容していたりします。
時間をかけると自然とこうなるんだよなあ、と思います。これがあちらの仕事なのかもしれません。だとすると、私たちに求められているのは、やるべきことと待つことです。で、待つためには、それを忘れるということです。常にそれ(成長の証、結果)を見つめてしまうのは、そこには疑いがあります。いずれ…を信じられていれば、疑わなくてもいいんです。だから、早く早くと焦ることもないです。だって、いずれそれはやってくるからです。
天を信じる、そして天と生きている自分を信じる。二人三脚でいく。そういうことかと思うのです。
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