| 思考について |  - 2025/06/17
 
  - 熟考は私も好きで、時々やりますが、1回を短い時間にしています。というのも、集中して考えても、わからないものはわからないからです。ずーーーと集中し続けてわかればいいけれど、わからないんです。この、あいまいなままいることがほとんどの人は苦手です。
  でも、そういうものだと思っています。自発的に考えることは大事だし、好きだけど、それへの気付きとか、それへのその時の答えとかは自分で導きだしているのではなく、あちらから与えられていると実感しているからです。そして、それは最終的な答えが与えられているのではなく、次に続くものでもあることがわかります。その人に今、あったものが与えられています。
  そして、もうひとつ思っているのは、人は万能ではないということです。なんでも自分で考えればわかる、解明できると思っている人が多いことに驚きます。それは自己探求においても、行きつくことができると思っているかも。しかし、それは無理でしょう。あちらへ帰ってからもわからないでしょう。それが人なんです。
  現在、宇宙について解明されているのはごくわずかであり、それはあらゆるものがそうだろうと思います。それでも私たちは生きている。わからないことがあっても生きています。生かしてもらっている。
  ですから、自分でわかろうとする追い詰める思考、決定付ける思考、本当の所を知りたがる思考をしないということです。そうしているのは、黒パターンです。そうであると、思考することを深刻にしていきます。とにかく答えまで出す、というような。これは、何かについて納得したがっているパターンです(今の状況を不安定に感じているから)本当の所がわかれば安心できると思っている。でも、本当のところもない…続きがあるからです。しかし、パターンはこのことは知らないので、自分でわかることができると思って思考します。おちつきどころを探したり、自分の意見に近いものをさがしたりしながら。でも、パターンなんです。
  ここで必要なのも、そのパターンがあるということを認め、それへ語りかけをするということです。誰が、そうしたがるのか、しているのか、を見極めていくことです。何故?とパターンに聞いてみてください。きっと思いを言うと思います。
  思考はごくごく自然に行われがちですが、ここに思考の罠があります。思考にこそ、誰が?という目で見ていく必要があります。    
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