動き続けていく私 | - 2025/04/16
- 自分の精神性を上げていく道って、わかった、と思うとわかっていなかったことに気づく。できたと思うとできていなかったことに気づく。そういうことを繰り返していきます。
このことを間違っていた、と意味づけることもできますが、間違っていたという言葉の持つパワーにやられてしまいやすいので、気付いたという意味づけを選ぶといいと思います。もっと違う領域での意味づけにおいてはそれへの洞察、理解が深まったというものもあります(この意味づけはかっこいいので私はそれを選んでいる)
そして、この事自体が成長。出来ていなかったことに気づくことが成長なんです。だからこの繰り返しをされているということは、順調な歩みをしているということです。
人って、わかったというところで満足したり、出来たというところをゴールにしてしまったりしがちですが、この道は、まだまだ続いているのです。私にはまだ見えない世界があります。
だから、頑張って進む、とか、早く進む、というような思いでそのままスーーと行かれるんじゃないんだなあ。これを体験できるのは今までいた領域です。そこに慣れているのでそう思ってしまうんです。
私は今年に入って自分が傲慢であったことに気付きました。傲慢さだけは持たずにいたいと思っていたのに、だいたい、そんな気持ちを持つのも傲慢さからきているんじゃないか?
この場合の傲慢とは、自分はスゴイ的な、自分はできている、わかっている的なものではなく(これについては、人にはそういう事自体がそもそもないということは知っているので)お会いしている方達のために的なものでした。とにかく先へ進めるように、上へ向かえるように、などなどひたすら成長することに力を注いでいた。そうしたいと思っていたし、そうするべきだとも思っていた。この在り方が、傲慢さから出ていたことに気づいたのです。それぞれの在り方というものがすでにあり、それが最優先されることを知りました。
こうして、自分の傲慢さが違う質のものへと変化するときに、人は成長していくのだと思います。今知った傲慢さ、これもまた変化の時を迎えるのだと思います。今年は色々と忙しい。動き続けていく私。
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