ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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生き様
2024/07/18

大相撲夏場所が始まり、ご機嫌な私(本当に単純だと自分でも思う)

前回優勝した力士は今回も勝ち進んでいく、というわけにはいかず。周りの期待が大きいだけにプレッシャーもあるだろうと思います…が…きっとそういう事も全て置いといて、その日の取り組みだけに集中して毎日とっているのだと思います。それはきっとどの力士もそうだと。

ずっと勝てずに心が折れそうになっても、もう、無理と思ったとしても、体調がいまいちでも、それでも今日はこのいちばんに集中しようと自分の気持ちをそこに持っていくのだろう…と相撲をとったことのない私ではありますが、思いました。

力士は強い人たちだからそうできるのではありません。このようなことを繰り返して、強い力士になっていくんです。

この、自分の気持ちをそこにもっていく、ということ、これは大相撲だけのことではなく、誰でも、どこででも、使えるといい。

落ちている気持ちをそのままにせず、自分の本来のありたい姿のところに自分で(←ここが大切)持っていく。この作業の積み重ねでその人の「生き様」が生まれるのだろうと思います。何ができるからすごい、とか、偉いとかではなく、この落ちている時の心を自分が望む在り方のところへ自分でもっていくこと、そのことに人としての価値があります。

そして、それがその人の「生き様」となり、それに対して人は感動したり、共感したり、励まされたり、教えられたり、勇気を与えらえたりするのです。「生き様だろ」…と自分に言い聞かせて、今日も洗濯物をたたみながら大相撲を見ます。

黒パターンに育ててもらっている
2024/07/17

「パターンにひっかからなくなることを目指しているのではなく、ひっかかるパターンと一緒に生きることを目指しています。」という昨日の日記。

こうしながら、ネガティブなものに慣れていくということにもなります。「ひっかかる」と言うときにはだいたい黒パターンのことであり、そこにはネガティブな感情、感覚が伴っています。ほとんどの人はこのネガティブな感情、感覚が嫌いで、苦手で、それに飲み込まれることで悩みになります。

でも、そもそも存在している黒パターン。彼らをなくすことはできませんし、なくしてはいけない彼らです。「私」を育ててくれているのは彼らでもあります。だから、そんな黒パターンと一緒に生きていかれる「私」になろうということです。

これを自分のものにしていくうちに、ネガティブなものごとへの耐性や、それへの新な面に気づくことや、起きていることへの新な意味づけなどで、それへの決めつけが、ゆるんでいきます(この時点で、身体もゆるむ気がします。連動するのかも)

ゆるんでいく黒パターン、そしてゆるめている「私」により、以前ほどネガティブを特別視することも消えていき、気が付いたら「この程度であれば一緒に生きられる、いや、一緒にいてあげたい」という気持ちがわいてくる。黒パターンってそういう役目ももっているものです。

そんな気持ちにさせる彼ら。これはまさに無差別を知ることのきっかけにもなってくれていて、そこへの思いは「愛」そのものです。だとすると黒パターンが「私」に愛を教えてくれているとも言えます。人の成長はネガティブにあり。いずれ、ネガティブって何?というところへいくのだろうと思います。

ひっかかる
2024/07/16

パターンにひっかからなくなることを目指しているのではなく、ひっかかるパターンと一緒に生きることを目指しています。

だから語りかけで「あなたはあなたのままそのままでいい」と言っています。自分の内にあるもので何ひとつ、いらないものはない。全てが一緒に生きている。

だからパターンがひっかかっても、それでいいんです。それは自然なことだからです。そのことが腑に落ちてわかると、目から鱗。そして、何より心身は解放されます。解放、自由になるとはこういうことなのかと感動すると思います。

なかなかそこが頭ではわかっていても腑に落ちないのは、パターンを嫌うパターンがひっかかるからです。何かに、ひとつのパターンがひっかかったときに、同時に動く「ひっかかった」事を嫌うパターンです。

「こんなに長く学んでいるのに」「こんなに語りかけしているのに」「こんなに頑張っているのに」「まだ、こんななのか」「成長していない」「変わっていない」「もっとこんなふうになるはずだったのに」などなどそのパターンは言います。それは「私」が言っているのではないですよ。黒パターンです。このパターンにとって、学ぶということはそうなることだと信じています。

ですからそれにも語りかけをします。そのパターンはきっと昨日書いた「理想の自分」を思い描いているのでしょう。理想の自分はパターンにひっかかることがないと思っている。しかし、それはパターンのいる領域での信念であり、それはとても狭い世界の決めつけなのです。狭い世界では他の選択がなく、従って苦しくなります。おまけにそれは幻だし。

それが違うものだったということが分かり出すと、いつ、どこでも、何回でもパターンがひっかかっても、その都度の対応を「私」がするようになります。対応できれば、ひっかかっていてもいいわけで。

従って、やはり「私」を育てていくことです。自分という人間の持っているもの全てにOKを出せるようになる。これはひいては無差別というところにもつながっていきます。自分が頑張っているその方向性を確認して、もし、違うものを目指していたのなら、軌道修正をしていくことになります。

信じ切ってしまっている
2024/07/15

パターンが「理想とする自分」「こうなるべき自分」を求める、ということは普通に起こります。

人である以上、誰でもがそうです。それは普通のことなので、そこに向かうことに一生をかけてしまいますが、そのために苦しみが増してしまいます。

そして、これは、自己探求をしている人たちも同じです。いや、そういう事を行っているからこそ「理想とする自分」「こうなるべき自分」を追ってしまうという事が起きます。学んでいることへのイメージなのかもしれません。しかし、これはだめなことなのではなくて、そのくらい誰の中にでもこのパターンは大きく存在していて、そこへの信頼があるのだと思います。そうなれれば全てうまくいくだろうというような。

そうなれれば、他人から褒められ、賞賛され、大事にされ、それがあるから自分は自信が持てて、傷つかず、いらいらすることもなく、幸せでいられると思っているからだと思います。

しかし、それはパターンであるので、幻を追うことになります。そのことに気づき、そこを選ばないことを練習していき、そうではなかった、と自分が気づくのには時間も労力もかかります。何かをきっかけにして、または、こつこつと向き合いながら、そうではなかった、という体験をしていくしかありません。

「理想とする自分」とか「こうなるべき自分」というような形を作ることではないということです。

信じ切ってしまっているものから抜けること、新たな領域のことを言葉で説明することがとても難しいです。でも、伝える努力はこれからもしていきます。それでも最後はその人の意思と努力と継続と、それによる体験だけです。やっぱり自分を変えられるのは自分だけということです。

2024/07/14

ずっと(20年近く)使っている傘があります。とても好きな傘です。

オレンジ色の楕円柄に黒い可愛い形の取っ手(ヴィヴィアンウエストウッドのものなのでどこか、とんがっているところがいい)傘の大きさも長さも私に合い、大事にしている傘です。

しかし、この傘、今までに2回程、置き忘れをしてしまい、しかし、見つかって無事に戻ってくることがありました。

で、つい先日。近所のショッピングセンターに雨が降っていたのでこの傘を持ってでかけました。館内の本屋を見たり、食料品店で食品を買ったり、セール中の雑貨を見たりしているうちに、気がつくと!アッ…傘がない!!ないって置き忘れです。

さーーーーどこだろう。どこに立ち寄ったか、落ち着いて思い出せ思い出せ思い出せ〜〜〜と自分に言い、本屋を離れるときにはあった、食料品店でも…あった。とすると、雑貨を見ているときか?手にとって色々見ているときに、あのときにはもうなかったような気がする。

そこで急いでその売り場に戻りました。このあたりを見ていたよなあ、という場所まで戻り、そのそばにあるレジにいたお姉さんに「傘傘傘なんですが、私、このあたりに置き忘れてしまったと思うんですが、ありませんでしたでしょうかあぁぁ」と言うと「こちらでしょうか?」とレジ下から出てきたのが私の傘でした。「そうです。それです。あーーーーよかった。ありがとうございました」と言うと「お客さまが届けてくださいました」ということでした(その方に感謝です)

再び戻ってきた傘をだきしめながら「ごめんね、ごめんね」と言いました。傘は「もーーー何度目?心細かったんだからあ」と言っているようでした(ここから一人2役)私・「この前はATMのところだったよね。あのとき、すぐに気づいて戻ったら、心細そうにしていて。あの様子を見て反省したのに。またやってしまった」と言うと傘・「反省はいいから注意してよ。何かを見だすと注意力散漫になるんだから」と言う。

傘、怒っている、さすがパンクの女王、ヴィヴィアンの傘だ。主張が強い。

こうして長い間一緒にいる物ってただの物じゃない気がします。今は同じものは売っていない。いや、もしあったとしてもこの傘とそれは違う。命を生み出す能力のないものは、生きてはいないと聞いたことがありましたが、そうでもないように感じられます。

白黒ワークも
2024/07/13

白黒ワーク…も…深い。

語りかけを十分行ってから行う白黒ワーク。これも、最初は、嫌だと思っている(…というパターン)黒パターンから、白パターンを選びかけることで楽になれる、と思ったかもしれません。実際、楽になれるんですが、楽の意味づけが今までのそれとは違い、今まで知らなかった楽。楽には継続と努力が必要であることもわかると思います。こうして世界が広がります。

というように、今までとは違うものを選んでいくのが白黒ワークです。これは例のアインシュタインの言葉通りです。

まだ新たな白パターンに自分が追い付いていなくても、そうなれるのだろうか?と思っても、選ぶこと(これからの自分の意思を決めること。それも感覚で)がここでは行われています。

最初のうちは教わった通りの文言を言っていきますが、そこもまた豊かにしていく。形から形のないものへ。丁寧に、スキップせずに。しっかりイメージして。白の部屋がどんな言葉を言っていますか?それを自分で作る。そしてそれを自分に語る。その言い方、テンポ、色合い、それが自分をひっぱっていくものになっているのか?その部分を豊かに。黒と白に入ったときの感覚が大事。選択すること。そして具体的な行動にうつすこと。

ここで使われるあらゆる資質が結果「私」を育てています。「私」は可能性そのものですが、育てなくてはいけないんです。「私」が「私」を育てているということです。

ワークのおもしろさを感じられるといいなあと思います。楽になるためにやっているのではないです(パターンはそれを思っていると思うけど)おもしろいことだから続けられると私は思うのです。こうなるために、は、ワークにはないです。

2024/07/12

語りかけ…は深い。

最初はこの文言を言っていけばいいんだ、というところから入っていったと思います。最初はね、そうでした。

しかし、続けていくうちにいろんなことを要求されていく。丁寧に。集中して。共感を持って、でも、パターンよりにならないで。「私」が語ることをしっかり意識して。パターンは生きている。クールに。距離を保って。言葉と言葉の間のスペースを感じて。その語りかけを絵に描くと?映画スターウォーズの最初のシーンのあのイメージ、宇宙の中を流れていく自分の文言、そのくらい壮大に。手の平にパターンを乗っけて。そのときにはたくさんの観音様の目に囲まれていることを意識して…などなど、どんどん続けて私は言っています。

このやり方(在り方)に皆さん慣れていったので「前はこう言っていたのに、どれが本当なんだろうか?」とはもう思わないと思います。こういうところも自分が変わったというところです。きっと今までの領域では、これはこういうものというわかりやすいもの1つで捉えていたと思います。しかし、新な領域ではそうではない。複雑になる。複雑であるからこそ目指すところを見つけやすくなります。

こういうことをどんどん出していきながら、それら全部を含んだところにあるもの、それらをちょっとずつ集めたものが語りかけなんだという事に気づいていただけたらと思います。

で、以前にも言っているように「私」は「王」だということ。王である「私」が自国の民の話を聴き代弁する(民は上手く伝えられないので)。

王は威厳があり、全てまかせておきなさい、おまえを守り抜くと誓っている。何よりも民が安心して居られることを望み、しかし、民を甘やかさず、でも、切り捨てることはなく、そのままの民でいいという本心を渡しています。

王と言われてもイメージできないという方は図書館ででもあらゆる王の写真や絵画を見て、コピーして部屋に貼っておいたり、その姿勢を真似してみたりするといいです。私は海外の好きな国歌を聞くとイメージがふくらみます。このようにそれを得るために、いくつもの学び方があってそれによりまた深みを増していきます。

それを得るためにどのようにしたらいいか?を自分で考えてみます。王はきっとそういうことも考えるだろう。自分の国の民の面倒を見ることのできる王になるために、きっと、自分を高めようとすると思います。

そのころの私に会いたい
2024/07/10

外から子供たちの元気な声が聞こえてくるので、ベランダに出て外を見てみると、小学校低学年?の子どもたちが2列に並んで先生の後をついて歩いていました。

それぞれ小さなリュック様なものを背負ってこの暑さの中を元気に楽しそうに歩いています。その様子を見ていて、ふと、思った。私にもこの子たちと同じ頃があった。今、そのころの私に会えたらいいのに‥と。

子供の頃の私はとても恥ずかしがりやで、できるだけ目立ちたくなくて、おとなしい子でした(これは今もあります。信じられないかもしれませんが)だから、こうして皆で歩いているときにも下を向いて黙々と歩いていたかも。

そしてその胸には子供ながらにつらいことをかかえていたかも。小さなそんな自分のことを思うと、とても愛おしく思えました。

今、会えたら、話を聞いてあげたいし、ひとりじゃないと教えてあげたい(わからないかもしれないけれど)。そのころ好きだった動物のことや、テレビ番組のことや、好きな遊びのことや、好きな食べ物のことや、好きな友達のことなどを一緒に話したいと思いました。

皆、誰もがそういう小さな時をいろんな思いで生きてきて今がある。子供ながらに皆頑張ってきた、だから今がある。そう思うと、小さな自分に助けられてきたのだと思いました。

だから、ひとりひとりの生きて来たその時間はとても貴重なものだと思うし、他人と比較できるものでもないです。そう考えたら生きているということだけで十分なのでは?とも思える。

いつのころからか、自分に対して厳しくなってしまった私たち。自分に厳しいから他人にも厳しくてそれにより自他を縛り付けてしまっているかもしれません。生きているだけで十分。それは自分も他人も。そんな尊厳を自他に持つこともできます。

長期的視点
2024/07/09

昨日の日記に書いた「長期的視点」…あとから、今までも十分、長期的だったと思いました。

ここでの学び自体、即効性はないし、短時間で取得できるというものではありません。そこをこつこつと、望む方々はやってきて、それをやりながらこの「長期的視点」というものに慣れ、自分の身につけていったと思います。自分をふりかえってみてください。それが身についていると思います。

ですから、これから先も大丈夫。ここまで来たら、それに対しての不安や怖さやもどかしさは感じないと思います。

こつこつやっていくという中には、元に戻ってしまったような感じになったり、全く進んでいないような気持ちになったりすることがあります。しかし、らせんをえがいて上がっていく人間の成長は、実際戻ることもあるし、進めないこともあります。でも、それでいい。そこも含めて成長だからです。

成長とは右肩上がり、というのは今までの領域での意味づけです。戻るからこその成長、進めなくなってしまうからこその成長、そういうものもあります。

だから、自分に起きている、一見嫌なことや、問題、悩み、なども成長している証だと思っていいということです。必要だから起きている、必要だから「私」がセッティングしています。

この視点が長期的視点です。良きことも良くないことも、その視点で見ていけば、そこに在る意味を発見し、思い通りに成長する事よりも実は大事なことであることがわかると思います。

そこで自分が選択したもの、継続したこと、努力したこと、そのために使った資質の数々。資質を使うということは「私」を使ったという体験。そこで感じ得たもの。結果よりもそれ自体に意味があるという発見。そこを感じるための長期的視点です。

これから
2024/07/08

昨日書いたように「自信」って、一般的には、人よりもできる何かを持っている、お金を持っている、学歴がある、仕事も皆が憧れることをやっている、結婚している、子供がいる、持ち家がある、人に好かれる、人が寄ってくる、頭がよい、知識が豊富、ミスをしない、信頼が厚い、頼まれる…など、そういうものがあるから自分に「自信」がもてると思われています。

ですから、そうなろうとするし、そこでの他人との比較になります。そういう自分に少しでもなって自分に自信を持ちたいし、他人にもそういう自分なんですよ、とわかってもらいたい、と思うと思うんです。それが一般的(今までの領域)な「自信」なんです。

しかし、昨日書いた「自信」は全くそういうものではなかった。「私は練習をした…ということが自信になる」。これは、自分にしかわからないものです。目に見えるものではないのに、自分の中で確実に手応えのある、リアルなものなんです。

これこそ本物と私は言いましたが「本物」というものも、皆が認める物事のことではなく、誰かのお墨付きではなく、自分で生み出したものであり、それはこれからの自分を助け、自分を生かすもののことを言っています。

「自信」も「本物」もなんか今までとは違う。今まではこれはこういうものと決まっていたものが、そうではないとも言える、ということです。

という大事なところを今回の茅ヶ崎クラスではやりました(岩手も来月やります)。

何故かというと、これから先の道を歩むにあたって、ここがとても重要になるからです。自分にとっての〇〇って何なんだ?ということを自分で創っていくことになります。それはあらゆる事象の意味づけの更新とも言えます。

そうは言ってもそこに慣れるにはまた時間がかかります。どうしても今までの意味づけ(パターンが信じてきたもの)に引っ張られます。そこから離れていくためには時間がいるということです。そこで、ここから先は長期的な視点が必要になってきます。

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