他人の目 | - 2024/09/28
- 他人からどう見られたいのか…というところは多かれ少なかれ誰もが持っているものだと思います。
どう見られたいのか。幸せそうに見られたい。うまくいっているように見られたい。仕事ができる人に見られたい。頭がいい人だと見られたい。人格者だと見られたい。才能がある人だと見られたい。優しく、心の広い人に見られたい。抜きん出ている人に見られたい。成功している人に見られたい。などなどある。
しかし「見られたい」って、どういうことなんだろう?見られたいのだから「自分はそうです」という事でもないような気がします。そうじゃないからそのように見られたい。そして、そのように見られたら、どんないいことがあるんだろう?それで自分に自信が持てたり、自分の価値を感じられたり、安心したり、するのかも。
だけど、実際そうじゃないから、そこはとても危うくて、そこを確保するためには自分をそう見てくれる人を探し続け、その人を自分のそばにおいておくことに必死になることになります。そうやって人生を過ごしてしまう。
という、不自然で、複雑で、やっかいで、大変なことを人はやろうとします。そのエネルギーがあったら、今の自分を認めることに力をそそいだほうが全然いいのにと私は思うけれど。
実際、他人の目ってその人その人のパターンで見ていることがほとんどです(この人はすごいとか、この人は大したことないとか)そして、他人が自分に対して持つ印象とか、イメージとか、自分に向かって発する言動とか、も自分がパターンで受け取っていることがほぼほぼです。そこで腹がたったり、傷ついたり、焦ったり、不安になったりします。だから、こう見られたい。
そこがわかると、それはそれとして、というところに自分が立つことになります。そこで初めてお互いのパターンであることが理解できて、じゃあ、自分はどうするのか(他人にはその選択はないので)と自分が自分に向かっていかれればいいんだと思います。その練習を重ねていくことで、こう見られたい、からは離れていきます。
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