| 意図をもたない | - 2025/10/28
- 「意図を持たないように」と量子先生に言われ、そうだ、そうだ、とあらためて思った。ここでの学びこそそうだった。
「〇〇を得るために」「〇〇になれるように」などなど考えがちです。これは、まず、意図があって、それを得るために〇〇をするということになります。
この方法は今まで生きてきた領域での一般的な考え方です。そして、それが間違いということではありません。だからそれが必要なときにはそれを選んで使います(選んで、というところに意味がある。選ぶとは、自分の意思で使うということなのでそれは、いつも通りに、無意識で、とは質が違います)
しかし、自己成長の学びにおいては(厳密には道場では)この、意図ありきではないやり方(というか、在り方)を体験することを練習して自分のものにしていきます。〇〇を得るため、〇〇になるため、でワークをしたり、考えたりしないということなんです。特に使いやすいのが楽になるためにワークしよう…というものです。
何も目標とするものを持たずに行うってことか?そうです。ワークも、意味づけも、熟考も、目標を持たずに行う。そこには「今」しかなくて、きっと未来はこうなるだろう、今まで(過去)はこうだったから、得るためにはきっとこれだろう、はないんです。
そうやって、何かを得ることなく、期待することなく、予想することなく、計画通りではなく、行う。ただ何かをすることって今までなかったかも。これが階段を上がっていくときの在り方となります。
たとえ、上がっても何もなかったとしても(えっ?それじゃあやってもしょうがないと思うかも?)それを心身につけたとき、いや、それを心身につけていくプロセスそのものに、意図を持たないで行う意味があります。その意味がわかるようになっていくことで、目標はいらなくなります。そういうことじゃなかったんだと。
それは思考してもわからないもの。言葉での表現にも限界があるもの。でも、ここで感じるものがなんとなく、宇宙の帯に向かっていると感じられるかも。
ぜひ、やってみてください、意図を持たないワーク、意味づけ、熟考。それを行っているときに流れている何かを心身でうけとってみてください。ここから先はより、ゆっくりと、慌てずに、焦らずに、追い込まずに、リラックスして。大丈夫。
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