ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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パターンというクライアント
2024/01/25

語りかけのときの感覚を昨日書きましたが…。パターンへ接するときの心の在り方は共感とともに機械的(すごくクール)と、反対にあるものを同時に持つ感覚。

これが語りかけだけではなく自分と向き合うときにも、他人とつきあうときにも、家庭でも、仕事場でも、もちろんカウンセリングにおいても、大いに使えるといいと思います。

だいたい人はどっちかなんです。どっちかのひとつで通してしまうんですが。この反対にある2つのものを足して2で割る。いい感じでブレンドして。それを自分で創る。それが満ちているのがその人だと私は思うんですが、まず、この反対にあるものをいつも同時に(一緒に)持っている、ということを自分の中に創っていくことだと思います。

自分の内にある黒パターンと白パターンという相反するものがその在り方を見せてくれていると言えます。いつも同時にありますね。

例えば、メンタルが強い、だけではひとつです。弱さもないといけない。なんでもスマートにこなす、だけではひとつ。どんくささも必要。健康だけではひとつ、病気も持つ。うまくいっているだけではひとつ、うまくいかないも持っている。自分だけではひとつ、他人も持つ。生だけではひとつ、死も持つ。というように。

こうして見てみると、人ってたくさんの要素を持って完成されているんです。これが成熟する、大人になる、ということです。たくさんのそれらがあるから魅力的だし、豊かだし、満ちているんです。で、それがバランスがとれているということ。それが中道ということです。

ぶれない、怒らない、いつも笑顔が中道ではありません。これは偏っている状態です。自分のパターンというクライアントのためにも魅力的な「私」でいてください。というかもともと魅力的な「私」なんです。いろんなものを持ち、いろんな物事が全てOKなので。それが本当の自分なんです。しかし、こっちかあっちかのどっち(それも正しいか間違っているかということで)ということを教えられてきたので、どうしてもどちらかひとつになりがちですが、反対のものもあるから共感力も上がり、理解力も上がる。持っている=体験しているからです。頭がいいから共感力や理解力が上がるのではないです。ここは間違いやすいところです。

民を愛する王
2024/01/24

昨日の日記の続きです。

「でもーー、私は語りかけは楽しくはないんですが、どうなんですか?」と思うかも。それはあると思う。でも、楽しそうに語ればいい、ではありません。

昨日書いた、楽しいは、語りかけを続けていくうちに手にした気付き、発見、それが今まで知らないものであったから、楽しいと思える、ということであり、語りかけは楽しいんだ、楽しむべきだ、そうじゃないと何も手にできないと考えることではありません。

では、その楽しいと思える結果を手にする語りかけとは?それは、言われた通りに(自分流にしないで)ただ、たんたんと続けるということになります。

たんたんとは、そこに色々と思惑が入っていない感じです。感情・感覚出る→気付く→パターンみつける→「私」が語る。これだけを健全な共感(純粋であり、現実をしっかり受けとめ、相手への尊厳ももち)を含みながらも機械的な感覚(べっとり感なく、ドライに、感情移入せず)を持って行うということです。はあーー?よくわからないでもいいんです。今はわからないだけなので。でも、やってみる。この在り方での語りかけをしていくと、結果を確かめる、ということも自然としなくなります(厳密には結果を確かめたがるのはパターンなので、それを使わなくなる)

語りかけのイメージ・・・・民を愛する王。ひとりひとりの意見を聞きその気持ちに寄り添い、しかしどこかクールにその民を見ている(これ、カウンセラーには必須。共感とクライアント中心だけでは崩れます。そして先がない。)そして、この民はこのあたりが偏っているのか、とか、こっちに動きすぎる傾向にあるのか、これが弱いのか、などなど、無垢に観察する。そして、その民が落ち着いて生活できるようにするにはどうするか、などを考える。この国を平和な国にしていくために。何より民が安心して住んでいかれるように。このイメージが私が思い描く語りかけのイメージとしてはぴったんこな感じです。

たんたんと語る、それを続ける、それが日常的になる、それが自分の一部になる。そうやって語りかけを特別視せずに扱っていくということです。ここは練習あるのみです。頭でわかってもできません。先日書いたように、子供が体を使って覚えるように。繰り返し、とっても単純に取り組んでください。その先には、きっと気付きと発見があり、それはお金では買うことのできない、楽しいものだと思います。でも、崇高で重厚なものではないんです。ただ、おもしろい、だから楽しい。

気付きと発見
2024/01/23

先日いらした茅ヶ崎クラスのM子さんとの話です(ご本人の了承ずみです)

ここでのワーク(特に語りかけ)についての話になりました。語りかけは面倒くさい、と思う方も多いかもしれません。ずっとやらなくてはいけない、と思うと、嫌になるという方もいるかもしれません。

で、なんでそう思ってもやるのか?というと(私がやれやれとうるさく言うからもありますが)そこに目標があるからだと思うんです。目標にはいろいろあって、一応カウンセリング(もう今はすでにそうではないですが)なので、苦しさから逃れたい、楽になりたい、問題や悩みを解決したい、などが始めるきっかけになった方は多いと思います。

又は、カウンセラーになるため、ミームアップのため、新な領域にいくため、とか。何かのために面倒でもワークをやるということなのではないだろうかと思います。

そんな話をM子さんとしていてM子さんはどうだったのか、語りかけは面倒だったのかどうかを聞きました。M子さんは「面倒だと思ったことはなかった。そもそもカウンセラーになりたいもなかったし、こんな結果が得たいというような目標自体がなかった」という話でした。

「目標がないのにどうして続けられたの?」と聞いてみました。「ただ、たんたんと教わったことをやっているうちに、あーー、こういうことだったんだ、このことだったんだあ、と今まで知らなかったことがわかることがとにかくおもしろくて。まだまだ知らないことがある(自分の可能性)だろうから、これを続けて、もっと知っていきたいと思う。この体験をしたら楽しいからやめられなくなる」ということでした。

「キーは楽しいなんだね」と話しました。目標に向かってではなく、楽しいかどうかだけ。そして、ここでの楽しいは、やはり気付きと発見なんだと思います。気付きと発見という成果を手にすることなんだと思います。ここがただ純粋に楽しい。

でも、これってこの学び意外でもあるじゃないですか。自分が知らなったこと、わからなかったことがわかっていく喜び。できなかったことができるようになっていく楽しさ、うれしさ。全ての学ぶことの醍醐味はここです(と私は思う)。

異質のもの
2024/01/21

「魂の道場」での学びは今まで私たちが学んできたものとは異質のものです。

それに気付き、それが身について、理解するのに多分10年以上くらいかかるだろうと思います。そのぐらい私たちは教えられてきた、考え方、価値観が身についてしまっているのでその異質なものをすぐに自分の中に入れることができません。従って、今までのそれを使ってここでの学びも理解、判断しようとします(誰でも最初のうちは)

それは新しいものを学んでいても今までの領域にずっと居続けているということです。その馴染んだ領域の中で、新しく学んだことを理解しようとし、わかった、理解できた、と思い、そういう自分はできていると思います。

しかし、学んでいることはその領域にはないことなので、本当は全く理解できない、イメージできない、わからない、というもののはずです。人は自分の体験がないものを理解する、イメージすることができないからです。

そういう物事を学ぶには、とにかく、言われたことをやってみる、ということになります。子供のように、単純に、あれこれ考えずに。こうしてまるで子供が体を使って覚えるような、やり方を復活させてそれを継続させます。ここで考えすぎてしまったり、おとしどころを見つけようと思考してしまうと(これ、よくあります。自分の理解というところで納得したいのだと思います)この新しいものは消えてしまいます。

子供が体をつかって覚えるようなやり方では、思考をするということが減ってくるので、その分「感じる」というところが使われてくるようになります。大人である私たちもかつては子供でした。そのときのやり方が、大人である私たちが進化していくために必要になるとは…。子供の時の自分に助けてもらっているような感じもします。こうしてみると、過去はない。いつも、今、同時にあって助け合っているのだはないだろうか、と思います。

どちらを選んでも
2024/01/19

昨日は市内に住んでいる叔父夫婦の所へ行ってきました。

いつも話は昭和の時代の話になります。「昭和、おもしろい時代だったなあ」と言いながら。私もこの叔父とはどこか気が合うというか、ふつうに持ち前のへらへらでいられるというか。とにかく楽しい時間を過ごすことができる人です。

話の内容は日記にはちょっと書けないものなので、お伝えできないのですが。叔父から聞く、色々な話は一般に聞けない話なので、よりおもしろいのです。いつか、どんな話なのか、何故そんな話をするのか、を、お話できたらいいなあと思います。いつか…。

で、その叔父夫婦も80代となり、だんだんと今までできていたことができなくなっていたり、身体に支障をきたしてきていたり、今までは2人で助け合ってきていたことが無理になってきたりしていて今後どのように生きていくかという話になりました。

ざっくり言うと「老いては子に従え」なのか、それとも「老いては個に従え」(102歳のピアニスト室井摩耶子さんのお言葉です)なのか、というところの話です。話を聞いていて思ったのは、色々と思考してしまうと「老いては子に従え」にいきつく。しかし感覚で捉えてみると「老いては個に従え」になる。

そして、ちょうど美術家の篠田桃紅さんがおっしゃていたこと「不自由というのは、いろんなものに囲まれて、守られているし、安定もする。でもほんとうの自由を求める人は、寂しく、孤独で不安であっても、自由というものを持っていることで満たされているんです」という言葉を思い出しました。

どちらを選んでも何かしらはある、だったら、ある意味どちらを選んでも同じという気が私はします、が、私が色々言うことでもないので、せめて、私が行ったときにはへらへらと笑って楽しく過ごしてもらいたいと思いました。

有限と無限の2つを持っている
2024/01/17

昨日は「むさし乃」蕎麦屋さん最後の日でした。

開店30分前に並んで開店を待ちました(私は5番目)。

続々と人が集まり、お店の周りは人でいっぱいに。私は、実は前日も妹と一緒に来ました。そして私たちのすぐ後ろには、偶然にも久しぶりにお会いした方がいて3人で食べました。

前日は「おかめそば」をいただきました。そして昨日は「天ざる」を注文。ゆっくりと味わっていただきました。お蕎麦も天ぷらも御汁も「むさし乃」さんの味でした。

私とトミーが茅ヶ崎に越してきたのが2007年。当時住んでいたマンションは今のところよりもずっと「むさし乃」さんに近かったので、お昼に行って、夜ご飯にも行く、というようにしてお世話になることもありました。そんな当時のこともなつかしく思い出しました。個人的にはとても残念ではありますが、明日からは、ご夫婦でゆっくりと新しい生活をしていただけると思うと、安心でもあります。

「始め有るものは必ず終わり有り」です。永遠に続く物事はなし。それがこの世です。だからこそ、この世での出会いやご縁、自分に起きる様々な物事、自分に与えられているものごと、チャンスは大事にしたいです。有限の中での全ての出あいです。

そして、永遠に続くものもあります。それが「魂」です。永遠の命、永遠なる存在、永遠なる自己。それは終わることなく続き、毎回毎回の人生でのあらゆる体験によりそれを豊かにしていきます。それはこれからもずっと引き継がれていくのだと思います。

有限と無限の2つを持つ私たち。そして、その両方をいつも同時に生きている私たち。これは皆が天から与えられているものですが、それを意識できるときっと人生はもっと楽になると思います。

「むさし乃」さん、長きにわたりおつかれさまでした。そして、ありがとうございました。

花開く
2024/01/15

「自分の不利になることを、自分に与えてはいけない」とお会いした方と話ました。

不利になることというのは、損することではなく、黒パターンを選んでそれで行動し、その結果を受け取っていくことを言っています。そんな自分にとっての不利。もう、それは自分に与えないということです。

幸せを感じて、安らぎを感じて生きたいと多くの人が言います。だったら自分の不利になることを自分に与えていてはいけない。

不利になることとは、保身であり、行動しないことであり、もっともっとと欲しがることであり、他人と自分を比べることであり、自分のプライドを守ろうとすることであり、良く見せようとすることであり、賞賛を得よう、認めさせよう、とすることであり、いつも逃げることであり、差別することであり…まだまだ色々あります。それら全部、結果、自分の不利になります。

しかし、それも厳密に言えば不利ではなく、その結果の苦しさから、気付き、自分を省みて、違うものを選ぶことへのチャンスになるものでもあります。そういう意味では不利になるものはひとつもないのですが、できたら、近道でいかれるように、そして、よけいなエネルギーや時間を使わずにすむように(できればそれは違うほうに使いたい)、そして、他人の黒パターンを大きくしないために(小さな黒い悪魔を自分が作って放出している)黒パターンでの不利は選ばないほうがいいと思います。

・・・と言っても一気にできるものではないです。しかし、それでもやり続ければそれはいつか(あちらが決めたときに)花開くと思います。それぞれの持っているツボミがあります。それを育て花開いていかれますように。

裸になる
2024/01/14

今年初の茅ヶ崎クラス。いいかんじで終了しました。今回はゲスト参加もあり、にぎやかで、明るく、年のスタートにふさわしいクラスでした。

で、そのクラスでの話の中で「クラスの中では私たちは裸でいる」という(ような)発言がありました。

これ、裸って、本当に裸なんじゃないですよ。心が裸ということです。クラスの中で心を裸にしている、という意味です。かつては、私にずばずば切り込まれ、もう、脱ぐしかない、という状態に追い込まれていたものが、今では、自らそれぞれに自発的に裸になることができるようになったのだと思います。

心を裸にする(でも、安心してください、パンツは…はいています)

人の成長にはこれが必須です。

自分の言いたくないことや自分の知られたくないことは隠しておきながら成長したい、は、無理だからです。何故かというと、そこに成長するためのものが隠れているからです。自分が抵抗なく話せるような部類のものには成長の種はありません。

それと、時間をかけながらどんな部分を持っている自分のことも愛している自分に成長したいからです。自分の全てを愛しているから他人を愛することができるんです。

そして、自分が隠しておきたいという部分への意味づけを更新させたいからです。今まではそこはだめなところ、恥ずかしいところ、劣っているところと意味づけていたけれど、意味づけが更新されればそれはダイヤモンドにもなるんです。そういう今まで知らなった世界へ行くことが成長です。

これからも増々脱ぎまくっていただいて、脱ぐことで初めて知る世界を悠々と歩きまわってもらいたいと思います。

自分を育てる
2024/01/11

自分を育てることをしてほしい、と思います。

自分を育てるために、時に、自分を励まし、自分を叱り、自分の手をとり、自分を抱きしめ、自分を戒め、自分を褒め、自分に決断させ、自分に勇気をもって体験させ…などなど。育てていくためにはいろんな要素が必要になります。ここに知恵があると思うんです。

ひとつのことだけをやっていればいいのではなく、ひとつのことを入口にしてその中に分け入っていったときに、それがどんどん広がっていろんな要素を見つけ、それを自分に試してみる、自分にあった匙加減で。そうやって自分を育てていってほしいと思います。

皆、未熟なんです(もちろん私もかつてはそうとう未熟でした)しかし、自分はできているとパターンは思っています。もし、できているのならわざわざこういうことを学ぶことはないはずです。でも、学んでいる。

未熟な自分を知り、認め、だからこそ素直に学ぶことができて、自分を育て、自分で成熟した自分を創っていかれます。自分を育てていってください。

今日はこれから今年初、2日間の茅ヶ崎クラスです。それぞれの課題をもって参加していただきたいと思います。私も不動明王のお力をおかりして(笑)頑張りたいと思います。

1歩進めたい
2024/01/10

例えば、誰かの言動にパターンがひっかかって腹が立ったり、落ち込んだり、します。誰でも。

で、それはパターンがそうしていることなのでそのままやらせてあげます。でも、それはパターンを選んでいるということではなく、パターンは自動的に反応するもので、それを理解しているということです。

そこで大事なのがパターンはそうだけど「私」はどうありたいか。そちらへ意識を向けることです。と、ここのところ言っています。これを言うということは、今までのワークをまた1歩進めたいからです。

今まで語りかけや白黒ワークをたくさんやってきて、それができるようになったからの、新しいこれです。かといってもう語りかけをしなくていいということではありません。多分、この1歩先へ進んだ状態での語りかけは以前のものとはまた違った感覚を感じさせてくれると思います。

で、「私」はどうありたいかです。ここでの例で言えば、誰かの言動に対してパターンが腹を立てていたり、落ち込んでいたとして、はたして「私」はそちらに飲み込まれ、そちらに意識をむけ、それについてずっと考え続け、もんもんとしている自分でいいのか?と自分に問うことです。このままもんもんでいいのか?ではなく、もんもんとしている自分でいいのか?です。

どう在りたいのか?そのひっかかるパターンの反対にあるものを選びたいと思わないか?と問う、ということになります。そんな自分でいいのか?そのレベルの自分でいいのか?…ということです。

今年はこの領域へ入っていきたいと思います。そのためにも語りかけ、白黒ワーク、意味づけなど今までやってきたことはよりレベルアップして自分のものにしていってください。

今年は辰年。それに関してはまたクラスでシェアしたいと思いますが、のんびりやろう、無理しないでマイペースでいけばいい、は、今年のエッセンスとは合わないものだと言えます。今年のエッセンスを持って自分が動くことできっとわたっていかれると思います。

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