ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

決めつけから離れる
2024/08/14

黒パターンは、頑固な決めつけをしています。

「自分には自信がない」「自分はダメだ」「自分には無理」「きっとできない」「社会とはこういうもの」「人生とはこういうもの」「成功者とはこういう人」「絶対なるものがあれば大丈夫」などなどなど。まだまだ他にもあります。

そして、それぞれの黒パターンはそれを決めつけています。そこにはパターンの言い分があります。パターンは実際体験したことや、ずっと親や周りの人たちから言われ続けてきたことや、同じことを繰り返すうちにその決めつけを強め、どんどん大きくしていってしまいます。

いずれそれはごくごく普通のこととなり、そうであるから、何の疑問を持つこともなくそれに合わせて生きていくようになります。そして、自分でも気付かぬうちにパターンが「その人」になっています。その大きなパターンがその人になってしまっている、ということです。

多分、このことをもって「あの人って偉そうだよね」とか「あの人って弱そうだよね」と、他人がその印象を言うのだと思います。それはその人の印象と捉えていると思いますが、そうではなく、パターンが人格化した状態であり、本来のその人ではないと私は思っています。そのパターンが王になっているということです。

黒パターンに力があるのではなく、決めつけでしかないのです。本当は多くの選択肢(それに対しての意味づけ)があり、その中から自分に合うものを「私」が選んでいいようにできているのに。そのことを知り、そのことを少しずつ受け入れ、新な行動を継続することで(白パターンを選ぶことで)その決めつけから離れていくことになります。

で、白パターンとしてよく使うものとして「○もしかしたら、もう、自分には自信がない、と決めつけなくてもいいのかもしれない」というものがあります。この白はどの黒パターンに対しても使えます。「もしかしたら、もう、○〇と決めつけなくてもいいのかもしれない‥‥(←この‥‥の持つ余韻、そしてもしかしたら、という今まで全く思ってもみなかったことへ、新しい風を吹き入れる言葉が大事)」と言う白パターン。

そしてその白パターンの部屋から聞こえてくる言葉は…?自分のモチベーションを上げ、よし、進んでいかれる、進もう、進みたい、という気持ちを生み出す光の言葉。それを豊かに、たっぷりと、響かせてみてください。

そこにあらわれる世界を感じてみます。人は、気持ちのよいものを選びたいんです。魂は真・善・美に向かいたいからです。その在り方が本来のものだからです。そして、気持ちのよいものは白パターンが持っています。

学んできたことの質を上げていく
2024/08/13

今回の2日間岩手クラスも無事に終えることが出来ました。感謝です。

台風5号、皆さんはどうだったのだろう。色々な災難が無事に過ぎていかれるように、大難が小難になっていかれるように、祈り続けよう。

備えをすると同時に、覚悟しながら、でも、過敏に神経質にならずに、やはり、感謝を持っていきたいと思います。そして、今まではこうして自由に動けることがあたりまえであり、クラスが普通に開けることがあたりまえであり、でしたが、そういうことでもないということを今は思います。毎月のクラスが開けることは普通のことではない、特別なことなんだと思いました。だから大事にしたいです。

今回の岩手クラスも、ぐいぐい行われました。で、よく起こることですが、今までのやり方が間違っていたことに気づいたり、今までやれていると思っていたけれどそうじゃなかったことに気づいたり、ということは誰でも、あることです。

そのときに、それは自分がダメだったのではなく、自分はできていなかったのではなく、今までが無駄だったのではなく、今までのやってきたことの質を上げていくために新しいことを学んだ、知った、と捉えていけばいいということを話しました。

実はあらゆることの学びはそうだと思います。あるところまでできるようになったころに、それについての新しいことを学んで、知って、今までのものがより熟成されていくということです。この感じを大事にしてほしいです。

今まで間違えていた、できてなかった、では、今までのものを切り捨てて、新たにやっていくということになります。そうではなく、今までのものをよりよいものにしていく、ということで、それは以前からこれからまでずっと繋がっています。そうやってひとつのものごとを自分が創っていっています。

次回、10月は岩手、茅ヶ崎の合同セミナーです。無事に皆が集まって開催できることを今から願っています。

しとめる
2024/08/07

マンション住まいのよいところ(何階に住んでいるかもあるけれど)は、虫に悩まされないところかも。特に虫が苦手な人はそう思うかもしれません。

私は、蚊が苦手です。夏場、樹々のあるところへいくと必ず刺されます。それも連続でいくつも。皮膚が薄いのか、その刺されたところが痒みと痛みで熱を持つ感じがして、すぐに薬を塗るもおさまりが悪い。

そんな私にはマンションはありがたいのです。実際、部屋の中で蚊に刺されることはありませんでした。

で、先日、明け方、なんだか足の甲が痒い、痛い、熱い。そうしたら耳元で「ぷ〜〜ん」という蚊の飛ぶ音が聞こえました。飛び起きてみたら足の甲はあの蚊特有のぷっくり跡がありました。それも4個。「やられた」と思ったと同時に「しとめる」と思いました。

部屋の扉をしめてこの部屋に蚊をとじこめ、探しました。殺虫剤という方法もありますが、できれば使いたくない。しかしいくら探してもみつからず。とりあえず、部屋をしめたままにして用事をすませて、また数時間後、部屋に入りました。やはり姿は見えず。

これは、おびき出すしかない、と思い、足と腕を出してそのままじっとしていたら、きた、きた、腕にとまりました。慎重に叩く、しかし、逃げられる。逃げた先を目で追いながら、近くに会った雑誌を手にして…タンスにとまったところを一気にたたきました。

で、しとめたんですが。大きなやぶ蚊でした。これで今夜は安心して眠れるとほっとしました。

蚊1匹のことでこんなに大騒ぎするのもおかしな話なんですが、私にとってはけっこうなできごとでした。この高さでも蚊はやってくる、というのが教訓でした。

今日はこれから盛岡へ行ってきます。6月の合宿をお休みしてしまい、今月合宿ができるようになりよかったです。2日間あるので、ゆっくりと、じっくりとやってきたいと思います。暑さも続きそうです。皆様、どうぞお元気でお過ごしください。

だから、この、今を…
2024/08/06

誰でも、スタートは同じところからです。きっと全員が過去世でクリアできなかった課題を持って、この2極の世界にやってきて、その課題が何であるか、自分とは何かを忘れて、圧倒的に人数の多いところでの生活をはじめていきます。

そこは黒パターンが普通であるところです(黒パターンだから間違っているということではありません)そして、そこで一生を終える人がほとんどだと思います。

多くの人がそうであるので(群集心理がはたらく)自分とは、人生とはこんなもんだと思います。

しかし、そこではないところへ向かおうとする人たちも数は少ないかもしれませんがいます。歴史上にあらわれた素晴らしいマスターたち。その方たちはまさにそういう方たちであり、新なところへ向かおうとしている私たちの背中を押してくれます。

で、それはどういうことなのか。今まで自分が信じていた、信念、あまりに普通になりすぎている物事、を見直し、そこはもう十分にやったのでそれではない物事を選び続けていくということです(しかし、以前の信念を削除するということではありません。時にはそれも必要になるので持ちながらです)

そのために必要になるのが「勇気」そして「意志力」「継続力」です。人は誰でも今までやったことのないことをやるのはとても怖いのです。未知のものなので。でも、そこへ入っていかなければその先にあるものへ到達できません。自分がそれをやりたいかどうかだけなんです。

今日は、広島原爆投下から79年目の日です。犠牲になられた方々がどうぞやすらかでありますように。そして、同時に、自分がどんなに恵まれているのか…と思う。

自分ひとりの心の世界の責任を自分が負うことに向き合う、という今までの信念とは反対にあるものへ向き合えるという事はとても恵まれていることです。だから、この、今を有意義に使う。

とてもよかった
2024/08/05

7月29日の日記に書いた、この夏に絶対やろうと思っていた「大人のインナーチャイルド(?)に会いにいく」というやつ。やっております。8月は強化月間。

思い出した自分…10代〜50代のそれぞれの自分がいました。その数6人なので、連続で会いにいっています。

さすがに10代、20代はだいぶ弱っていました。まだ、何も自分を救う術を知らない時の自分。外見を笑われて、ドン引きされて、かなり傷ついていました。

10代の私には、ただただ、一緒にいて抱きしめて、話すことがなくても隣にいて、そして、少しずつそのときの自分が何を考えていたのか、どうしたいのか、などなど話を聴いていくと、家族の問題なども出てきて、心を痛めていたんだということがよくわかった。10代の私はひとりになりたい、ということだったので、今は家族から離れて好きな場所で大好きな犬や猫や鳥といます。10代で(いや、どの年代でも)家族の問題を背負い、自分を後回しにしなくていい。

そして、20代のときの私も、隣に一緒にいることと、そのときの私が好きだった音楽を、つらいできごとがあったけれど、その音楽のほうへ向かうことでこの先があることを伝えました。音楽を聴くその感性があることを一緒に確認して、それを喜ぶ。そう、好きなんだよね、音楽。音大では挫折の連続でしたが、音楽は好きだったんだ、ずっと、と思いました。

30代の私は、今までの人生で最悪の出来事があった時の自分です。そこで受けたショッキングなできごとに混乱していました。今までなんでほっておいてしまったんだろうと反省。今、一番時間をかけて話しているのはそのときの私です。まだ、まだ、一般的な常識にがちがちに囚われている自分。でも、自分に疑問をもってもいて、でも、どうしたいのかもわからず。きっと元気を取り戻しつつある、10代、20代の私がこの30代の自分の力にもなってくれると思います。その自分とは、もう少し、時間をかけてもっと話をしてこれからのことを一緒に考えていきたい。

その後の40代、50代(2人)と続いたわけですが、この3人からは「それ程のダメージじゃないから大丈夫」と言われました。その大丈夫という根拠もちゃんと持っていて、笑ってしまうようなものでした。

こうしてみると、40代以降はそれなりに自分を生きていたんだとわかりました。まだカウンセリングをやり始める前の頃から、自分なりに他人の言葉や態度に対してまだまだ脆弱でありながらも自分の考えとか、生き方を持つことへ向かおうとしていたようです。

こうして過去の自分が今の「私」に教えてくれます。今の「私」が彼らを守るということだけではなく、今まで見落としていた部分を彼らが教えてくれました。今回、これをやってとてもよかったです。

自動思考
2024/08/04

『黒パターンを持ちながら「私」としてどうありたいのか』ということ。くどくて申し訳ありません。でも、ここだけと言ってもいいくらい、ここ‥なんです。

以前どなたかが本に書いていましたが「腐ったリンゴの中からフレッシュなリンゴを選ぶ」…この感じだと思いました。黒パターンは決して腐ったリンゴではありませんが、フレッシュなリンゴがあるのに、それを選ばずに腐ったリンゴを選んでいては、結果は苦しいです。

そして、パターンの反応を「自動思考」と一般的には言われているということを先日知りました。以前から「自動思考」という言葉を耳にしていたのですが、何?…でした。

「自動思考とは、状況に対応して非常にすばやく、自分の意志とは関係なく自動的に湧き出る思考を指す」(Wikipedia)とありました。

これって、道場で言うところのパターンの反応のことです。人の持つパターンがそのように反応してしまうのは仕方のないことです。

それゆえ、スピ界やカウンセリング界において「自動思考」と名前がつけられるくらいのものとしてある。それによる苦しみがあるのです。

それについて、自動思考は抵抗せずにそのままにしておけばいい。それはただ起きているだけだから。自分の意思ではコントロールできるものではない。それをただ眺めていく、というスピ的考え方から、その自動思考を止めることはできないけれど、それが暴走してしまうことで生活に支障が出てしまうこともあるので、できるだけその思考を止められないものだろうか、というところに着目している、カウンセリング的考え方もありました。

例えば、自動思考で頭がいっぱいになってしまっているが、それは本当なのだろうか?こう考えられないだろうか?より、理性的な考え方に置き換えられないだろうか?又は、瞑想や運動をしてその思考から離れる、などなど。

一般的にも問題視されているものでした。・・・ということは、人にとって自動思考とはやっかいなものと意味づけられています。しかし、そうなのだろうか。パターンが瞬時に反応するのはごくごく自然なことです。彼らの役割だから。それをやらせてあげながら「私」がどうしたいのかということでいいんじゃないだろうかと私は思います。

そこにもともとあるものを何ひとつ変えずに、より、気持ちの良いものを選べば、反応してしまうパターン、自動思考してしまうものも本来のままいられます。自分の内を自分が(パターンが)思うように整えたいということをパターンは望みますが「私」はただただあるがままなんです。

今、怒りが湧いてきていてそれをつくっているパターンはこれで。でも「私」はそれではない、というスタンス。平和的解決だと私は思います。

「私」優勢にする
2024/08/03

黒パターンがなくなることはありません。

いや、なくなってはいけないものです。なくなってしまったら、とたんに人間としての質が下がります。

語りかけでも言っているように「あなたはそのまま、そこにいていいからね」です。決して「あなたがいると大変だから、もう、いなくなりなさい」とは言わないです。それは、この宇宙の在り方に反しているもの(陽と陰)だからです。

黒パターンは本来必要であるもの。そして、彼らは彼らの役目をはたしてくれています。どんなに暴れても、傷ついても、悲しんでも、悔しがっても、彼らの仕事はそういうことです。

で、大切なのは、その黒パターンを持ちながら「私」としてどうありたいのか、です。パターンが暴れているときにそれを持ちながら「私」はどうしていきたいのか、何をするべきか、どうしたらいいのか…とちょっとパターンを超えて考えます。この状態のときにはパターンと一緒にいながら「私」が優勢になっています。

ここで、そのネガティブな感情や感覚をどうにかしようとするパターンに従ってしまうのではなく、パターンがそういう状態であることはわかっていながら「私」を主にしていきます。

パターンが瞬間的に反応して、感情がぶわーーと出てきて、一瞬それに飲み込まれ、でも、そのあとに「私」を優勢に持ってくる。でも、これは黒パターンを抑圧しているのではなくて「私」優勢を今選んでいるので、後からパターンには語りかけをしてください。

この状態を少しずつ持てるといいです。パターンの生み出す感情に飲み込まれていいんです。私も飲み込まれます。しかし、そのままにしないで、そのあとに「私」を優勢にすることをしてみてください。自分の意思で、自分を動かしていきます。

これができることが人間としての質を上げるということではないだろうかと私は思っています。初めから、これができる人はいないです(多分、そうであれば人間に生まれる必要はないと思うから)。

とにかく練習をすることです。そこでの努力は報われると私は思います。

「ない」から「ある」へ
2024/08/02

自分を褒めてあげよう、とよく私は言っていますが。

私たちはどうしても自分の出来ていない(…とパターンが思っている)ところや、足りてない(…とパターンが思っている)ところに目がいってしまいます(…と「私」ではなく、パターンが物事を見ている)。そして、そこを変えよう変えようとします。それもパターンが望んでいるようにです。

私たちは、子供の頃から、ここができていない、ここが足りていない、と、言われてきていたので(なんでもできることがいいことだと)それはパターンとして刷り込まれ、どうしてもそこは過敏に反応してしまいます。

しかし、それはパターンのせいではないし、誰かのせいでももちろんありません。気づいたのであれば、自分で変えていけばいいだけです(この単純さを持ってください)。

で、そのひとつとして、自分を褒めてあげよう、なんです。

自分を褒めるなんて、何でもできる人だけに許されることだとパターンは思っているかもしれませんが、自分という人間を俯瞰して、昔の自分と比べて見てみれば、褒めるところ満載であることがわかります。

この視点を持ち、できてない、足りてないという「ない」から自分を褒めることで「ある」に目が向くようになります。自分にはこれもある、これもある、と、ある、あるになっていく(あるのカードを引き続けている→量子動く)。そして、脳は「ある」を見つけようとし、そこへつながることを考えます。

ただ、このある、は、他人と比べて、他人よりも優れているところや、成功体験や、人から褒められたことなどを思い出して自分を褒めてあげようということではありません。そこには他人は出てこないし、今までの成功体験ではないし、他人から褒められたことでもありません。

自分にしかわからない自分の成長、進化、気付き、そして新に行動したこと(←これが最も大事。勇気を使うから)それによって、得た結果(結果は本来おまけ)など。自分が意識的に得てきた自分だけにわかるもののことです。それを感じられるのは自分だけ。だから自分を褒めることができます。

「よくやった」「すごいぞ自分」「私って天才」「たいしたもんだ」「自分、最高」などなど…なんでも。他人に聞かせる言葉ではないのですから(私は他人にも言うけれど)オーバー気味に単純に言ってみてください。それがスムーズに自然に言えるようになったころには今迄の自分には「ない」から「ある」に変わっています。

エネルギーチャージ
2024/08/01

思考するよりも感じることを勧めるのは、感じ得たよきものは自分の中にストレートに蓄積され心身を育て、自分を健全にし、元気にしていくからです(よきものを思考していくこともよいことだと思いますが、そこは脳内でとまってしまっているような気がします)

いつもよい気分でいる、とか、いつもいい感じでいる(「私」にとって)というのは、この蓄積を増やしていくことになります。ですからこれを続けていけばその蓄積されたエネルギーは増々大きくなっていきます。

逆に、いつもよくない気分でいる、とか、嫌な感じでいる、不安でいる、怖がっている、というのは、蓄積していたエネルギーが漏れていってしまいます。従って元気がなくなり、沈みがちになります。

例えば白黒ワークを自分で誘導するときに、黒パターンの部屋での言葉はどんどん出てきますが、白パターンの部屋での言葉は…う〜〜ん‥と考えてしまいがちです。ここでこそ自分の心身に響く言葉をふんだんに使い、それを心身で感じ、味わってください。1日1回、白パターンの部屋に入り(お風呂に入るように)そこでの言葉を深く味わうのもいいと思います。このワークはエネルギーチャージが行われているということです。

で、白の部屋の言葉です。ここが重要です。自分で誘導して、自分の心身を上げるような言葉。まだ今はそうではなくても、その言葉にどこか希望があり、光があり、そちらへ行ってみたいと思うような言葉。その言葉をどんなテンポで、どんな声で、どんな表現で心へ響かせるのか…。ここが白黒ワークの醍醐味と言えると思います。

そしてそれが自分に対してできるようになれば自然と他人に対しても行えるようになります。そうであればわざわざ他人を誘導するための練習をしようということは必要ではなくなります。まず自分で色々と試してみてください。それを繰り返しているうちにきっと、良いエネルギーが自分の中に蓄積していく感覚がわかるようになると思います。それはとても力強いものなので、それを絶やすことはもうやらない、ということをいつも選ぶようになっていくとも思います。

自分のパイプ
2024/07/31

自分のパイプは自分だけ。自分しかいません。

ひとりひと宇宙とか、人の数だけ宇宙があるとよく言われますが、これも同じことを言っています。

ですから、もともと、自分のパイプに他人ははいれないようにできています。そして、他人のパイプにもはいらない(でもそれは他人には一切関与しない、関心を持たないということではありません)こうして在ることで、人は初めて自分主体で生きることができます。

他人に合わせることや、他人の期待にこたえること、他人の常識や知識に自分をあてはめていくことは他人の人生を生きていることになります。自分のパイプの中にひとりでいることで自分はどう在りたいか、という、本質的な自分への問を持つことができます。

それは自分を大事にすることであり、そもそもの自分に戻ることです。そして、その体験があるから他人のことも大事にすることができます。

自分のパイプの周りをみると、家族や知り合いのそれぞれのパイプが見えます。その中では皆がそれぞれ生きているのが見えます。そう見えるということだけで勇気がわくし、応援もしたくなる。皆パイプの中で生きているという共通の条件の中にいるんです。もともとそういうふうに創られているのだから、幻の物質世界にいるよりも現実的でリアルな世界なんです。

そんな根拠もないこと、信じられないと思う人がほとんどです。しかし、自分に向き合うことを続けていけば、自然と、その感じがわかってくると思います。パイプは目には見えないし、手で触ることもできないけれど、なんか、それのほうがしっくりくる、とか、安心する、とか、心のカラクリから始まっていままで学んできたことの全体象が見える、とか、感じられてくるのではないかと思います。

仏陀の言った「自分を洲(しま)とし、それを拠り所にしなさい」というのもきっとこのことだと思います。これは人が生きていく上で最も大事なことです。

そして、その大事なことを土台にして生きることが正しく生きるということです。そして、その正しく生きる生き方が損か得かや、安全か危険かや、こうしていけば自分が変われる、変われば幸せになれる、というところではないところで在ることが純度が高いということです。純度が高いとは心がきれい、優しくなるということではないんです。その在り方をしているうちに気づけば心も澄んでいたというものです。これは語りかけや白黒ワークを正しく行っていくうちに自然とそうなっていきます。だから、正しく、純粋にと思わなくていいということです。

ひとりだけのパイプ。清々しく、どこにいるよりも安心できて、やすらぎのあるところ。実はその中で誰もが日々を生きています。

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

- Topics Board -