逆のほうから… | - 2025/04/27
- 誰かの言動に、腹がたったり、傷ついたり、その人を嫌いになったり、落ち込んだり。それは、とってもざっくりと、ちょっと乱暴に言ってしまうと、その人に甘えているということです。
甘えているというのは、その人の「せい」とパターンは思っている。それは、自分の内に起きていることは、その人に甘えることで、自分の「せい」ではないと思いたいのか。又は、自分の内に起きていることを自分では持ちきれないから、その人の「せい」にしてその人に変わってもらおう、責任とってもらおう、気を付けてもらおう、気付いてもらおう、としたいのか。
・・・・・と私は思います。
これは他人には甘えてはいけないと言っているのではありません。こういう甘えを他人に期待していても、らちがあかないよ、ということです。いくらそれを続けても、そこにやすらぎはないし、いつも自分の後始末をしてくれる誰かを側に置いておかなければなりません。これこそかなり大変なことです。
自分の内に起きたことは自分の責任なんです。でも、だからこそ、自分の内がどんなだったら、自分は嬉しいかな、おだやかかな、と、先にこれを考えると、いま、目の前にある物事に自分がどんな意味づけをしていったらいいのか、何を選んだらいいのかがわかるかもしれません。
こんなふうに逆のほうから考えてみるとわかりやすいかも。望む心の状態のために自分で用意する。自分で使う。だからその結果がやってくるということになります。
まだ何も確定しない波の状態の世界に、自分が選ぶ意味づけ、選択というもので波が粒になり、現実に現れてくる、ということからも、人が選ぶもの、決めるものが全てスタートになるんだと言えると思います。
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