ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

クールダウングッズ
2019/07/18

やるべきことがたくさんあって、とにかく、それをこなすことでいっぱいになっているとき、ふと、そんな自分に気が付くと「そんなに頑張らなくて、もう、いいよ」と自分の心身に言います。

「そんなに頑張らなくていい」と言われると、心身からふっと力が抜けて、熱が放出されていくような気がします。まさにクールダウンしていきます。

このクールダウン、けっこういいです。

ご自分用の言葉をぜひ作ってみてください。

又、言葉ではないクールダウンもあります。例えば、クールダウンできそうな写真や絵を見る。クールダウン用の言葉を読むのもいいですね。目から入ってきたそれが心身の力を抜き、熱を逃がしてくれて、冷静になります。

それから音楽もご自分用のものがあるといいですね。香も使えると思います。私は香がだめなので、使ってはいないのですが。人によりそのあたりもばらつきはあると思います。

それから、口から入るものをイメージしてクールダウンするのもいいです。私の場合は、苦い食べ物をイメージしています。ゴウヤ、とか、ウコン、実際は苦くないのかもしれないんだけれど黄色い菊の花びら、とか、濃い緑茶一口とか、それをイメージするとクールダウンします。これは主に身体にはたらきかけてくれます。これらもご自分用のものをいくつか持っているといいです。

というように、自分をクールダウンするものって、たくさんあります。それらは自分用のもの。誰とも違うものだと思います。ぜひ、それらを用意して、いつもそれを持っていてください。どこでもひとりで使えて、けっこう役に立ちます。

クールダウングッズにかこまれている私たち。

尊敬できる人
2019/07/17

カウンセリングでは私とクライアントさんとの間で色々なやりとりが起こります。言葉だけではなく、そこに流れる空気感や、エネルギーのやりとりや。そこで私自身が気づくこと、教えてもらうことはたくさんあります。

きのう、お会いした方から「今までに尊敬できる人に会ったことがありますか?」と聞かれました。しばし考える。うーーーーーーん、尊敬できる人。

勤めていた頃の上司や同僚、おせわになった先生方、を思い浮かべても、尊敬というところではどうだろう。そして、一人の方が浮かびました。それは、私にカウンセリングを教えてくれた先生でした。先生は尊敬できる人です。

そのように応えながら、では、何を尊敬していたんだろうと考えてみました。勤めていたところの上司、同僚、先生方は、仕事ができる、結果を出す、頭がいい、憧れの人、その道のプロ、人生の先輩としておそわるところがたくさんある、などなど、感謝することが多くあります。しかし、カウンセリングの先生に対してはそれらのことではなく「信頼できる人間」として私の前にいてくれたと思います。そういう面を持つ大人にはそれまで会ってはきていないんです。

「信頼できる人間」というのは私を裏切らないとか、傷つけないということではなく、私に対して(私以外の人たちにも)誠実であるということです。誠実であるがゆえに厳しさもあったし、正直であったし、我儘さも見せてくれました。そんな誠実さが私にとっては尊敬に値していたのだと思いました。

そして、私も先生のように、そういうところに身をおきたいと思っていたことにも気付きました。それがカウンセラーだったのだと。自分にも他人にも誠実でありたかったのだと思います。

誠実さはきっとどの仕事においても必要なものだと思います。しかし、仕事の中ではもしかしたら他の要素を要求されることが多いのかもしれません。そんな中で私はこの誠実さを最も必要とされるところで生きたかったのだと思いました。

「どうしてカウンセラーになったのですか?」と聞かれたときには、これからはすっきりと応えられると思いました。

人生=「苦」
2019/07/16

仏陀は「そもそも人生は思い通りにならないようにできている」というところを前提として、思い通りにならない人生を平穏に生きるための術をときました(とても現実的な方だったんですね)

私は、この「思い通りにならない人生を平穏に生きるための術」という視点を大事に思います。

人生、思い通りにならないのだから、人生を終えるまでただ、受け身のまま生きるのではなく、その思い通りにならない中にありながらも、どうしたら、そこに心の平安を創れるのか、というところに注目し、実践して生きる、というところには人生の意味があると感じるからです。

この、そもそも思い通りにならないことを「苦」と言ったのだそうです。そう考えると人生=「苦」。これを聞くと嫌な気分になるかもしれませんが、よくよく自他の人生を見て見ると、まさに思い通りにならない「苦」でできています。

しかし、ここも、そもそも、その思い通りにならないものごとを「苦」と感じているのが本当の自分ではないとしたら?・・・・それは「思い通りにいかないことは苦しい、嫌だ、対処できない」というパターンが決めていることだとしたら?そのパターンは確かに自分の中にいるけれども、それが自分ではないとすれば、そこに「苦」からの解決策が見えます。

長年、自分の中で働いてきたそのパターンに誰でも慣れていますが、でも、それは自分ではないとすると、それをたぐりよせて、思いどおりにならない人生にあっても、平穏に生きることも可能です。そして、そう成ることを何度も転生してでも獲得したがっているのが「私」です。この体験をぜひ今世で。

60歳から
2019/07/15

やりたいことがない。趣味がない。という状態でこの20年以上をすごしてきました。この20年は仕事一筋でした。

その間にやりたいことや興味をひくことが特になく、時々、小旅行にいくものの、結局、仕事以外は何もせずに今まできました。

60歳になったころに、衝動的に・・・バレエやりたい・・・と思い、20年ぶりに「おうちでバレエ」をはじめました。今は身体を動かすことをバレエを通して楽しんでいます。ただ、あの頃の身体ではないので、できることは限られています。

そして、この1年ほどは・・・ピアノ弾きたい・・・と思うようになりました。今なら自分が楽しむためだけに弾ける気がします。もし、ピアノをはじめたとしたら、40年ぶりになります(ピアノを買ってはいないんですが)まさか、こんな気持ちになるとは思っていませんでした。

ピアノは音大卒業と同時にもう、関わりたくないと思うほど嫌いになってしまっていたし、バレエは椎間板ヘルニアになったときにもうできないと思っていました。

それが60歳から、今のそれらとの関わり方は以前のそれとは違うものの、そこへの理解は深さをともなって、再び私の心から浮上してきました。それはきっと当時よりも純粋なものとしてやってきたと思います。

これは、もしかしたら、心に関することをこの20年にやってきたからではないかと思います。魂の根っこと芸術の根っこは同じところにあって、切っても切れないものでもある気がします。

「私にはやりたいことがないんです」「私には趣味がないんです」という方は意外と多いのですが、こんなふうに衝動的にくるというときもあります。やりたいこと、趣味、好きなことを探すのではなく、自然に心の底からやってくるのを待ってあげるということもまた良いと思いました。

砦の中で欲しがらない
2019/07/14

きのう書いた砦ですが・・・・。

その確固たる(と思っている、又は無意識)砦はそのままにして、新なものを知りたい、手に入れたいと思う方がほとんどです。

これはそのようにしてずっと私達は生きてきていて、何も失うことなく、新なより自分が安心できるものごとを手に入れていくことが、賢い、お得、知識が豊富と思っています。より自分が安心できるものごとを欲するのは砦は何か違うと心の底で感じているからだとも思います。

しかし、新なものごとは何かを失うからやってくるもので、ぱんぱんに持っているところにやってくるものではありません。

ここの理解と、勇気が必要になります。

私も、何かを失うことは怖くて、嫌で、それを確保しながらより自分が楽になるものを探し、試していた時期がありました。しかし、それは入ってきたものも上滑りしていて、自分の心にしみ込むことができませんでした。欲張ってしまうとこんな感じなんだなと思ったことがありました。

何かを失う、というととても嫌なイメージがありますが、一度それを体験すると、自分がどんどん自由になっていくのを感じます。そして「自分、どうにかなるな」というあわい自信を持つことができるようになります。

この状態を自分の心の中に創っておくことが、精神的・霊的成長と進化と言えると思います。上がればあがるほどシンプルになっていくというのはその現れです。

砦の中で欲しがらない。砦を出て、新な風に吹かれてみよう。その風が必要なものを運んできてくれて、卒業したものごとは取り去っていってくれます。

2019/07/13

・・・自分の砦・・・という話をお会いした方としました。

砦は敵の攻撃をくいとめるものですが、人はそれぞれの砦をつくって他人や自分に向かってくる物事から自分を守っているという話でした。

砦の中にいる自分は柔らかく、弱く、ちょっとした力を加えられるとつぶれてしまうような存在です。そういう自分を傷つけられないように、やられないように、それぞれの砦をつくり、その中で生きていきます。

砦には色々なものがあります。ある人は財力という砦、ある人は知能という砦、ある人は家柄という砦、ある人は経歴という砦、ある人は美貌という砦、ある人は名声という砦。それが自分を守ってくれる。それがあるから生きていくことができる(・・・・・ということにもほとんど気付いていないんですが)ですからその砦をより頑丈なものにしていくこともやっていきます。

しかし、これらの砦は黒パターンがつくってきたものなので、自分に向き合うことでそれは崩れていきます。今まで信じていたものががらがらと崩れ、柔らかく、弱い自分が表に出されることになります。それは怖いと思う、それは不安だと思う。しかし、重く、固い砦から出ることで、本当の意味での強さや自由やのびのび感や生きている実感を、そして、きっと生きる意味を獲得していくことになります。

傷つかないように、怖い目に合わないように、砦の中で小さく生きるか、それとも、勇気を出して砦を壊し、砦の外に出て生きていくか。どちらを選んでもいいです。ここは人の自由意志です。

みんな砦をもっている、ということはみんな怖がっているということです。でも、砦を出て自分の足で新な世界に立ってみると、なんでもっと早くに砦を出なかったのかときっと思うと思います。

今の自分は何とつりあうのか
2019/07/12

「病気、不幸、不運とつりあわない自分」という言葉を見ました。なるほどと思いました。

病気、不幸、不運にはそれぞれ波動があります。そこと自分の波動が同じであれば、つりあいがとれることになり、それは起こりやすくなります。同じものとはひきあいます。

ということは、それらとは違う波動の自分であればそことの縁はうすくなっていくということです。

この言葉は一見すると、このようにアファメーションをしていけばいいんだと思えるものです。そうやってこの逆にある、健康、幸せ、幸運をひきよせればいい・・・と思うと思います。

そして、アファメーションをすることで確かに変化してくるものごと、時、はあります。しかし、単発的です。そこに継続がありません。私もそれは体験があって、欲しいものを得たものの、それは継続せず、おまけに自分と他人にとっても善くないものを残しました。これは、自分の黒パターンを動機に行ったものなので当然そういう結果になります。

それ以来、アファメーションは「世界が平和になる」「皆が幸せになる」「大地が喜んでいる」などにしています。

今の自分は何とつりあうのか。ここを見てみるといいと思います。これは「病気、不幸、不運」だけのことではなくて、日々のあらゆるものごとも自分につりあったものでできています。その人の周り(物質だけではなく)を見れば、そこにその人が現れていると言えます。

そして、もう少し積極的に自分はどんなものとつりあう人間でありたいのでしょうか。

秘儀といえるくらい・・・・
2019/07/11

沖縄に到着した日、那覇は大雨でした。傘は持っていない。

モノレールの駅から徒歩2分ほどのホテルなのに、傘なしではどう見ても無理だろう、と雨に濡れないで傘を買うために隣接しているデパートで傘を買うことにしました。「あーーあ、持ってくればよかった」と後悔してもすでに遅し。

傘売り場を見ると、ちょうどセール中でした。この時期に出ている傘だからか、雨用と日傘用と両方に使えるというものが多く、それを買いました。おかげで、太陽が出たときの日傘としても使え、結果よかったです。

さて、苦しいときって、苦しみを大きくしがちです。例えば、体調を崩して仕事を休まなくてはいけないときなど、体調を崩したことだけでも身体が苦しいのに、そこに、仕事場に迷惑をかけてしまってどうしよう、同僚や上司に使えない人だと思われるかもしれない、そうしたら、仕事がなくなるかも、辞めることになるかも、そうしたら次は見つからないかも、そうしたら生活できない、そうして、また体調を崩すかも、そうしたら・・・・と先々まで考えてしまい、身体の苦しさだけだったものが、気づくと苦しみが大きくなっていて、こんがらがっていて、どこをどうしたらいいのかがわからなくなっています。

そうやって、ますます苦しくなっていきます。

語りかけのときにもよく言いますが、とにかくシンプルに、今起きていることを(まず目の前のものを)ひとつひとつ向き合っていきます。これは語りかけにおいても、人生を生きていく上でもすごく大事なことです。

目の前に起きていることだけに向き合うということは、何を優先したらいいのかを考えることです。この場合は、とにかく寝て体調を戻すということです。寝ている間は意識して、色々考えないようにして、治すことに専念します。

目の前のひとつひとつに向き合うこと、そうやって苦しみを重ねていかないこと、これは、人生を渡っていくうえでの秘儀といえるくらいパワーのあることです。

ぜひそれを日々の中で使い、練習し、いざというときスムーズに使えるようになっていってください。

正直であれ
2019/07/05

自分に正直でいることは大切。

自分はこうしたいと思っているのに、本当は自分はこんなにつらいのに、相手に悪いから、とか、ダメな人だと思われたくないから、とか、皆やっていることだから、とか、と、自分を胡麻化し続けていると、自分がどんなことを感じていて、どんなことを考えているのかがぼやけてきます。そして気付いたら誰かのために自分を使って生きていたということに気づきます。

よく自分に正直だと周りに迷惑をかける、無責任と言われますが、周りに迷惑をかけないように、何でも責任をとって(たぶんここでの責任は初志貫徹のようなものなんだと思う)という在り方、生き方自体が自分に正直ではないので(そんなことが出来る人はいないので)それはどうするんだ、という以前のことだと私は思います。

私もかつては、周りに迷惑をかけないように、誰も傷つけないように、一度口にしたことはやり通す(これらも誰かにだめな人だと思われたくなかったから)などやってきましたが、それを守り続けるために・・・・・疲弊しました・・・・・。

自分に正直である人は、他人のそれも認められるので、その上でどうするのか、と考えればいいのでは?と思います。これも他人とのコミュニケーションですごく大事なところだと思います。

今日はこれから沖縄へ行ってきます。梅雨明けしたと聞いていたので久々の太陽をあびられるだろうと思っていたらずっと雨、曇りらしい。それでも、楽しく、いいクラスを行ってきます。皆さまもどうぞお元気でお過ごしください。

流れる時代
2019/07/04

自分と他人を比べて、悔しがったり、焦ったり、優越感にひたったり、過去の出来事を悔やみ、許せずにいたり、いつもうまくいかないことを嘆き、自分を否定したりと、人はそれに飲み込まれ悩みます。そして、それを変えたいと口にします。

しかし、それはまだ余裕があるというか、まだいよいよじゃないんだと思います。それが悪いと言っているのではなくて、現象としてそうなんだな・・・と。

エックハルト・トールさんが「人が自分の変化に向けて自発的に動くときとは、もう、こんな苦しみはごめんだ、もう、十分だ、と本人が思ったときで、それまでは人から何をどう言われても人は動くことはない、だからもっと苦しむ時間を与えてあげましょう」と言っていましたが、これは、本当だと思います。

いよいよ、もう、嫌だ、こんなに苦しいのは、もう、ごめんだと思った人のカウンセリングにおいての姿勢は、こちらを圧倒するくらいのものがあり、原動力とか、瞬発力とか、感受性とか、理解力とかが総動員して、今までの人生を取り戻すかのように自発的に活発に動いていくものなんだなと実感することがありました。

しかし、何度も言いますが、そうならないからだめとか、そうなるから素晴らしいとかではなくて現象としてです。人にはそんな要素があるんだな…と。

そして、ずっともんもんしている時間も今その人はそれが必要だからそうであり、もう、この苦しみはごめんだというとき(それはもんもんをやり切ったときであり)も必要だからそれが来たということであり、どっちが優れているというものでもありません。全てタイミング。その人が決めることです。そして、決めたときには誰が何をいわなくても自ら動き出します。

だから、ただただ、私は目の前にいるその人の今の状態をみながら、いればいいんだということがよくわかりました。これ、カウンセリングの基本中の基本なのに、どこかで忘れていました。

忘れていたときには、それを指摘してくれるような方が現れ、いやーーーー日々勉強です。カウンセリング歴20年だから、自信があるとか、それなりのものを創ってきましたとか、全くそんなことは言えないのだ、と肝に命じました。

令和の時代に入ってからのゆさぶられるような変化を心身に感じながら、でも、どこかでそれを嬉しく、楽しく思い、やるべきことをより努力してやり、それが宇宙の、天の意思にそうものであれば、いいあんばいに流れるだろうし、その意思にそわないものであればストップをかけるだろう、と、私が受け取るものはあちらにゆだねて日々送っています。

このスタンス自体が私はとても気に入っていて、嬉しいものです。このスタンスがいかされる流れる時代。

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

- Topics Board -