| 草ぼーぼー | - 2025/08/17
- 昨日は、お墓参りに行ってきました。朝、9時半にお寺に着き、まだ、それほど暑くないので、ちゃっちゃと掃除して、お参りして、早く帰ろうと思いながら墓石の前に立ってみたら…す・すごい、草ぼーぼー。
前回来たのは4月後半。その時はそれなりにきれいにして帰ったのですが、わずか数か月でこんなにも草が伸びて、増えているとは・・・・・。「はぁ〜」とため息が出ました。
こういうときは、気持ちを新にし、より集中してやっていこう、と気持ちを切替え、まず、草抜きと枝切と蔦をとることに取りかかる。暑い、でも、集中。よし草終了。次は水を汲んできて、墓石を洗う。自分にも同じように水をかけたい。でも、集中。よし墓石終了。次は花立を洗い、持ってきたお花を供える。よし、終了。次は古いお塔婆と新しいお塔婆の交換。よし、終了。次はお寺さんにご挨拶をして、お線香をいただき、供え、お参りをしました。
帰りの電車を駅のホームで待っているとき、さきほどの集中を思い出していました。この集中度は以前よりも今ここにいることが普通になってきていると気づきました。そして、実は、今しかない、ということが少しずつ心身で感じられるようになってきていることも(今しかないから今何を選ぶのかが重要になる)過去も未来もなく(意識的にそこにフォーカスすることはもちろんできるのですが)この今だけだ…と。その今もすぐに過去になる。そして、過去のことはどんどん流れていく。ただ、在るのは、今、ここだけ。これでいると、以前よりもっと生きることに軽さを感じます。
あんなに苦手であった瞑想を始めて3ヶ月くらいになります。今回の気付きは、それによる効果ではないかと思います。瞑想といっても難しいものではなく、マインドフルネス。それも10分くらい。寝る前にやっています。時々日中も。そして、今はそれが楽しみでもあります。
以前は苦手だった瞑想は楽しくはなかったんだと今わかります。それは、何かを得るために行っていた瞑想だったので、楽しくはないはずです。修行っぽい。こなしていく感じでした。楽しくないから何も変わらず、増々嫌になっていっていました。
こうしてみると、自分が楽しいと思うことをやっていくことが一番なんだと思います。瞑想はお勧めしたいですが、誰にもタイミングがあるので、無理してやることはないです。しかし、瞑想の最中をいい気分でいられたり、行うことが楽しいと感じる方には何か自分の心身によきものを与えてくれるものだと思います。
そして、常に瞑想の感覚でいるということが、なんか、わかりかけています。それは「私」の納得感に基づいているものだと思った。「私」の納得感、それはゆらがないもの。実は昔からわかっているもの。
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