ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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紀元前一世紀から
2021/01/24

今迄の資料を整理していたら「55の魂に響く言葉を!U」というかつて作った資料が目につきました。

このシリーズなかなか気に入っている。偉人たち、偉人ではない人たちの数々の言葉の中から「これ、いい」「これ、笑える」「これ、深い」という私の勝手な好みで言葉を55個集めて作ったものです。皆さんに見てもらいながら、言葉の内容じゃなく、魂に響くものを選んで今日のベストワンを決めてもらい、何故それなのか?を語ってもらう、というワーク用のものです。

その中に「いまそれをしなかったらいつできる日があるというのか」という言葉がありました。それは、ヒレルという紀元前一世紀の律法学者、ユダヤ教の著名な宗教指導者の方の言葉です。

この言葉、現代においては、あの、林先生が言っていましたね。「いつやるか?今でしょ」…と。

紀元前一世紀のときから同じことが言われているということは、人って、ほぼ変わりないということでしょう。その頃の人達も、あらゆることを先延ばしにしながらずっとずっと生きてきていたのでしょう。

そして、多分「ほんとはやりたいんだけどねえ…」「やらなくちゃって思っているんだけどねえ…」「もう少し落ち着いたらにしますね」といいながらいつまでもやらない、それゆえ機会をのがし、後悔するという人が多かったのだと思います。

「思い立ったが吉日」という言葉があります。思い立ったのに、パターンが「よく考えろ、いっときの感情で動いちゃいかん」と言ったりしてストップさせている場合もよくあります。一見良いことのようですが、よくよく観察してみるとパターンは「またどうせ自分はうまくいかないからやめたほうがいい。また傷つくよ。だったらやらないでいたほうがいい」と言っていたりもします。

昔の人たちにももちろんパターンがあり、そのパターンで生きていたと思うので、それに対してのヒレルの言葉だったのでしょう。林先生ってヒレルの生まれかわりでしょうか。

自分のセンサーで生きる
2021/01/23

茅ケ崎グループ、無事に終わりました。

今回のグループでも、色々な話が出ましたがその中のひとつに「自分のセンサーで生きる」というものがありました。

これからの時代は風の時代と言われ、なんとなーく、イメージとして、軽く、明るく、個人で生きる時代、皆が自由でハッピーなよい時代になっていくという感じがありますが、実際は、かなり厳しい時代になるだろうという話でした。

そして、多くの人達がわかっているように、私たちが日々見聞きする情報や状況というものも、今まで一律にあった価値観も全くあてにならないというものであるということ。それは陰暴論的な話というよりも、結局、ひとりひとりのミームに関わっていてそのひとりひとりが自分の正しさや、自分の真実や、自分の価値で全てをつくっていて、それを立場的に力のある人が決めていくので、情報や状況や価値観はどれも真実ではないと私は思うからです。

ある人にとっては真実であり、ある人にとってはそうではないので、ほとんどの人が自分の黒パターンを満たしてくれることを真実、正しいと捉えます。全員にとっての絶対的なものはそもそもない。(人は誰もが死ぬということと宇宙のルールがあるというくらい)それでもそういう中でこの肉体をもって生きていかなければならないこれからなので、自分のセンサーを指針にしながら、自分にとっての真実を考え、自ら行動していくことになると思います。

自分に向き合うことで、自分の中のどれが黒パターンであり、どれが白パターンであり、どれが「私」なのかがわかると思うので、自分固有のセンサーを使えるはずです。それこそが個人で生きるになるのでしょう。というのもあくまでも私の考えであり、私の指針であり、これも真実ではないんです。

自分にとってというものをひとりひとりが見つけていかなくてはならない時代、ということで今までのように同じように与えられる、多くの人がそうだから、誰かが助けてくれる、この人についていけば大丈夫は厳しくなるだろうと思います。

でも、逆に、自分がどうしたいのか、どうありたいのかを何よりも優先し、何かに、誰かに自分を合わせて生きるのではなく、自分そのもので生きられるというチャンスもあると言えます。それこそ風のごとく自由に。

私はこちらへ目を向けていて、これ、本当に楽しいだろうと思います。いろんな価値観や生き方を持った人達が増えてくることで、いろんな風が吹くことを願います。

善い動機をもつ
2021/01/21

自分がいい感じで生きたいのなら…と2つの方法を書きましたが、方法というのは、私の後付けの言葉です。

特に昨日書いた「天に養ってもらう(自分になる)」は、自分が天に養ってもらうために、自分に向き合うことを始めたのではなく、機能不全でずっと生きてきた、そしてその結果を受け取り続け苦しんできた自分をそもそもの機能している本来の自分に戻していきたい、という動機で始めたことでした。

そして、気づいたら、そういう結果(きっとこういうことが天に養ってもらうということなんだろうという)がやってきていました…というものでした。

それは、一言でいえば、生きること自体が楽で自由になったということです。全体的に底上げされた感じで。生きることに必要なものごとはタイミングよく、いいあんばいに与えられ、こうして生きればいいんだという確信を得ました。そして、幸せだと思う。それは、他を思えることの幸せ、他に目を向けられることの幸せを体験できているからです。

同時に、腹をすえることや、覚悟を持つことで、地に足をつけて生きていかれるようになったと思います。とても現実的に。ただ普通に。そういう数々の気づきや、与えらたものにより、私は天に養ってもらっていると思えるのです。そして、とても感じることは、天は全員を養いたいと思っているということです。人だけではなく全ての命を。人間以外のものたちはそれを素直に受け入れ、その生を全うしているのに、人間は黒パターンで生きているのでなかなか天のサポートが入りにくのです。

最初にもった動機(機能不全から機能する自分に戻していきたい)がこのシステムに沿ったものだったのかもしれません。その動機が天にとってOKというものだったのかもしれません。それが「私」にとってはやりたいことであり、納得できるものでした。やはり善い動機でやりたい、という思いが最も大事なのだろうと思います。善い動機は「私」が納得するものです。そこをいつも確認しながらいけば、このシステムに沿ったところを歩んでいくことができると思います。

今日はこれから今年初めての茅ヶ崎クラスです。今回も楽しく学んでいただきたいです。そして、私も楽しんできます。

そして二つ目
2021/01/20

自分がいい感じで生きたいのなら…の今日は二つ目の方法です。

それは「天に養ってもらう(自分になる)」というものです。

以前おせわになったキリスト教神秘主義のクラスの先生の言葉「霊性への取り組みが正しきものであり、バランスが良い時には天に養われ、人は経済的に困らない」(これはお金のことだけではないと私は思っている)ということ。「あなたたちはただ自分の心を整えなさい。あとは私たちがやるから」という(ような)言葉をシルバーバーチも言っています。「いっさい良くなることしかないのが本当の道」とは日月神示での言葉です。「もし、汚れた心で話したり行動すれば、苦しみがその人につきまとう。もし、清らかな心で生きている人がいたとしたら幸福はその人の後に、必ずついていく」これは仏陀の言葉です。

人が自分の心に天国を創る、心を整える、清らかな心で生きるということは「私」が納得することを選択し続け、それを実践して少しずつ創っていくことになりますが、それが進むごとに、この言葉の後ろにあるシステムが理解できていくように思います。

私は、前日の「引き寄せ」よりも「天に養ってもらう(自分になる)」のほうが「私」のやりたいことであることと、その普遍性やプロセス自体も自分の個性に合うと感じています。又、今までの体験上、こちらのほうは全体性を感じます。引き寄せはピンポイントですが、こちらは全体的にという感じであり、こうして「私」は本質的なところへ全体的に近づいていると感じます。そこで、私は今までこれできています。

まだまだ完全な天国の心ではありませんが、それでも進むことで、必要な恩恵を与えられていることは実感しています。これについては本当にありがたいです。ひとりでがむしゃらに頑張らなくていいということが、何よりもありがたいです。

昨日書いた、引き寄せと今日の養ってもらう、の、どちらが自分にあっているかというところで選んでいいと思います。もしくは、両方を上手に使うこともいいと思います。いずれにしても、人間にはそういうものが与えられているということです。

ですからぜひ、それを使い、自分自身も自分の人生もいい感じでいかれるように努力をしていくといいです。どちらも努力なくしては無理です。努力と継続は必要になります。引き寄せは頭を更新させていく努力の継続。養ってもらうは心を整えていく努力の継続です。これらも、楽しく、やっていかれるといいですね。やっぱり好きこそ物の上手なれです。

まずは一つ目
2021/01/19

自分がいい感じで生きたいのなら、ということで、今日と明日で2つの方法を書いてみたいと思います。

一つは、いわゆる「引き寄せ」です。引き寄せって、特別なことではなくて、実際は、今、誰もが自分の思い描いている通りの状況を引き寄せています。

引き寄せは念をこめて思い続けるという意識的行為よりも、自分がいつも目を無意識で向けているところ(クセのようになっているもの。だから自分を見ることが大事)が拡大されて起きています。

例えば、お金で苦労している場合、無意識で目を向けてしまうのは「私はお金がない」というところだと思います。それでその状況は拡大していきます。そこで、そこから離れて、お金をたくさん持っている自分をいつも感じてみる方へ目を向けることを選びます。やっぱり大金持つにふさわしいんだ、私…と。

健康が欲しかったら、元気で健康な自分をいつも感じてみます。体中に力が満ちて、はつらつとしている自分、そうそう、これが私…と。こうして脳へ教え込ませていく。脳はそこに関わることを探して動きはじめます。

お金を欲するのは霊性が低いと思うことはありません。実際霊性が高くなればそこは欲しなくなると思いますが(あらゆることへの抵抗がなくなるので)いいじゃないですか、今はまだそこじゃないんだから…と自分の今いるところに正直でいることが大切です。

やすらぎが欲しい、安定感が欲しい、勇気が欲しい、明るさが欲しい、なんでも。いつもそれを感じ続けます。そして、繰り返すことでその感じは定着するので、そうなるとそっちが当たり前になります。こうなると、状況は変わります。新な頭の働きになっていく。

実際起こる現象として、例えば、お金につながるような仕事が入ってきたり、臨時収入があったりするかもしれません。健康も、自分が元気になっていくために必要なものがあらわれたり、自分に合うものがわかったりということが起こるかもしれません。

この方法は一般的で、行いやすく、よく知られているものです。実際こうしてあらゆるものを引き寄せて人生を創っていっている人はたくさんいます。どんな自分を創るのか、そしてどんな人生を創るのか、それを、自分がいつも何に目を向けているのか、というところで創っていくことができるというのが一つ目です。

普通に送る生活
2021/01/18

ミームアップ、上の領域と聞くと、天上界というイメージがあるかもしれません。

しかし、自分の体験を通して今見ている世界は(…と言っても私は自分がものすごーーーく高い領域にいるわけではなく、ナビが許されるところだと思っています)とても現実的であるということです(あくまでも私はです)現実的というのは、損得や金勘定して、これからの経済を予測して用意周到ということではなくて、今まで追い求めていたものごと今まで見聞きしていたものが幻であることに気づいてしまったがゆえに、もう、それを追い求めることをしなくなる自分が目にする世界のことです。

膨大な幻が消えてしまえば、その目は日々生きることに向けられます。ただ、単純に、毎日を生きることだけに。ごくごく普通に送る生活の連続です。

こうだったらいいのに、あの人がこう言った、あんな態度をとられた、これからが心配、怖い、もっと自分がこうであればよかった、もっと成長したい、自信をもちたい、認められたい…などなど、人が普通に持つパターンが自分の中に存在しつつも「私」が何を選ぶのかというところでパターンの作り出す世界は幻であることがわかってきます。それはパターンからの自由と解放を意味していて、幻が消え、現実だけが見えてくるという感じです。

そこは愛と光で満たされ、全てが素晴らしく、輝き、美しく見え、至福感につつまれる…という世界では全くありませんでした(今のところ)

先日「先生にとって勝ち負けってなんですか?」と聞かれました。その質問に答えようと考えたのですが、いくら考えてもわからないんです。勝ちって?負けって?・・・「ごめーーーん、わからない」・・・頭の中に残っている記憶としてのそれはありますが(かつては、私もいつも他人と比べ勝とうと闘ってきましたから)今の自分の生き方の中にそれがない(幻は消えた)ということなんだろうと思いました。ここの現実の世界には勝ち負けがないんです。そして、今の自分に勝ち負けを付け加えようとしてもどうやったらいいのかがわからないんです。

こんな気づき方。そして、そこはキラキラ世界でもなく、自分でもはっきり認識していないようなものでした。しかし、結果、楽で自由になっているわけです。断然。だとしたらやってきたことは良かったと思えます。受け取った結果によりやってきたことがよかったのかどうかはわかるので、結果をしっかり把握するというのは助けになります。

ここからまたどこかへいくのでしょう。しかし、それは天におまかせです。私は今まで通り、目的や目標を設定しないで「私」の納得する生き方を継続していくだけです。

10年
2021/01/17

盛岡は雪でした。

今回も、滑らないように、転ばないように、よちよちとホテルからセミナー会場まで歩きました(笑ってしまうような恰好ですが、これでも自分としては凍った道の歩き方が少しうまくなったと思っています。ありがとう、盛岡)

今年初めての盛岡クラスでしたが、このクラスも今年10年になります。こつこつとたんたんと地味な作業を続けること10年。それが、だんだんとおもしろく、楽しく、興味深くなってきていただけていたら何よりです。そして今年ますます楽しんでもらいたいと思います。

やっぱり「好きこそ物の上手なれ」なんです。これは自分の成長・進化においても。確かに最初は、もっと楽になりたい、もっとすっきり生きたい、もっと自分らしくいたい、ネガティブな感情にのまれたくない、などの動機でのスタートだったと思います。そのためには自身の成長と進化なのだろう…というところから始まったことだと思います。

それはその通りなんですが、先に進むためには、好きだから、楽しいから、おもしろいから、という気持ちが何よりも大事です。そうであれば、そこに深刻さや重さや複雑さが入りこむことはだんだんなくなっていきます。そこは明るく、軽く、輝いていきます。そして、その気持ちは自分だけではなく、他に対しても伝わっていきます。

今、大変な事態であるからこそ、明るく、軽く、輝く気持ちを持ってもらいたいと思います。そういうことを言うと、実際大変で苦しんでいる人がいるのに、自分だけそんなでいいのか、と言う人がいます。大変で苦しんでいる人たちと同じになることがそういう人達への優しさ、気遣い、だと思っていて、自分も同じように大変で苦しむことを選ぶ人達もいますが、それがそういう方達のそこを増幅していくことを知ってほしいです。

助けあうことは大切です。しかし、一緒にネガティブになることが助けあうことではありません。人の意識は他とつながっていることを知っていれば、そこを使ってどんなことができるだろうかと考えることもできます。

だからたくさん楽しんでもらいたい。そして、それが自然とまわりにも広がっていくことを願っています。

新なところへ動いていく
2021/01/12

昨日お会いした方と「自分はこのレベルではない、だからもうそこにいるのは苦しい、自分が欲しているところへ行こう。これからの自分にふさわしいところへ私は行こう!」についての話をしました。

今年のカウンセリングにおいてはここを少しずつ入れていきたいという思いがあります。もちろんひとりひとりいる場所が違うので、どんな言葉がけをし、どんなふうにアプローチしていくのかをもっと私が考えなくてはいけないことなのですが。

黒パターンへの語りかけは最も大事なことではありますが、いずれ、この「自分が欲しているところへ、これからの自分にふさわしいところへ私は行こう!」というところが主になっていきます。その「私」がパターンをひきつれていきます。どの子も置いていくことなく、皆をひきつれ先頭に立って進んでいく「私」。それにより「私」はより力をつけていくと思います。

今までの語りかけ、白黒ワーク、意味づけワーク、熟考、レスポンスの練習、イメージワーク、瞑想、などなどやってきたことは、ここへ向かうためのものであり、ここから先にはまた新な扉がまっています。今までのところと、新な扉の向こうとをつなぐ架け橋になってくれるものが「自分の欲しているところへ・・・」なのです。

ここに「だからもうそこにいるのは苦しい」とありますが、これも、今までのパターンが生み出す苦しいではないものです。苦しい感情が嫌だから、自分の欲しているところ(苦しさを感じないところ)へいこうということではありません。苦しさは今のところがもうふさわしくないから、もう、ここは卒業なんだ、というものです。

「自分が欲するところ」はもちろん「私」が欲するところであり、それは普遍的な、永遠なるものへの回帰です。魂が最も欲しいもの、転生を通して、ずっと体験しようとしてきたもの、それが「これからの自分にふさわしいところ」になります。

2021年、また新たなところへ動いていく「魂の道場」です。さて、今日はこれから盛岡へ行ってきます。今年初めてのグループです。楽しみです。皆さまもどうぞ寒さに気をつけながらお過ごしください。

自分の言葉
2021/01/11

“(黒パターン)の思い通りの自分でいたい、というところはもういい、自分はこのレベルではない(←これは私が以前よく選んでいました)”と昨日の日記に書いた「自分はこのレベルではない」と言う言葉。どこか上から目線のような印象があるかもしれません。

私はこの言葉を白パターンに入れてよく使いました。私にとってこの言葉は「もう、その領域はいい、もう十分そこは体験した、だから、次の領域へ行こう、私は心からそれを欲している」という思いの言葉です。

この言葉を最初に使ったのは、他人の幸せや喜びを心から喜べない自分を感じていた頃からです。他人が喜んでいる姿を見て、聞いて「よかったね、おめでとう」とは言うものの心からのそれではなく、そこには負けた感があり、くやしく、悲しく、おもしろくないという気持ちがありました。そして、そんな自分がとてもとても嫌でした。

なんで他人の幸せや喜びを心から祝うことができないのか。それは自分が今幸せではないからです。自分に今喜びがないからです。それは、自分の黒パターンの思い通りの自分ではないからです(これへの語りかけももちろんやります)でも、もう、そのパターンでいることをやめたい(もう、白パターンを選べる自分になりたい)…と思いました。

そんなときに使い始めたのがこの言葉でした。私にとって、この言葉はとてもしっくりくる言葉でした。「自分はこのレベルではない、だからもうそこにいるのは苦しい、自分が欲しているところへ行こう。これからの自分にふさわしいところへ私は行こう!」白黒ワークをするとこの言葉で自分が満たされ、ますます、それが自分には必要な言葉であることも感覚として捉えられました。この言葉が自分を押してくれて、自分を正しいところへつれていってくれました。

これはもちろん実践ありきです。同じような場面になり、黒パターンがさわいでも、この白パターンをその場で選び続けました。そして、今、他人の幸せや喜びを心の底から喜べるようになったこと、このことが幸せだと感じています。それが今幸せであり、今喜びであるということなんだと思えます。

人によってそのときに必要な言葉は違います。それを自分でみつけていくといいと思います。言葉は、自分を新たな領域へいざなってくれるものです。いろんな言葉を並べて、どんな言葉が(どんな白パターンが)今の自分に必要なのかをぜひ探していってください。

いいことづくめ
2021/01/10

結局、人の悩みって「思い通りにしたい」なんだということ。

色々なパターンが顔を出してはいるけれども、結局は「思い通りにしたい」が全ての根にあります。このパターンはずっと皆が持ち続けているパターンです。ということは、人の成長や進化とは、このパターンを超えていくことと言えます。

●思い通りにしたい…から…○思い通りでなくていい…へ。

ここへのシフトはきっと最も大変なところだと思います。それはあらゆることに対してですが、まず、目を向けるべきは自分自身に対してです。頭では、理想の思い通りの自分にはなれないことはわかっているし、そこではないこともわかっています。それでも黒パターンは思い通りにしようとします。そうじゃないと自分をたもてない、他人からどう思われるか怖い、他人から愛されない、認められない、そうなると生きていかれない、と思っているからです。そんな目に合わないためには、パターンの思い通りの自分でいなくてはいけないと固く信じていてそう決めています(これがけっこう頑固)

明るくて、優しくて、強く、勇気があり、おだやかで、誰からも信頼され、求められ、知的で、積極的で、落ち着きがあり、仕事もできて、収入も多く、健康であり、レベルが高く、人からうらやましがられるような自分、そして、理想の家族、理想の人間関係を持っている自分。そんな思い通りの自分ではない自分のことは愛せないのです。ここを超えていく。少しずつ。

(黒パターンの)思い通りの自分でなくてもやっていかれる、(黒パターンの)思い通りの自分でなくても大丈夫、(黒パターンの)思い通りの自分でなくても自分を認めていく、(黒パターンの)思い通りの自分でなくてもありのままの自分を許す、(黒パターンの)思い通りの自分でいたい、というところはもういい、自分はこのレベルではない(←これは私が以前よく選んでいました)(黒パターンの)思い通りの自分をもう選ばない、などなど白パターンを考えてみてください。

いろんな白を選びながらだんだんと○思い通りでなくていい…へ近づいていきます。近づけば近づくほど心は安定します。それはあらゆることを受け入れていく覚悟というものも育てることになるので体験から言えることですが、安定=覚悟とも言えます。

こうして思い通りでなくていい…を少しずつ選べるようになっていくと、物理的にも精神的にも自由になります。そして、いかにこれに縛られてここだけをどうにかしようとやってきていたのかがよくわかります。これから解放されることで時間もエネルギーもその分を他に使えるので、より自分に手をかけてあげられるし、ひいてはその視線は他人に向かいます。自然に。

いいことづくめのこれです。

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