| ピアノが来て丸3年 | - 2025/10/08
- ピアノが来て丸3年がたちました。当時、弾いてみたい曲があって、やや、衝動的に購入した電子ピアノでした。もしかしたら、その曲が弾けるようになればそれで満足してしまって、弾かなくなってしまうかも…もありましたが、今も、それなりに続いています。
と言っても、気付いたら1週間ピアノに触らなかったということもあります。それでもぼちぼちとやれるのがありがたいです。
そして、3年やってくると以前より成長をしているのがわかります。指の機能は落ちていますが、若い頃よりも、音楽への気持ちが育っています。
10代の頃はとにかく先生が怖くて、間違えないようにとがむしゃらに弾いていたピアノでしたが、今は、少し頭を使い自分としては効率よく弾くことも覚え、これはまさに大人のピアノです。ピアノって大人になってからでも十分できるし、大人になってからのほうがやりやすい面もあると思いました。
私は、それぞれの曲の中にここが特に弾きたいところ、というのがあり、それは私の感性が求めている部分です。だからその部分を弾くと心身がキュッとなります。言葉にするとそれは「美しさ」とか「エネルギーが凝縮されている部分」なんですが、なんかその言葉では言い表せないのです。
で「これがあれば私は生きていかれる」という言葉が最もそのキュッとなる感覚を言い表しているのかも。
又、ピアノでのその体験のおかげだと思いますが、本を読むときも、絵を見るときも、色を見るときも、踊りや、建物や、風景や、日々の生活の中で見聞きするもの、はたまた、クラスやカウンセリングの場においても、それは知らぬ間に使われていて、そこにあるものが、瞬時に自分に入ってくることも知りました。こうして感性が全体に上がってくることは予想外のことでした。
そして、気付いたことはその人の作品に触れるのは、それを作った人に触れているということです。会ったこともないその人。でも、その人が生み出したもの。それをとおしてその人とその瞬間、触れていると思うと感動です。この本の著者、この作品の作者、と接している、触れている、ということで、それが昔の人であればあるほど感動です。そういう事も教えてくれたピアノです。
で、今はベートーベン。「はあーー、なに、この、和音」と心身がキュッとなりながら練習するその時間は私の至福のときとなっています。
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